北沢方邦の伊豆高原日記j【111】
Kitazawa, Masakuni
真夏から急に秋深しとなり、すでに桜の葉が黄ばみはじめ、彼岸花だけが正確に彼岸の入り頃から満開となり、緋色の点景を散らしている。仲秋の名月には間に合わなかったススキの穂が風に揺れ、モズが、台風で吹き散らされて薄くなった葉叢の梢で、高鳴きをはじめた。
アラブの春
ニューヨーク・タイムズ書評紙の9月11日号が「アラブの春」の特集をしている。この問題にかかわるいくつかの本の書評や、「春」以後のアラブの知的世界や出版の動向についてのリポートなどである。
そのひとつはロビン・ライトの『カスバー[北アフリカ固有の迷路的居住区]を揺さぶれ;イスラーム世界をよぎる怒りと反逆』(Robin Wright: Rock the Casbah ;Rage and Rebellion Across the Islamic World)と、チャールズ・カズマンの『失われた殉教者たち;なぜかくも少ないムスリム・テロリストか』(Charles Kurzmann: The Missing Martyrs; Why There Are So Few Muslim Terrorists)の書評である。
ライトの主張のユニークさは、これら「アラブの春」が、政治的・社会的革命であるだけではなく、イスラーム世界をゆるがす「文化革命」であるとする点にある。
すなわち、蜂起を先導し、主導したのは若い世代であるが、彼らを結んだ絆がたんにインターネットやトゥイッターなどであるというだけではなく、そこに込められたメッセージが、むしろイスラームの新しい覚醒をうながす「文化革命」の伝達であったというのだ。たとえばエジプトでは、若い女性たちが「ピンクのヒジャーブ[頭部に巻くスカーフ]」運動をはじめ、またたく間に運動は拡大した。それは守旧派や保守派の伝統的な『クルアーン』解釈をくつがえし、そこには女性差別の痕跡などどこにもないことを主張し、女性の地位の向上や、社会の意識改革を訴えた。
事実私がみたTVの画像でも、カイロのタハリール広場を埋め尽くした群衆のなかで、淡いピンクのヒジャーブをまとった大勢の若い女性たちが楽しげに語り合う姿が印象的であった。
またアラブ保守派の牙城であるサウディでは、まだ「革命」こそ起きていないが、アブ・ダビのTVショウでは詩人のヒッサ・ヒラルが、全身を覆う黒いニカーブ姿で登場し、『ファトワ[イスラーム法にもとづく法令]の混沌』と題する自作の詩を朗読、守旧派のイスラーム解釈を大胆に皮肉り、一躍有名となった。もちろん生まれ故郷のサウディで死の脅迫を受けたことはいうまでもない。だが若い世代を中心に、これら「文化革命」に盛大な拍手を送るひとびとがいかに多いかを、この挿話は物語っている。
こうした「文化革命」を、裏側から照射しているのが、カズマンである。
彼によればアラブでは、ウサマ・ビン・ラディン氏の死を悼み、彼を英雄視するひとびとは圧倒的である。だがアル・カイダのイデオロギーに同調するものは圧倒的に少なく、ましてそれに参加するものはほとんどいない。むしろ彼らは、一般人をも巻き込む自爆テロによって圧倒的な嫌われ者といっていい。この矛盾はどこからくるか?
それはアラブ社会全体が、西欧近代諸国家の植民地支配を受け、独立後もムバラク・エジプトやフセイン・イラク、あるいは現在のアサド・シリアなどに代表されるゆがめられた強権的近代国家の手助けをし、また新植民地主義的経済搾取を行ってきた西欧に対する圧倒的な不信感を抱いているからである。だが彼らは、ウサマ・ビン・ラディンを褒め称えながらも、その狂信的イデオロギーは拒否し、もっと穏健なイスラーム民主国家を求めているのだ。
現在アル・カイダに人材を供給しているのは、西欧やアメリカの若いムスリムである。西欧では彼らは差別と貧困に苦しみ、西欧近代文明に憎しみさえ抱いている。アメリカではむしろ中産階級の若い知的ムスリムが、観念論としてアル・カイダ・イデオロギーに共感し、いわゆるホーム・グロウン・テロリストとなっている。
ライトの本の評者モハマド・バッズィ(Mohamad Bazzi)が指摘しているように、彼女の本にはこれらの運動が19世紀に遡るという歴史的視点が欠けているかもしれないが、「アラブの春」の重要な側面を明らかにしている点で、これらの本は今後のアラブあるいはイスラーム世界を展望する意味できわめて示唆に富んでいる。