一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【138】

2013-02-06 13:28:08 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【138】
Kitazawa, Masakuni  

 いつもなら1月の下旬には満開となる早咲きの白梅や紅梅が、ようやく3分咲き程度となった。冬枯れの光景や、冬にはくすんだ色となる常緑樹の濃い緑を背景に、淡い陽光をうけてほのかに輝く。山茶花の花が終わりを告げはじめたため、まだ冬毛でこれもくすんだウグイス色のメジロの群れが、蜜を吸いにやってくる。

微生物(マイクローブ)の驚くべき世界  

 ひと仕事が終わったので、例によって溜まっていた雑誌類や書評紙などを読みはじめた。そのなかでNational Geographic, Jan.2013の125周年記念の特集「われらはなぜ探求するか」が興味深かった。とりわけ微生物科学の最新の情報である微生物学者ネースン・ウルフ(Nathan Wolfe)による記事Small Small Worldは、昨年書きあげた本に関連してきわめて刺激的であった。微生物科学がいままで隠されていた生物学的リアリティを発見しただけではなく、新しい世界像への扉を開きつつあることを確信させる記事であった。以下、私見を交えながら紹介する。  

 わが国でも一時期メディアやひとびとの話題を賑わわした、胃に寄生するバクテリア「ピロリ菌」(Helicobacter pylori)のことを覚えている方も多いだろう。メディアに登場した通俗医学では、ピロリ菌は胃潰瘍を引き起こす悪玉菌であり、除去すべきであるとされた。だがニューヨーク大学の微生物学者マーティン・ブレイザーによると、ピロリ菌は胃に寄生しながら人体の免疫作用を強化する機能を果たしていて、特異な条件下では胃潰瘍を引き起こすが、通常は必要な善玉菌であるという。事実、幼少時、抗生物質の多量投与によってピロリ菌がほとんどいなくなったひとびとには、喘息患者がひじょうに多いことがわかってきた。つまりピロリ菌の不在で喘息に対する免疫力が失われ、消化器系のピロリ菌の欠如が、呼吸器系に免疫不全を引き起こしたことになるのだ。  

 われわれの身体の全細胞に、発疹チフス菌の一種であるミトコンドリアが寄生し、思考活動を含むわれわれの酸素エネルギーすべての貯蔵庫の役割を果たしていて、その遺伝子が母方の人間の遺伝子とともに子々孫々に伝えられていることは、この日記でもたびたび指摘してきた。そのミトコンドリアを含め、われわれの身体に寄生しているバクテリアの総数は、われわれ固有の細胞数のほぼ10倍に当たり、総重量は約1・5キログラムになるという。  

 その多様にして大量のバクテリアが、実はそれ自体によって人体に精密なエコロジー体系をつくりあげ、われわれの生存に必要不可欠な諸条件をつくりだしている。すでにたびたびこの日記で述べてきたが、われわれの腸に寄生する無数の種類の無数のバクテリアは、食物の消化を助けるだけではなく、腸が吸収不可能な栄養の吸収をし、ヴィタミンや炎症防止プロテインなどをつくりだしてくれる(まばゆいばかりの赤や青などの色彩の多様な種類のバクテリアが食物繊維に群がっているショッキングな電子顕微鏡写真が掲載されている)。また皮膚に寄生するバクテリアは、適度な湿気を皮膚にあたえ、毛穴などに侵入する病原菌を防いでくれる。大気や水や食物などからわれわれは大量のバクテリアやヴィールスを吸収し、そこには多くの病原菌やヴィールスもふくまれているが、体内でのこのバクテリア・コミュニティの均衡や機能が正常に保たれているかぎり、病原菌はバクテリオファージュといういわば戦士ヴィールスによって撲滅され、駆逐される。

 だが上記の抗生物質にかぎらず、強い医薬品や、食品などに含まれる残留農薬や添加物、あるいは大気汚染、また日本人に多い過度の衛生観念による身体などの過剰な洗浄などは、これらのバクテリアやヴィールスの精密なエコロジー体系の均衡を崩し、身体のさまざまな機構に異変をもたらす。しかもこうした異変が起こると、コントロールをしあっていたバクテリア相互の力の均衡が崩壊し、前記のピロリ菌のように悪玉に変異し、胃潰瘍を引き起こしたりするのだ。医療の第一は、いかにしてこのバクテリア・コミュニティの均衡を回復させるかであるという。東洋医学でいう気の回復が、このことにもかかわっていることはいうまでもない。  

 生物体だけではない。この地球上のすべての存在は、これらバクテリアやヴィールスとの共同体であるといってもいい過ぎではない。たとえば全生物にとって太陽光と水は生成や生存に不可欠であるが、黄砂のような微細な物質に乗って上空に舞い上がったバクテリアやヴィールスは、核となって雲を形成し、雨や雪を降らす。雪の結晶には必ずこれらバクテリアやヴィールスが核となっている。つまり地球のエコロジー的循環全体が、微生物体の働きがなくては成立しないのだ。  

 微生物科学の驚くべき進展は、生物学や進化論だけではなく、世界像そのものを大きく変えつつある。
 



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