楽しい映画と美しいオペラ―その1
私は鳥になってしまった――『wataridori』に魅せられる
先日、ひさしぶりに近所の公園まで散歩した。いわゆる谷津を公園化したところで、南北に細長い池がある。そこにはカモが群れをなしていて、もう渡りの季節なのかと、時の移ろいの早さに感慨を覚える。オナガガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロ。この池に目立って多いハシビロガモはまだその姿を見せていない。きっと渡りの最中なのだろう。シベリアからの何千キロの旅……。ワタリドリ。
そうか、映画とオペラについてのこの小さなコラムは、『wataridori』から始めるとするか。うじうじと投稿を引き延ばしてきたのだが、天気に誘われての散歩から、やっと決心がついたのだった。
さて映画『wataridori』は、何年か前の春の休日、日本橋の丸善から銀座までの散歩の途中、ふらりと入った小さな映画館で偶然に観たのだった。バードウォッチングすること年に数度というまことに怠惰な鳥好きの目から見ても、この映画は不思議な映画であった。科学映画でもなく、教育映画でもなく、ただ何種類もの鳥たちの渡りの姿を追っているだけである。思いついたようにところどころに字幕が入る。「ハイイロガン、シベリアから3,000キロ」という具合に。しかし、すべての鳥たちについてそれが入るわけではない。この映画を観て、ワタリドリについての知識を得ようと思っても、それは無駄というものである。
しかし、じつに感動的な映画であった。私は2時間近くの間、何種類もの鳥たちと一緒に、大空を飛んでいたのである。私の隣を飛ぶハイイロガンの翼が、大きく羽ばたく。力強く上下に動く、何かをしごくような羽音を、私は耳もと近くに聴きとる。そして広大な湿原の上を、雪に閉ざされた大山脈の上を、私は飛んでいた。カメラは完全に鳥の目になっている。そして私も鳥の目で地上を見おろしている。大自然のなんという美しさ!
いったいどうやって撮影したのだろうか。この映画のスタッフはよほどの鳥好きで、空中での至近距離の撮影にも、鳥たちは違和感を抱かなかったのではないか。鳥たちは、彼らを仲間だと思ったに違いない。こんな感慨を覚えるほど、この映画は自然そのものである。
この映画に人間が登場することは稀である。そしてそのほとんどの場合、ろくでもない行動しかとらない。罠をしかけたり、猟銃で打ち落としたり……。鳥たちが羽をくねらせながら大空から落ちてくる。私は自分の心臓を射抜かれたような思いがした。ニューヨークの摩天楼の横をも鳥たちは飛ぶが、人間が作った都市文明は、どうしてあんなにもちゃちなのかと思う。工場の廃液で鳥たちの羽がどす黒く汚れると、恥ずかしさで鳥たちにたいして顔を向けることができない。
人間文明批判――これはこの映画の重要なテーマの1つだろう。しかし、それを遥かに超えて、この映画は何よりも、大自然賛歌の映画である。
※2001年フランス映画
監督=ジャック・ペラン(『家族日誌』(1962)や『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などに出演したフランスの名優)
2006年11月12日 j-mosa