まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

憲法は、政府に対する命令である

2013-08-15 11:42:32 | 哲学・倫理学ファック

銀座の本屋さんで、ダグラス・ラミス 『憲法は、政府に対する命令である』 という本を見つけました。

奥付を見てみると、この8月9日に出版されたばかりのようです。

ダグラス・ラミスといえば、『ガンジーの危険な平和憲法案』 という本を書いた人です。

この人の本はいずれもタイトルがいいですね。

読んでみたい気をそそります。

さっそく読んでみたところ面白くて一気に読んでしまいました。

日本国憲法はもとより、その根幹、源泉である社会契約論のことがとてもよくわかる本でした。

その最大の特徴を表すのが本書のタイトル、「憲法は政府に対する命令である」 です。

その通り、憲法というのはまさに政府に対する命令であり、国家を拘束するものです。

日本国憲法のことをよく、あんなものは 「押しつけ憲法」 にすぎないと批判する人がいますが、

ラミス氏は 「憲法とはそもそも押しつけるものである」 と断言します。

問題は 「誰が誰に押しつけたものか」 ということです。

一般には、アメリカが日本に押しつけたと解されていますが、

ラミス氏は、この問題を考えるときに 「日本」 と一括りに考えてはいけない、と言います。

日本の政府と民衆は分けて考えるべきで、たしかに日本の政府 (当時の大日本帝国政府) は、

アメリカ総司令部から日本国憲法草案を押しつけられたかもしれませんが、

当時の日本の民衆は85%がこの草案を支持したのであり (世論調査より)、

日本国憲法は、日本の民衆が大日本帝国政府に対して押しつけたものでもある、というのです。

実際、大日本帝国政府は草案の根幹部分をなんとか回避しようと悪あがきしたのですが、

アメリカ総司令部は日本の民衆が草案を支持すると判断し、

草案を渡す際にすぐさま民衆に公開するよう日本政府に迫ったそうです。

その結果、世論調査ばかりでなく、支持表明の集会や新聞報道などが後押しとなって、

大日本帝国政府は日本国憲法を受け容れざるをえなくなりました。

ラミス氏はこの事態を、「民衆が新憲法に 『同意した』 ことを意味するだけではなく、

民衆が大日本帝国政府への新憲法の押しつけに参加した」 という意味でもあると解しています。

しかも、ほどなく米ソ冷戦が開始されてしまったことによって、

アメリカ政府にとっても日本国憲法は不都合なものになってしまいました。

つまり、当初から日本政府ばかりでなくアメリカ政府も日本国憲法を変えたかったのです。

もしも本当にアメリカが日本に押しつけただけのものであれば、すぐに変えられたはずです。

しかし、それを変えられなかったのはなぜか。

それは日本の民衆が日本の政府とアメリカの政府に対して、

日本国憲法を押しつけ続けることを望んだからである、と言うのです。

なるほど、面白い見方です。

そのように見るならば、日本国憲法が押しつけ憲法であることは、

私たち日本国民の勝利の証ではありませんか。

敗戦記念日の今日読むのにたいへんふさわしい本だと思います。

なお、本書には増補された 「付論」 も付されていて、

そのタイトルは 「自民党憲法改正草案は、国民に対する命令である」 です。

そちらでは、自民党の憲法改正草案は 「改正草案」 と銘打っているものの、

日本国憲法の 「改正」 の枠内に収まるものではなく、

日本の政治のありようを根本的に変えてしまうような 「新憲法草案」 だと論じられています。

そこには自民党指導部からの国民に対する命令ばかりが書かれている、とラミス氏は言います。

はたして日本国民はそんなもの (政府の言いなりになる国民の義務) を欲しているのでしょうか?

中国や韓国や北朝鮮から日本をどう守るかということばかりを考えている人たちには、

自国の政府の暴走からどうやって国民を守るかということも考えてもらいたいと思います。

賛成するか反対するかは別として、

憲法改正について論じるときにはぜひ皆さんに読んでおいてもらいたい本です。