まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

To See is To Drive

2008-09-15 17:51:06 | ドライブ人生論
クルマの運転の基本は「見ること」に尽きます。
このことを教えてくれたのは、私の人生の師のひとりであるG君でした。

大学に入った最初の夏休み、G君をはじめとする高校時代の同級生3人で、
山形の自動車学校に合宿で免許を取りに行きました。
当時はオートマ限定免許なんてなかった頃ですし、
教習所内で第3段階まで練習積んでから、
仮免をとってやっと路上教習に出て行くというハードなカリキュラムだったと思います。
3人の中で抜きんでて下手くそだった私は、
なかなかハンコがもらえずに、いつも悪戦苦闘していました。

やっとバックやら坂道発進やら車庫入れなどをマスターし、
なんとか仮免を取って路上に出始めた頃でしょうか。
当時の私の課題は、一般道を走っていてどうしてもフラフラと蛇行運転してしまうことでした。
走行レーンの中で右に寄ったり左に寄ったりしないで一定の位置を保てるように
適切なハンドル操作をすることが私にはできなかったのです。
運転する人はご存知のように、一般道というのはけっこう傾いていたり、デコボコしていたり、
交差点のこっち側と向こう側で車線がまっすぐつながっていなかったり、
それに自動車自身もハンドルをまっすぐ保っているつもりでも、
少しずつどちらかに寄っていくクセをもっていたりなど、
ただレーンの中をまっすぐ走らせるのにも常にハンドルの微調整が必要なのです。
ギヤチェンジや半クラッチをやっと何とか習得したばかりの私には、
そういうビミョーなワザは望むべくもありませんでした。

で、今日もハンコをもらえずに合宿所に戻って、
「蛇行運転を直さないとハンコはやれん、と言われちゃったよぉ」と愚痴をこぼしていたところ、
G君の口から啓示の言葉が発せられたのです。

「そんなの簡単だよ。ただ見ればいいんだよ。」

どういう意味かわからずに説明を求めたところ、
ハンドルを操作してまっすぐ走らせようなんて意識するからうまくいかないのであって、
とにかく走行レーンをよく見て、
自分のクルマがその中のどこにあるかをただ見ればいいんだ、とのことでした。
今から思うと、クルマの運転を覚えたての頃って、
どうしても機械の操作に意識が集中しがちだけれど、
そうではなく外界に意識を集中せよ、ということだったんだろうと思います。
話を聞いた時点では半信半疑でしたが、
翌日一発でハンコをもらい、その日からG君は私の神になりました。
(それにしても、ぼくと同い年でいっしょに免許を取る途上にあったというのに、
 なぜG君はあんなにも悟りを開いていたんでしょうか。)

さて、あれから四半世紀、私もけっこうな運転歴になりましたが、
あのお言葉は、たんに蛇行運転を修正するというだけでなく、
自動車を運転する上でのイロハのイ、基本中の基本であると確信するにいたっています。
運転の90パーセント以上が「見ること」であると言ってもいいでしょう。
きちんと「見ること」さえできれば誰でも安全かつ快適にクルマを走らせることができるでしょう。
逆に言うと、ほとんどすべての事故の原因は、
きちんと見ていなかったことにあるのではないでしょうか。

そして、人生についても同様であると思うのです。
ついつい自分のことに気を取られて、まわりを見ることを後回しにしてしまいがちですが、
自分が走っていく道には何があるのか、誰がいるのか、彼らは何をしようとしているのか、
とにかくしっかり見ることが何よりも大切だと思うのです。
それを怠って、見たふり、わかったふりを続けているとトラブルに巻き込まれてしまうか、
自ら大事故を引き起こしてしまうかするでしょう。
あっちでぶつかり、こっちで傷つき、いつも災厄に見舞われている不幸なあなた、
とにかく一度「よく見てみること」をオススメします。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿