まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

南郷中学校キャリア教育講演会

2010-12-13 22:42:35 | 幸せの倫理学
今日は南会津町の南郷中学校に行ってきました。
キャリア教育講演会です。
いつもの 「人はなぜ学び、なぜ働くのか」 という話を、全校生徒70名、
さらに今回は保護者の方々が30名近くいらっしゃる中でしてきました。
それにしても12月に南会津までドライブですから、
行く前からいろいろと不安が募っておりました。
天気予報は雨ですが、朝起きたらむちゃくちゃ冷え込んでいます。
この冬一番の冷え込みじゃないでしょうか。
クルマの気温計は出発時点ですでに1.5℃を示していました。
会津は福島よりも寒いはずです。
そこに雨なんか降ったら絶対に雪になっちゃうんじゃないでしょうか。
ビクビクしながら出発です。

今回は、皆さんからのアドバイスに従って白河ルートにしました。
白河中央まで東北自動車道で行き、
そこから289号線 (甲子道路) で西に向かいます。
白河に着いたあたりから雨がパラパラ降ってきましたが、
気温はあいかわらず1℃くらいで雪にはならずにすんでいます。
しかし、甲子道路は峠越えの道でどんどん標高が上がっていくにつれ、
道路の脇に雪が残っているのが見えてきました。

   

積もっている雪を見るのは今シーズン初めてです。
しかし、幸いなことに道路にはまったく雪は残っていません。
道路脇に並んで立っているポールを見ると、
本格的な冬になるとこの道も圧雪がこんなところまで積もるのでしょうが、
今日のところは雪道運転はしなくていいようです。
ヒヤヒヤものでしたが、当初の予定通り2時間半ほどで南郷中学校に到着しました。
校長先生にうかがったところ、やはり12月でこんなに雪が少ないのは珍しいそうです。
きっと南郷村 (現南会津町) が私のことを歓迎してくれて、
雪を降らせるのを遅らせてくれたのでしょう。
無事に着けて本当によかったです。

さて、講演のほうは、いつもの内容ではありますが、
中学校1年生も聞いているということを考えると、
高校で配布しているプリントと同じじゃちょっとマズイかなと昨日の段階で急に考え、
難しい言葉を少しやさしく言い換えたり、漢字をひらがなに変えたりしました。
50分というこれまでで一番短い持ち時間だったということもあって、
最初のあたりの難しい話をカットして、中学1年生にもわかるということを意識してみました。
時間に関しては、どうしても尺におさまりきれず、5分ほど延長してしまいましたが、
その件については校長先生に最初からご了解いただいていましたので、
まあよしとしましょう。
前回の失敗を反省して、今回は生徒の皆さんに筆記用具を用意してもらっていましたし、
ちゃんと感想用紙も配布して、満足度評価も記入していただくことができました。
満足度は全体で4.54。
たいへん高い評価をいただけたのではないでしょうか。
生徒の皆さんだけだと4.62、保護者の方々が4.33。
学年別に見てみると、1年生が4.64、2年生が4.65、3年生が4.56。
3年生や保護者の方々になるほど評価が下がっているのは、
話が簡単すぎて物足りなかったということなのでしょうか。
しかし、今回は1年生にもわかるということを目指していましたので、この結果には大満足です。

感想を書いてもらう時間はあまりなかったのですが、
1年生はこんなことを書いてくれていました。

「早く大人になりたい。」

「早く僕も働きたい。結婚したら幸せな家庭を築きたい。」

「人間はなんでも出来て自由なので、これからも学びたいです。」

「自分がもっと大きくなったら、他の人も幸せにしてあげられる人になりたい。」

うーん、うれしいなあ。
ちゃんと私が一番伝えたかったことを受け止めてくれているじゃないですか。
特に、キャリア教育講演会という趣旨からすると、
子どもたちに早く働きたいと思ってもらえるというのはサイコーの成果ではないでしょうか。
2年生のなかには話の細部もちゃんと捉えてくれている人がいました。

「算数はとても大事だということが分かりました。」

「今は練習問題だということも分かった。」

前にこのブログで、社会に出るにあたって算数・数学が大事という話を書きましたが、
最近の講演ではその話も少し盛り込むことにしていて、
なぜ算数・数学 (やその他の教科) を勉強しなきゃいけないのかを話しています。
大人になって社会に出たら、正解のない問題を考え抜く力が必要になるのだけれど、
最初からそんなに難しい問題を考えることはできないので、
小中高では正解の出る簡単な問題からスタートして、
少しずつ難しい問題を考えられるようにトレーニングしているんだよと説明しています。
その話をちゃんと受け止めてもらえたようで、とてもうれしいです。
そして、3年生からはこんな決意表明と励ましの言葉をいただきました。

「かっこいい大人になりたい。
 かっこいい大人を育てて下さい!」

素晴らしいですねえ、南郷中学校生
まずは自分が幸せになる力をつけること、でも自分だけの幸せじゃなくて、
人も幸せにしてあげられるようなカッコイイ大人になってほしいというのが、
今回の講演の結論だったのですが、
そうしたら本当に自分のことだけじゃなくて、ぼくのことまで、
あるいはぼくが育てる大学生たちのことまでちゃんと考えてくれたんですね。
こんな励ましの言葉をいただいたのは初めてかもしれません。
本当にどうもありがとうございました。
保護者の皆さんからもこんなお言葉を頂戴しました。

「高度な学びが人を (自分も他人も) 幸せにするのなら、親としてもがんばりたいと思います。」

「人間に生まれて、幸せに生きるために、これからも色々と考え、仕事をして、がんばりたいです!!」

「ちょうど、子どもがなぜ学ぶのかわからず、学ぶ意欲がなくて悩んでいたところでした。
 うまいアドバイスもできなかったところ、今日のお話が聞けて本当によかったです。
 自分もまた学びたいなと思いました。ありがとうございました。」

保護者の方々にまで、自分ががんばって働いていきたいとか、
自分もまた学びたいと思ってもらえるなんて予想していませんでした。
大人自身が楽しそうに働いたり、自ら進んで学んだりしている姿を見せてあげることが、
なによりのキャリア教育だろうと思います。
今回の講演が、親も子も一緒に楽しみながら学び働く家庭を築いていくための、
ちょっとしたきっかけになれたらうれしいのですが…。
講演終了後には、生徒会長さん (2年生) がお礼のことばを述べてくださったのですが、
その挨拶も、私の話を深く理解した上でのとてもいいスピーチだったので、
本当に中学生なのと思って、ちょっとゾクッとしてしまうくらい感動的でした。
私の話をこんなに一生懸命聞いてくれて、本当にありがとうございました。
帰りには花泉の純米酒 (花泉は南会津町のお酒だったんですね) まで頂戴し、
今回もまた心に残る南会津への旅となりました。

とっても心があったまってルンルン気分で帰途についたのですが、
甲子道路の峠越えのあたりはこんなことになっていました。



雪がけっこう降っていて、完全に雪道になっていました。
さっき通ってきたときからほんの数時間しか経っていないのに、
まったく道の様子が一変しています。
今シーズン初の雪道運転、しかも山道というのでちょっと緊張しましたが、
峠を越すと雪は雨に変わり、それほどの距離を走らずにすんだので、事なきをえました。
南会津はこれから本格的な雪国と化していくのでしょう。
南郷中学校の皆さん、
雪のなかで力をたくわえ、新芽を育てる草木のように、
毎日の学びを大切にして、大きく育っていってください。
そして、ぜひ福島大学でまたお会いしましょう

リクラブ

2010-12-10 15:54:19 | お仕事のオキテ
先日、Glow Lamp の飲み会があって、初めて就活中の3年生とも顔を合わすことができました。

もうすでに就活戦線は開始されていて、みんなツラく長い闘いに足を踏み入れているようでしたが、

そんな中、すでに就活を終えた4年生から 「リクラブ」 という言葉を教えてもらいました。

就活中に芽生えた恋をリクラブ (リクルート・ラブの省略形) と言うらしいのです。

合同説明会でたまたま隣に座ったとか、

何社も受けていたらどこに行っても出会ってしまったとか、

(同じ業界を目指してたら当然そうなりますよね)

そういうことをきっかけに恋に落ちるケースがあるらしいのです。

たしかに目的も悩みも一緒なわけですし、共有したい情報もあるわけですから、

話も弾んでそこから恋が芽生えたとしてもまったく不思議ではありません。

が、みんな目の色を変えているだろう就活中にそんなロマンスがあるなんて、

就活を一度も経験したことがない私には想像もつきませんでした。

さらに聞いたところによると、リクラブまで発展しなくとも、

面接で同じグループになった中に素敵な人がいたりとか、

面接官がミョーに若くてイケメンだったりすると、

テンションが上がって、自己アピールがすごく上手くいったり、

次の面接日が楽しみになったりするんだそうです。

着慣れぬスーツを着て、今までしたことのない自己分析に勤しみ、

次から次へと課される無理難題に矢継ぎ早に応えなくちゃいけなくて、

その上、ばっさりお前はダメと評価を下される就活なんて、

苦しくてイヤなことばかりかと想像していたのですが、

意外と若者たちは苦しい中でもそれなりに楽しみを見つけたりしているようです。

いいぞ、いいぞ、みんな。

その調子で楽しみながら就活を乗り切ってください。

就活しながら恋活・婚活、みんながんばれ

雪見て一首

2010-12-09 20:01:46 | 人間文化論
今日は福島に初雪 (たぶん) が降りました。
そこで一首。

福島の初雪写メに撮りたいが授業終わればただの冬空  まさおさま

授業に出かけるときはケータイ不携帯なのですぐに撮ることができません。
2限が終わったら写メを撮って今日のブログネタにしようと思っていたのですが、
90分のあいだにやんでしまっていました。
うーん、残念。
そこで写メの代わりに短歌を作ってみました。

なぜ短歌なのか?
最近ちょっとハマってるんです。
といっても私はちゃんとまじめに詠んでいるのではなく、
パスティーシュみたいなもんなんですが。
知り合いの渋川すずめさんという方が最近 「すずめの短歌」 というブログを始められました。
そちらにおじゃましているうちに、そのブログへのコメントを短歌で書き込みたくなってしまったのです。

場の空気読まざるべきか読むべきか読めない私に聞かないでくれ  まさおさま

いつもならテイスティングは儀礼的不味いと言えば空気乱れる  まさおさま

真面目に歌を詠んでいる方には失礼に当たるかもしれないような出来映えですが、
言いたいことを5・7・5・7・7に納めるという作業がなんとなく楽しくていくつか書き込んでしまいました。
そして、すずめさんは今日のブログで次のような歌を詠んでいらっしゃいます。

山は雪ひとはどの道一人だね今死なぬためどう生きようかな  渋川すずめ

とてもいい歌ですね。
すずめさんらしい歌です。
これを見て、私も写メの代わりに初雪の歌を詠んでみようと思ったのでした。
私のはなんの深みもない歌ですけれども。
ちょっと前の作品ですが、これも私のお気に入り。

「われ」「われ」といまだ黙らぬ自意識は乳吸い足らぬあさましさかも  渋川すずめ

私のブログなんかよりよっぽど哲学的・倫理学的ですね。
どうです、人のを読んでいると自分でも作りたくなってくるでしょう。
短歌に関する基礎知識や簡単なルールはここ (「短歌をつくろう」)」 に紹介されています。
皆さんもぜひ挑戦してみてください!

ジョンの命日

2010-12-08 17:40:30 | グローバル・エシックス
今日はジョン・レノンの命日ですね。

没後30年なんだとか。

40歳で亡くなって、それからもう30年も経ってしまったんですね。

ふだん記念日とか○○周年とかあまり重きを置いていない私ですが、

「Imagine」 によって思考 (=哲学/倫理学) に目覚めた者として、

若干の感慨は禁じえません。

現実世界とは別の世界を想像してみること、

それはすなわち理想の世界を創造していく第一歩であり、

中学生の私にその第一歩を踏み出させてくれたあの歌と、

その曲を創造したジョンに衷心より感謝申し上げます。

節穴

2010-12-07 12:37:00 | 人間文化論
ご覧いただいている写真は、毎年恒例の階段箪笥クリスマス仕様です。
12月に入って、駅前やパセオもライトアップされましたし、
クリスマス・ムードが盛り上がってきて、クリスマス好きにはたまらない季節になってまいりました。
家のなかも階段箪笥のディスプレイといい、ステレオの上のサンタさんといい、
クリスマス気分満々です。
ほぼ四六時中、クリスマスソングが流れています。

ところで、今年のこの階段箪笥のディスプレイは一味ちがっています。
というのも、私が飾りつけたのではないからです。
昨年末で会社を辞めた妻は、当初、福島に移住してくるという話もありましたが、
けっきょく再就職もせず、フリーでコーチの仕事や研修講師をしているだけなのですが、
福島に引っ越してはこず、単身赴任状態は続いています。
しかし、会社勤めとはちがって時間に余裕がありますから、
たまに福島に来るときは、以前のように週末だけやってくるのではなく、
ドーンと1週間ぐらいまとめてやってくるようになりました。
夏休みなどはその間ずっと一緒にいられるわけですが、
大学が始まってしまえば、私は日中、仕事に出かけているわけで、
妻は家にいて、たいていはずっとコーチの仕事をしていますが、
たまには掃除や料理など、家事をしてくれていたりするわけです。
そういう暮らしに慣れていないので、私としては何かやってもらうとたいへん恐縮してしまうのですが、
とにかく昼の間に家のことをやっておいてもらうという機会が増えてきました。

さて、11月末のある日のこと、家で一緒に夕食を食べてから、
その日のうちに妻は終電で東京に戻らなければならないというスケジュールになった日がありました。
私は大学での仕事を早々に終えて帰宅し、
すでにあらかじめ買い揃えてあった食材を使って2人でトマト鍋を作ろうと決めていたのですが、
大学でいろいろと急な仕事が入り、帰宅時刻が予定よりも大幅に遅れてしまいました。
ゴメン、ゴメンと慌ただしくリビングに入っていくと、
すでに妻はトマト鍋の仕込みを始めています。
私もすぐに手を洗って夕食の支度を手伝い始めます。
まだ十分に余裕はありますが、新幹線に乗り遅れてはいけませんので、
テキパキと野菜を刻んだり、テーブルセッティングをしたり、
ワインを飲む準備などをしておりました。
そろそろすべての支度が調うかという頃になって、妻がたまりかねたように言いました。

「まあちゃん (と妻は私を呼んでいます)、全然気がついてないでしょう

「えっ、なあに

「部屋の中よく見てごらん。」



「おおーっ

そうなのです。
私が大学に行ってる間に妻が階段箪笥のディスプレイをクリスマス仕様に換えてくれていたのです。
前日までは日本酒仕様で、お猪口や徳利などが飾ってあったのを全部しまって、
クリスマスプレートやらクリスマスツリーと交換してくれていたのです。
帰宅してから指摘されるまでおよそ30分弱でしょうか。
上の写真の右下にグレーに写っているのはオープンキッチンの角ですので、このあたりで調理をし、
キッチンと階段箪笥の間を通って右方向に進むとダイニングテーブルがあり、
テーブルセッティングをしている間中、何度もこの間を行き来していたのです。
なのにクリスマス・ディスプレイになっていることに私はまったく気づかなかったのです。
いや、別に夕食の準備のために行き来なんかしなくとも、
この階段箪笥は玄関から入ってくると真っ正面に見えるような位置に置いてあります。



普通の人なら帰ってきて、リビングに入った瞬間に気づいてもよさそうなものです。
しかし私は、指摘されるまでまったく気づかずにいたのです。
「換えといてくれてありがとう、気づかなくてゴメン」 と平謝りに謝ると、妻は、

「いや、ひょっとして気づかないんじゃないかとは予想してた。あまりに予想通りなんで驚いた。」

と笑っていました。
そうなんです。
私、こういうこと多いんです。
誰もが気づくような変化を見落としていることがよくあります。
特に、なにか目的をもって行動しているときは、
その目的にとって必要な情報以外を全部オミットしてしまうんです。
クルマの運転をしているときは、運転に必要な道路状況以外の情報は何も入ってきません。
沿線に新しいお店ができたとか、目の前を走っているクルマの色や車種ですら、
まったくわかっていないことが多いのです。
今回も、早く夕食を準備しなければならないということに集中していて、
それ以外の情報は完全に遮断されていたのでしょう。
こういうことはしばしばあるので、妻はもう慣れっこになってしまっているようです。
しかし、自分としては相当ビックリしてしまいました。
大好きなクリスマスなのに気づかないなんて、なんという節穴なんでしょう。
ちょっと呆れてしまう体験でした。
今年は毎日ディスプレイを見るたびにあの衝撃を思い出すことになるでしょう。

地域生活文化クラス ・ 2年次学生研修

2010-12-06 18:07:13 | 幸せの倫理学
この土日、私が担当している福島大学・人間発達文化学類・文化探究専攻・地域生活文化クラスの
2年生たちを引き連れて、合宿研修に行ってまいりました。
宿泊先は岳温泉にある 「あだたらふれあいセンター」 です。
土日でも6,500円と格安で泊まれるのですが、
さらに福大生は1,500円も割り引いてもらえるので、
学生を連れて行くには手頃な宿だと思います。
露天風呂はありませんがちゃんと温泉ですし、研修室もきれいだし、
夕食もけっこう充実していますし、送迎バスで送ってもらえますし、学生たちからも好評でした。

土曜日の12時半に大学に集合して出発する予定でしたが、
土曜日はものすごい強風が吹いていて、JRが軒並み運休していて、
出発前から大パニックです。
5名が福島駅に、1名が郡山駅に足止めを食らい、復旧の目途が立ちません。
困った挙げ句、反対方向になってしまいますが、
福島駅に寄って5名を拾っていくことにしました。
郡山の1名はどうしようもなく、親御さんにクルマで現地まで送っていただきます。
なんだか最初から疲れ切ってしまいましたが、
予定よりも1時間以上遅れて、やっと全員が現地に集まることができました。

さて、本来、2年次学生研修は学生主導で計画を立てることになっているのですが、
今年は初めての試みとして、私のほうで完璧にプランを立てて実行してしまいました。
学生に任せておくと、ただ宴会をやっておしまいということになりがちだからです。
まあ、それでもいいのですが、今年の私のクラスでは、
クラス全員必修の 「基礎演習」 という授業で、
社会に出るまでに身につけておきたい大人の力の育成をテーマの1つにしていますので、
せっかく宿泊して2日間費やすのですから、
そのためのワークショップの時間に当てようと考えたのです。
実は、人間発達文化学類になって以来、1年生の合宿研修では、
プロの講師の方を頼んでワークショップをやってもらっていました。
企業で人事担当の役員を経験し、ビジネス・コーチングの世界でも名の知れた方を、
特別のコネでお招きし、特別のワークショップのプログラムを組んでもらっているのです。
今回は、初めて2年生の合宿でもお願いすることにいたしました。
というか実は 「基礎演習」 の授業でもすでに2回お呼びしています。
1回目は 「自分を大切にする」 ということでプレゼンテーションをしていただきました。
2回目は 「自分と他人はちがう」 というテーマで、ストレングス・ファインダーの結果を使って、
講義やワークショップをやっていただきました。
今回の合宿はその集大成で、
「自分も相手も大切にして、お互いの可能性を拓くコミュニケーションスキル」 について、
みっちり2日かけてワークショップをやっていただこうという趣向です。

まず第1日目は、自分の中の 「ねばならない」 にどんなものがあるかを探るところから開始です。
それをお互いに比べあって、自分と他人の 「ねばならない」 が全然違うことにも気づいてもらいます。
NLPの知見も織り交ぜながら、例えば 「食べ過ぎてはならない」 というプログラムを持っていると、
いくらそう思っていても食べ過ぎからは解放されず、むしろよけいに食べ過ぎてしまうこと、
そして、食べ過ぎてしまってから 「なんて自分はダメなんだろう」 と自分を責め立ててしまうというように、
いつも自分を追いつめる生き方をするようになってしまうということが示されました。
そこから、自分を解放し、自分の可能性を引き出すためのスキルの実習に移り、
まず、怖いとか悲しいとかの自分の感情をしっかり認めてあげた上で、
次に可能性を拓くような問いを自分に発してあげるという練習を、ケーススタディを用いて行いました。
初日後半は、相手を大切にするとはどういうことかのワークショップです。
相手を大切にするとは、相手の言うことを全面的に受け容れてしまうことではなく、
じっくりと相手の言うことを聞いて、きちんと相手のことを理解してあげることです。
理解することと同意することは違うのです。
相手が自分と異なる主張をもっていたとしても、
相手がなぜそのように考えるのかそう言い張るのか、
その背景となる相手の価値観や相手の 「ねばならない」 までさかのぼって理解してあげること、
別にその主張に同意しなくとも、ちゃんと理解してあげることが相手を大切にすることです。
そのために相手にたくさん話してもらえるようにするにはどうしたらいいか、
アイスブレークやペーシングや傾聴、承認といったコミュニケーションスキルについて、
デモンストレーションで見せてもらいながら学んでいきました。
普通の人は、自分の言いたいことを我慢して相手に合わせることが、
相手を大切にすることだと勘違いしていますので、
これだと我慢した挙げ句にぶち切れるということになり、
相手もそれではなぜ切れられてしまったのかまったくわからず、
建設的な人間関係を築くことができません。
これでは自分のことも相手のことも大切にしていないよね、
ということを実感したところで1日目のワークショップは終了しました。

2日目は、素直に自分を伝える 「アサーティブ・コミュニケーション」 の具体的な方法について、
ケーススタディで学んでいきました。
「客観的事実」 と 「自分の解釈・感想」 と 「自分の要望」 をきちんと分けて伝えること、
I メッセージと Youメッセージと We メッセージの使い分けなどを学んだ上で、
ある敵対的状況において、たんに相手とどんなふうに会話を進めたらいいかだけではなく、
具体的にどういう言葉を使って伝えるか、グループでちゃんとセリフまで考えて発表しました。
最後に相手から可能性を引き出してあげるために、
クローズド・クエスチョンとオープン・クエスチョンをどう使ったらいいかを学び、
2日間で学んだことを総動員しながら、1対1で話し合うロールプレイを行い、
2日間の学びを振り返りシートに記入して合宿研修を終えました。

今の大学でこういうことを学ぶ機会はほとんどないと思いますが、
(昨年私の 「戦争と平和の倫理学」 でやった非暴力コミュニケーションは、
 若干これに近いものかもしれませんが、実際の練習まではほとんどできませんでした)
どこかの段階で学んでおくべきことだろうと思っています。
幸せに生きていくためにはこういうことができたほうがいいし、
今すぐできないとしても、こういうことを知っているというだけでも、
人生はだいぶ変わってくるだろうと思います。
地域生活文化クラスの皆さん、学んだことをぜひ実生活に活かしてみてください。
講師の木村先生、学生相手に丁寧なワークショップをしてくださりありがとうございました。
みんなの習得具合に応じて臨機応変に課題や流れを変えていくところは、
たいへんに参考になりました (自分ではマネできないと思いますが…)。
また、3年生なのにオリターとして参加してくれた学生さんにも感謝申し上げます。
波乱含みで始まった合宿研修でしたが、最後は快晴の中、
全員元気に (つぶれてしまう人もなく) 無事終えることができよかったです。
みんなの振り返りシートの内容はまた別の機会にご報告することにいたします。

Q.占い師の占いは本当に当たるのか?

2010-12-04 08:26:30 | 哲学・倫理学ファック
看護学校の授業は終わってしまいましたが、倫理学FAQはまだまだ残っています。
そのうちのひとつがこれですが、18歳くらいって本気でこういうことに悩んでいるのですね。
正確にはこういう質問でした。

「占い師の占いは本当に当たるのか? どうして分かるのか?」

前半と後半とそれぞれ分けてお答えしましょう。

Q-1.占い師の占いは本当に当たるのか?

A-1.自分がどういう人間であるのかは特別なテクニックによって当てられるでしょう。
    将来については当たったり当たらなかったりしますが、
    当たらない場合を自覚することができないので、当たったとしか感じられないでしょう。

相手の心を直接読み取ったり、相手の過去を見透かしたりすることはできない、
ということはみんな自分の経験でわかっていると思います。
ごくまれにそういうことができると主張する人たちがいますが、
そういう人の多くは、後述するような特別のテクニックを用いているだけで、
直接読み取っているわけではありません。
血液型占いや手相占いなどは、相手の内面を直接読み取るわけではなく、
この血液型の人はこういう性格である、とか、
手のシワがこういう形の人は金運がある、等々のルールがすでに作ってあって、
それを相手に当てはめて言うだけですから、当たる場合もあれば当たらない場合もあり、
当たったとしてもそれはたまたまであって、当てたわけではありません。
ただし、占い師の人がこれをやる場合は特別なテクニックと組み合わせてやりますので、
たまたま当たった部分をどんどん活用して相手を理解することができ、
それによってあたかも相手のことを全部お見通しであるかのように見せることが可能です。
そして、相手のことが理解できれば、だいたい相手の将来も予測できますから、
そうやって未来のことも占うことができますが、
それもけっきょくだいたいにすぎませんので、当たる場合もありますが、
多くの場合は当たらないわけです。
当たれば 「おお、当たったあ」 とビックリするのでそのことを覚えているでしょう。
当たらない場合、まだ当たっていないだけかもしれないので、
「なんだ、外れたよ」 と自覚することができないまま時間が経ってしまえば、
占ってもらったことそのものを忘却してしまうことになり、
けっきょく記憶に残るのは占いが当たった場合だけということになるのです。

Q-2.どうして分かるのか?

A-2.コールドリーディングその他の特別のテクニックによってです。

コールドリーディングについては本も出ていますし、
ネットでも情報を見られるので、そちらをご覧下さい。
ウィキペディア超常現象の謎解き
要するに本人から聞き出すというテクニックです。
「超常現象の謎解き」 のなかには、絶対に外れないことを言って当てたと思わせ、
そこから本人に話させるという例が載っていて笑いました。
例えば、「あなたのお父さんは亡くなっていませんね」 と言えば、
「亡くなって、もういない」 という意味にもなれば、
「まだ亡くなっていない」 という意味にもなるのです。
どちらの人も当てられたと思って、自分の父のことを話し始めてしまうわけです。

コールドリーディング自体は別に悪い技術ではなく、
相手のことを理解しなければいけない職業の人には必要なテクニックかもしれません。
看護師にも必要な技術かもしれないので、ぜひ調べてみてください。
自分のことを自分でよくわかっていない人は、
占い師の方にコールドリーディングをしてもらって、
自分を理解してみるのもいいかもしれませんが、
未来については占いに頼ってもあまり意味はなく、
自分で切り開いたほうがいいと思います。

賞味期限との闘い

2010-12-03 19:44:26 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
たまにパーティの料理を作ったりする私ですが、
ふだん自分1人のためにわざわざ料理することはめったになく、
たいてい夕食はパスタ&レトルトソースですませています。
しかし、知り合いの方から大量の野菜を頂戴したので、
昨日はなにか自分で作って食べることにしました。
手っ取り早そうなところで、野菜の炒め物と、
あと残り物の卵を使ってしまいたいので、パセリ入りのオムレツにします。
一人暮らしだと10個入りの卵のパックってどうしても余ってしまうんですよね。
5個も残っていたのでなんとかしなきゃと気になってはいたのでした。

ところが、パセリをみじん切りにして、いよいよ卵を割ろうと冷蔵庫から取り出してみると、
卵に貼られたシールには 「10月8日製造、10月15日賞味期限」 と書いてあります。
おっと、もう買ってからそんなに経っていましたか。
かれこれ2ヶ月近く経ってしまっているじゃないですか。
賞味期限なんて信じていない私ですが、さすがにちょっと心配です。
ひとつ割ってみたら黄身が元気ないので、臭いをかいでみると若干ヘンな臭いがします。
これはやっぱダメだわと思い、捨てることにしました。
捨ててから、ふと、あれこの臭いはひょっとして器のほうについていたのかもと思い、
別のきれいな器を取り出して、もう1個割ってみます。
すると、やっぱり黄身は元気ありませんが、異臭は特にしません。
もう1個割ってみると、こちらは黄身も元気で臭いもありません。
うーん、1ヶ月半以上前の卵だけど大丈夫なんじゃないかなあと考え、
とりあえずパセリ入りオムレツを作ってみることにしました。

いつもだったら、中は半熟トロトロのフワッフワのオムレツを作るのですが、
さすがに今回はちょっとしっかりめに焼くことにしました。
写真を撮るのを忘れてしまいましたが、まあ普通のオムレツっぽく出来上がりました。
端っこのほうをちょっとだけ切って口に含んでみます。
やはり特に異臭がするわけでもなく、舌にピリピリきたりもしません。
思い切って噛み嚥下してみますが、うん、なかなか美味しいオムレツです。
なんだ、大丈夫じゃないか。
やっぱり賞味期限なんて関係ないんじゃん。
ケチャップをかけて美味しくペロリと食べてしまいました。
まだワインが残っていたので、残りの2つの卵も割り、
パセリをまた刻んで、さらにもうひとつオムレツを作り、これもみごと平らげました。

夜中になにか異変が起きるのではないかという心配もないわけではありませんでしたが、
けっきょく何事もなく、無事に消化されたようです。
どうです、やっぱり賞味期限なんてまったくアテにならないじゃないですか。
だから賞味期限改竄問題とかもマスコミは大騒ぎしてるけどどうでもいい話で、
そもそも賞味期限表示なんていう愚かな習慣をやめてしまえばいいのにと思うのです。
ただし、このブログを書くためにパックの中に入っていた小さな紙を読んでみると、
こう書いてありました。

「使用方法:生食の場合は賞味期限内に使用し、賞味期限経過後は十分加熱調理して、
 お早めにお召し上がり下さい」

なんだ、卵の賞味期限って生で食べる場合の期限だったんだ。
じゃあ、オムレツにするならそもそも心配する必要なんてなかったじゃん。
ビビって損した。
これからは賞味期限との闘いももっと気楽にやろうと思います。
皆さんももったいない精神を発揮して、賞味期限切れ食品を積極的に摂取しましょう!

誤字は許さんっ! (その2)

2010-12-02 19:29:27 | 人間文化論
1年くらい前に 「誤字は許さんっ!」 っていう記事を書きました。

そこでは福大や看護学校でワークシートの採点をしていてよく見かける誤字として、

「講議」、「例え」、「以外に」 の3つをご紹介しました。

今日は、その後、目につくようになった誤字をご紹介しましょう。


第1位 「不可決」


これは 「欠かすことができない」 という意味なんですから、

「決」 ではなく 「欠」 でなくてはなりません。

ですが、音が同じなので間違えてしまうのでしょうか。

倫理学の授業の中では使用頻度の高い言葉なのか、

福大でも看護学校でもよく見かけるまちがいです。


第2位 「改たに」 「新ためて」


これも 「あらた」 までが音が同じだし、意味もなんとなく似ているので混同してしまうのでしょう。

ワークシートでは 「新たに気がついたこと」 や 「改めて考え直したこと」 などを書いてもらいますので、

これらの出現頻度が高くなるのだろうと思います。

「新たに」 は 「新しく」 という意味であり、

「改めて」 は 「以前とは変えて (換えて)」 という意味ですから、

微妙に両者は違っているのですが、なかなかそこまでは捉えきれないようです。


第3位 「受け取める」


これは看護学校のほうでひじょうによく見かける誤字です。

植物状態の患者さんが発しているかすかなサインを看護師が 「受け止める」、

という内容のプリントを読んでもらう機会があるので、

そのために看護学校で出現頻度が高まってしまうのでしょう。

「取る」 はあくまでも 「取る」 であって、単独で 「取める」 と書いたりはしないと思いますが、

「受け取る」 と 「受け止める」 になるとやはり意味が似ているので、

ゴッチャになってしまうんでしょうか。

特に今年、この誤字が急増したように思います。

ワークシートでは誤字にはいちいち赤で修正をさせていただいています。

あわてて書いているんだから仕方ないじゃないかよと気分を害している人もいるかもしれませんが、

日本語文化を守るためにこれからも闘い続けていきたいと思います。

業務連絡

2010-12-01 20:04:30 | お仕事のオキテ
福島-仙台間の在来線のダブル切符が1枚だけ余っています。

鉄ちゃんのK先生に買い取ってもらえると思っていたのですが、

アテが外れてしまいました。

使用期限は12月18日までです。

どなたか700円で買い取ってくださいませんか?

就職活動とかで使ったりしませんかね?


居酒屋とと炉 ・ マグロ祭

2010-12-01 12:41:53 | 飲んで幸せ・食べて幸せ

昨日は 「居酒屋とと炉」 の 「マグロ祭」 に行ってまいりました。

「マグロ祭」 というのはマグロを1本買い付けて3日間にわたって、

マグロ全品1人前500円で提供してくれるという利益還元の一大イベントです。

最近は年3回ほど開催していますが、今回は何回目の祭参戦になるでしょうか。

席につくなり、「マグロとマグロとマグロをください」 と注文しました。

店主もわかったもので、「はいよっ、大トロと中トロと赤身1人前ずつですねっ!」

と威勢のいい返事が返ってきます。



ジャーン!

右手前が大トロ、左側が中トロ、大向こうが赤身です。

通常この大トロだけで1,500円しますから、

中トロと赤身はタダで食べてるみたいなもんです。

ものすごいボリュームですので、これだけでお腹いっぱいになってしまいそうですが、

ここで負けては男がすたります (ジェンダー・バイアスですがなにか?)

続いてじっくり焼き上げたホホ肉の焼き物が出てきました。



よくあるオヤジギャグ的な譬えですが、これがほっぺたが落ちるほど上手い。

ほろっとしながらも弾力があって旨味が十分にあります。

ここまでにビールと焼酎も1杯ずつ飲んでもう十分満足しているのですが、

口が賤しくなってしまっていますので、ここで引き下がりたくありません。

最後にカブト肉の煮付けと日本酒 「飛露喜」 を頼んでしまいました。



カブトの中の目玉のまわりその他あちこちの部位を混ぜて甘辛く煮込んであります。

もうトロットロです。

口の中でとろける~っ。

もう満腹です。

まだまだ食べたいメニューはありますが、もう食べられません。

大量のDHAとEPAを補給して頭脳明晰、血液サラサラになったことはまちがいないでしょう。

十分に堪能いたしました、マグロ祭

本日まで開催中ですので、未体験の方はぜひっ!