まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

節穴

2010-12-07 12:37:00 | 人間文化論
ご覧いただいている写真は、毎年恒例の階段箪笥クリスマス仕様です。
12月に入って、駅前やパセオもライトアップされましたし、
クリスマス・ムードが盛り上がってきて、クリスマス好きにはたまらない季節になってまいりました。
家のなかも階段箪笥のディスプレイといい、ステレオの上のサンタさんといい、
クリスマス気分満々です。
ほぼ四六時中、クリスマスソングが流れています。

ところで、今年のこの階段箪笥のディスプレイは一味ちがっています。
というのも、私が飾りつけたのではないからです。
昨年末で会社を辞めた妻は、当初、福島に移住してくるという話もありましたが、
けっきょく再就職もせず、フリーでコーチの仕事や研修講師をしているだけなのですが、
福島に引っ越してはこず、単身赴任状態は続いています。
しかし、会社勤めとはちがって時間に余裕がありますから、
たまに福島に来るときは、以前のように週末だけやってくるのではなく、
ドーンと1週間ぐらいまとめてやってくるようになりました。
夏休みなどはその間ずっと一緒にいられるわけですが、
大学が始まってしまえば、私は日中、仕事に出かけているわけで、
妻は家にいて、たいていはずっとコーチの仕事をしていますが、
たまには掃除や料理など、家事をしてくれていたりするわけです。
そういう暮らしに慣れていないので、私としては何かやってもらうとたいへん恐縮してしまうのですが、
とにかく昼の間に家のことをやっておいてもらうという機会が増えてきました。

さて、11月末のある日のこと、家で一緒に夕食を食べてから、
その日のうちに妻は終電で東京に戻らなければならないというスケジュールになった日がありました。
私は大学での仕事を早々に終えて帰宅し、
すでにあらかじめ買い揃えてあった食材を使って2人でトマト鍋を作ろうと決めていたのですが、
大学でいろいろと急な仕事が入り、帰宅時刻が予定よりも大幅に遅れてしまいました。
ゴメン、ゴメンと慌ただしくリビングに入っていくと、
すでに妻はトマト鍋の仕込みを始めています。
私もすぐに手を洗って夕食の支度を手伝い始めます。
まだ十分に余裕はありますが、新幹線に乗り遅れてはいけませんので、
テキパキと野菜を刻んだり、テーブルセッティングをしたり、
ワインを飲む準備などをしておりました。
そろそろすべての支度が調うかという頃になって、妻がたまりかねたように言いました。

「まあちゃん (と妻は私を呼んでいます)、全然気がついてないでしょう

「えっ、なあに

「部屋の中よく見てごらん。」



「おおーっ

そうなのです。
私が大学に行ってる間に妻が階段箪笥のディスプレイをクリスマス仕様に換えてくれていたのです。
前日までは日本酒仕様で、お猪口や徳利などが飾ってあったのを全部しまって、
クリスマスプレートやらクリスマスツリーと交換してくれていたのです。
帰宅してから指摘されるまでおよそ30分弱でしょうか。
上の写真の右下にグレーに写っているのはオープンキッチンの角ですので、このあたりで調理をし、
キッチンと階段箪笥の間を通って右方向に進むとダイニングテーブルがあり、
テーブルセッティングをしている間中、何度もこの間を行き来していたのです。
なのにクリスマス・ディスプレイになっていることに私はまったく気づかなかったのです。
いや、別に夕食の準備のために行き来なんかしなくとも、
この階段箪笥は玄関から入ってくると真っ正面に見えるような位置に置いてあります。



普通の人なら帰ってきて、リビングに入った瞬間に気づいてもよさそうなものです。
しかし私は、指摘されるまでまったく気づかずにいたのです。
「換えといてくれてありがとう、気づかなくてゴメン」 と平謝りに謝ると、妻は、

「いや、ひょっとして気づかないんじゃないかとは予想してた。あまりに予想通りなんで驚いた。」

と笑っていました。
そうなんです。
私、こういうこと多いんです。
誰もが気づくような変化を見落としていることがよくあります。
特に、なにか目的をもって行動しているときは、
その目的にとって必要な情報以外を全部オミットしてしまうんです。
クルマの運転をしているときは、運転に必要な道路状況以外の情報は何も入ってきません。
沿線に新しいお店ができたとか、目の前を走っているクルマの色や車種ですら、
まったくわかっていないことが多いのです。
今回も、早く夕食を準備しなければならないということに集中していて、
それ以外の情報は完全に遮断されていたのでしょう。
こういうことはしばしばあるので、妻はもう慣れっこになってしまっているようです。
しかし、自分としては相当ビックリしてしまいました。
大好きなクリスマスなのに気づかないなんて、なんという節穴なんでしょう。
ちょっと呆れてしまう体験でした。
今年は毎日ディスプレイを見るたびにあの衝撃を思い出すことになるでしょう。