我が国の英語教育の限界か:
先日ある場所で「ここでの携帯電話とスマートフォンの使用禁止」というポスターが貼られていて、そこには外国人も出入りするので、ご丁寧に英文で“You can’t use cellphones here.”とも記載されていた。失礼を顧みずに言えば、それを見て「我が国の英語教育ではどうしてもこういう結果になってしまうのだ」と痛感したし、1994年のリタイア後にあるアメリカの会社をお手伝いして当時としては未だ斬新の部類だった金融商品の販売促進に、ほぼ通訳として見込み客を回った時の経験を思い出した。
それは某金融機関でのことで、その案件を担当されていた課長さんは通訳は必要ありませんという意思表示をされたので、私は非常に気楽なただ単なる同席者というだけの立場で成り行きを見守っていた。プリゼンテーションを聞き終わられた課長さんは“I can’t recommend such a project up to my superior.”と言って拒絶の意思を表明されたつもりだった。ところが、アメリカ側は「貴職が出来ないのであれば、どうすれば上司に推薦して頂けるのか。出来るようになるようにお手伝いしたいので、我が社が何をすれば良いかご指示頂きたい」とあらためて願い出たのだった。
それを聞いた課長さんは不愉快な表情で“I said I can’t. That is my answer.”と言い返されたのだった。それを聞いたアメリカ側は「だから、どうすれば上司にご推薦願えるかのと伺っているのです」と念を押したのだった。課長さんは一層不愉快そうになって同じ事を繰り返されて拒絶の意志を示されたのだった。そして交渉は言わば押し問答のような妙な形になってしまった。要するに課長さんの”can’t“の使い方が適切ではなかったために、アメリカ側に理解されなかったのだった。
ここまででお解り頂いた方があると思うが、携帯電話などは誰でも何処ででも操作できるのであって、”You can’t use cellphone.“では「貴方は携帯電話の操作できないか、その能力がない」という意味になってしまうのだ。「使用禁止」を表現したければ「禁止」即ち、“prohibit”か“ban”という言葉を使うか、せめて“You should not use ~.”という表現を使っておけば良かったのだということなのだ。
それと同様に、その課長さんも“I can’t”ではなくて“I will not recommend your proposal to my superior, because timing is a little too early for us.”とでも言うか、単純に“I don’t want to promote your idea to my boss.”でも良かったのかも知れない。この方はかなり上手に英語で意思表示をされていたが、ここでは「出来ない」か「上司に上げたくない」を余りに素直に“can’t”で表現されたので行き違いが生じたのだと思う。英語が通じるか通じないかなどという問題は、このように日本語の表現をそのまま安易に英語にしてしまうことからも発生するのだとご理解願いたい。
私が強調しておきたいことは「自分が言いたいことが、どういう意味になるかと十分に分析して考えてみることが必要であり、余り気安く逐語訳的に英語にしないこと」を英語教育の早い時点で教えておくべきではないか」という点である。と言うのも、この種類の行き違いに我が国とアメリカとの交渉の現場で何度も遭遇してきたからである。
先日ある場所で「ここでの携帯電話とスマートフォンの使用禁止」というポスターが貼られていて、そこには外国人も出入りするので、ご丁寧に英文で“You can’t use cellphones here.”とも記載されていた。失礼を顧みずに言えば、それを見て「我が国の英語教育ではどうしてもこういう結果になってしまうのだ」と痛感したし、1994年のリタイア後にあるアメリカの会社をお手伝いして当時としては未だ斬新の部類だった金融商品の販売促進に、ほぼ通訳として見込み客を回った時の経験を思い出した。
それは某金融機関でのことで、その案件を担当されていた課長さんは通訳は必要ありませんという意思表示をされたので、私は非常に気楽なただ単なる同席者というだけの立場で成り行きを見守っていた。プリゼンテーションを聞き終わられた課長さんは“I can’t recommend such a project up to my superior.”と言って拒絶の意思を表明されたつもりだった。ところが、アメリカ側は「貴職が出来ないのであれば、どうすれば上司に推薦して頂けるのか。出来るようになるようにお手伝いしたいので、我が社が何をすれば良いかご指示頂きたい」とあらためて願い出たのだった。
それを聞いた課長さんは不愉快な表情で“I said I can’t. That is my answer.”と言い返されたのだった。それを聞いたアメリカ側は「だから、どうすれば上司にご推薦願えるかのと伺っているのです」と念を押したのだった。課長さんは一層不愉快そうになって同じ事を繰り返されて拒絶の意志を示されたのだった。そして交渉は言わば押し問答のような妙な形になってしまった。要するに課長さんの”can’t“の使い方が適切ではなかったために、アメリカ側に理解されなかったのだった。
ここまででお解り頂いた方があると思うが、携帯電話などは誰でも何処ででも操作できるのであって、”You can’t use cellphone.“では「貴方は携帯電話の操作できないか、その能力がない」という意味になってしまうのだ。「使用禁止」を表現したければ「禁止」即ち、“prohibit”か“ban”という言葉を使うか、せめて“You should not use ~.”という表現を使っておけば良かったのだということなのだ。
それと同様に、その課長さんも“I can’t”ではなくて“I will not recommend your proposal to my superior, because timing is a little too early for us.”とでも言うか、単純に“I don’t want to promote your idea to my boss.”でも良かったのかも知れない。この方はかなり上手に英語で意思表示をされていたが、ここでは「出来ない」か「上司に上げたくない」を余りに素直に“can’t”で表現されたので行き違いが生じたのだと思う。英語が通じるか通じないかなどという問題は、このように日本語の表現をそのまま安易に英語にしてしまうことからも発生するのだとご理解願いたい。
私が強調しておきたいことは「自分が言いたいことが、どういう意味になるかと十分に分析して考えてみることが必要であり、余り気安く逐語訳的に英語にしないこと」を英語教育の早い時点で教えておくべきではないか」という点である。と言うのも、この種類の行き違いに我が国とアメリカとの交渉の現場で何度も遭遇してきたからである。