新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月23日 その2 日本語の発想で英語にしないこと

2019-04-23 14:37:01 | コラム
我が国の英語教育の限界か:

先日ある場所で「ここでの携帯電話とスマートフォンの使用禁止」というポスターが貼られていて、そこには外国人も出入りするので、ご丁寧に英文で“You can’t use cellphones here.”とも記載されていた。失礼を顧みずに言えば、それを見て「我が国の英語教育ではどうしてもこういう結果になってしまうのだ」と痛感したし、1994年のリタイア後にあるアメリカの会社をお手伝いして当時としては未だ斬新の部類だった金融商品の販売促進に、ほぼ通訳として見込み客を回った時の経験を思い出した。

それは某金融機関でのことで、その案件を担当されていた課長さんは通訳は必要ありませんという意思表示をされたので、私は非常に気楽なただ単なる同席者というだけの立場で成り行きを見守っていた。プリゼンテーションを聞き終わられた課長さんは“I can’t recommend such a project up to my superior.”と言って拒絶の意思を表明されたつもりだった。ところが、アメリカ側は「貴職が出来ないのであれば、どうすれば上司に推薦して頂けるのか。出来るようになるようにお手伝いしたいので、我が社が何をすれば良いかご指示頂きたい」とあらためて願い出たのだった。

それを聞いた課長さんは不愉快な表情で“I said I can’t. That is my answer.”と言い返されたのだった。それを聞いたアメリカ側は「だから、どうすれば上司にご推薦願えるかのと伺っているのです」と念を押したのだった。課長さんは一層不愉快そうになって同じ事を繰り返されて拒絶の意志を示されたのだった。そして交渉は言わば押し問答のような妙な形になってしまった。要するに課長さんの”can’t“の使い方が適切ではなかったために、アメリカ側に理解されなかったのだった。

ここまででお解り頂いた方があると思うが、携帯電話などは誰でも何処ででも操作できるのであって、”You can’t use cellphone.“では「貴方は携帯電話の操作できないか、その能力がない」という意味になってしまうのだ。「使用禁止」を表現したければ「禁止」即ち、“prohibit”か“ban”という言葉を使うか、せめて“You should not use ~.”という表現を使っておけば良かったのだということなのだ。

それと同様に、その課長さんも“I can’t”ではなくて“I will not recommend your proposal to my superior, because timing is a little too early for us.”とでも言うか、単純に“I don’t want to promote your idea to my boss.”でも良かったのかも知れない。この方はかなり上手に英語で意思表示をされていたが、ここでは「出来ない」か「上司に上げたくない」を余りに素直に“can’t”で表現されたので行き違いが生じたのだと思う。英語が通じるか通じないかなどという問題は、このように日本語の表現をそのまま安易に英語にしてしまうことからも発生するのだとご理解願いたい。

私が強調しておきたいことは「自分が言いたいことが、どういう意味になるかと十分に分析して考えてみることが必要であり、余り気安く逐語訳的に英語にしないこと」を英語教育の早い時点で教えておくべきではないか」という点である。と言うのも、この種類の行き違いに我が国とアメリカとの交渉の現場で何度も遭遇してきたからである。


働き方改革に思う

2019-04-23 09:15:45 | コラム
皆が一緒になって:

私は安倍内閣が「働き方改革」を唱え始めた頃から「如何にも日本的というか、発想が企業社会における我が国の文化に基づいているようだな」と思って見ていた。私自身がそもそもそういう「皆で一緒になってやっていこう」というか「一丸となって」という考え方の文化の世界で育てられてきた後で、そのような文化とは正反対(「真逆」などというおかしな熟語を流行らせたのは誰だ)とでもいうべきアメリカの会社に移ったので、残業を何か悪の如くに見る考え方は正直に言えば「余りにも日本的過ぎるな」と感じていた。

こんな事を言えば、私がアメリカ式の働き方が優れているとでも思っているのかと批判されそうだが、私は何れが優れているかという問題ではなく「文化と歴史の違いではないのか」と捉えている。例えば、以前にも採り上げたことで、アメリカから初めて来日して「遅刻」という制度があると知った女性の社長は「それは良い制度だ。我が社でも採用しよう」と唸ったものだった。そこで某大手メーカーの人事・勤労の専門家だった常務さんにこの話をしたところ「遅刻制度とは朝は全員が集まって『これから皆で一緒に仕事を始めよう』という精神の表れである。アメリカにはそういう『皆で一緒に』という思想がないのだ」と解説された。

「厚切りジェイソン」(本名は Jason D. Danielson)という芸名でテレビに登場するアメリカの在日企業の役員はPresident誌上で「日本は連帯責任の国で、欧米では個人の力に依存している」という趣旨のことを指摘していた。実際にアメリカの会社の一員として20何年か過ごしてきた経験から言えば「その通りだと思う」なのである。この点はこれまでに何度も採り上げたことで、アメリカの会社に日本式に言えば「中途入社」で入っていけば、何をすべきかが箇条書き的に記されている“job description”を渡され、それに従って働くだけのことだ。

しかも、即戦力として中途採用されたのであるから、何をどうのようにして仕事をするのかといったような細部についての指示などない。採用した者の判断に任されるのだ。採用された者はそこに定められた各項目を遅滞なく達成する為には、朝は何時に出勤するとか夜は何時になったら帰るかなどは重要なことではなく、果たすべき責任と仕事が無事に完了したかどうかが問題なのである。従って、本社では6時に出勤してビル内のカフェテリアで朝食を摂りながら仕事をしている者もいれば、「本日は午後3時で終了したので帰宅する」と宣言する者もいるという具合だ。

これ即ち、個人の能力が軸になっていることを表しているのだ。しかも、本社機構にいる者は須く年俸制であるから、そもそも残業料などという手当は存在していないのだ。視点を変えれば、本社機構にいるということはその年俸に見合うだけの成果が挙がっていなければ、いつ何時“You are fired.”と宣告されるか解らない世界に身を置いているのだ。であれば、出勤・退勤の時間の問題でははないということだ。常に彼らの念頭にあるのは“job security”という自分自身のことだ。

我が国でも某商社でこういう実例があった。新入社員が2晩続けて本社の会議室に泊まって仕事を続けたというので理由を質したことがあった。彼の答えは「この会社の1年生である私に対する仕事の割り当て量を著しく誤っていたか、あるいは私の能力が不十分だったかの何れだと思います。だが、私としては私の能力不足の為に課全体の仕事に遅滞を来してはならないと思って敢えて徹夜を選んで会議室で寝る選択をしました」だった。彼の脳裏には「課の為」というか「会社の為」が優先されていたのだった。

当方もW社をリタイアして早くも25年。仕事を辞めてからも6年も経ってしまった。その間に我が国の雇用事情もそれなりに変化したようで、往年とは異なってアメリカ並みには至っていないまでも「職の流動化」が進んだようだ。数社の大手企業を移って役員なり社長なりに就任する人たちが増えてきたようだ。だが、未だに終身雇用の特徴だと私が看做している「年功なり何なりで段階的に昇進する」仕組みは残っているようだ。私にはそういう制度とアメリカ式の学歴尊重且つ実力主義の何れが良いかといった議論をする気はない。

それは即ち、文化の問題であり、一朝一夕に変わって行くことではないと思っている、だが、アメリかでは大手企業内で生き残ろうとすればMBA(経営学修士)等の学歴が必須に近くなってきているとも聞いている。アメリかでは飽くまでも個人が主体であり、各人が生き残りと出世の為に大袈裟に言えば命を賭けている文化であり、我が国では未だ「会社の為」と「皆の為に一丸となって」という文化が厳然として存在しているのではないかと思っている。

そのような異文化の世界を22年余りも経験してきたので、現在の我が国における企業社会での働き方が如何なる方向に進んでいくかに興味も関心もある。しかし、伝え聞くような「自分に何が向いているかを見出そう」とか「この会社は自分の能力に適していなかった」などいって2~3年で辞めてしまうという傾向は、アメリカ式の個人の能力を如何にして発揮するかという仕組みとは違うと思う。自分には何が向いていたかなどということは、実際に一定以上の年数を経てみないと解らないのだと思う。

私は何も考えずに転進したアメリカの会社の方が適していたという幸運があっただけだと思っている。それもリタイアした後で来し方を振り返って初めて見えてきたことだった。与えられた環境下でどうやれば生き残れるかばかり考えていたものだった。だからこそ、何が自分に適しているかなどを勝手に決めないことではないかと思うのだ。