新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

韓国よ、勉強させてくれて有り難う

2019-08-31 18:58:00 | コラム
知らなかったことが沢山あった:

本31日は朝から体調が整わずボンヤリと過ごしていたが、この時刻になって「これではいけない」と奮起して何とか立ち上がってPCに向かった次第だ。

先ほども家内と語り合ったのだが、韓国というか文在寅大統領というべきか知らないが、彼らの執拗な言いがかりのお陰で「へー。そうだったのか」ということを幾つか勉強させて貰ったのだった。その最初に現れたのが輸出手続きの変更を変更したという半導体製造に必要だと聞かされた「フッ化ポリイミド」「レジスト」「フッ化水素」の3品目だった。こういう分野に関しては無知の私でさえ韓国は半導体製造の原料は我が国からの輸入に依存しているとは聞いていたが、具体的な品名は初めて知ったし、我が国が世界的に大きなシェアーを占めていると勉強になった。

次は永年アメリカの会社で知日輸出に勤しんでいたとは申せ「ホワイト国」などという制度があるとは不覚にも知らなかった。在職中には「最恵国待遇」(確か“Most favored nation treatment”だったか)がある事は承知しており、アメリカからの輸入品にも適用されて無税になったいたものがあった。それとはどうやら性質が違う制度が出来ていて、韓国が友好国として優遇されていたと知り得た次第だった。そこから韓国を外す処置は理解出来たが、あの世耕経産相の発言は無用だったようだ。He could have done without it.だ。

三つ目はGSOMIAという略語(=abbreviationの存在を思い出させてくれた)が如何なる重要な安全保障上に意味を持つかを勉強させてくれたのだった。それは“General Security of Military Information Agreement”のことだったと初めて知り得たのだった。正直に言えば,今回の韓国の執拗な嫌がらせがなかったら、このAgreementの内容も意義もここまで真剣に考える事態には至らなかっただろうと、ある意味で真剣に反省しているのだ。

だが、韓国との間柄は明らかに「勉強させてくれて有り難う」などと冗談を言っていられる場合ではない。文在寅大統領が何故あそこまで仕掛けてくるかの理由というか根拠は専門家の先生方が解説されている通りだろうが、私は我が政府は何時まで「静かな無視」的な上品で紳士的な姿勢を維持されるかは想像出来ない。だが、このままあのような無法と出鱈目を許しておくべきではないと単純に考えている。九州から関西にかけての韓国からの旅行者の激減を拱手傍観していて良いのかとも内閣に問いかけたい衝動にも駆られる。安倍さん、お頼みしますよ。


8月30日 その2 私の英会話勉強法:

2019-08-30 15:51:05 | コラム
結局は慣れと度胸になるが:

英語は総合的に勉強すべきだ:

いきなり否定的なことから入っていくが、私は「英会話」などという独立した勉強の科目などないと信じている。即ち、「会話とは英語で自分の思うところを淀みなく表現出来て誰かと話が出来るようになる為には、英語そのものを基礎から基本的に勉強して理解出来ているかいないかの問題である」のだ。

より具体的に私の持論を展開すれば「英語の勉強の過程で,英文解釈だの、英作文だの、単語だの、文法などとバラバラに教えるか勉強するのではなく、教科書を音読・暗記して、覚えている内容を淀みなく暗唱出来るように総合的に学習して置くべきだと言いたいのである。実際に、私は英文和訳や英作文などという勉強の仕方をしてこなかったし、GHQの秘書の方に教えられた英語のままで考え、流れの中で覚え記憶した言葉の使い方で、英語だけはまともな成績を挙げることが出来ていた。また、高校1年になった頃にはアメリカ人たちと英語で話し合う時に何ら不自由しなかったのだ。

と、ここまで言ってしまえば、それだけで英会話の勉強法を語ったことになってしまったと思う。だが、これだけでは何ら諸賢のご参考にはならないと思うので、もう少し具体的なことを論じていこうと思う。

英会話とは:
一口に英会話などと言うが、私にはこれだけでは何のことを言っているのか不明確だと思えてならない。雑談なのか世間話なのか、何か主題(「テーマ」とも言うがこれはドイツ語で、英語はthemeであり強いてカタカナ書きすれば「スイ―ム」とでもなるか)が決められていて、その範囲内で語り合うのかはハッキリしていないと思う。私は要するに何らかの話題を、知っている限りの表現と単語というか言葉を使って自然に話し合うのが会話だと思っている。会話とは思いがけなかったような広い範囲に話題が展開していくのかなどは事前に分からないのが普通だろう。

世間では英会話など言えば、何かよほど美しい表現や言葉を散りばめねばならないと思う人は多いのではないか。または、如何なる話題にも対応せねばならないと緊張しておられる方がおられるだろう。だが、雑談や世間話ならば中学校(現代では、もしかして小学校のか?)1~2年の教科書に出てくるような易しい言葉(口語的表現か慣用句を構成しているような解りやすい単語)だけで出来るものなのだ。要するに、難しく考えるとか、気取る必要などないということだ。

その為には可能な限りキチンとした教養があるアメリカ人乃至は英語を母国語とする人と会話をする機会を求めることが良い勉強になると思っている。それは「なるほど、こういうことを言う時にはこういう風に表現するのか」と言うお手本に接することが出来るからである。

だが、この方式の難点は「貴方にその外国人が話している英語が果たし程度も高くて真似をする価値があるかないかが容易に判断は難しかろう」ということ。即ち、「無闇矢鱈にnative speakerを有り難がるな」ということだ。解りやすく言えば、一般の方では彼らが「何処の馬の骨か」を判定できるだけの英語力と判断力は備わっていないだろうという意味。

嘗てシアトル支店で最高の英語の使い手という商社マンから聞いた苦労話では「赴任した当初に最も苦しんだことは、アメリカ人が余りにも早く話すように聞こえたし、一つの文章が何処から始まって何処で終わったかというか、何処で切れたのかが全く聞き取れなかったこと」だそうだ。

この何処で切れるのか聞き取れないと言うことは「英語には連結音と“rーlinking”という次に来る単語の頭の母音と連結してしまう発音がある点」が正確に聞き取りにくくしているのだ。簡単な例を挙げれば“There is ~.”は「デアリイズ」のように繋がってしまって「デア・イズ」とはならないのである。

その駐在員はそれだけではなく、話の途中で「済みません、もう一度言って下さい」と言うタイミングが取れなくて、解らないままに半紙が進んでしまったのも悩みの種だったと述懐していた。。

こういう経験談を纏めてみると「学習法としては結局のところ経験を積んでいくしかないのだが、その間にこれと思う表現と言い方を沢山覚えて表現の小引き出しを増やしていくしかない」というような結論になってしまうのだ。

私の幸運:
私はそういう意味では、幸いにもアメリカの大手製造業の会社に入っていたので、品格というか教養があると思う上司か同僚が使う表現を覚えて真似する機会が常にあったのだった。このように native speakerに学ぶのは良い方法なのだが、問題点は「彼らは日本人がどういうことで悩むのか、どういうことが解らなくて苦しんでいるのか」などほとんど解っていないので、痒いところにまで手が届くその点では、私は支配階層のアメリカ人の中にあっては外国人だったので、寧ろ気楽に何でも質問することが出来たし、聞くは一時の恥だと割り切っていた。

Native speakerに無闇に依存しないこと:
その昔に「アメリカ人がゆっくりと我々にも解るように話してくれたので、何とかついて行けた」などと言う人もいたが、私はほとんど嘘だと思っている。彼らにそんな器用なことが出来る訳がないし、彼らが一般の日本人が聞き取れる速度など承知しているとは思えないのだ。故に、私は無闇矢鱈にnative speakerから学ぶことを積極的には勧めないのだ。

後難を恐れずに言えば「ましてや、そのアメリカ人か外国人の教養の程度や出自をどうやって判断するのかも問題だろう。いや、一般の方には解る訳がないと言って誤りではない」と断言する。後難を恐れずに言えば、我が国の学校教育で英語を学ばれた方々にはアメリカの南部やオーストラリアやニュージーランドの訛りなどを聞き分けられる訳がないのだと言いたい。

生きた英語の例:
そこで「もう一度言って下さい」は我が国ではごく普通に“I beg your pardon.”と教えられているようだが、私は何故かこういう言い方を聞いた記憶がない。仲間内では“What’s that?” と簡単に言うか “Excuse me.” の語尾を上げて言えば十分だ。または“What did you say now?” か“I'm sorry.”の”sorry”にアクセントを置いて語尾を上げるかでも通じる。時には“Say that again?”とズバリと来る場合もあるが、ここでは前に“Could you”と付ければ、より丁寧になる。一寸ひねった言い方では、“Would you please rephrase rain check for me?”のように解説を求める言い方をすることもある。

以上、難しい単語など一つも出てきていない点に注目されたい。ここで更に強調しておきたいことは、こういう文例を黙読するだけでは覚えきれないので、何回も音読して覚えてしまおうとする姿勢が必要なのだという点だ。換言すれば、英語の表現を効率良く覚える為には、読んで目から入れようとせずに耳から入れようとことが肝腎なのだ。これこそが私が主張する音読・暗記・暗唱による学習法である。

1970年代前半に、あるカナダ人の青年とどうしても面談してフランス語と英語の日本語への通訳を依頼せねばならないことがあって、知り合いのカナダ大使館の商務官に彼の連絡先を教えていただきたいと電話でお願いした。その時に電話の向こうで聞こえたのが彼が誰かに向かって言った“Do you know his whereabouts?” だった。「彼の所在を知っているか?」をこう言うのかと知った。

更に “Can you get hold of him?” も聞こえた。「彼に連絡がつくかい」はこのように言えば良いのかと学べた。私は既に “Can you reach him? ” は承知していたが、カナダ大使館との電話連絡のお陰で「どのようにして誰々と連絡するか」の表現の引き出しが一つ増えた次第だった。私は会話が上達するかどうかは、こういう場合に「これは使えそうだ」と覚える気があるかないかだと思うのだ。

これらの表現は言わば口語体での会話にはごく普通に出てくるのだが、私の現場での経験では、我が国の学校教育ではここまで踏み込んだ言い方を教えられていないようだと見ていた。実は、この種類の表現を覚えていても、現実にはなかなか使える機会は訪れないだろうと思っている。だから敢えて教えないのかとも考えた。だが、現実の会話ではこのような優しい単語を使った口語体や慣用句での表現の洪水である事が多いのだから英会話が大変なのだ。

結び:
それも、「何時始まって何処で切れるのかサッパリ解らない早さで話されるので“rain check”のような言葉が出てきたところで集中力が切れてしまうようだ。対策はどうすれば良いのか」と尋ねられれば、結局は「習うよりは馴れろ」しかないのではと、突き放したような言い方になるのだが、悪しからず。だからこそ、私は長年英会話とは「習うより慣れろ」であり「慣れと度胸だ」と言ってきたのだ。


文在寅大統領は何がしたいのだろう

2019-08-30 08:29:44 | コラム
韓国は最終的な目標を何処に設定しているのだろう:

私はつい先頃文在寅大統領をやり口を見て、往年の萩本欽一の番組の題名だった「欽どこ」をもじって、「文チャンの何処までやるの」と揶揄したのだった。29日には光復節の「トーンダウンした」とマスコミが形容した演説とは180度転換して得意技である我が国を貶める内容の談話を発表している。彼らというか文大統領はこれまでの数々の国際法違反や条約違反に加えて次なる貶める為の手法として福島の食品の放射能汚染を持ち出し方かと思えば、パラリンピックのメダルのデザインは彼らが常に批判の標的にしてきた旭日旗を想起させて怪しからんと来た。

相変わらず貿易管理手続きの変更を半島からの労務者の判決に対する報復だと言い募るのにはもう馴れたが、今度はGSOMIAはその手続きを撤回すれば再考してやると言わんばかりの出方をしてきた。しかもそれに飽き足らず「アメリカがこの件に介入するのは余計なお世話だ」と言わんばかりに,本当は安全保障上もDPRKよりも遙かに重要な同盟国であるアメリカに向かっても反抗の姿勢を見せ始めた。文大統領が色々な意味で苦境に立たされているくらいは私にでも解るが、我が国をここまで敵視した上でアメリカにも逆らう先に、彼は何を目指しているのだろうかは解らない。

専門家の方々のご意見やマスコミ報道によれば、支持率も低下気味なところに後継者にと目論んでいた法相に指名した曽国氏の親族等に対する不品行が暴かれて検察の捜索が入ってしまったのでは,歴代の大統領の最後の切り札だった「反日、抗日、日本を陥れ蔑む」カードを切ってきたのは「あー、矢張りその手で来たか」と思わせてくれるのに十分である。見方にもよるだろうが文大統領は相当以上に手詰まりの局面に立たされているようだと読める。この状況では外務省の金杉局長が訪韓して談じ込んでも事態は一歩も動くまいと思う。

私は文大統領と韓国の進歩派が我が国を貶めようと企んで打ってきた手の中には,政府が本気になって対抗手段か救済の手を打たねばならない案件があると思っている。それは北九州に韓国からの旅行者が来なくなったことによる地元経済の苦境である。それでなくとも不振に悩んでいる地方の経済に、今度は大豪雨が襲ってきて家屋の喪失や交通手段の壊滅等の大損害と事故が大規模で生じているのだ。雨は未だに降り止まぬ様子で被害は拡大しそうだ。この事態は何とか言うボランティアの方が1人で向いて解決出来るものではない。私は政府の緊急の対応が必要だと思っている。

そこで、文在寅大統領がどこまでやる気なのだが、まさか彼は我が国をあらゆる手法で攻め立てて「悪う御座いました。前非を悔いて貴国のお言葉に従って全てを元に戻しますからお許しを」とでも言わせる気ではあるまいと思う。だが、アメリカを含めた3ヶ国の同盟関係をぶち壊すようなことをして、その先に何があるのかを考えているのだろうかと疑いたくなる。彼が本気でDPRKと統合すれば我が国をも凌駕する経済大国、それも核兵器を持った大国にのし上がってアメリカの支援も保護も不要になれるととでも夢見ているのだろうか。

GSOMIAを破棄して金正恩委員長を喜ばせ、中国とロシアに極東における覇権のチャンス到来と思い込ませ、その一角に滑り込もうとでも計画しているのだろうか。それならそれで結構だが、危機に瀕しかかっている自国の経済はどうする気なのだろうか。YM氏がいみじくも指摘したように、アメリカは既にGAFAが代表するように物造りからソフトの経済に転換してしまっている。韓国が半導体を造るといっても、その形態では所詮はアメリカのソフト産業の下請けになっただけだ。文大統領の眼力はそこまでに及んでいるのだろうか。その親会社のアメリカを敵に回しかねない反アメリか的な言動はプラスになると思っているのだろうか。

文在寅大統領ばかりを批判してきたが、この韓国の動きを見る時に我が国がどのように対応して不条理に暴れ回る文在寅大統領と韓国を何時の日か制圧して、正常な日本対韓国の関係に持ち込んで東アジアを安定させねばならないのだ。安倍内閣には何時までも「静かな無視」を続けるだけではなく「物言う正当で理詰めの対抗策」に打って出て頂くことを期待して終わる。兎に角「正義は我が方にある」のだから。


America Insight #2

2019-08-29 15:24:04 | コラム
アメリカの大手メーカーの一員だった者として:

私はこれまでに何度も何度も「元はアメリカの会社の一員だった」との条件の下に「内側から見たアメリカの企業やアメリカ社会」を語って来たと同時に「アメリカの人たちの視点から見た我が国」をも論じてきた。要するに、アメリカ側の視点に立っていることが多いということ。

私は決して自分から望んでアメリカの会社に転進したのではなく、1996年に上梓した「アアメリカ人は英語がうまい」の中でも回顧したように「アメリカの会社に変わりたいとも、変わろうとも、変われるとも」一度も考えたことなどなかった。だが、1969年辺りから私に向かって流れてきた運命と、信じがたいような偶然の積み重ねで1972年8月に新卒から17年間も育てて頂いた日本の会社から、当時アメリカの紙パルプ産業界で第5位辺りにあったMead Corp.に転進することになってしまった。

そして、1975年3月には常に世界最大のInternational Paperと最上位を争っていたWeyerhaeuser Companyに移ることになったのだった。MeadもWeycoも言うなれば「アメリカの支配階層にある会社」で、私は期せずして(と言うか知らずして)そういう世界に入っていったのだった。そこで出会った「知らなかったかった」為に苦労し悩まされたことは数々あったが、それらを一言で表現すれば「我が国とアメリカとの間に厳然として存在する文化と思考体系の違い」の壁となるだろう。考え方次第だが、そこに「歴史」を加えても良いかも知れない。

私の限りある能力と多少は自信があった英語力を以てしても、その高くて厚い壁の内容を詳細に把握し如何にして乗り越えて彼らの一員となれるかには15年近くを要したのだった。その「違い」が解ってから漸く見えてきたことは「我が国とアメリカ相互にその違いを弁えている者は極めて希であり、解っていないが為に数多くの行き違いや誤解や不信感が生じていたという放置しておく訳には行くまい」と痛感した点だった。当時、極端な表現として社内で指摘していたことは「君等は目隠ししてボクシングをして殴り合っているのではないか。もう少し相互に文化(言語・風俗・習慣・思考体系を言う)の違いを認識して日本に向かっていったらどうか」だった。

そこで、相互に理解出来ていなかったが為に生じてきた不信感や行き違いや要らざる対立とか論争を回避した方が賢明だと思って、1990年春頃に私が副社長兼事業本部長に “Japan Insight”と銘打った「日本とアメリカのビジネス社会における文化の違い」のプリゼンテーションを本部でやらせて欲しいと願い出たのだった。大変な切れ者だった副社長はその場で承認してくれたので、数週間後に慎重に準備して約90分の説明会を工場の幹部まで集めて実行した。

当初は「逆さの文化」から入って「新卒を定期採用する国としない国」、「人事制度の違い、即ち事業本部長が持つ権限の幅の広さと深さ」、「教育制度の違い」、「思考体系の相違」、「会社側と労働組合の立場の違い」等々を主体にして語っていこうと思っていた。そこで、慎重を期して事前に原稿を本社から派遣されて日本駐在の経験が3年を超えた木材部門のマネージャーに原案を見て貰った。彼は「概ねこれで良いが、私ならどうしても追加したい項目がある」と言って教えてくれたのが「お客の代弁をする怪しからん日本人社員」だった。

それは日本の会社におられる方には想像出来ないだろうと思わせられたような相違点で私にとっても言わば盲点を突かれたような内容だった。

その内容は、本社から出張してくる多くのマネージャーたちが最も腹立たしいと苛立つのが「日本人の社員は『得意先から我が社の申し出に対して此れ此れ然々の反論があったので本部では再検討願いたい』というような意見を具申してくること。彼らは何処から給与を得ているのかが解っていない」という点なのだった。

これの何処が宜しくないのかと言えば、「これはアメリカでは会社が決定した方針なり何なりを得意先の反論を押しきってでも納得させるかが営業担当者の務めである。お客様の意向を本部に伝えることなどは誰も期待していないし、そうあるべきではないのである」であって、アメリカ人から見れば「君等は何処の会社から給与を貰っているのか」と怒っているのだ。

だが、その駐在のマネージャーは「私が出張者たちに教えていることは『腹立たしいのは解る。だが、何時までも一方的にお客の声を聞くことを拒んでいては、日本市場の実態も特殊性即ち文化の違いが理解できないのだ。我慢して彼らの言うことを聞こうとして見ろ。その先には必ず日本市場の実態が見えてくるようになるから』だった。本社から来る連中も最初は抵抗したが徐々に聞くようになり結果として日本を理解するようになりシェアー拡大に役立つようになった」と教えてくれた。私は即座にこの件をプレゼンテーションの一項目に追加したのは言うまでもないこと。本部での説明会でも素直に受け入れられた。

この相違点を英語で表現すると「会社の意向を伝える」が“representation of the company to the customer”であり「客先の意向を代弁する」は“representation of the customer to the company”だと、そのマネージャーに教えられた。

兎に角、アメリカ側の得意先の話も聞かずに会社の意向を何としても押しつけようとする姿勢は高飛車で傲慢であると思われてしまうだろうが、これがアメリカの会社から月給を貰っている者の務めなのである。押し切るか切らないかの二択なのだ。高飛車でも何でもないのだ。但し「単に本部の意向を伝えに来て承服せよと言うだけでは、担当者は単なるお使い奴に過ぎず当事者能力の欠片もないではないか」という非難の声はイヤと言うほど聞かされた。ここまでは我が国とアメリカの企業社会における文化の相違点の一つに過ぎないのだとご理解願いたい。

私はこのような相互の理解と認識不足の問題点は21世紀の今でも他にも幾らでもありはしないかと密かに危惧している。更に、後難を恐れて言えば「トランプ大統領がお怒りであるアメリカの対日輸出が余り成功していない原因の一つに、前述の「会社の代弁」のし過ぎを含む理解の不足の問題があるのではと考えている。「問答無用でアメリカ製品を受け入れるべし」を我が国が素直に受け入れる態勢は未だ整っていないと思うだが。

8月28日 その2 YM氏と懇談した

2019-08-28 15:55:26 | コラム
お互いに自重して出歩かないで電話で:

暫く振りにYM氏と懇談した。流石の彼も微妙に老化現象が表れてきたので、何もこの不安定な気象条件下で何処かで落ち合うこともあるまいと言うので、再会は涼しくなる9月まで待とうということにした次第。そこで、彼との意見交換を簡単に纏めてみよう。

我が国の産業界は遅れているのでは:
彼はGAFAが明らかに代表するように、アメリかでは物造りの時代からソフト中心に産業界が変身したというか、方向の転換を遂げてしまった。時代は完全に変わってしまった。それにも拘わらず,我が国では未だに一昔前の「製造業が中心」の時代から脱皮出来ておらず、経団連の会長は今でも日立製作所の会長が務めているし、前任者も製造業の会社だった。我々が永年在籍してきた紙パルプ産業界でも、アメリかではウエアーハウザーもインターナショナルペーパーも15年前から脱印刷紙に踏み切ったのに、我が国では・・・という具合では如何とも仕方がないのではとなった。

トランプ大統領:
トランプ氏についても話題に上った。彼の見方では
“彼の交際範囲である大学教授たち、即ち知識階級の間にはトランプ大統領の支持者はいない。だが、トランプ氏の盤石の支持基盤である俗に言うプーアホワイト以下や労働者階級は安定している。何故そうなったかといえば、彼らはそもそも選挙には無関心で投票には行かなかったのだ。だが、トランプ大統領が打ち出した「アメリカファースト」等のスローガンを始めとする諸々の政策が「トランプ氏は良い日じゃないか」と彼らの人気を呼び投票に行ったので、あれだけの固定した支持層が出来上がったと見るのが正確ではないか”
となっていた。

更に、案外に資本家側にも歓迎された面があるのは「法人税の引き下げ」があったと見ているのだそうだ。しかしながら、私の持論である「アメリカの支配階層に属する人たちは今や3億2千万人にも膨れ上がった人口の中でもいくら多く見積もっても5%を超えるものではないのだ。その5%だけでは38~40%に達するトランプ大統領の鉄板の支持層とは争いようもない差があるのだ。今回の安倍総理が引き受けられたと大統領がご満悦で言われた250万 tonのトウモロコシの輸出などは微々たるものだが、オハイオ等の州の選挙民には大いに歓迎されるはずだとYM氏も言うのだ。

老化現象:
嘗ては小型飛行機の免許を持ち、船舶一級の資格も保有していたスーパーマン的だったYM氏も、その静かに表れてくる現象に対しては最早抵抗する気もなく「そういうものだ」と受け止めていると言うのだった。私もどうやら漸く「老い」とはそういうものかと気が付いて、甘んじて苦しみに耐えていこうと思うようになったと言った次第だった。今日の所はこれだけ語り合っただけに終わったが、9月になったらゆっくりと来し方行く末を語り合おうということで電話を切った次第。