新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月17日 その2 kazk様

2016-12-17 16:32:26 | 200802
kazk様

コメント、有り難う御座いました。

<カジノは語源がイタリア語です。だから英語と発音が違って当たり前です。>

これは私も心得ておりました。だから、何処の誰がこういうカタカナ書きを始めたのかと言ったのです。グランプリ・ファイナルなんていう2カ国語がごちゃ混ぜたってあります。私は英語使いでもない、カタカナ語排斥論者です。宜しくお願いします。

それはさて措き、早稲田も慶応も明治も負けてしまった大学ラグビーは如何なものでしょうか。東海は立派でしたが、今年の帝京はどの程度でしょうか。明日は甲子園ボウルもあって忙しくなりそうです

真一文字拝


小売業は何故衰退した

2008-02-29 16:20:14 | 200802

「頂門の一針」第1107号の平井氏の寄稿を読んで思い出しました。私は10年以上も前から現在の、いやその当時の形の小売業は大小に拘わらず衰退していく以外ないと書いてきましたことを。これがまた当時は意外なほど受けていませんでした。
 今時、私は余程の理由がなければデパートメント・ストアなどでは買いません。スーパー・マーケットにしたところで同じです。価格的に妙味に乏しく、活気もありませんから。
 そのスーパーの大手であったダイエーは、創業者の故中内功氏が80年代に「今や長年蓄積してきた知識と経験が役に立たなくなった時代」と、時代に先駆けて喝破しながら、自分の会社が倒れてしまいました。
 その理由が何処にあるのか、大規模小売業の経営者もお解りでないようで、今やM&Aの花盛り。繁盛しているのが伊勢丹だけで三越がその軍門に下ったかに見える経営統合。
 私が見る小売業の衰退の理由はそれほど高邁なものではありません。だが、これを言い出した頃よりも全般的に経営者のやり方が、俗な言い方をすれば「せこく」なり、最悪の手段と言われている人体給与の削減策を講じるばかりで、如何にしたら内需を喚起できるかに対して無策であると思うのです。所得が増えなければ消費者は安いものを追いかける自衛策を講ずるだけでしょう。
 長い導入部でした。当方はもう10年以上も某商社が開催する国産か輸入かを問わずに取扱商品のセールを行う企画に助けられて「お買い得」を楽しんでいます。大小の小売店では市況調査をさせて貰うだけです。ここではその商社が設立した小売り専門の子会社が、季節が来れば毎週のように同社取り扱いのブランド品も魅力ある提供してくれます。
 さらに年に2回、決算の前後にはビッグ・サイトを借り切って大セール大会を開いてくれます。この催しは勿論会員制ですが会員は回を追うごとに鼠算式に増えているかに見えるのです。あの広い会場内を歩くのも容易ではない満員の盛況。
 言いたいことは、このような催しで買える品物の範囲の広さと価格を考えれば、半年経てば「お買い得」が待っていることです。ブランド品のセールに行ってご覧なさい。開門と同時に全員西宮戎の年男争いさながらの猛ダッシュでお買い得品に殺到。そして人目も憚らず山の如くに抱え込んだお目当てのブランド品の試着を開始します。私はこの有様を「人間が何処まで恥を忘れられるか競争」と名付けて楽しんで見ているのです。
 何故人々は殺到するのか。一寸季節が外れればそこにはアメリカのセール並みの思い切ったどころではない捨て値で買えるからでしょう。
 勿論デパートでもセールはしますが、そこには彼らのなにがしのマージンが残っているのですから商社並みの魅力はありません。だが、商社の場合は彼らの仕入れ価格が元値であるし、出店しているのが問屋である以上、どうしてもデパートの安売りでは価格面で対抗できなくなる仕掛けです。
 こういう形式の売り方は何もこの商社だけのことではないのです。彼らは小売店を意識してか、ブランド品でも自前でセールを敢行するのです。
 こういう消費者の買い方に対応する小売業の対策は後手、後手となる感があり、悪循環であります。私はこれが単なる不景気によるものではなく「蓄積された知識と経験での後追い」であるに過ぎないと思っているのです。いわば時代遅れとなって消費者の心を掴んでいないのです。現にこの商社の小売り専門の子会社はクレディットカードまで発行する規模に成長し、1回のカードでの買い物の総額がX万円を超えればそれ相応のリベートまでくれる知恵を出しています。それだけではなく、会場には宅配便業者が出店し特別料金で配達を引き受けています。
 つまり、これからは新しい知恵を出して実験し、その経験に基づいてまた新機軸を出していく時代なのです。商社の知恵はデパートを上回ったと見ていますが、どうでしょう?因みに、かく申す私はシルバーパスをも利用して足代を倹約し、大江戸線の大門(=浜松町)から都営バスでレインボーブリッジを渡り、高層アパートが林立するお台場見物を楽しみながら割安な買い物もしている状態です。





日本サッカーA代表が不安だ

2008-02-24 10:12:41 | 200802

2月17日の東アジア選手権は見終わって複雑な思いにとらわれた、格下と言われる相手に「どっちが下?」か、と思わせる有様では。それが実力なのかも知れない。引き分けて良かったと思わせていて何とする。ウンザリさせられたのは想定内とはいえあの札付きの重慶の観客。私はブーイングも兎も角、試合中にホイッスルを吹き鳴らすのは新手の非礼であると思いながら聴いていた。
 あれに選手たちが引っ掛からなかったから良かったが、審判が吹いたものと錯覚を起こさせる効果があることは経験済みである。そんなことはないだろうと思われるかも知れないが、フットボールで言う"Crowd noise"では応援するティームのためにファン(サポーター)が一斉に大きな声を出してクオーターバックが声で出している指示を聞かせないようにしている。
 重慶の観客は今回もかなり煩かったようだから、その観衆の合唱で審判の笛もかき消されて聞こえない位置にいれば「反則があったのか」と錯覚を起こしかねない。すると動きを中断したりする危険がある。そこに付け込まれたらどうする。だから悪辣と言うのだ。
 次は中国代表が相手だそうだからもっと大変だろう。観客はオリンピック観戦のマナーなど知るかという集団だから。
 試合内容だが、大久保、巻、阿部等が負傷で参加していなかったそうだが、二軍同様のメンバーであったために、一軍と控えの差があれだけハッキリ出ていては不安になった。
 矢張り日常一緒にやっていない者が入ってくると、全く噛み合っていないパスの交換があって不安材料だった。では負傷で不在だった者が世界的水準か、代表に相応しい実力の持ち主かと訊かれれば「??」と答えたい者がいる。
 それにしても、急に出して貰った者どもに思い切った動きがなく「御身大事」的なことばかりやっているように見えたのは、北朝鮮の身体を張った必死さに負ける程度の力しかなかったのかという評価をせざるを得ない。
 力がなかったと思われる連中に必死にやってこられて、それに勝てない程度では、まだまだJリーグのレベルの名手で、あのレベルで勝ち抜く技術だけしかないのかと思う。それならば外国に行っている連中を呼び戻したらどうだろう?それが最後の手段だとしたら、もっと情けない。


今回つくづく思い知らされたことがある。それはあの試合運びでは「思い切って攻め上がってこない日本相手の時は、兎に角後ろの方でというか中盤で好き勝手に中途半端な横パスを繰り返させるかに見せて、時々インターセプションを仕掛ける。その間にFWを完全にマークして誰もフリーにしないようにする。そして、上手くボールを奪い取ってカウンター攻撃を仕掛ければ必ずチャンスは巡ってくる」と、今や世界各国に読まれてしまっているのではないかという点である。北朝鮮は明らかにその作戦に出ていたと思う。しかも私が見る限りでは、日本のサッカーは世界で最も寄せが遅く、比較的自由に持たせているし、しかもフェアー・プレー重視で悪辣な当たり方もしてこないので、攻める相手も安全だと思っているのだが。


折角登用された若手というか二番手選手というか知らぬが、ここで良いところを見せてやろうという意気込みが感じられず、前に行けば面白いと見える局面でも先輩に迎合して見事なバックパスに終わる。その上、パスを出した後の鉄則であると私が思っている「空いているゾーン」に駆け込むこともしない。簡単に言えば積極性の欠如である。


岡田さん、この状況、貴方の責任だけではないとは承知しているが、何とかしてよ!□