新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月31日 その2 韓国の2点のリードは安全圏ではなかった

2016-01-31 09:59:13 | コラム
実は昨夜の日韓戦は見ていなかった:

今朝5時のニュースでUー23の代表が韓国に勝ってくれたと知った次第。昨夜は日本時間11時半のキックオフと知って残念ながらテレビ観戦を見送ることにした。理由は午前2時頃まで見ていることには神経が高ぶって終了後に眠れなくなる危険性がある事、韓国が相手の試合の観戦は余り愉快ではなく楽しめないこと、最後は試合内容は何れNHKのBSの再放送で見れば良いだろうと思ったことがあった。勿論、希望的には勝ってくれるのに超したことはないが、オリンピック出場権をお互いに取った後だし、因縁の対決以外に見るべき所があるかとも考えていた。

中継を見なかった理由は兎も角、勝ってくれたことは大変良かった。賞賛したい。それも2対0という韓国にとっては最も難しいリードだったゲームを引っ繰り返してくれたのはあらためて「偉い」と褒めてやりたい。手倉森監督の浅野を上手い時間に出して、しかも彼が巧みに抜け出して冷静に2点も取った起用法も褒めておくべきだと思う。試合全体の流れを未だ知らない時点では細かいことは言えないが、試合を重ねるごとに上手くなっていった若き選手たちは立派なものだと思う。

先ほど張本勲がTBSの「喝」の時間に「韓国代表は同じメンバーでこれまでの試合を消化してきたので2点のリードで安堵感が出て気が緩んだのでは」と言っていた。私はそれもそうだが、前述のように「2対0」というリードで逃げ切る難しさを乗り越えられなかったのが敗因だったとみる。それは2点のリードは如何にも安全圏のように思わせるが、実は1点取り返されるとただの「1点差」になってしまい、追う方は「もう1点で同点だ」とその気になって寧ろ精神的には優位に立ってしまうことすらある危険なリードなのだと指摘しておく。

しかも、リードしている方は「逃げる気」を起こしてしまうのが問題なのだ。麻雀でもそうだが、僅差で逃げ込もうと思ったら先ず負ける確率が高かった。さらに推理すれば、韓国側には「何れにせよ、ここで負けてもオリンピック出場権とは関係ない」との安心感が出てきたのかも知れない。その安心感が「日本にだけは負けられない」という彼ら独特の精神主義を超えたのかも知れないなどと考えてしまう。

私はこれまでにあの浅野という俊足が売りだった交代要員はサンフレッチェ広島の中にあっての切り札で、代表に入っては周囲が彼の特徴を活かしてくれないのではと、言わば低評価していた。その評価を打ち破ってくれたのは誠に結構なことだった。名古屋から番組に参加した中西が「韓国に勝ったからと言って現状のままではオリンピックで通用しない。もう2~3段階上がっていかねば」と言ったのは同感だった。


週刊文春 2月4日号に

2016-01-31 08:13:37 | コラム
「サイバシ」は菜箸だったのだ:

甘利前大臣の「政治と金」の問題を採り上げた2回目の記事を読む為に購入したこの週刊誌で、平松洋子さんの「この味」と題した連載コラムで菜箸を採り上げていた。実は「サイバシ」という懐かしい響きに何十年ぶりかで接した気がしたのだった。

振り返れば、我が家では70年以上も前には漬け物のように全員が好きに取って食べるようなものには「オサイバシ」が添えられていて「ジカバシ」は禁じられていた。自分の箸で取ろうとすれば厳しく叱られたものだった。しかし、時が経つにつれてこの厳格な作法が消えていき、最後はジカバシ禁止令が解かれていた。その頃は何となく我が家の礼儀作法が低下したのかと思ったものだった。そして、「サイバシ」という言葉も忘却の彼方に消えていったのだった。

だがしかし、外では「ジカバシで失礼します」であるとか「ジカバシで良いのですか」などと確認していた時期もあった。

そこに、この平松さんのコラムで「サイバシ」とは漢字で「菜箸」と書くのだと、恥ずかしながら齢80歳を超えて初めて学んだのだった。しかも往年の我が家では丁寧に「お菜箸」となっていたのだった。すると「ジカバシ」を漢字にすれば「直箸」かなと思って広辞苑を探したが、そのような熟語が出てこなかった。「出てこなかった」と言うのは電子辞書で調べたという意味で、今更ながら身を以て時代の変化を感じているのだ。


今上天皇と皇后陛下

2016-01-30 08:35:49 | コラム
天皇・皇后両陛下をご尊敬申し上げたい:

私は熱烈な愛国者ではないと思っているが、極めて普通に我が国を世界でこれほど良い国はないと信じている。それは1970年に生まれて初めての海外出張の機会を与えられ、台湾、フィリピン、シンガポール、香港と回ってきたし、1972年には思いもかけなかったアメリカの会社に転身してカリフォルニア、ジョージア、オハイオ、アラバマ、ニューヨーク、コネテイカット、マサチューセッツ州を訪れて25日間を過ごして帰国したことからのことだ。

この外国を見た経験と、その後から今日まで正確な記録を取っていないが、80~90回も海外に出かけてきたので、我が国ほど素晴らしい国はない認識し始めて、それが確信に変わるようになり、所謂愛国心に目覚めてきたのだと思っている。しかも、22年半もアメリカの会社で対日輸出に従事してきた間に、知らず知らずのうちに愛国心の度合いが高まっていたのだと自覚している。

それは自分の国を離れて言わば客観的に我が国を見る立場におかれ、さらにアメリカとアメリカ人の思考体系に深く触れていった結果であり、自分の国をあらためて眺めることが出来たのは何物にも代えがたい経験だったと思っている次第だ。このような私の愛国精神を、親しくして頂いてる日本大学のST教授は「貴方は愛国者と言うよりも独特の感性で愛国心を表現されているだけ」と指摘されたが、自分には見えない自分のことを巧みに表して頂いたと思って感謝している。

その感性から言わせて貰えれば、この度の天皇・皇后両陛下のフィリピンご訪問で戦没者の霊をあれほど深甚なる慰霊のお心で参拝されたことは、日本国民として心の底から尊敬申し上げたいと思っている。両陛下の先の戦争で犠牲になられた方々の慰霊の旅を続けられる、我が国の象徴として国民に配慮される姿勢は単純に「本当にお偉いことだ」と思うだけだ。

今上天皇は私とほぼ同年齢であり、しかもより遙かに厳しいバイパスの手術を受けておられ、それ以外にも体調は万全ではないと承っているが公務を続けられ、尚且つ海外を歴訪される国民を思われる姿勢には寧ろ驚きすら感じるのだ。皇后陛下も万全のご体調とは思えない。現在の私は期限が切れたパスポートを更新する意欲もなく、行きたい思いはあっても敢えて海外旅行をする勇気の持ち合わせはなくなっている。その自分と比較すれば天皇・皇后両陛下のご熱心さには頭が下がるだけだ。

本日にはフィリピンからお帰りになる由だが、少しはお休みになって頂きたいもの。当方などは今月の4日からおっかなびっくりで1年振りでジム通いを再開するのにも主治医の許可は得ていたが、かなりの勇気が必要だったのだから。

1月29日 その2 甘利大臣辞任事件の考察

2016-01-29 16:44:44 | コラム
結末が見え透いていた事件だったが:

とは言え、私には不可解なことが多いとしか見えなかった。それは辞任が不可解というのでもなく、「秘書が」とはしたが自分の美学が云々を辞任の根拠にしたことを指すのでもない。では何が不可解なのか。

文藝春秋社の狙いは何だったのか:
何が故に彼らならば、編集会議を開いたかどうかは知らぬが、あのような譬え一方的な暴露ものを基にしたとは言え、「我が国の政界とマスコミの手法とこれまでの実例かからすれば、あの内容では甘利氏が辞任に追い込まれることは三歳の児童でも解っていたのではないか」と言うような事案ではないか。それでもなお、あれを特ダネとして打ち上げたのかという疑問を、私は避けて通れない。何を狙ったのかと問いかけたい衝動に駆られる。

即ち、極限まで深読みすれば、疑えばキリがないが、週刊文春の編集部は安倍内閣の悪政(だと、リベラル派だの無能な野党は罵るが)を排除したい一心で、その中核にある甘利大臣をまんまと辞任でも追い込めば、我が国に明るい未来が開けるとでもとでも目論んで、あの記事を二週にわたって掲載することに決めたのではないかと、つい考えてしまう。文藝春秋社は意外にもリベラル派の支持者だったのかということ。そうとでも思わない限り、あの一向に登場しない一色某を取材源としたあの記事を掲載する理由が見つからないのだ。

果たせるかな、参議院選挙も近くなった時点で、このまま「安部一強」状態を続けさせれば「憲法第九条」が危機に瀕するだろうし、安倍総理は考えていないという衆議院の解散の危険性だってあり得るのだから、無能な野党が天の助けだとばかりに飛びついてきたではないか。そして首尾良く甘利氏を辞任に追い込み、予算審議だって遅らせられる可能性が出たし、基地問題にしても付け込む機会が訪れるかも知れないのだ。文藝春秋社ほどの出版社がこれくらい読めなかったはずはないと思うが、如何か。それとも、端から安倍内閣打倒がを意図していたのか?

安倍内閣の危機:
私はあの記事が出た時には「甘利辞任」の危険性は読んだが、内閣の危機となるまでは考えなかった。しかし、昨日からの野党の「待ってました」の言動とマスコミが嬉々として内閣の危機説を採り上げている事態を見れば、確かに安倍総理も正念場に近いところに持って行かれたと危惧する次第だ。勿論、何事にも「コインの裏側」があるもので、安倍内閣が株高、円高、デフレ脱却、賃金の上昇傾向等の数々の実績を挙げたアベノミクスを導入された功績や、甘利氏が中心となって大筋まで纏めたTPP等は野党やリベラル派にとってはコインの裏側で、快い事態ではなかったのだろう。それを陥れる機会を文春が準備してくれたのだ。

だからと言って、安倍内閣を危うくすることが我が国の国益となるとは、私には夢にも考えられないのだ。民主党政権のあの3年有余の間に何が起こったかをじっくりと考えてみれば、物事の理非曲直がお解りではない一部の国民の皆様を除けば、民主党政権の再来を望む国民は少ないと思いたい。だが、何度も指摘してきたように我が国の民度は東京のように東国原や蓮舫に百万を超える票を投じてしまうような危ういものなのである。故に、安倍内閣の危機が訪れなければ良いがと思うだ。

石原伸晃新大臣:
諧謔を交えて言えば「元大臣」と言いたい。父親で同期生の石原君には申し訳ないが、ニュースで彼が後任と知った時には思わず「えーっ」と声を上げてしまった。小泉内閣時代の期待されて政治改革を担当した際の出来、幹事長だった時の手腕、安倍内閣だったか何時だったか忘れたが何度かの失言等々、揚げ足を取ればキリがなく、私は彼の能力を評価出来ない。お世話になっている国際法のTY先生は「彼がテレビの画面に出た瞬間にチャンネルを変える」と冗談交じりに言われたほど毛嫌いしておられる。

報道によれば、所謂「身体検査」は既に以前の入閣時に済んでいるので、その幹事長と環境大臣としての経験を買ったとあったが、何となく買ってはならないものを総理がお買いになった気がして心配なのである。これから極めて短期間のTPPの承認の儀式までに、それこそ身を挺してまで甘利前大臣との引き継ぎを完全に行っておかないと、国際的な場面を大過なく切り抜けるのは難しくなるだろう。しかも、その後には未だまだ安定したわけではない我が国の景気対策と、中国が自分勝手に手を広げ過ぎた結果徐々に自滅態勢に向かいつつあり、不安定化させた「グローバル・エコノミー」が待ち受けているのだ。彼に対応出来るのかと言った専門家もいたではないか。

文藝春秋社は甘利氏を陥れると上記のような「桶屋が儲かる」的に事態が変わっていくと読み切っていたのだろうか。以上が悲観論者の当方の考え過ぎに終わることを望んでやまない。

1月28日 その4 甘利大臣が辞意表明

2016-01-28 17:59:16 | コラム
残念な結果:

先ほどテレビでの記者会見の末尾で甘利氏が辞意を表明された。

私は1月21日に下記のように書いていた。その通りとなったのは残念であり遺憾でもある。文藝春秋社は甘利氏を辞めさせてさぞかし満足だろう。それが国益かどうかは私には判然としないが。

>引用開始
これまでの「政治と金」の案件では、ここから先は「当面は(大臣かまたは議員の)辞任は考えていない。有権者の負託に応えるべく職務(職責)を全うする所存」と神妙に自らの出処進退を表明する段階に進む。次の場面では野党(乃至は与党、または世論という名のマスコミ論調)が厳しく揚げ足を取って追求する。総理乃至は党首も懸命に庇うとなっていく。ここまで引っ張った場合には辞任乃至は辞職に追い詰められたとなると極めて惨めな印象しか残らないのが最悪の筋書き。

私の閃きでは、甘利氏は最悪の筋書きに向かっているような気がする。政治の世界は全く解っていない私には、安倍内閣の最重要な閣僚の一人であり、地味な印象しかないが着々と実績を残しているのに、もし週刊文春の記事が正しいのならば、何故「口利き」のような危ない橋を渡る必要があったのかと疑問に思う。また「秘書が」と逃げるのであれば、秘書の行動をきちんと把握出来ていなかった管理責任を問いたい気がする。金の出入りなどは常に十分に管理しておく事を、何百人も何千人もいる会社組織とは違うのだから、事務所内に指示を徹底出来ないのかと疑問に思う。
>引用終わる

「ジャンル」を政治としたが、それで良かったかどうかが私には良く解らない。社会かも知れないとも思えるので。