新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

U-23のサッカー代表がパリオリンピック出場権を獲得

2024-04-30 13:45:34 | コラム
準決勝戦で見事にイラクを2:0で破った:

鮮やかに2点を取って勝ち上がった。今朝は4時過ぎに起きたので、後半の途中からしか見ていなかった。だが、イラクの必死の攻めを何とか抑えきって勝ってくれた。2得点は前半のことだったので録画で見ただけだったが、私が最も好む鮮やかなディフェンスの裏を取ったパスを、キャプテンマークを巻いた藤田が出してくれたのには素直に「素晴らしいゲームメーカーだし、フィードだ」と感激していた。

藤田は特に良く前が見えていたようで、1点目の細谷が受けてディフェンスを鮮やかで巧みなフェイントで躱して決めた時の深めの縦パスには、綺麗にバックスピンがかかっていて、抜け出した細谷がトラッピングしやすいように配慮されていた。2点目もペナルティエリアのすぐ前で左サイドから来たパスを軽くサイドキックでディフェンスの間を抜く綺麗なパスを出して、GKと1対1となった荒木が落ち着いて右隅に流し込んだのだった。

このティームはシーズン中でもあり、海外組を招集できず主にJリーグの若手を23名集めて出場せざるを得なかったので、苦しい試合が続いていると報じられていた。今回初めて後半から見たのだが、非常に積極的なサッカーをやっていて、A代表の宿痾である「後ろから横さらに横と責任逃れをする消極的なパス回しの姿勢がかけらも見えなかったのが非常に良かった」と思う。

「何としても勝って出場権を取ってみせる」との意気込みがひしひしと感じられた。A代表に「勝ってやろう」という直向きさが見えないという訳ではないが、彼等は海外でも通用する技術があり、外国選手との試合に慣れてしまった所為か、ついつい安全策を採るのだろうと善意で仮借している。だが、私には見苦しいサッカーとしか見えない。彼等の多くはあそこまで到達する前の直向きさを忘れたのではないのかな。

ところで、ここから手前味噌的な要素も含めて、あのキャプテン藤田を褒めておきたい。後半だけの印象では「彼はゲームの組み立てに専念して、前で動いている者たちが取りやすくて、得点にチャンスになるようなパスを出すことを心掛け、見事にティームを引っ張っていた」と評価したいのだ。サッカーには「組み立て役」と「シュートを決める役」が揃っている必要があり、藤田は立派にゲームメーカーの役を果たしていたのが好ましかった。

何故、藤田を(滅多に褒めない私が)褒めるのかと言えば、私は1974年頃から6年弱だったか在籍していた藤沢市の「四十雀クラブ」では通算で2点しか取っていなかったことが示すように「ゲームメーカーの役」を楽しんでいたのだった。シュートを決めることは勿論サッカーの華であり、快感でもある。初めのうちはゴールゲッターも狙っていたが、40歳も過ぎては「自分はその任にあらず」と直ぐに解って方向転換を図った次第。

即ち、相手のディフェンスの裏を取るとか、パスがくるのを期待してフリーになって待っているFWにチャンとパスを送って得点になった時、自分でキープして上がって行って息が合う仲間とパス交換をしてチャンスの形を作っていくことからも、十分なサッカーの醍醐味と快感を味わえるのだ。

最も気分が良かったと未だに記憶に残っているのは、学生時代にアイスホッケーをやっておられたと聞いた我が四十雀の優れたシュート感覚を備えたポイントゲッターに「これ以上ない」というパスを送り、鮮やかなシュートが決まって時のこと。彼は戻ってこられて、私に「良いパスを有り難う」と握手を求められたのだった。

長々と回顧談を述べてきた訳はといえば、藤田君はキャプテンという重責に加えて、ゲームメーカーの役を果たせて試合に勝ったのでは、さぞかし楽しかっただろうし、気分爽快だっただろうと察する次第だ。

この直向きなサッカーをやって見せてくれた23人は、オリンピックには18名しか出場できず、しかもオーバーエイジが3名も加わるとあっては、一体何名がパリまで行けるのか不明だ。個人的には「あそこまでやって見せてくれた全員を行かせてやれれば良いのだが」と思ってしまう。「君たちは立派だった」と褒めて終わる。

私が嫌う如何にも英語風のカタカナ語の造語:

2024-04-30 07:53:47 | コラム
カタカナ語排斥論者が纏めてみたカタカナ語の造語集:

一見英語風のカタカナ語には造語が圧倒的に多い:
本稿は2014年6月12日に発表した造語集に、新たに「パワーハラスメント」や「自動車用語」等を書き加えたものである。表現も多少訂正してある。

マスコミや誰でも一般の方々が気安く使っておられるカタカナ語の大部分は何処かの誰かが造り出した言葉であり、本当の英語とは違っていると認識されて誤りではないと思っている。そういう次第だから、外国人と英語で会話などをされる機会に、英語だと思って使わないように、十分な注意が必要なのである。

 中には実に上手く出来ていて、さも英語であるかのように偽装した造語もあるのも困ったこと。そう言う類いの怪しからん造語を発見するのも、カタカナ語排斥論者である私の密かな楽しみなのである。

 造語:
*パワーハラスメント(パワハラ) workplace bullying他、
解説)この表現はまがう方なき造語なのである。Wikipediaには「パワーハラスメントとは、2001年にクオレ・シー・キューブ社の岡田康子代表取締役によって提唱された和製英語である。セクハラ以外にも職場にはハラスメントがあると考えた岡田氏らは、2001年12月より定期的に一般の労働者から相談を受け付け、その結果を調査・研究し、2003年に「パワーハラスメントとは、職権などのパワーを背景にして、本来業務の適正な範囲を超えて、継続的に人格や尊厳を侵害する言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安を与える」と初定義した[11]。「パワーハラスメント」は日本独特の用語であり、英語では職場で繰り返される不快な行為を「Harassment」「Workplace Bullying」などと捉えられることが多い。」とある。

少しでも正常に英語を理解できていれば、power harassmentでは意味を為していないことは解るはず。まして「パワハラ」などと略語まで作ってしまう無神経さには誇張すれば「言葉を失う」のだ。

*フロントガラス  windshield、
解説)如何にもそれらしく作り上げられた自動車用語。英語は「風の盾または防御」となっていて意味を為している。このように自動車の用語には上手く作られた造語が多いのが特徴である。

*バックミラー  rearview mirror、
解説)「後ろを見らー」となっているところが凄いと思わせる造語。ここでは「後ろ」はrearという単語になる。

*ハンドル  steering wheel、
解説)「ハンドル」とした気持ちは理解できる。即ち、これは「取っ手」か「柄」の意味があるのだから。だが、自動車の場合はsteering wheelなのだ。余談だが、アメリカ人が初めて日本車を見て“The steering wheel is on the wrong side.”と叫んだのだった。彼等は「左ハンドルが自動車のあるべき形」と認識しているようだ。

*フリーサイズ      one size fits all、
 解説)これなどは傑作の一つに入れて良いと思う。「フリー」は確かに「自由に」の意味もあるが、英語では"admission free" のように入場無料の意味にも使われる。この例のように、どの大きさにも合わせられるという意味で使う発想は素晴らしいと思う。これでは「無料のサイズ」となるのに「誰にも合うサイズ」として通用しているのも凄い。なお、「フリー」は以下に続いて取り上げるように、割合にフリーに使われているようだ。

*フリーライター   freelance writer、
解説)これも単なる一例。上記のようにフリーランスとするべきだったが、freeだけが残ってしまったと解釈している。思うに”lance”という単語が難しかったので、つい省いたのだろう?フリーアナウンサーも同類。まだまだ他にもあると思う。

*フリーダイヤル toll free dial、
解説)何処かのテレビ通販のCMが聞こえて来そうだ。ここでは "toll" と言う見慣れない言葉が面倒だと思ったのか「省く」ことにしてしまったのだろうと解釈している。因みに、日本では "0120" だが、アメリカでは ”1+800” である。これを覚えていても案外アメリカでは使うチャンスは少なかった。私は22年間に2回ほど使ったかな?

*フリーマーケット flea market、
解説)これも傑作かと思う。本来は”free”=「自由」の意味ではなかったのである。このスペルは "flea” であって蚤のこと。この由来は「のみの市」だったらしい。"r" ではなく "l"(エル)なのに、カタカナ表記にすれば発音が「フリー」になるので、何となくfree なmarketのような感覚で捉えていないか?

*フリーバッテイング   batting practice、
 解説)これはオマケである。野球用語はカタカナ語の宝庫であり余りにも多いので採り上げる気はなかったが、例外的に一つだけ入れておく。自由に打って良いのか無料で打って良いのか知らないが、自由な発想で作り出されたものと感心している。

野球用語(カタカナ表記のもの)で、本当の英語と連動しているものは数えるほどしかない。高校野球の中継でも、アナウンサー諸氏は何ら躊躇うことなく「速球」または「直球」を「ストレート」などと声高らかに言っているが、あれは歴とした日本語である。英語では”Fast ball”である。大体からして「投球」は「球」ではないのだから、アメリカ人は”pitch”と言う。“Here comes the pitch.” のように。なお、deliveryも使われることがある。

因みにfreeとは「誰にも統制されていない、または権威の下にはいない」という意味なのだが。

*オープンカー  convertible or soft top、
解説)見た目で決めたか?コンバーティブルはカタカナ表記しにくいし、発音も困難と思ったのか。言葉の誤用に入れても良いかも知れない。

*ボディーチェック  body search、またはsecurity check、
解説)確かに身体をチェックするのだが、searchの代わりに「チェック」を使ったのは単語帳的知識の適用のような気がする。最近は身体だけではなくベルトや靴までチェックされている時代にはそぐわない造語だ。なお、"security" の発音は断じて「セキュリティ」ではなく「セキュアラテイー」が英語に近い表記。辞書を引いて発音記号を見よ。言いたくないが、bodyの発音は「バディ」だと思うが。

*プライベートブランド  private label、
解説)”private”という言葉はその本当の意味を知らずに勝手に使われていることが多い。寧ろ誤用と言った方が正確かも知れない。だが、ここに挙げた例などは明らかにbrandの意味までをはき違えていると思う。英語では "label" なのだ。一般的に通用している略語の "PB" ではなく"private label“即ち”PL" とせねばならないのが、これだとProduct liability=「製造物責任」と混同されないような配慮があったのか?まさか。

マスコミ用語では“private”=「プライヴェート」を「私生活」の意味で使っている。彼らが外来語を使って格好良く見せようとするのだろうが、privateにはそんな意味はない。「私」に当たる言葉は"personal" であって "private" ではない。どうしても「私生活」と言いたければ”personal affair or life”辺りだろうよ。

 なお、”privacy”は”Webster”によれば "the condition of being apart from company or observation" とされている。即ち、「プライバシー」=「私生活」のことではない。これは造語であり、英単語の誤用であると知るべきなのだ。

*ピットイン  pit stop、
解説)このように "in"と"out"、"up"と "down" を恣意的に動詞のように使っている造語が多いのもカタカナ語の特徴であると思うが、私は好ましくないと断じる。野球のホームランが「スタンド・イン」し、走者が「ホーム・イン」するのも困る。「イメージアップ」も「イメージダウン」もその例になると思う。「ゴールイン」即ち“finish or reach the goal or break the tape”もこの範疇に入る。

*ホーム・イン  score a run、
“in”や“out”、“up”や“down”を動詞のように使ってしまうのがカタカナ語の特徴。以前にも解説したことがあったが、inとは「~の中に」という位置を示す前置詞なのだ。「本塁に入る」などという意味も使い方もない。

そうかと思えば、野球用語には「インコース」などと言う物凄いのまである。これを無理矢理に解釈すれば「コースの中」にしかなりようがない。「打者の近め」とはこじつけ以外の何物でもない。アメリカのアナウンサーたちはinsideとoutsideを使っているのを聞いた。残念なことに、これらは大手を振って日本国内だけで通用する野球用語なのである。実は、野球用語も自動車同様に、造語の宝庫なのだ。

*メインバンク  main financing bank、
解説)昔は「主力銀行」と言っていなかったか?これなどは遍く用いられていて如何にも英語らしい。だが、そうではないので要注意だ。アメリカにはこういう観念というかシステムがないと聞いた。であるから、ここに掲げたものは所謂「意訳」である。これは、本来は”The main bank”とすべきなのだが、アメリカのビジネスパーソンに「メインバンクと聞いたら何を思うか」と尋ねたら 「中央銀行=日銀」か、アメリカの "FRB" のような意味に取った。面白いが困った現象ではないか?

*スケールメリット  advantage or scale of economy、
 解説)これも良く出来ていると思わせてくれる造語。良く「単語」を知った人が単語を並べた結果で出来たものではないかと考えている。「メリット」をここに持ってくる知識があれば、何とか意訳ができたはずだと思う。” merit” とは何か褒められ、賞を貰え、崇拝されることを指すと思う。


それでも貴方は自由民主党を支持しますか

2024-04-29 07:41:07 | コラム
岸田文雄総理/総裁の下に:

私は政治というか岸田政権を論じる時の材料は、一部の週刊誌とマスコミ報道が伝えてくれている事柄に基づいている。それ以上でも以下でもない。その結果では、ここに取り上げるように岸田政権にとっての良い材料は少ないのである。決して偏見のつもりではないと自負している。

共同通信社の久江雅彦氏は「それでも、岸田さんは鈍感力で切り抜けられるだろう」と予測していた。これは「三つの補選を全部落としたとしてもという場合でも」という仮定?の話だった。

現在の岸田政権と自由民党には、私に考えられるだけでも下記のような悪材料が揃ってしまっている。その最中にあって折悪しく補選なのだから岸田総理/総裁もさぞや辛い思いをされているだろうとは推測していた。順序不同で上げてみれば、

*収支報告書不記載問題(=?裏金問題):
岸田総理の対応の仕方を見ていると「これは安倍派が巻き起こした彼等が責任を負うべき事案であり、当方にとってはとんでもない『とばっちり』の事案である。故に安倍派を厳しく処分した」という意図が見えるの。だが、現実には内閣と党内の対応が不行き届きで総理の統治能力が疑問視され、支持率の一層の低下を招いた。

*政治資金規正法の改正:
何時まで経っても自由民主党から改正案が出てこないことが、野党とマスコミ連合軍に格好の攻撃材料を与えた結果となってしまった。即ち「自分たちが犯した失敗(失態)の後始末となる改正案すら直ちに出来ないのか。自浄能力に疑問が」と言われても、反論できていないのだ。それでは「国民の政治への信頼を取り戻す」との総理の謳い文句は空念仏化したのではないか。

*物価上昇対策:
打たれた積もりかも知れないが、実態は「止めどない物価の上昇となって家計圧迫の悪材料となり続けている」状態。これでは、国民の不信感を増幅させるだけで、支持率の下降を止められなかった材料になったのでは。

*円安:
遂にというか何というか、昨日辺りでは何年振りか知らないが、¥158にまで安くなった。TBSの松原耕二は「円安ではなく円弱だ」とまで言っていた。この辺りは財務省と日本銀行が如何なる対策を採っておられても、連日のようにマスコミが「安くなった。安くなった」と危機感(何処がどのように危機なのかの具体論は述べずに)を煽れば、岸田政権のfaultのように響くだろう。

当方は「ドルは何処まで上がろうと下がろうと、アメリカドルである事は変わらない対日輸出企業所属だった」ので実害はなかった立場にいた。だが、その変動が輸入者にどれ程影響するかは十二分に知り得るだけの経験してきた。単なる思い出だが、1985年10月にアメリカで交通の貰い事故に遭った際の保険金を受け取った時の為替レートは¥220~200だった。それも「円安だ」という騒ぎがあった記憶はない。

*増税:
「増税メガネ」と揶揄され、「財務省のポチ」とまで罵る筋もある。物価高が先か増税が先か知らない。だが、折角総理としては良い施策を打たれたつもりでも殆どが増税か国民負担の増加を伴うのでは、人気上昇には結びついていかなかった。

今年の6月には総理の肝いりの実質的減税が実行されるようだが、それに期待する声が上がっているのだろうか。田崎史郎氏は「総理は良いことをやっておられるのだと自負しておられ、理解されないのは何故かと受け止めておられる」と指摘していた。この辺りを久江氏は「鈍感力」と言ったようだが、当方は「総理は見解の違いであり、自分は鈍感なのではない」と確信されているように感じている。

*外交が票になるのか?:
先日のアメリカへの国賓待遇の外遊では、バイデン大統領との親交を深められ、議会では立派な英語で見事な演説をしてこられた。私は単純に「英語がお上手だな」と感心していた。全国民が「流石、我らの岸田さんは立派だった」と拍手喝采して支持率を高めても良かった業績だろうとは思う。だが、それほど補選の票には結びついていなかった様子なのは、矢張り「外交は票にならない」という原則通りだったのかと思わせられている。

現在の不安定化が進む国際情勢下では、アメリカとの関係を深化させ、強化することは必要不可欠である。それでも「アメリカに行っている場合か」のような声も上がっていたとかだ。田崎史郎氏の言を待つまでもなく、総理は懸命に努めておられると見るべきではないのか。

*纏まりを欠いているかのような自由民主党の内部:
収支報告書不記載問題や賄賂の件で辞職した議員が出たことも悪材料だったが、不品行で議員辞職する者まで現れては、不信感が増したのも仕方があるまい。しかも、処分された安倍派の議員の中からは再審議を求める塩谷氏が現れても、宏池会を解散して見せた岸田文雄氏にはお咎め無しでは、不公平が残ってしまった。私は不手際の誹りは免れないと思うし、岸田氏自ら不利な材料を作られたと見ている。

私は「後継者がいない」と言うのは「愚論」だと思う。菅前首相は「岸田じゃ出来ねーよ」と酷評した脂伝えられたが、岸田氏はやってこられたではないか。誰でも、責任がある地位に就けば、その人物の器量なりの実績を挙げるのだ。選んでから能力がどうのと云々しても良いが、後任がいないという説には与しない。

*結び:
これほどの材料を揃えるような岸田批判的な報道をされても、国民は政治を信頼して支持しようとするのだろうか。何時も同じことを言う事になるかも知れないが「岸田さん。貴殿の政治生命の危機だと言われていますよ。奮起して下さい」と言って終わる。


4月28日 その2 良く解らなくなったサッカーの反則の判定の基準

2024-04-28 11:03:12 | コラム
サンデーモーニングのお陰で見えたことがあった:

関口宏のサンデーモーニングは偏向しているの何のと、厳しく言われていたが、往年は大沢啓二と張本勲の「喝」が面白いし多少参考になるので、そこだけを見るようにしてきた。今ではアメリカから偶に帰ってくる上原浩治+アルファのような形になっているが。

そこに関口宏が引退したので、何か変化があるのかと思えばそういう訳でもなく、あのような信念として偏っている人たちを揃えて選んでくるTBSも偉いものだと感心している。

本日は佐々木大魔神と柔道の山口香さんだった。その中でTBSが言う「一気見」の中で、U-23のサッカーでカタールに勝った試合を見せてくれたのが大いに参考になった。

それは、ペナルティーエリア内で我が方の選手がカタールのGKと飛び上がって競り合った形になった際に、何故かエリア内に転倒と見えた場面で、レフェリーがGKに一発レッドカードを出した所のビデオを見せてくれたのだった。私はニュースで見せられた時は、勝手に倒れて見せたのかとすら感じていた。

ところが、先ほど見えた画面ではGKの足が我が方の選手の腹の辺りを(意図的とは見えなかったが)蹴飛ばしていると言うか、蹴飛ばした格好になったところがハッキリと見えた。近頃のVARではその蹴飛ばしがハッキリと見えたのだろうが、意図的ではなかったのだったならば、精々イエローカードかなと、古き良き時代のサッカー選手は思ってしまった。往年ならば、何事もなく過ぎ去ったのではと感じていた。

しかし、あの前の中国との試合では、カメラからは反対の方向に我が方の選手と並んで歩いていた中国の選手が突如として地面に倒れ込んだのだったと見えた。この時もVARでは我が方の選手は一発レッドカードになった。

私には何が起きて、如何なる理由で退場かは不明だった。ところが、解説では「並んできた相手が邪魔だという事を示そうかと手を上げて振り払おうとした肘が、相手の顔に当たって「悶絶」のように見せられたようだった。「そう見せた中国の選手の作戦勝ち」だったようだ。

要するに、意図的であったかなかったかと言うよりも、「結果次第」ではレッドカードになるのが現在のサッカー、特にVARで見えた結果が尊重乃至は優先されるのかと思わせられたのだ。難儀な時代になったものだと痛感した。

当方は「全国制覇し損ないの会」に参加して、確か60歳代が終わるまでは11人のサッカーをやって楽しんでいた。という事は、体の激しい接触があった時代まではサッカーをやっていたという事。

でも、レッドカードになってしまうような事態は発生したことがなかったので、「一発退場」などと言う厳格な判定の基準は全く知らなかった。また、そのような危険であり乱暴なことが出来る年齢でなかった。退場の判定が出ることは仕方がないとしても、選手たちだけではなく観ている者にも解りやすい判定の基準を公開して貰いたいものだと感じた。レフェリーの主観とVAR依存であってはならない気がするのだ。

サッカーもラグビーも(アメリカン)フットボールと比較すれば審判員の数が少なく、瞬間の審判員の主観による判定が多いのは問題点ではないかと思う。故に、そこをVARで補うのも結構だとは思う。ではあっても、イエローカードトレッドカードを出す基準を明確にしておいて欲しいと思うのは誤りか。個人的には、あの我が方の選手(3試合出場停止)とカタールのGKはお気の毒のように見えた。


偶には野球の話も良いかなと思って

2024-04-28 08:05:26 | コラム
読売ジャイアンツとDeNAベイスターズ戦を観て他:

久しぶりに冷静なる評論家のセントラル・リーグ評を。26日の夜はジャイアンツが勝ってしまいそうなベイスターズとの試合をハラハラしながら見ていた。私は今年のジャイアンツは結構良いところまで行けそうに、投手も打者も揃っているのを心地良くなく眺めているが、未だ阿部慎之助監督の品定めが出来ていないので、タイガースを退けて優勝まで行けてしまうかどうかの評価には至っていない。

この試合でも結果的には終盤になって投手起用が上手く行かず、解説の工藤公康が「矢張り、何か持っているのですね」と言って褒めたベイスターズの有望新人・度会隆輝が満を持して出したつもりの高梨雄平が満塁ホームランを打たれて、万事休したところまでは見ていた。私は原前監督が左打者対策用に判で捺したように所謂「ワンポイント」的に使ってきたこの左投手が嫌いなのだ。いえ、好ましい使い方ではないと見ている。

確かに、高梨はアナウンサーが「変則的」と呼びたがる「横から投げる数少ない左投手」であり、その希少性からして左打ちの打者を抑える効果はあるかのようだ。だが、これは不可思議なことで「右投手が腕を下げて横から」に転進しても「変則」とは呼ばないのだ。タイガースの青柳などは変則の極みではないのか。

私は「打撃というものは未だに我が国では4割打者が出ていないように、どんなに打てても3割、即ち7割は失敗という確率の低さなのである。高梨雄平が左打ちの打者を抑えたと言っても「成功率の確率は3割で、残る7回は打たれるかも知れない」の範囲内ではないのかと思っている。

私は高梨という進学校だと見ていた川越東高校から早稲田大学に進み、完全試合を成し遂げてはいたが、日本ハムが不要だと言って、と言うよりも「NPBでトレードに出される選手は不要宣告をされたと解釈する」ので、使えないと看做されたのだろうと思うのだ。その高梨を原前監督は左打者専用として活用し、かなりの確率で成功したようだ。だが、高梨は日ハムが手放したのは「制球力不足」だからだと見ている程危なっかしいのだ。

何処かの新聞が昨夜は高梨起用が成功したと報じていたが、それとても3割内の範疇の出来事ではないのか。私は野球という競技はパーセンテージのゲームだと思っている。度会隆輝は最初の2試合でホームランを打てたが、4月も下旬になれば、相手投手に覚えられて打率は2割そこそこ。その程度の確率の打者に3割の成功率の高梨を当ててみれば7割の失敗という結果になった辺りが、野球の面白いところ。

阿部慎之助監督は今年には投手には菅野が躱していく投手に変身して安定し、戸郷が安定し、山崎伊織が順調に成長してきて3本柱となったし、打つ方では岡本も坂本も大城という「打つだけが取り柄の」捕手もいるし、見くびってはならない吉川もという具合の所に、門脇が成長し、新人の佐々木や萩尾が相手投手に欠陥を知られるまでは打てるだろうと、選手は揃ってきたので、残された課題は「監督が上手くやれるか」だけになった。

阿部慎之助監督はインタビューに答えて「コーチを信頼して任せていくつもり」と語っていたが、ベンチで立ち上がって外野の守備位置の変更を指示するし、打者に所謂「ブロックサイン」(「サイン」は誤りで、正しくは「シグナル」だ)を送っている始末。あれはコーチから出されるものだと聞いている。全責任を負おうとする心意気は多とするが、それではコーチたちを何の為に雇ったのかと言いたくなる。

一方のDeNAは投攻守共に人材は揃っている。だが、相変わらず試合運びというか粗雑な野球をやっているので、勝てる試合も落としかねないのが残念だ。昨夜のことだったか、ジャイアンツの今年初先発とか言う横川凱が良く投げていた時に確か四球で関根(だったと思うが)を出して、セットポジションになって不安げだったのだが、何と牽制球一発で、一塁でアウトにしてしまった。横川を褒めるよりもベイスターズのお粗末さを責めたい。

打つ方でも佐野、牧、宮崎と揃っているのだが、佐野は不調が目立つし、牧も「ここぞ」と言う時には当たらなくなってきた、と言うよりも相手になる投手たちも抑え方が解ってきたと見えるし、牧自身にも気負い過ぎが目立ち空回りだ。宮崎は職人芸的に良く打つのは結構なことだが、ティームの為よりも自分の満足の為に打っているような感がある。

投手も東は良いのだが、彼に続く纏まった投球ができる者が不足している。矢張り、アメリカに行ってしまった今永の後が埋め切れていない。彼が出て行くと解っていたのにも拘わらず、度会をドラフトで1位に指名したのは監督か球団の何れかの認識不足だと責められても仕方があるまい。ここでも三浦監督の器量を問いたいし、今年の消長がかかってくるのではないのか。

私はこれらの球団の他には一部の解説者が「優勝するかも」と予測した中日ドラゴンズも怪しいと睨んでいる。それは監督さんの力量というか器量に疑問を感じるから。立浪が監督になってから中日から出された選手が多い。監督には好き嫌いがあっても不思議はないのだが、嫌いであっても使いこなす幅は必要だ。それにこの監督は選手に打撃指導などをしていると報じられた。高校野球じゃないのだから、コーチを信用して使う度量が必要だ。

ここに取り上げた3球団は監督がコーチを信頼し、選手を上手く使っていけば何とかなるかも知れない。そう言っていることは「現在まではそうなっていない」と見えるという事。他には投手の補強を全くしなかったヤクルト球団の考え方が理解不能なので、最下位を堅守している高津監督には疑問点はない。疑問点は大谷の桁違いの凄さを目の当たりにして、崩れたままの村上宗隆が自力で立ち直れるかだと思う。