新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

トランプ大統領の貿易赤字対策の考察

2019-04-30 13:39:22 | コラム
我が国のせいにするのは誤りではないか:

以下は18年の4月29日に論じたことだが、1年経った今でも通用すると思って一部を手直して再度掲載しようと思うに至った。

私は「我が国のトランプ大統領に関するマスコミ報道は、アメリカのアンチ・トランプのテレビと新聞の fake news をそのまま垂れ流しているから悪評ばかりだ」という一部の有識者の意見は概ねその通りだと信じている。既に述べたように、大統領としての実績は兎も角、私は個人的にはドナルド・トランプという人物は好みではないのである。その独断専行的な手法もさることながら、国際的な貿易取引の実態に疎いのではと思わせる政策を打ち出されたり、貿易赤字を我が国の所為にされるのもフェアーではない思っている。TAGで押してくるのも筋が違うと思う。

即ち自国の貿易赤字がアメリカに売り込んでいる中国などの貿易相手国の責任であるが如き事を言われ、安全保障の為に鉄鋼とアルミの輸入に関税をかけると言い出されたのがその揺るがぬ証拠ではないのかと思わせられた。永年アメリカ製品の対日輸出に従事してきた者としては、基本的に輸出国ではないアメリカで多くの企業が懸命に輸出に励んでこなかった結果として赤字が続いたのであって、その点を頬被りされるのはフェアーではあるまいと言いたいのだ。かのオバマ大統領でさえ、空洞化して出ていった多くの産業に戻ってくるように要望されたではないか。

そこに、宮崎哲弥氏が今週の(1年前であるが)週刊文春に連載しているコラム「時々砲弾」でトランプ大統領の貿易赤字対策の誤謬をUKの Financial Times(FT)の記事を引用して解りやすく説明していたので、私にも良く理解できたのだった。そこで、一寸長くはなるがご参考までにその記事を引用してみようと思い立った次第だ。

>引用開始
トランプ大統領は、アメリカが全ての国に対して持つ「マクロの収支」における赤字と特定の一国に対して持つ「二国間収支」における赤字の双方をアメリカの損失と見做し、その責を貿易相手国に帰している。この貿易収支、あるいは貿易収支を含む経常収支についての認識は完全に間違っている。そもそも貿易赤字はその国の損失を意味するものではないし、貿易黒字はその国の得分を意味しない。かかる誤見を「重商主義の誤謬」と呼ぶ。

では経常収支(>貿易収支)の赤字の原因とは何か。FTは明解に答えている。「経常収支の赤字は主に関税や貿易規制ではなく、財政政策や人口動態、為替レートをふくめ主としてマクロ経済のさまざまな要因によって影響される。そうでなければ、赤字が意味するのは、インドのような国は慢性的な貿易赤字を抱えているから開かれた貿易体制を敷いているに違いない、ということになる。インドに輸出しようとした人なら誰でも、明らかにそうではないと証言するだろう。

経常収支の黒字、赤字は、各国の経済主体が最も有利と判断して選択した行動(=貯蓄投資バランス)の結果としてある。平たくいえば国内の需要が縮小し、国民の多くが貯蓄をする場合、経常収支は黒字に傾くことがあるし、国内消費が活発で、国民の多くが投資を行うような場合、経常収支は赤字となる。経常収支はこうした国内の経済活動を反映するものなのだ。

従って輸入産品に思い関税を課したり、貿易相手国に「市場開放」を強要したりしてしても、アメリカの貿易赤字は決して縮小することはない。仮に赤字減らしという目的が正しいとしても、この種の貿易政策は先ず役に立たない。トランプ大統領の国内向けの目玉政策である大幅な減税や巨額の公共投資は、米国の国内消費、投資を活発化させる。その結果として貿易赤字ますます膨れ上がるだろう」

<引用終わる

なるほどと思った。現にトランプ政権が関税賦課政策を開始した後でも赤字は目立って減少してはいないのだ。特に目立ったことは、トランプ大統領が「関税を賦課した結果で財務相には現金が大量に入ってくるようになった」とTwitterで述べておられたのを見れば、大統領が何か思い違いをしておられるとしか思えないのだ。言うまでもないが、連邦政府に入ってきている金はアメリカの輸入業者か需要者が納めたものである。

私は1972年にM社に転出した頃には「アメリカは我が国に対して貿易では赤字になっているが、アメリカの産業界はこれに失望するべきではない。それは我が国の多くの製造業界の企業では米国の大手メーカーが持つ特許やライセンスを受けているので、それに対する出費というかアメリカ側が受け取っている毎年のローヤルテイーは決して少額ではない。こういう状況を考えればアメリカは必ずしも赤字を嘆く必要ないのでは」と聞かされていた。

この宮崎氏のFTの記事を引用しての解説はより具体的な説得力があったと思って読んだ次第だ。いや、寧ろトランプ大統領とその側近にはあらためてFTをお読み願いたいとすら考えたのだった。いや、失礼を顧みずにもっと率直にいえば、この辺りにトランプ大統領の貿易の実務を経験されてこなかった弱点があるのではないかと思うのだ。


4月29日 その2 4月28日のスポーツ

2019-04-29 10:13:03 | コラム
閃きが当たった女子のゴルフ他:

またしても申智愛にやられた:

平成が残すところ何日などというお祭り騒ぎにはウンザリであるだけではなく、当方には何の有難味がない10連休とあっては、家に籠もってテレビでも見ている他なかった。その中でも最も興味があったのが「フジサンケイレデイスクラシック」だった。それは2日目まで上位を走っていた吉本ひかる、上田桃子、大江香織、藤田光里という我が国のプロが優勝できないという閃きがあったからである。そこには、優勝の常連である申智愛や安宣柱等が首位と5打差の7位までには顔を出していなかったという、大いなる不安材料があったのだ。

ところが、吉本ひかる以下の上位にいた連中が接戦を演じている間に、ふと気が付けば申智愛が8アンダーで何時の間にか首位に立っていて既にプレーを終えた形になっていたのだった。即ち、日本勢は2打差の申智愛をあの難しい川奈のコースで追いかける立場に立たされていたのだった。聞けば、申智愛は19位から出て一気に8アンダーと突っ走って3日間通算も8アンダーとなって優勝となってしまったのだった。げに恐るべき世界的ゴルファーの実力だった。だが、当方は「閃きがこういう形であったとは」と憤懣やるかたない思いだったし「またやられたか」と落胆していた。

毎度のことだが、余りの情けなさについ感情的になって偏見を言えば「だから、あの国のゴルファーたちに唯々諾々とヴィザなんか出すなよ。麻生副総理ではないが何らかの制裁措置でも考えたら如何か」と密かに心中で叫んでいた。

DeNAの10連敗:
先に「ラミレス監督は余程知恵を働かせて腕で運を取り戻せるように工夫しないと、この逆境からは容易に脱出出来ないよ」と予言めいたことを言ったので、28日の対読売の試合も恐らくダメだろうと予測して見ていた。ところが、またしても1回の裏に京山がVILLANUEVAと書いてヴィヤヌエヴァと読ませるメキシコ人でMLB経験者に2ランホームランを打たれたので、これでは試合が終わったのも同然だと思わせてくれた。結果的には2対7での負けだったが、得点がソトの2ランホームランだけでは何ともならなかった。

これで2日続けて得点はホームランだけという形になって「ホームラン、打ち打ち負けるヘボテイーム」と往年の大和球士の名言を思い出させてくれた。兎に角、サッカーで言う「セットプレーからしか点が取れず、流れの中では取れない」と同じ形で攻める形が出来ていないし、ラミレス監督の選手起用にも「世代交代」を焦る余りの偏りも見える気がしてならない。それにソト君はホームランこそ打つが、あのような外国人独特の「俺が俺が」という自分優先では、日本式のテイーム優先の野球には不向きに見えるのが気懸かりだ。
もしかして、このまま負け続ければ「監督の休養」にでもなってしまうのか。

何れにせよ、当方の好みではない方が勝ってしまったのが、28日のスポーツの結果だった。それは顎関節症に未だな止まされている体調と同様に、芳しくなくて面白くない試合ばかり見せられてしまった。


御茶ノ水大学の大失態ではないのか

2019-04-29 09:06:30 | コラム
学校側の警備態勢に手落ちはなかったのか:

御茶ノ水大学附属中学校の校内に作業員を装った者が侵入して、秋篠宮家の悠仁様の教室の机に刃物を残していったという事件には驚きを禁じ得なかった。その何者か知らない輩の不敬な行為もさることながら、御茶ノ水大学の警備態勢の不行き届きには寧ろ呆れされられた。どういう方が通学しておられるのかという重大なことについての自覚の欠落と手抜かりがあったとしか思えないのだ。学校側を非難する報道はまるでないが、マスコミが何かに対して遠慮でもしているのかと思って見ている。

我が家の直ぐ近所に区立の中学校があるが、そこの校門は常に施錠されていて、遅刻してきた生徒でさえインタホンで連絡しないと中には入れない仕掛けになっているようだ。報道では御茶ノ水大学の校内には各段階の学校の校舎があるでけではなく、多くの場所で工事が行われていてその為に作業員が出入りしているとの報道もあった。だが、それならば学校側では出入りしようとする者たちをインタホンを使って細かく且つ厳重に通して良いか否かの検査が出来たのではないかと思っている。私には「油断」があり「迂闊」ではなかったかと見えるのだ。

私は警察がその侵入者の顔写真がインタホンに残されているので追跡中と報じられている。全力を挙げて逮捕して貰いたいものだと思っている。この侵入者には妙な思想的背景がないことを願ってはいるが、この世にはおかしなことが起きるものだ。


4月28日 その2 外国人不信論

2019-04-28 10:20:25 | コラム
留学生「来たるものは拒まず」の問題:

私はほぼ信念として「我が国に安定した職を得ようとか、居住しようとか、日本語学校に留学しようとか」というような目的でやってくる外国人は、自国では中々活路を見いだせなかった半端者が多いのではないか」というように、彼らを疑いの目で見ている。現に、ここ東京都新宿区百人町か大久保には明らかに我が国を食い物にしているとしか思えない輩が数多く巣食っている。こういうことを論じ始めればキリがないので、今回はこのくらいに止めておくが「好い加減に外国人を有り難がるのを止めるか、観光客を無制限に招致しようなどと思うな」ということだ。

その辺りを本日の産経新聞の「新聞に喝!」の欄に京都大学霊長類研究所教授の正高信男氏が掲題のような見出して厳しく戒めておられた。私に言わせて貰えば将に「だから言ったじゃないか」であり、我が意を得たりの思いだった。正高教授は先頃の東京福祉大学の外国人「研究生」が大量に行方不明になった例も挙げておられたが、私にはその次の文節の論旨の方が非常に気懸かりだったので、そのまま引用してみよう。

>引用開始
私は学内の研究室に無数にある、おおむねセキュリティーの甘いサーバーに侵入しては自分の学問的関心とは無関係に、中身を片っ端からダウンロードしている東アジアからのインターン生を複数、知っている。ここには断片的な内容であってもジグソーパズルのようにつなぎ合わせると、結構機密性の高い情報が得られることも珍しくないだろう。科学技術情報がダダ漏れが起きていることに、ほとんど誰も気が付いていないらしい。せめてマスコミには、大学で実際に何が起きているかを自分たちの手でじかに取材することを希望する。
<引用終わる

私はこれを読んで、正高教授は指摘しておられないが「何処の国のインターン生」がかかる不届きなことをやっているかの見当はついた。ここでも「だから言ったじゃないか」と強調したいので、我が国にももう少し欧米の諸国のように「性悪説」の視点で外国人を見る姿勢があっても良くはないかと痛感している。不良外国人どもは我が国には「スパイ防止法」がないことくらい先刻承知で入ってきているのだと疑っている。言うなれば、我が国にやってくる外国人たちに中には「食い詰め者」ではない連中も入っているのである。政府ももう目が覚めても遅くないと思うよ。


我が国の英語教育の輝かしくない成果

2019-04-28 08:12:41 | コラム
何故あのような英語になってしまうのだろう:

私は25年ほど前の在職中に地下鉄の車内における言うなれば「英語ペラペラ風」の同胞が、凄いスピードでまくし立てていた英語風の語りを採り上げて批判したことがあった。そこで、先ずはそれが如何なる英語紛いだったかをあらためて紹介しておこう。下記のようなものだった。

"Every years, I take vacation two month, you know. I go Europe with family, you know. Nowadays, children become big and go to school and cannot stay long, you know. So, we don’t go and wife complain and become angry."

という凄まじさだった。悲しいかな現在形過去形は一切無視されていたし、複数も単数もなかったのであったし、特に私が言わない方が良いと繰り返して指摘して来た“you know”が多用されていた。後難を恐れずに言えば「学校では何を教えていたのか」であり、「教えられていた方も、何を勉強していたのか」と厳しく批判したい文法無視だったのである。特にUKなどでは「文法無視は無教養の証し」である事も強調してきた。

昨27日に銀座一丁目を有楽町駅に向かって歩いていた時にアメリカ人2名と日本の若い女性1名が語り合っているのを追い抜いた形なった。その女性は一所懸命に東京都内の行政区分と隣接の千葉県のことを英語で説明していた。その内容は追い抜く前から十分に聞こえていた。大変遺憾だったことは、この女性もかなりのスピードで喋っていたのだが、矢張り動詞には現在形も過去形もなく、単数と複数の観念も欠落していた。良くあることだと思って聞いていたが、最も印象的だったのが「嘗てはこうなっていた」と言いたいところで、簡単且つ大胆不敵にも“before”の一言で済ましてしまった事だった。

私には果たしてそのプリゼンテーションの如き語りを聞いていたアメリカ人たち(アメリカ人であると解ったのは、彼らが打つ相槌等がアメリカ人が使う表現だったからだが)が理解できていたか否かは知らないが、私には悲しいほど良く解ったのだった。確か“Tokyo divide 23 area.”のように言っていたが、それが23区の説明であるとは直ちに解るのだ。彼女は懸命に説明していたのだが、何処で習い覚えた英語か知らないが、何故あのようになってしまうのかと思うと、本当のところ悲しいなと思う気持ちの方が強かった。

ここで、私の年来の主張を繰り返せば「常日頃から教科書の音読・暗記・暗唱をイヤと言うほど繰り返しておけば、こういう誤った英語が口から出てこなくなるものであり、教える側も文法的なことを恰も数学のように理屈で教えたのでは、聞かされている方は無味乾燥であり『何だ、面倒くさい』という感にとらわれてしまい、効果が挙がらないもの」なのである。我が国の学校教育で育てられたもの全部がこのような英語しか話せないようになるとは言わないが、私の経験ではかかる失敗例が多過ぎるので、今回敢えて採り上げた次第だ。