新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

AIIB論

2015-03-30 08:39:56 | コラム
BS朝日の「いま世界は」が採り上げたAIIB:

昨29日夜のこのテレビ番組を偶然に途中から見た。そこで話題に上っていたのが、かの”AIIB”で、ソフトブレーンの創立者だった宗文洲(Song Wen Zhou)が中華思想丸出しで嘉悦大学教授の高橋洋一(元財務官僚)と激論を交わしていた。宋が何を言うかはをここに敢えて採録の必要はないだろうが、参加しない方針を打ち出している我が政府を非難し批判し続けた。

高橋教授は穏やかに「このAIIB構想は最近になって急に飛び出してきた案件ではなく、ずっと検討されてきた。以前から中国側に理事会がどのような基準で運営されるかを照会してきた。だが、確たる回答がなくそれがなかった以上、参加は出来ないと表明してきただけ。貴方が言うようにアメリカ追随ではない」と何度も指摘していた。だが、宋は聞く耳持たず、議論が全く噛み合わないままに終わった。

宋の主張は「日本が参加しなければ世界から取り残されるし、今はAIIBは株主を募集しているのであって出資を募っている訳ではない。不参加では後悔することになる」と、言うなれば一方的に唱え続けたのが、私には興味深く聞こえた。即ち、周囲で誰がどう言おうと中国は覇権主義に基づいて行動し、それに世界がついてくるべきだと信じ込んでいることが、この我が国で起業した者にもしみ込んでいるのだ。

中国が出資金の大部分を占める理事会での決定に際して、巷間伝えられている習近平の虎まで撃つと表明し実行されている不正体質(収賄体質)にどう対処するのかというような意見が、司会者だったかゲストからだったか出るには出たように聞こえたが、それ以上討議されることなく話題が切り替わった。

この件には何らの知識がない私は、昨夜の討論は初めて聞く議論だったので、大いなる興味を持って聞いていた。だが、中国が主導権を持ちそうな組織では、どういう方向に向いていくかはおよそ想像がつきそうだ。だが、その懸念という疑問を中国側に真っ向からぶつけるのも極めて難しい交渉になるだろう。高橋説の「具体的な回答がない」のであれば、我が国とアメリカが踏み切らないのは普通だと思わせられた。

参加表明の期限は明31日だそうだが、アメリカの財務長官は昨日だったかに北京で李克強総理と会談しており、そこで参加を表明したらどうすると宋は言った。我がマスコミはオーすらリアまで参加に意向を表明したのでは我が国とアメリカがどうなると報じているのは、我が国と中国の何れの味方なのかと疑わせてくれる姿勢だ。成り行きに注目したい案件だ。

花見の記憶

2015-03-30 07:46:48 | コラム
飲食を伴う花見をした記憶がない人生:

昨29日(日)は曇天ではあったが、我がアパートの直ぐ近くにある新宿区営の多目的競技場(とは言っても元はと言えば人工芝を貼った野球場)の近くの桜の古木10本ほどの開花の具合を観察に出掛けた。27日には幾つかの蕾が開くかけていただけだったものが早くも満開で、既に花びらが地上に落ちている状態だった。そこで暫く花見を楽しんで引き上げた次第だった。

すると、その帰り道にシニアクラブの幹事さんに出会うと「これからその桜の下で花見会を開くので良かったらご参加を」と勧誘された。もとより、そういう体調ではないので鄭重にご辞退申し上げた。そこでふと考えると、これまでの人生で「飲食を伴う花見」をした記憶がないのだ。飲食とは言ったが、勿論飲酒の意味である。確かに数カ所の桜の名所を見に行ってはいたが、ただ歩いて鑑賞するだけだった。

そのうちの一つに我が家の墓地である巣鴨のお地蔵様の近所にある染井の墓地の桜がある。これは素晴らしい桜で、その頃になると観光バスでは花見に来られる団体まであって、旗を持ったガイドが先導するのまで見たことがあった。残念ながら今年は所謂「ドクターストップ」もあって、恐らく満開であろう今頃はお墓参りに行くことは不可能なのだ。亡母の命日は4月11日で、その日に出掛けられるか否かは、明後日の主治医の定期検診の結果如何にかかっていると思う。

私がこれまでに見た桜の名所と思わせられた場所には聖心女子大の正門前が挙げられると思う。ここは30年近くも前だっただろうか、当時のW社東京駐在副社長が「これほど綺麗な桜を他で見たことがない」と言って出張してきた我が事業部の副社長を案内したので知らされた。確かに美しかった。他に大学関連では日本大学・文理学部の道路の反対側にあるフットボールのグラウンドに入っていく道の桜並木がある。

ここでは、その昔に、直ぐ近所に住んでいるのでと言った小学校の同級生だった女性が大学教授のご主人と花見に来ているのに出会ったことがあった。その辺りでは有名なようだった。ここは京王線の下高井戸駅から10分も歩くだろう場所にある。今年は取りあえず昨日の花見で満足しておかねばなるまい。

因みに、私は体質的にもアルコール飲料を受け付けないので、お酒は飲めないし飲まない。我が家にもお酒類の在庫はない。但し、現職中には接待の席には出ていたが。

アメリカ連邦政府の見識を問いたい

2015-03-29 14:12:46 | コラム
アメリカの紙パルプ産業界を批判すれば:

その昔「腐っても鯛」と言ったものだが:

アメリカの紙・板紙の生産量が4年連続で減少:
紙業タイムス社のFUTURE誌 15年第9号によれば、「今や中国に次ぐ世界第二の紙・板紙生産国に成り下がったアメリカの14年度の総生産量は対前年比△1.2%の7,210万 ton に止まっていた」とある。1990年には8,754万 ton を誇っていたアメリカの凋落傾向は著しいものがあるという見方は成立するかも知れない。実は、不景気論を除いて言えば、我が国でも同様にマイナス成長が続いているのだ。

だが、私の見方は「そういうことも言えるだろうが、現実には先進工業国ではICT化の進行と共にこのような減産傾向には広まりつつあり、悲観的に考える必要はない。寧ろ紙パの減産傾向は、その国の文明度の進展を表すと受け止めても良いほど」なのである。それが証拠に、既に13億の人口を擁する中国では生産量が経済発展につれて急増し1億 ton を超えているのが実情なのである。この2ヶ国の何れの文明度が高いかは論を待つまい。

アメリカは輸入のコピー用紙に反ダンピング関税を賦課:
私は以前にアメリカの商務省が製紙業界の請願を受けて、中国やインドネシアや韓国等の新興国からの印刷用紙(コート紙)に反ダンピング関税(ADD)と相殺関税(CVD)をかけて、アメリカ市場から閉め出した事実を指摘して「アメリカにTPPで例外なき関税撤廃を言う資格があるのか」と批判した。しかし、この関税は後に国際貿易委員会(ITC)の指示で廃止されてはいた。

だが、今回はそのITCが輸入のコピー用紙(非塗工上質紙のカットサイズとの表現もある、念のため)にADDとCVDをかけると決定したのだ。その対象はオーストラリア、ブラジル、中国(香港)、インドネシア、ポルトガルの6ヶ国の由だ。私が奇怪に思うのは、生産がない香港や先進国であるはずのオーストラリアと遙か遠方のポルトガルまでが入っている辺りだ。

アメリカではW社が2005年に洋紙事業部門を分離したように、インターナショナル・パーパーを始めとして大手メーカーが相次いで洋紙部門を売却乃至は整理して毛経営体質の転換を図った結果で、輸入しに依存せねばならない事態が発生していた地方があったのである。それでも、残ったメーカーは政府に輸入紙の脅威を訴え出ねばならないほど経営状態が思わしくないのである。

何度でも言うが、このような国内産業の保護を打ち出しておりながら、未だにTPPの早期締結を目指すが如き政策に拘泥する連邦政府の見識を疑いたくなるのだ。敢えて言えば「フェアーではない」のだ。また、経産省やJETROがこの度の関税賦課策を知らないはずがないだろうし、我が国のマスコミでもこの程度のニュースは承知しているはずだと思う。だが、一向に報じられていないのは何故だろう。如何に何でもアメリカに腐って貰いたくはない。

なお、この件はFUTURE誌の第11号から引用した。

英語論

2015-03-29 09:41:16 | コラム
英語での自己の表現力について:

今月中旬に畏友尾形美明氏が言わば仲介して下さった形でMI氏と「英語による自己の表現」について下記のような意見交換が出来ましたので、そこを私なりに纏めて見ました。MI氏と私の間にはTOEIC等について等で、意見が一致する点が多々ありました。

MI氏から寄せられたご意見:

>引用開始

私も数年間米国滞在経験がありますが、私の英語は日本人英語で、多少のコンプレックスもありました。

ある時、当時の米国総本社に、税務か、法務かもう忘れてしまったのですが本部総務部門の専門職に、日本の専門家の方々が来社し、質疑応答する会議がありました。私は、その日米間の会議アレンジと、アテンド、及び当日の必要に応じての通訳を責務として同席していました。

幸いこの団体は、通訳を同行していました。日本最大の旅行会社の方で、在米かどうかは不明でしたが、流暢な英語をある意味自慢げに話されていて、出出しは自信満々の通訳をされていました。

徐々に会話が専門的な話になった途端、翻訳がしどろもどろになりはじめ、ついには、黙り込んでしまいました。勿論私が、その後の通訳を続けた次第です。

もう1つの経験は、基礎研究所に、日本企業の専門的技術者が、研究者を訪れ、意見交換するケースがあり、私は同様に同席しました。出だしは私が通訳していましたが、質疑応答になると、余り英語がスムーズに出ない日本の研究者が、その内単語を並べ、身振り手振りで質問の細かいことを表現し、それが相手の研究者にも十分すぎる程伝わり、結果として双方大満足の訪問となりました。

以上よりお分かりの通り、
1.As if natives speak, とかFluentlyとは、ビジネス会話には全く不要です。(勿論上手な方が良いに決まっていますが)

2.問題は、当事者に話して説得したい目的があるかどうか、日本語でもいいから専門的な知識や、説明できる論理と内容があるか

3.情熱をもって、話せるかどうか。(訪問目的を達成する意図、意思、熱意)

だから、当時日本本社ではTOEIC受験が全員に課せられていたし、その点数評価が、海外出張NG、短期出張OK、長期滞在OKの3段階がありましたが、実際にアサインされるのは、その出張区分において、決して評価点数の最高者ではなく、実務能力、交渉能力がある社員でした。

勿論英語教育を否定する必要はありませんし、英会話能力が高い方が良いに決まっています。会議後の私的な会話となると、確かに英会話力が必要になることも理解した上ですが、小学生が多少の日常会話を覚えても、時間の無駄だとはいえると思います。寧ろ10人に1人が、必要なら、徹底的に高校あたりでも必要と判断した時からでいいから勉強すればいいのです。

昔東大の総長か、学長かが、英会話普及の為に象牙の塔に籠るなと言った風潮の時代があった時に、反論していました。要は、東大は英会話を教えるところではない。学問を教えるところだ。とのことで、東大が良いわけではないが、この発言には大いに共感した記憶があります。


我々の世代の日本人の問題は、英語を喋ることが学問であり、喋れないことは恥だと潜在的に思い込み、本来頭の中にある中学程度の英語能力がありながら、外人の前に立つと、どぎまぎし、突然何も喋れなくなるのです。それが当時の殆どの日本人の性向でした。(中略)

ということで、
1.気にせず、相手に伝えたいことはブロークンでもOK

2.ただし、英語を長年必要とすると判断するなら、その時から、必死に勉強すればいい。

3.だから、小学生には英語の授業など止めて、国語、日本語の語彙や、文章構成など文法を徹底的に教えるべきだ、と思います。
>引用終わる

上記に対する私の意見:
MI氏の言われることには立派であり賛成出来る点が多いと思って拝読。私の考えを申し上げておけば「私は常に『通訳も出来る当事者』として日米の大手企業の重要会談に出席して、ほとんどの場合通訳は私が引き受けてきました。その背景には「私には紙パ業界とその関連業界の専門語(technical terms)についての十分な知識があるとの自信がありましたし、日米両国の会社側の主張を理解出来るだけ日常的に業務に関わってきた」と確信していたからです。この点は通訳を生業とする方との厳然たる違いです。

話が逸れますが、その意味から私総理を始めとする大臣やは政府高官が女性の通訳を使う意味が理解出来ません。日常的に通訳をして上げる方と接し、人となりを知り、当日の感情の動きが読め、言葉遣いの癖を知っていてこそ、漸く意味がある通訳が出来ると私は確信しています。私は初見の方の通訳をお断りしたことすらあります「良い仕事が出来ない危険がある」と言って、鄭重に。

しかも、所謂”direct report”という間柄だった副社長が来る場合には、事前に両社の言い分というか主張の重要な点を調査し把握しておくことを欠かしませんでした。即ち、通訳を始める前に会談を仕上げておくという努力です。

「英語での会話」という表現は私は採りません。寧ろ”I know how to express myself in English.”こそが重要です。何度も言ってきたことで(物議もかもした)「ペラペラ」は往々にして「薄っペラペラ」に堕する危険性があります。私独自の「通訳論」は機会があれば別途述べることにます。

特に下記に引用するところも”決して評価点数の最高者ではなく、実務能力、交渉能力がある社員でした”と言われている辺りを、興味深く拝読しました。但し、私が徹底的なTOEIC排斥論者であることは確認させて下さい。

また、”当時日本本社ではTOEIC受験が全員に課せられていたし、その点数評価が、海外出張NG、短期出張OK、長期滞在OKの3段階がありましたが、実際にアサインされるのは、その出張区分において、決して評価点数の最高者ではなく、実務能力、交渉能力がある社員でした。

勿論英語教育を否定する必要はありませんし、英会話能力が高い方が良いに決まっています。会議後の私的な会話となると、確かに英会話力が必要になることも理解した上ですが、小学生が多少の日常会話を覚えても、時間の無駄だとはいえると思います。寧ろ10人に1人が、必要なら、徹底的に高校あたりでも必要と判断した時からでいいから勉強すればいいのです。”

とのご指摘にも賛成します。

そこで、僭越ながら上記の1.2.3.の3点について私の考えをお知らせしますのでご参照下さい。

1.については反対です。ブロークンで教養を疑われる世界があります。それが私は入ってから気が付いた「アメリカ全体の5%程度に過ぎない人たちが支配する大手上場企業の世界」でした。何度か書きましたが、”swearword”を使うことを注意され、文法の誤りを公衆の面前でも訂正されるような育ちの人たちが占める世界でした。換言すれば「時と場合による」ということですが。

最もいけないのが「これで良いのだ」と尊敬されない英語に満足してしまうことです。そういう日本の英語教育で育ってきた方の失敗れを知るだけに敢えて指摘します。そういう階層を相手にするのならば、それでも良いかという意味です。望むらくは「文法の正確さも言葉の選択も最上となる」事を目標を設定して勉強しておきたいものだ」となります。

2.は賛成ですが、これも目標を低く設定しないことが肝心だと、敢えて申し上げます。W社に我が国の大手企業を55歳で定年されてから転身してきた方がいました。最初の数年間は苦労の連続でしたが、何時の間にか最も難しい電話での業務連絡を立派にこなされるようになりました。これには周囲の協力とお世話もありましたが、ご本人の努力の他に「環境が支えた」とも言えると思います。因みに一橋の出身でしたが、失礼を顧みずに言えば、それほど支えになっていたとは思えませんでした。

3.は大賛成です。小学校から英語などという愚かな考えは長年真っ向から否定してきました。この詳細をここに再録の要はないと思いますが。この点では言わば同志の仏文学のTK博士と国文学のKS氏(修士ですが)も同意見です。

FIFAランキング25位対53位のサッカー観戦記

2015-03-28 08:09:04 | コラム
日本代表対チュニジアのサッカー:

監督が替わったからと言って急に何かが変わるものではない:


昨27日の対チュニジアのサッカーでの我が代表に出来は想定内で、満足も失望もなかった生煮えの勝利だった。不調を推して寝ないで観戦した偽らざる印象を上げておけば、

チュニジア代表のサッカー:
「FIFAのランキングは当てにならないのであり、チュニジアはこれが本当に53位の我が国よりも28位も格上の25位になのだろうか。2度も続けてW杯出場を逃したのも無理はないな」と思わずにはいられなかった。全体的に見て「何がやりたいのか、どうやって点を取る形を作る気なのか」が最後まで解らなかったところを見せつけられたのは、言ってみれば「大いに遺憾に存じます」とでもなるだろうか。

「ひょっとして、ベルギー人だとか聞こえた監督は二軍だけを連れてきたのかな?」と疑いながら見ていた。

前半の我が代表の出来:
ハリルホジッチ監督は前日に「出来るだけ新しい者を使いたい」と言っていたと報じられていたが、確かに本田、香川、岡崎、今野、内田、川島等のザケローニ時代からの一本目を外して、彼が短期間に見て回って選んだ新人を使ったのは納得出来る起用法だった。だが、彼等川又、永井、藤春等や準代表の酒井宏、清武では「意余って力足らず」にも至らず、縦一発が主体だった。あれでは、あの弱敵?を相手に例よって後陣での見事なパス回しを主体にしただけで一点も取れずに終わったのも監督の想定内か。

事前の練習が僅か4日間であったこと等を考慮しても、全員が未だ「合わせられる段階に至っていなかった」という想定内の出来だったし、国際試合慣れも不足する者を集めたのでは新監督も不満には思わなかっただっただろう。あの前半のメンバーでの出来は評価の対象とするには値しないと判定せざるを得ない。

何度か指摘してきたことだが、Jリーグ内の試合で通用する技術では、世界とまで行かなくとも外国人が相手は思う通りにはならないものだと解れば、使っただけの効果があったのではないか。要するに現時点では「世代交替は難しい」と悲しいまでに解らせてくれただけとも言える前半のメンバーだった。

後半に投入された旧主力の欧州組:
それを言う前に、川島を外したハリルホジッチ監督の決断を大いに評価したい。私は何度も「川島は顔付きが怖いだけのヘボGKで、好い加減に外すべきだ」と指摘してきた。残念ながら、欧州で辛い経験を積んできた香川、本田、岡崎が入った途端にサッカーの質が向上してティームとして機能し始めた。これは当然の結果で敢えて評価するまでのことではない。

監督が敢えて使ったのだろうガンバの宇佐美もそれなりに機能していて「これから先にも使えるか」と思わせるところもあった。だが、今後身体が大きく足が長い外国人と当たることを考えると、彼にも女子の大儀見ほどの欧州やアメリカで鍛えられた「当たられ強さ」が求められると思う。何も欧州とは言わないまでもオーストラリアや韓国勢の無謀にも近い当たりに耐える体幹を育成するべきでないのか。これは何も彼だけではなく全員に求めるべき力だろうが。

結局は欧州組が順当に力を見せて2点取って勝つには勝ったが、もう2点は取れても不思議ではない相手だった。しかも、相変わらずの後陣でのバックパスと横パスが何度もチュニジア勢に狙われていた。これはパスの蹴り方が弱いのと、受け手がパスに一歩でも寄っていけば避けられたことで、改善と工夫が求められる重大な欠陥だ。記憶が正しければ惜しまれつつ引いてしまったオシム元監督は厳禁したのだが。

今後新監督が昨夜も未だその香りが高かったフェアープレー賞獲得狙いから脱却し、その他の多くの欠陥をどれほど改善してくれるかに期待して終わる。最大の問題点は「昨夜効果を発揮した欧州組ではフラジルW杯で予選敗退だった」ということだろうが。