新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

大久保通の風景

2018-09-19 16:59:20 | コラム
何故アジアの若者どもが気楽に暮らせるのかな:

本19日は大久保通りを2丁目まで往復してきた。JR山手線の新大久保駅の北側では圧倒的に多い中国人と思しき若者を中心にして、完全にイスラム教徒を含むアジア人の通りと化している。私の持論では「イスラム教圏の諸国がアジアに割り振られているのかおかしいのであって、彼らは立派に独立した文化圏を形成している」と思っている。そのイスラム教徒も順調に?その数を増やしている。要するに、各種のスポーツの地区予選で中近東のイスラム教国をアジアに入れるなと言いたいのだ。

私がずっと述べてきたように「彼ら異国の若者たちが何の心配もない様子で伸び伸びとスマートフォンで喚きながら大久保通り等を闊歩している様を見るに付け、一体彼らは昼間から街を彷徨っていながらどうやって彼らよりも遙かに物価水準が高い日本の東京で生活の糧を稼いでいるのか」が不思議に思えてならないのだ。昼間から街を歩いているということは、まさか夜の仕事をしている訳でもあるまい。何処にそれほど遊んでいられる資金源があるのかと理解不能なのだ。

一昨日も、暫く振りに昼食に入って見たこの街では珍しくかなり長続きしている人気が高いタイ・ヴェトナム料理店では、90%以上の客は日本語を話していなかった。しかも、この店のランチの価格は相当に高めの設定になっているのだ。我々の隣の席に来た若い女性の2人組はタイでもヴェトナムでもないようで、注文は日本語でしていた。何処の国の連中かと思っていると、会話の中で「リューベン」と言っていたので中国人と解った。着ている服もチャンとしているので、生活に余裕があるのかと解釈した。だが、余裕があるのは不思議に思えてならない。

午後3時過ぎに大久保通り2丁目から新大久保駅前まで歩いて帰ってきた。通りの北側は韓国の「アリランドッグ」とか言うアメリカカンドッグにも似たジャンクフード店に行列を作っている我が国の若い女子どもで歩行もままならない盛況ぶりだった。私は真っ昼間から何とかドッグを食べに来て列を作っているあの女性たちは、高校生の集団か社会人なのか見当も付かないが、兎に角大賑わいなのだ平日の昼間に。後は韓国製化粧品の店にも彼女らは群がっている。あの有様では徒に文在寅を喜ばせるだけではないか。

新大久保駅から北というか総武線の大久保駅との間はがらりと趣が変わって、韓国系の店はチラホラとあるだけでハラルフードの店やネパール料理屋が増えて目立ってきた。大久保通りのこの辺りを歩けば恐らく10ヵ国やその近辺の外国語が聞けるのかも知れない。だが、残念ながら私には韓国語と中国語くらいしか聞き分けられない。それほど多く国の連中が我が国を食い物にして我が物顔で闊歩しているのだと言えば、言い過ぎかな。

今日も10組近くのトローリーケースを音を立てて引き摺っていく異国の若者たちを見た。彼らが短期の旅行者なのか不法滞在を目指してここ百人町を訪れたのかなどは解る訳がない。だが、彼らの服装を見れば、それほど金銭的な余裕があって我が国にやって来たとも思えないし、我が国が彼らの雇用が約束している訳ではあるまい。そこで何時も理解不能に陥るのだが「彼らはどうやって生活の糧を稼ぎ出しているのか」が解らないのだ。まさか母国から仕送りがある訳があるまい。

以前にハラルフードを商っているバングラデシュ人に「この国で暮らすのと、自分の国と何れが良いのか」と(英語でだが)尋ねたことがあったが、答えは「物価は多少高いが、日本の方が過ごしやすい」だった。彼らイスラム教徒はハラルフード店で働いているのだから幾ばくかの収入があるのだと解釈するが、昼間からタイ料理を食べに来る中国人の若者は何処でどうやって収入を得ているのだろう。

他に奇異に感じていることがもう一つある。それはここ1年ほどの間に「海外への送金」を業とする事務所(店か?)が増えてきたことだ。彼らは合法的存在なのだろうか。中には“Remit”を登録商標にしているところまである。この手の送金の事務所が「送金」だけの業務なのか「海外からの送金を受け付けている」のか私には不明だが、送金だけならば彼ら異邦人は祖国に仕送りなり何なりをするだけの稼ぎがあるのかと思ってしまう。でも、彼らは何処でどうやって稼ぎ出すのだろう。何処に3割負担の日本の病院やクリニックに通える金があるのだろう。不思議に思えてならない。

要するに、私は「こんな新宿区百人町/大久保に誰がしたのだ」、「誰がここまでになってしまったのを黙認したのだ」と言いたいのだ。何方でも良いから一度ここ街に来られて現状を見て貰いたいと思う。私は怒っているのだ。
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9月18日 その3 冷静にして心配性な私は

2018-09-18 16:54:53 | コラム
大坂なおみが一寸心配だ:

明日彼女は東レのトーナメントに出場するそうだが、心配性の私は一寸気懸かりなのだ。そこにいくつかの理由があるが、先ずはマスコミの持ち上げ過ぎと騒ぎ過ぎを挙げたい。恐らく彼女は日本語の新聞は読むまいし、読めないだろうが、テレビ各局の持ち上げ過ぎは気になる。あの女性は年齢の割に落ち着いているように見えるから自戒する余裕があるのだろうが、あれだけ方々に出演して特集されれば「ひょっとして自分は偉いのでは」と思うことがありはしないかと懸念している。

私事で恐縮だが、1994~95年にかけて「アメリカの製紙会社の実力恐るるに足らず」であるとか「日本とアメリカの企業社会における文化と思考体系の違い」を業界内等方々で講演して回っていた時にもっと恐ろしかったのは、行く先々で「先生扱い」して頂くことだった。自分はそれに相応しくないと心得且つ自戒していても、一寸気が緩めば、のぼせ上がりそうになるし「もしかして俺も大物だったか?」などと思うこともあった。しかし、60歳を超えた私は何と踏み止まることが出来た。

その辺りのように不要に「チヤホヤ」されることが怖いのだ。煽て上げられれば誰にでも自惚れる危険性があるという意味だ。なおみさんが何処まで耐えているかだし、精神面のコーチが付いているそうだから、その点は抜かりがなかったと期待している。

次は忌憚のないところを言うが、あのUS Openでの優勝が「出会い頭」的ではなかったという危惧である。私は如何に彼女に素質があったにもせよ、あそこまでの表舞台での限られた経験で世界的な大試合で優勝出来るだけの本当の力が付いていたのかという疑問である。私が常に述べて来たように勝負には運・不運はあるが「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」なのである。「勝った者が強いのだ」が大原則だが、大坂なおみが勝ってしまったところに運・不運はなかったのかという疑念である。

確かにセリーナ・ウイリアムスは要らざる不当な感情の赴くままの抗議をした。その為に1ゲームを失ってしまった。それが勝敗に大きく影響したのも確かだと思う。そういう幸運を引っ張り込んだのが大坂の実力だったのか、出会い頭だったかはテニスを知らない私には不明なのだ。但し、間違いない事実は「あの幸運の1ゲームを活かして、運を自分の味方にしてあのセットを勝ち取ったのが大坂なおみの実力だったのかも知れない。私が解らないのは『あの時点でそこまでの実力があったのか』」ということ。

次なる心配事というか期待は「東レのトーナメントでどのような試合をして何処まで勝ち上がっていけるか」なのだ。それ即ち、あのUSOでの優勝が出会い頭だったか、本当の実力が付いた成果だったかが明らかになるということだ。恐らく参加する世界2~4位のランクにある連中は「ポッと出の若者を叩いて目に物見せてやろう」とばかりにかなり力を入れて当たってくるだろう。「出会い頭であったか否か」は、そこで何処までやれるかで明らかになるだろう、非常に怖いトーナメントであると言うことだ。

勿論、彼女のコーチを始めかなりの人数になっている「大坂なおみとそのグループ」はそれくらいは良く解っていて、それに対する備えが出来ていなければならない。私の心配事は「帰国(なのだろう)以来テレビ等のメデイアに引っ張り回されて十分な練習の時間が取れていたのか」なのだ。テレビは録画で撮りだめしたとは思っているが、その辺りの調整が上手く出来ているのだろうと希望的に考えている。要するに、下手な試合をするとUSOの勝者の鼎の軽重が問われる結果になるのだ。

私は結論としては「優勝する以外ない」のだし、また「優勝して見せてくれる」と期待したいのだが。マスコミも何時までもカツ丼を食べたかとか、抹茶アイクリームがどうのというような下らないことばかり訊くなと言っておきたい。大坂なおみは芸人ではないのだ。運動の選手なのだ。ゴシップの世界に引っ張り込むなと、玩具にするなと言うこと。

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9月18日 その2 中国という存在

2018-09-18 14:36:45 | コラム
中国の持つイヤらしさと恐ろしさ:

本18日の産経で藤本欣也・中国総局長がウイグルの現況を報じていた。「なるほどな」と思わせる恐ろしさとイヤらしさに実に良く出ているなと思いながら読んだ。中国にはこのような共産党独裁の恐ろしさがある一方で、最新のPresident誌の大前研一のコラムにあるように、毎年60万人もがアメリカに留学し、48万人がMBAなり何なりのデグリーを取得して帰国する現象がある。それだけ最新のアメリカの経済学や経営学や技術を学んだ者が若き頭脳の精鋭として中国に毎年戻っているのだ。

10年ほど前にはYM氏が「スタンフォード大学等の最高級のビジネススクールの留学生の中で最多数で、しかも最優秀なのが中国人で、インド等以下を圧倒している。英語力の水準も極めて高い。だが、彼らはMBA取得後もほとんど帰国しない。それは自国の一党独裁体制から脱出するのが目的だから。彼らは大企業には雇用されないが、自分で起業したりするなどでアメリカを離れない」と言っていた。それが今や自国に戻って華為技術、ZTE、阿里巴巴集団等の最先端の企業を支えているのではないか。

これも中国だし、新疆ウイグルを弾圧するのも中国。アメリカの知的財産権を盗むのも中国、日用雑貨・アパレルのようの非耐久消費財を大量にアメリカに輸出するのも中国。貿易黒字を活かして軍備を着々と強化するのも中国。アフリカの貧乏国に融資して手なずけるのも中国。尖閣に毎日のように公船を出してくるのも中国。我が国はかかる国と友好的にお付き合いをする必要があるのだろうか。私如きの理解を超越した事項だ。。

私は単純に人口が10億を超えた国が恐ろしいと思って見ている。間もなくインドが13億に迫るとか言われているので、恐ろしい国の仲間入りをするのだろう。そういう国で国内の格差は広がる一方だろうが、上澄みにいる者たちの頭脳と学識経験と能力が生み出してくる経営の能力と技術は凄いのだろうと見ている。トランプ大統領がその辺りを如何に読まれて、如何なる作戦で中国を叩き続けて行かれるか、習近平が如何に対処するかが、これからの世界の行く手を示すことになるのかと思って眺めているのだ。

しかし、この両大国の対立が如何なる方向に進むのかなどは私が読もうとする必要もないことだ。いや、読める訳がない。中国は既にアメリカとの貿易に関する協議を拒否する方向を示唆している。その結果が明日とは言わずに明後日には我が国にも多種多様な面で大いなる影響を与えてくるだろうと考えられるのではないか。私はその辺りがトランプ大統領の強硬姿勢がもたらす結末として、最も恐ろしいのではないのかという気がするのだが、如何なものだろう。

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アーア、また2週連続で三連休

2018-09-18 14:12:14 | コラム
「何で日本では休日が多いのだ」:

これは当方が未だ在職中の1990年代初頭の頃のことで、本部から出張してきた働き者の連中が余りの祝祭日等多さに音を上げて仕事ならない日を目前にして嘆いて言ったことだった。兎に角仕事にならず、ホテルで出張報告の下準備でもしている以外に時間の潰しようがないとこぼしていた。当時はW社ではラップトップなどという文明の利器は普及しておらず、報告書は手書きで原稿を作らねばならなかったのだ。

私はあの頃よりも21世紀の現在の方が確実に祝祭日が増えたし、それだけではなく三連休も増えすぎたと思っている。「そんなことを言うが、今や毎日が月曜日状態の貴殿には三連休だろうと何だろうと関係ないのではないか」と言われそうだが、それが大有りなのだ。私には不都合なことばかりだから言っているのだ。現役で活動しておられる方々には結構なことだろうかとも思うが、リタイヤーして24年も経ってしまった私には不都合ばかりだ。「一体全体誰の為だ」と言いたくなる。

何と言っても腹立たしいのが、16年1月1日から1年間の病気休養から立ち直って再度加入したアスレテイック・クラブの新規約である。それではシニア会員は土・日・祝祭日には入場出来なくなっているのだ。即ち、今週と来週末には3日続けてジムに行けなくなるのだ。これでは年老いてもなお体を鍛えて長寿を目指している雄々しい老人の虐待ではないか。「政府はこういう悪影響があることを配慮せよ」と心の中で大声で叫んでいる。

ジムで運動が出来ないのだったら、屋外でウオーキングでもすれば良いじゃないかと言われそうだが、それではジムの大きな風呂には入れなくなるし、シャワーで思い切り湯水を金のように?使えなくなるではないか。楽しみにしている高齢者の会員を相手に昔の華々し対日輸出での活躍振りの自慢話をする機会も奪われるのである。安倍政権は家にでも籠もってブログの更新でもしていろとでも言う気か。

次に困るのが、ウッカリ週日に銀行のATMに行くのを忘れて土・日にか巨額の預金から当座の小遣いを下ろそうと思うと無慮¥108の罰金を取られてしまうのだ。我が家から最も近いATMでも徒歩10分はかかる。特に今年の夏のように酷暑であれば、往復20分は大きな身体的な負担になるのだ。それこそペットボトルにポカリスエットでも入れて持ち歩かないと脱水状態になりかねないので危険な外出になるだ。

未だ他にも問題はある。それは大病院では当然外来は休診だし、市中の医院もクリニックも同様に休診なのだ。これでは迂闊に風邪を引いたり、あちこちに異常を来す訳にはいかななくなるのだ。特に、最早30年近く診て頂いているSクリニックのS先生には何でも診て頂けるので、危ないかなと思った時に駆け込めるのだ。だが、それも出来なくなるので困る。

私には何時また4度目の心筋梗塞が襲ってくるかも知れないという不安を抱えているのだから、三連休などは危険で不愉快なだけだ。少しは超後期高齢者に配慮せよと言いたいのだ。それならば、日頃から十分に体調に配慮せよと言いたいだろうが、その体調を整える為に通っているジムに入場出来る日数が限られているのだと、話が元に戻ってしまうのだ。国立国際医療研究センター病院の主治医の先生からは「体重が変動しないように注意せよ」と言われているので、ジム通いは必須なのだ。

今週の後半には掛かりつけのクリニックやだ病院等の予約が目白押しであるし、シルバーパスの更新の日も迫っている。ここ数年は「シルバーパスに¥20,510も投資して翌年の9月末まで使い切れるのだろうか」との不安感と戦いながら購入している次第だ。来週には往年の最大の取引先の幹部だった方々の楽しい語り合いの昼食会があるので、それまでは何とかして体調を万全に整えておきたい。だが、2週連続の3連休がそれを邪魔するのだ。3連休は誰の為、何の為にあるのか。大いに疑問だ。

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世相を斬れば

2018-09-17 08:51:01 | コラム
自民党総裁選挙他:

憲法改正論:

安倍晋三と石破茂両候補の討論会の模様がテレビで流されている。党の広報宣伝活動なのかと思えば理解できるが、私には何となく鬱陶しい。その最たる理由は「憲法改正を巡って両者の意見が異なっている点」にある。両候補が異なる意見を述べて討論されることに特段の異議はない。だが、2人しか立候補しなかったのは仕方がなかったとしても、私は改正する以外の道はないと信じている憲法について2人の意見が違うのは好ましくないと思う。

それでなくとも改正に反対する勢力があちこちにいて、隙があれば安倍総理の改正への努力を踏み潰そうとしている状態である。そこに石破候補が登場して安倍候補とは異なる改正論をぶち上げては、野党や改正反対学者たちが絶好の機会と捉えて「党内でも割れているのではないか」と国民向けの逆宣伝の材料にするのではないかと、悲観論者の私は危惧しているのだ。

私は何処を改正するのかという議論もさることながら、この憲法が存在する為に我が国が何を失ったか、または失いかけているのかが余りにもハッキリしているので、占領軍の要らざる置き土産てある憲法は改正する以外ないと思っている。それだけのことだ。

ネバーエンド:
40歳になったという、私には何処が良いのか未だに解らない沖縄出身の歌手・安室奈美恵が引退するのしたのと言って各テレビ局が大騒ぎだし、引退すると言って泣きわめくファンが続出している状況を昨日から見せつけられて、私には世も末だとしか思えないのだ。そこを論じればキリがないが、私がここで論じたいのが「ネバーエンド」というヒット曲だという歌の題名なのである。

英語で書けば “Never end”となるのだろうが、これを単純に「ネバーエンド」と安室奈美恵が歌っても別に文句はない。だが、「支配階層にも通用する英語」という観点からすれば、これでは駄目なのだ。これまでに何と繰り返して書いてきたことだが、ここには “r―linking” という大原則があって、 never のお仕舞いの r と end の e とを繋いで発音するのが本当の英語なのである。故に、敢えてカタカナ書きすれば「ネヴァーレンド」に限りなく近い音になるのだ。

小難しい理屈を言うなと言われそうだが、別の簡単な例を挙げれば “There is a pen.”という文章がある。これは「デア・イズ」ではなく「デアリズ」となっていくようなことだ。There are pens. であれば「デアラー」となるということだ。こういう風に発音しないさいと教えられた記憶がある方はおられないだろうか。そう教えられていなかった方は「学校教育の英語には至らない点があった」と思い知って頂きたい。

これと似たような例に “liaison” がある。これは「連結音」と訳されていると思うが、これは「前の単語の終わりの字が子音で、次の単語の最初の字が母音であった時は、この2文字を続けて発音する」という言わば原則である。簡単な例を挙げれば、何時もラグビーの試合の中継放送で気になる専門語に “turn over” というのがある。意味の説明は省略するが、アナウンサーも解説者も忠実に「ターン・オーバー」と言っている。だが、この原則に従えば「ターンノーヴァー」に近くなるのだ。

別の例を挙げてみよう。韓国語にはこの連結音があるのだ。何時のことだったかソウルで、買い物をてして得意ではない韓国語で「幾らですか」(カタカナ書きすれば「オルマイムニカ」だろうか)と尋ねると「オチョノン」と言われた。一瞬「???」となったが、良く考えれば「5千ウオン」、即ち、「オ・チョン・ウオン」が連結されて「オチョノン」に聞こえたのだと判断した。正解だった。

学校教育の英語を批判するのも好い加減にせよと言われそうだが、私は我が同胞がアメリカやUKの人たちの英語の発音に付いていけない理由に、ローマ字表記とカタカナ書きがあると思っている。だが、「ターン・オーバー」だって通じるし、「オ・チョン・ウオン」と言ってもソウルで買い物は出来るだろうと思う。要するに「目標を何処に設定するか」と「最初に何処までキチンと教えられたか」が鍵であると思うのだ。私が我が国の英語教育を批判すると「ネバーエンド」だ。

悠木千帆が亡くなった:
私にはこの面白い女優は樹木希林というよりも「悠木千帆」の印象の方が強いので敢えてこちらを採用した。75歳で亡くなったとは、この長寿化の時代に早過ぎたと思わせてくれた。ご冥福を祈りたい。

だが、マスコミというかテレビと新聞は何故あれほど大きく紙面と時間を割いて報道するのだろうか。私には良く解らない。確かに彼女は面白かったし、見ている者を楽しませるという特徴があった。私は新聞も兎も角、テレビ局は芸人の動静を事細かに報道したがる傾向は私には納得できないのだ。芸人たちは彼らの身内なのだろうが、私には単なる数多い芸人の中の誰かとしか思えない。あれほどまでに報道するのは視聴者や読者をミーハーだと思って見下しているのだろうと思わせる。

馬鹿にするなと言いたい衝動に駆られる時がある。マスコミは芸能専門ではないはずだし、我々を十把一絡げにしてミーハー扱いするなと言ってやりたい。安室奈美恵如きを過剰に褒め称えているのもこういう姿勢の一環であると思って空しい思いがする。矢張り彼らマスコミや広告宣伝会社が対象にしている客層の中には、私は入っていないと痛感した次第だ。

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