新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月31日 その2 伊藤健太郎の当て逃げ事件に思う

2020-10-31 14:26:21 | コラム
そんな役者がいることすら知らなかった:

ここ数日間各テレビ局はこの伊藤健太郎とやら言う役者(なのか、俳優なのかテレビタレントなのかも知らないが)が、国立競技場の近くで人身事故を起こしておきながら逃げたという事件のことで、朝から晩まで大騒ぎである。つい先日「最早テレビのドラマは一部の警察ものを除いてはほとんど見ていない。夜になれば19時30分の「報道1930」に続いて「Prime News」を終わりまで見れば、そのまま寝てしまう」と振り返って見せたように、何処の局のドラマに誰が出ているかなどは一切知らない。また、心筋梗塞に襲われて以来安全第一で、映画館などには10年以上も行ったことがない。

そういう如何にも超後期高齢者らしい生活をしているので、テレビタレント、俳優、役者、歌舞伎役者、お笑い芸人、相撲取り等々にどのような者がいるのか、または人気があるのかなどについては、ほとんど何の知識もない。第一に、そういう連中と自分では住む世界が違うし、言うなれば別個の階層に属する者たちだと思っているので、敢えて知ろうとも思ったことすらない。そこに、いきなり伊藤健太郎という23歳の若者が事故を起こしてから逃げたと知らされても、「それだどうした」という程度の感想しかなく、過剰な報道がただうるさいだけだ。

その報道の中でも一つ気になる言い訳があった。それは「怖くなって逃げた」というひき逃げ乃至は当て逃げを起こした者たちに共通する弁明である。私はアメリカで交通事故の被害者になった経験があるが、その際に見えていた光景の中には「我々の車に当てたフォードのMustangを運転していたらしい若い女性が警官の前で泣いていた様子」があった。「怖くなって逃げてはいなかった」模様だった。交通事故に詳しい弁護士さんや専門家は「当てただけよりも、逃げる方が遙かに罪が重い」と言われる。

だが、当てた瞬間に動転して逃げたくなるのが、事故を起こした者の心理状態のようだ。しかも、私は免許を取ろうとしたこともないので知らなかったが、事故の加害者はその場に踏み止まって救護(介抱?)に当たらねばならないと教習所で厳しき教え込まれているのだそうだ。だが、人間の心理状態としては事故を起こした瞬間に、何事も正常に判断出来なくなってしまうようなものらしい。逃げたくなる心理状態は解らないでもないような気がするが、「怖くなって」というのは「何が怖いのだろうか」と思う。

私は事故に遭った瞬間には車が横から当たってくるのが見えたし、衝撃で倒れていきながら頭の中が物凄い勢いで回転し「俺はこの事故で死ぬことはないだろう」、「明日からアトランタに行かねばならないがどうしよう」、「日本の家内にどうやって知らせようか」、「二度あることは三度あるというが、矢張り我が家では自分が3人目の被害者になった」、「保険が適用されるだろうが、どうやって手続きをするのか」等々だった。1~2秒の間にこれだけ考えられたのであるから、怪我も何もしていない加害者が「怖くなって逃げる」だけしか考えられないとは思えないのだ。

念の為に申し添えておけば、私の怪我は肋骨2本の骨折、頸椎の捻挫、鞭打ち症、顔面の打撲による腫れ上がり等で、全治6ヶ月だったが、どれ一つとして目立った外傷がなかった。それでも、果敢に救急病院でレントゲン等の治療を受け、医師にはチャンと彼らの言葉で対応していた。救急病院の治療の好い加減なことも認識できた。これほどの怪我でも入院加療の必要無しという診断にも驚かされたが、忘れずに顔面の痛みに対する処方箋も要求した。

しかも、その晩にホテルに戻って荷物を纏めてチェックアウトまでして、運転していた上司の家に移動してそこで療養することまでしたのだ。言いたいことは「気が動転して怖くなって逃げること」しか考えられないことなどないだろうと言いたいのだ。とは言うが、実際に事故を起こさねば分からないことかも知れない。


本日はハロウインだそうで

2020-10-31 09:39:09 | コラム
我が国は衆愚の国となったのか:

報道では連日のように渋谷区の区長さん他が「如何にして31日のハロウインには渋谷に人が来ないようにするか」の作戦に腐心しておられる様を取り上げている。私はそれを見る度に「何故、我が国はかくも愚か者ばかりが集う国になり果てたのか。一億総白痴化に一層近づきつつあるのか」と、何とも言いようもない情けない思いに囚われてしまう。若者(馬鹿者?)たちは他に発散の方法を知らないのかとも思う。何で渋谷のあの交差点なのかと理解不能だ。

これまでに何度か回顧したが、私は不勉強にしてアメリカに頻繁に出張し長期間滞在しても、“Halloween”なるお祭りか習慣が存在するとは知らなかった。それがケルト人(Celt)たちに起源があると後になって知ったほど無知だった。初めてその存在を知ったのは、偶々その日に本部にいて奇妙な魔女のような服装をした女性社員が出勤してくる様や、社内をその格好で歩いているのを不思議に思って、普通の服装でいる副社長秘書に「あれは何だ」と尋ねてそういうお祭りがあると知ったのだった。その時はそれだけで終わった。

80年代の末期だったか、本社に来訪された最大の得意先の担当常務さんを副社長の自宅にお招きして、夕食会となったことがあった。その日がHalloweenだったのだ。玄関にはキャンディ等が一杯詰め込まれた大きなガラス瓶が置かれていた。その夕食会の最中に仮装をした子供たちが何組か“Trick or treat.”と言いながらやって来るのだった。その度に食事を中断して副社長夫妻が玄関に出てお菓子を配るのだった。それだけのことで何組かの襲来で終わった。常務さんも私も良い経験ができたということ。

ところが、我が国では年々その馬鹿騒ぎの規模が拡張されて、警察の出動までがある始末だ。だが、“Trick or treat.”のような本来の(?)お祭りは一向に導入される気配はない。私の見るところでは、我が国の得意技である「外国から輸入した(真似た?)製品でも催し物でも、その元の形を我が国風に勝手に作り直すか編曲するとでも言うかして、我が国独得の似て非なる新製品に仕上げてしまう」のである。私が知る限りのアメリカ人はお祭り騒ぎだ大好きだが、我が国では原作者には思いもよらない形にしてしまう傾向が顕著だが、ハロウインはその典型的な例だろう。

昨日だったか、何処かの局で「渋谷に行けなくなったので」と称する5~6名の若き女性が、その手のパーティーを開催できる時間貸しの家を借り、思い思いの仮装をしてパーティーを楽しんでいる様子を報じていた。これならば穏当な発散の仕方だし、渋谷区長さんを悩まさないだろう。そこで記念写真となったのだが、私がかねがね不思議に思っているお定まりの現象が起きた。それは全員がじゃんけんの「チョキ」を出すことだ。如何なる意味があるのかが知らないし、何故チョキを出さねばならないのかが分からないのだ。

私と雖も、あれが「ピース・サイン」であるくらいは承知しているし、その起源も聞いたことがある。(尤も、しつこく言うと「サイン」は言葉の誤用で「シグナル」だと思うが)ではあっても。写真撮影となる必ずチョキを出せという決まりでもあるのかと、奇異な決め事だと思っている。何故、皆がやっているからと言って真似るのだろうか。そこが分からない。私にはハロウインの馬鹿騒ぎと同様に、我が国の衆愚化の一つの表れのように思えてならないのだ。


10月30日 その2 松重豊の著書「空洞のなかみ」に刺激されて

2020-10-30 11:49:27 | コラム
「空洞の器」は通訳にも通じる表現か:

この松重豊という福岡出身のゴツゴツした感がある俳優が本を出していたとは知らなかった。彼が阿川佐和子との対談で「空洞にしておく方が色々な役に対応できる」という意味になることを「空洞の器」で表現しているのに興味を惹かれた。それは、まさか仕事で英語の通訳をするなどとは考えたことすらなかったにも拘わらず、69年だったかに偶然の積み重ねで無理矢理に押しつけられて、UKの大手メーカーの研究員の通訳をしてしまったのだった。まさか、それが3年先にアメリカの会社に転進する切っ掛けになるとも知らなかった。

念の為に確認しておくと、私は生業として通訳をしていたのでない。飽くまでも「通訳もする交渉事の当事者として」だったのだ。それは確かに大学まで英語の勉強はしていたが、如何にして通訳をするかを学んだことなどなかった。69年の初めての時には、不思議なことに10数年もの間離れていた英語が、自分でも分からないままにと言うか、無心の状態で口から出てきたのだった。その後暫くの間は、英語と日本語の間を往復することに何らの抵抗感がなかった。ところが、アメリカの会社に転じて責任を伴う通訳もせざるを得なくなると、無心ではいられなくなった。

それは、自分が所属する事業部と自分の能力の問題にもなるような仕事なので、かなり緊張を強いられたのだった。それに加えて、通訳をしている上司や同僚が言うことが気になり「そんなことを言っては駄目だ」とか「誤った考え方である」とか「何を言いたいのか理解できない」等々の余計なことが瞬間的に思い浮かんで、素直に日本語に移し換えられないこともあった。更に「そんなことを言っては不味い」とか「それは誤認識であるから訂正した方が」などと介入したくなってくるということ。再確認すれば「無心」ではいられなくなったという意味だ。これには悩まされた。

すると、ある時に同席していた商社から転進してこられていた東京の代表者に「仮令彼等の発言が無意味だとか、馬鹿なことだと君が思っても、彼等なりに言いたいことや先方から聞き出したいことがあるのだから、勝手に制止するとか助言したりするのは避けるべきでは」と忠告されて目が覚めた。即ち、自分で当事者であると信じていても、無心になってというか翻訳に徹するだけの機械になって、聞こえるがままに訳していくべきだと見えてきたのだった、即ち「頭の中を真っ白にしておけば、両方の言うことがそのまま素直に入ってきて通訳できるようになる」ということ。

敢えて「真っ白にする」を換言すれば「空洞の器にしておく」と同じ事だとなるのだ。「両方の発言に抵抗する」とか、「それはおかしな主張だ」とか、「何を言うのか」などと抵抗することなく、そのまま受け止めて、素直に別の言語にして口から出せば良いのだということだ。だが、これは今ここで述べているほど簡単な作業ではなく、一寸でも邪心が出てくると全体の意味を把握できなくなる危険性があったのだ。繰り返しになるが「如何にして頭の中を空にして、即ち空洞にして、そこに誰かの発言をそのまま入れて、別の言語にして出力(output?)する」仕事なのだ。

ここまで考えられるようになったのだが、その辺りに松重豊の言う「空洞の器になって役を受け入れる」と共通するところがあるのだなと思って、26年前に離れた「通訳もする当事者」の仕事を思い出したのだった。とは言うが「無心になって、頭の中を真っ白にして」というのは簡単な作業ではなく、そこまで徹するようになったのは転進した大分後のことだった。しかも、幾ら空洞の器になれても、通訳している方々の発言には何時如何なる話題が飛び出してくるか分からないので、極端に言えば「森羅万象知らざるは無し」くらいに博識ではないと務まらない場合もあった。

だが、無心に徹して頭の中を空洞に出来るようになると、通訳という「職務内容記述書」にはない、査定の対象ではない仕事を楽しくて快感を伴う業務だと思うようになった。表現を変えれば、「一種の自己陶酔の世界」に入って「これは自分以外には出来ない分野」だと、誇示しているような気分になっていったのだった。また、別な見方をすれば「自分は影のような存在で、その場にいる訳ではなく、例えば副社長が本社から持参した通訳をする機械のようなものだ」という次元にまで割り切っておく必要もあるということだ。

そこまで割り切れるようになって痛切に感じたことは「副社長のように10年以上も付き合って、人柄から性格も把握できて、表現の仕方や使う言葉でその日のご機嫌や体調が良いか悪いかまでも読めるようになれば、安心して通訳が出来る。即ち、馴れている人の通訳は良い仕事が出来るが、初めて会った方の通訳は困難だという事にもなる。そういう方と重大な交渉の通訳をするのは危険だなと思うようにもなった。即ち、「一見さんはお断りしたいな」という気持ちにさえなってくるのだ。ではあっても、職務であれば何とかしなくてはならないのだ。

話を松重豊の「空洞のなかみ」に戻せば「役者という仕事は偉いものだな」と感心していることでもあるのだ。他人が書いた台詞を覚え、役柄を理解して演技するのは「その為に報酬を取っている」のであっても容易ならざる商売だなと、ある意味では感心して次第だ。今や真剣に無心になって通訳をしない生活が20年以上も続くと、「現在の自分が通訳をすれば、さぞかし惨状を呈するだろうな」と恐れていたのだった。


日本学術会議の英語表記

2020-10-30 09:28:20 | コラム
Science Council of Japan (SCI)は名訳それとも迷訳:

野党とマスコミ有志連合が余りにこの組織の任命拒否問題を騒ぎ立てるので、単なる好奇心から「日本学術会議」の英語表記を検索してみた。すると“Science Council of Japan”とあった。正直なところ「何だ。これは?」だった。と言うのは、この英語には何処にも学術と会議を意味する単語が登場していなかったからだ。そのまま日本語にすれば「日本科学評議会」となってしまう。ジーニアス英和によれば、“science”は「科学的知識」との意味があるようで、"council”とは「評議会」か「審議会」という解釈があったが「会議」は出てこなかった。

私は無学にしてこの名前の”council”が存在しているくらいは何とか承知していたが、それがどのようにして成り立ったかなどは全く知らなかった。それが偶々President誌の最新号に部谷直亮氏がその生い立ちを詳しく述べておられたので知り得た事を要約してみよう。それは、46年1月にハリー・ケリー博士が赴任してこられた後に、その協力というか理念の下に49年に創設されたのだということで、部谷氏は「ケリー博士はその来日される度に学会の腐敗を嘆いておられた」と指摘している。

それはそれとして、私が不思議に思ったことは、この英語表記はケリー博士かまたは占領軍の誰かが先に設定し、日本側がそれを意訳して「日本学術会議」としたのか、あるいは日本語の名称を先に決定し、私には到底思いつかない意訳をしたのかの何れなのかだろうと疑っている。何分にも、我が国には”United Nations”を「国際連合」とするとか、”Security Council”を「安全保障理事会」とし、”permanent member“を「常任理事国」と訳した名翻訳者がいるのだから、恐らく「日本学術学会」と先に決めたのだろうと推理している。

10月29日 その2 菅義偉内閣総理大臣と代表質問に思う

2020-10-29 15:07:39 | コラム
未だ菅首相の評価を控えたい:

昨28日は枝野幸男の代表質問を何気なくチャンネルを合わせて聞いたし、菅首相の答弁にも聞き入っていた。正直なところを言えば、私は未だに菅義偉という内閣総理大臣が「当たりなのか、外れなのかを判断するのが時期尚早だ」と思っている。その点でも、代表質問に対する菅首相の答弁の仕方には関心があったのだ。だが、評価は先送りとしたい。それは、今後執拗に続くだろう野党とマスコミ連合軍がこの件の追求が予見されるからだ。総理が如何にして「モリカケ桜化」を回避されるかだと思う。

実は、後難を恐れて言えば「野党第一党の代表の質問と、それに対する総理大臣の答弁を最初から聞く(見る?)のは87年の人生で初めての経験だった」のである。これは今に始まったことではないようだが、最初から質問が総理に提示され、予め答弁が用意されていて、大きな字で書かれた原稿を読んでおられたのも確認できた。

毎度のことなのだろうが、枝野幸男質問の内容は多岐にわたり、それを一々事細かに総理が覚えておられて、当意即妙に答えておられるのではないと承知していても、誠に味気なく素っ気ないものだと、あらためて感じただけだった。枝野の質問が何項目に渡っていたか知らないが、一つ一つを問い質して、総理がそれに対して仮令原稿を読んでも、答えていく方が即興も入る余地があって少しは迫力が出るのではないかと感じた。それはあり得ないと勿論承知である。「係の方たちが発言が修了する度にマイク等を消息する手間があるではないか」と言うのは別のことだとしてだ。

おかしな現象だと感じたのは「野党からのヤジは菅首相が日本学術会議の任命拒否問題に対する質問に答え始められた時だけだった」ということ。個々の答弁の中にはこの件よりも遙かに重要性の高い案件が多数あったにも拘わらず、野党どもはこの件が如何にも最大の問題の如くに騒ぎ立てるのは、彼等がこの件を菅内閣総理大臣と菅内閣を貶める主たる材料にしようとの意図が余りにも露骨で興醒めというか、アホらしくなった。総理も「人事の個別の案件については」など言われずに、いっその事「先刻諸君がお察しの通りの事情であって」と言えば良かったとすら思っていた。

今更そんなことを言うなと非難されそうなのを承知で言うと、永年アメリカ側の一員として我が国の大手企業の精鋭の方々との交渉の席に臨んできた経験から言えば「我が国には感情的になることを避け、腹蔵なく丁々発止と議論を展開することを得手としておられる方が少ないのではないか」と感じていた。アメリカ人は「そこまで激しい論争を展開して大丈夫か」とハラハラするほど、論旨を組み立てて相手を屈服させるまで論争するのだ。ところが、議論乃至は交渉が終われば「良い議論だった」と握手して「これから晩飯でも行くか」との展開になるのだ。

このような議論の仕方を当て嵌めれば、枝野は菅首相が「個別の内容には」と言われた時点で壇上に駆け上がって「総理、それでは全く意味不明で、説明不十分。より明快に理由をご提示願いたい」と切り返し、総理が「何を言うのか。君たちは学術会議の問題点について先刻ご承知ではないか。それをこの場で私に言えというのか。国民に君等の論理の歪みを知られても良いのか」とぴしゃりと決めつけられても良いと思える。尤も、「その議論の進め方は決算委員会の場でお願いします」という事になりそうだが

私は「このような質疑応答の進め方こそ、菅首相が提唱される悪しき前例と習慣を排除して」を適用されてもおかしくないような気がするのだ。だが、この辺りが我が国の長い年月を経た国会討論の文化であると見ているので、私の生存中には変わるまいと思っている。ここで、そういうことを離れて気が付いたことを挙げて終わろう。それは、菅義偉と言う方の語り口に柔らかさを感じさせていた要因に「ガ行がチャンと鼻音化している美しさがある点」だと思う。

今や、嘆かわしいことに民放は言うに及ばす、NHKのアナウンサーでも「ガ行の鼻音化」などは消え去ってしまった時代だ。その点では菅首相に敬意を表したい。と言うのも、私も鼻音化を守っている珍しい一人になってしまったのだから。