新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月28日 その2 外国人不信論

2019-04-28 10:20:25 | コラム
留学生「来たるものは拒まず」の問題:

私はほぼ信念として「我が国に安定した職を得ようとか、居住しようとか、日本語学校に留学しようとか」というような目的でやってくる外国人は、自国では中々活路を見いだせなかった半端者が多いのではないか」というように、彼らを疑いの目で見ている。現に、ここ東京都新宿区百人町か大久保には明らかに我が国を食い物にしているとしか思えない輩が数多く巣食っている。こういうことを論じ始めればキリがないので、今回はこのくらいに止めておくが「好い加減に外国人を有り難がるのを止めるか、観光客を無制限に招致しようなどと思うな」ということだ。

その辺りを本日の産経新聞の「新聞に喝!」の欄に京都大学霊長類研究所教授の正高信男氏が掲題のような見出して厳しく戒めておられた。私に言わせて貰えば将に「だから言ったじゃないか」であり、我が意を得たりの思いだった。正高教授は先頃の東京福祉大学の外国人「研究生」が大量に行方不明になった例も挙げておられたが、私にはその次の文節の論旨の方が非常に気懸かりだったので、そのまま引用してみよう。

>引用開始
私は学内の研究室に無数にある、おおむねセキュリティーの甘いサーバーに侵入しては自分の学問的関心とは無関係に、中身を片っ端からダウンロードしている東アジアからのインターン生を複数、知っている。ここには断片的な内容であってもジグソーパズルのようにつなぎ合わせると、結構機密性の高い情報が得られることも珍しくないだろう。科学技術情報がダダ漏れが起きていることに、ほとんど誰も気が付いていないらしい。せめてマスコミには、大学で実際に何が起きているかを自分たちの手でじかに取材することを希望する。
<引用終わる

私はこれを読んで、正高教授は指摘しておられないが「何処の国のインターン生」がかかる不届きなことをやっているかの見当はついた。ここでも「だから言ったじゃないか」と強調したいので、我が国にももう少し欧米の諸国のように「性悪説」の視点で外国人を見る姿勢があっても良くはないかと痛感している。不良外国人どもは我が国には「スパイ防止法」がないことくらい先刻承知で入ってきているのだと疑っている。言うなれば、我が国にやってくる外国人たちに中には「食い詰め者」ではない連中も入っているのである。政府ももう目が覚めても遅くないと思うよ。


我が国の英語教育の輝かしくない成果

2019-04-28 08:12:41 | コラム
何故あのような英語になってしまうのだろう:

私は25年ほど前の在職中に地下鉄の車内における言うなれば「英語ペラペラ風」の同胞が、凄いスピードでまくし立てていた英語風の語りを採り上げて批判したことがあった。そこで、先ずはそれが如何なる英語紛いだったかをあらためて紹介しておこう。下記のようなものだった。

"Every years, I take vacation two month, you know. I go Europe with family, you know. Nowadays, children become big and go to school and cannot stay long, you know. So, we don’t go and wife complain and become angry."

という凄まじさだった。悲しいかな現在形過去形は一切無視されていたし、複数も単数もなかったのであったし、特に私が言わない方が良いと繰り返して指摘して来た“you know”が多用されていた。後難を恐れずに言えば「学校では何を教えていたのか」であり、「教えられていた方も、何を勉強していたのか」と厳しく批判したい文法無視だったのである。特にUKなどでは「文法無視は無教養の証し」である事も強調してきた。

昨27日に銀座一丁目を有楽町駅に向かって歩いていた時にアメリカ人2名と日本の若い女性1名が語り合っているのを追い抜いた形なった。その女性は一所懸命に東京都内の行政区分と隣接の千葉県のことを英語で説明していた。その内容は追い抜く前から十分に聞こえていた。大変遺憾だったことは、この女性もかなりのスピードで喋っていたのだが、矢張り動詞には現在形も過去形もなく、単数と複数の観念も欠落していた。良くあることだと思って聞いていたが、最も印象的だったのが「嘗てはこうなっていた」と言いたいところで、簡単且つ大胆不敵にも“before”の一言で済ましてしまった事だった。

私には果たしてそのプリゼンテーションの如き語りを聞いていたアメリカ人たち(アメリカ人であると解ったのは、彼らが打つ相槌等がアメリカ人が使う表現だったからだが)が理解できていたか否かは知らないが、私には悲しいほど良く解ったのだった。確か“Tokyo divide 23 area.”のように言っていたが、それが23区の説明であるとは直ちに解るのだ。彼女は懸命に説明していたのだが、何処で習い覚えた英語か知らないが、何故あのようになってしまうのかと思うと、本当のところ悲しいなと思う気持ちの方が強かった。

ここで、私の年来の主張を繰り返せば「常日頃から教科書の音読・暗記・暗唱をイヤと言うほど繰り返しておけば、こういう誤った英語が口から出てこなくなるものであり、教える側も文法的なことを恰も数学のように理屈で教えたのでは、聞かされている方は無味乾燥であり『何だ、面倒くさい』という感にとらわれてしまい、効果が挙がらないもの」なのである。我が国の学校教育で育てられたもの全部がこのような英語しか話せないようになるとは言わないが、私の経験ではかかる失敗例が多過ぎるので、今回敢えて採り上げた次第だ。