新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

雑学

2022-02-28 09:26:42 | コラム
20年前はコラムニストだったので:

偶にはその頃の自分に戻って、あれやこれらと身の回りに生じている出来事を拾ってみようかと考えた次第。この方が自分の性に合っているのかも知れないと思う時もある。

あくび(yawn):
2月になってからだっただろうか、夜になって一人静かにテレビなどを見ていると、いきなりあくびが出るようになった。それも2度か3度も出る事もあった。何分も超後期高齢者で持病(何で基礎疾患なんて難しい事をいうのだろう)を抱えている身としては、眠気など感じていないので「何か深刻な事になる前兆か」と少し不安に感じていた。だが、24日に掛かりつけのクリニックで見て頂いた時には「問題無し」だった。

そこで、何気なくPCでのローマ字入力に慣れた者には、あの面倒でしかない入力方法を厭わずに、そこにあったスマートフォンで「あくび」を検索してみた。すると、Wikipediaには下記のような記述があった。それは

「あくびが発生する原因や生物学的意義は、現時点では未解明である。従来、肺での酸素-二酸化炭素交換を高める、顔面のストレッチ、内耳の圧力を外気と調整する、などの仮説が提案されてきた。より最近の学説としては、あくびは体温の調節に使われるという説もある。」

だった。内耳云々は数年前に耳管開放症を患った身にとっては当たっているように思えるし、高齢化して体温の調節が難しいとも感じているので、そういう事もあるかと納得させられた。ここで得た知識というか教訓は「あくびは必ずしも眠い時に出るものではない」だった。

夜間頻尿症対策:
見かけよりも遙かに高齢の89歳になってしまった当方は、もう何年も前からPSAの数値が20代半ばと高止まりして、繰り返して前立腺がんの疑いで検査を受けたし、5年ほど前だったかにはかなり痛かった「8ヶ所生検」も経験した。だが「ガンはない」との診断だった。だが、前立腺肥大の為に夜間頻尿症には悩まされている。この対策にはテレビに漢方薬等の色々の薬の宣伝が登場するが、泌尿器科医の先生方は何方も無用だと言われ、物理的というか理学的な対策を教えられるだけだった。特に冬場ではこれらの対策は効果が無いようなのだ。

しかしながら、先週だったか、夜一人静かに古い再生物の刑事ドラマを見ながら、何気なくそこにあった堅焼き煎餅を2枚ほど食べていた。その堅さを克服できるほど歯が健在なのだが、その噛む音がうるさ過ぎて耳にも頭にまでも響き、テレビの音声が聞こえないほどになった。それだけの事だと思っていた。だが、その晩はまた嫌われそうな英語にすれば、それまでの“to make frequent trips between 何処か and bed”が半減したのだった。不思議な現象だった。

そこで思い出した事があった。それは、何処で誰に聞いたのか、何かで読んだのか記憶がない事で「寝る前に煎餅のような固い物を噛んでおくと、その対策になる」というのがあった。「まさか」と受け止めて聞き流していた。「もしかして、その話が現実になったのか」と疑って、次の夜にも試してみた。効果があった。昨夜は4~5夜目になったが実行してみた。効果のほどはといえば、9時頃に横になって間もなく眠りに落ちたようで、1回目のtripに起きた時は0時半を回っていたという、それ以前にはなかった長期間の眠りだったし、回数も減っていた。

それ以前は「夜8時以後には、何も食べない事(と7時以後はPCを起動させないデブルーライトから守る)」を厳守してきたので、今後は夜間頻尿症対策で何時になっても煎餅を食べねばならなくなる。また、この対策は医学的か生理的に効果があるのかも不明だ。更に、未だ煎餅を食べすに就寝して試してみようという心の準備も整っていない。煎餅の在庫も補充せねばならない状況だ。

ミカン箱から段ボール箱へ:
冬場は「ビタミンCの含有量が高いミカンを食べれば、栄養分の補給のみならず風邪の予防にもなる」と思って極力食べるようにしていた。ところが家内共々気が付いた事があった。それは、何年か前までは八百屋かスーパーマーケット等から箱毎買っていたのだったが、近頃は6~8個程度を小分けにして網状の袋かプラスチックフィルムの袋で包装されているのだった。そこには懐かしの木箱も、段ボール箱も見当たらないのだった。

そこで検索してみると、1951年から包装の簡素化合理化と輸送コスト軽減等の大命題のお陰で、木製の箱から段ボール箱に切り替えが始まったとあった。木箱にせよ段ボール箱にせよ、元は木(森林資源)である事は変わらないと思うのだが。小分けになれば、重たい物を家まで運ぶ事もないし、長期保存になって傷む物が出てくる事も防止出来るのは結構だ。だが、頻繁に買いに行く手間は生じる。

そこで、またも「ミカン」を検索して見ると「免疫性を高める」とあった。「そうか。それでは時節柄毎日食べ続けねばならないな」と認識したのだった。既に今月の4日に3回目のワクチン接種は終えているが、COVID-19に対する防御策でミカンを沢山食べて体質を強化しようと決意したのだった。


英語とEnglish

2022-02-27 11:53:03 | コラム
「英語」とEnglishとは別の物ではないか:

「英語とEnglish」というのは懐かしき1990年4月に、生まれて初めて紙パルプ業界の専門出版社・紙業タイムス社の「紙業タイムス」誌(月2回発行の専門誌)に連載を開始した時の題名である。1990年とはアメリカの会社に転進して18年目であり、アメリカ人たちが日常的に仕事の面でも、個人的な生活にでも使っているEnglishが「我が国の学校教育の英語」と非常に違っていると明快に認識出来ていたのだった。

念の為にお断りしておくと、このような題名にはしたが毎回こういった事を取り上げる訳ではなく、編集長からは何を取り上げて語っても結構であると聞かされていた。この題名の心は、1987年にMLBから最初に我が国のプロ野球に転じてきて大きな話題を提供したJames Robert “Bob” Horner(バブ・ホーナーであって、断じてボッブ・ホーナーではない)が1年だけヤクルトに在籍して「もうこれ以上something like baseballをやるのはイヤだ」と言ってアメリカに帰っていった事にある。即ち、我が国でやっているのは「野球」であってbaseballではないと言ったのだ。

即ち、我が国ではEnglishという外国語を極めて科学的に捉え、厳密に文法を分析して恰も一定の規則に従っていると看做しているかのように、非常に真面目に数学のようにキチンと教えてきたのだったと解釈している。しかも、その教科書たるや、我が方の技術サービスマネージャーが取引先の管理職に高校3年のお嬢さんをホームステイさせてやって貰いたいと懇願されて引き受けた時に、先ず家庭訪問をした時に如何なるものかを知ったのだった。高校の英語の教科書を見せて貰ったのだ。

一読して彼が叫んだ事は「日本ではこんな難しい文学作品を教材に使っているとは信じられない。日本では生徒たち全員を英文学者にでも育て上げる気なのか。我が国ではこんな難解な文章を大学でも使って教えていない」だったのだ。私はその頃には未だ我が国の学校教育に於ける英語を批判する事などしていなかったが、英語の勉強を面白いと言っていない者たちが多いのは承知していた。言い換えれば、実用性は二の次三の次だという教え方なのだろう。

その頃に私が知り得た事をこれまでに何度か取り上げてきた。それは、テレビでの英語教育に関する討論会で、保護者の方が「幾ら学校で英語を教えられても、一向に外国人に通じるように話せない点を改善して欲しい」と訴えられた。それを聞いた女性の高校の英語教師と名乗られた方が「見当違いの要求だ。私たちは英語は生徒たちを5段階で評価出来るようにする為に教えているのであって、会話の能力を高める事などは考えていない」と、堂々と言い切られた。私は寧ろ感心して「その通りだろう」と思って聞いた。

その発言が示すように、我が国の英語では「文法、英文解釈(和訳でも良いか)英作文、単語の知識等々」のように本来は生き物のような性質の言語を分解して独立の科目のようにしてバラバラに教えているようなのだ。そこに、上述のような文学作品まで取り上げて読ませているのだから、私の感覚では「我が国の英語教育を大学まで生真面目にこなしてきた方々は、非常に読解力が高いのだが、自分の意志を言葉にして語って見ろとなると、不得手になってしまっているようなのだ」となった。

このような科学的で理詰めの英語教育を施されて、単語を覚え、文学作品に接してきていると、どうしても「自分が言いたい事か自分の意志を英語で考えて英語で表現する事が難しくなってしまう傾向が顕著なのだ。また、仮令かなり淀みなく英語で話されるようになった方でも、難しい単語というか文語的な表現を多用された格調高い英語になってしまう」のである。それならそれでいいじゃないかと言われそうだが、その英語は日常会話のような口語体ではなく文語体であり、堅苦しい事になっているのだ。

失礼を顧みずに言えば、安倍元総理の通訳を務めておられた方の英語の格調の高さが印象的だったので、トランプ前大統領は「シンゾー」は非常に学究的であり、文学作品に慣れ親しんでおられたと思って尊敬していたのではないかと考えた事すらあった。この方は、確かIvy Leagueの何れか一校に留学されていたと思う。その所為か学術論文のような文語体になったのだろうか。

話が遠回りしていたかも知れない。私は昨日も「英語の文章は簡単で易しい言葉を使って誰にも解りやすいような平易な文体にしよう」と述べた。いや、正直に言えば、私には難しい単語を多用した格調高い文章など書く能力はないのだ。即ち、現実にアメリカの支配階層の人たちが運営する会社にいれば、学術論文のようなreportも来ないし、何を言いたいのか理解出来ないような表現を使う日常会話もないのだ。だからと言って、彼らが格調高い文章を書かない、書けないなどと言う事はない。日常会話と学術論文は使い分けているだけの事。

私が言いたかった事は「我が国の学校教育における英語では読解力を高め、数多くの単語を記憶させるようになっているのだと思う。だが、教科書を作る側も、それを使って教えておられる先生方も「アメリカ(英連合王国でも同じだと思うが)の知性と教養を備えて階層(私はそれを支配階層と呼ぶが)にある人たちの世界に入って、日常的な会話を経験されていないのだろう」と思う。そこに疑問な点があるのだ。

彼らは非常に平易な言葉でサラッと難しい事を表現されるし、勿論語彙も豊富だし文法も遵守されている。だからこそ“Me, too.”のような言い方を許さないのだ。何時だったか「“It’s me.”は駄目だと言われたことがあったが、何故でしょう」という質問を頂いた事があった。こういう言い方を日常的には出てくる事が多い。だが、文法的には誤りなのだ。何処か誤りかをここでは指摘しない。要点は「アメリカ人も使っていたから」と言って真似をしてはならない、知性と教養を問われる事になる文体だ。

ここまででお解り願えれば幸甚なので、我が国の学校教育では高度な文学作品までを読みこなせるような教育をされているようだが、アメリカやUKの普通の人たちの中に入って暮らせば、ごく簡単な易しい単語ばかりを使った文章しか出てこないのだ。その辺りの相違点を、私は「Englishと英語は違うのだ」と表現したのだ。

最後に「baseballと野球の違い」にも触れておこう。先ず言える事は「アメリカ人(MLBには南アメリカ人も非常に増えたが)たちは自己中心的で自己主張が強いの、テイームの為に1回の表に無死走者一塁で犠牲バントなどというプレーはしないのだ」という事。トランプ前大統領が代表的だった「自分ファースト」の集団が野球をやっているのだ。この辺りを我が国の野球と比較するまでもあるまい。

また、アメリカでは基本的な事で、投手は打者に向かって力一杯の目にも止まらない直球を投げて「打つなら打って見ろ」と勝負を挑むのだ。打者は打者で力一杯にバットを振って出来る限り遠くに飛ばせるように練習を積んできて、投手と勝負をするのだ。我が方は「全体の為には故人の犠牲を厭わないし、全体での勝利を優先している」のであるが「アメリカでは個人の主体性重んじ更に依存して、その各人が最大の能力を発揮出来るように任せていて、その先に全体の勝利があるのであり、テイームウワークなどは二の次」なのだ。会社組織でも同じ事。

これほど文化というか物の考え方違う国の言語がEnglishなのだ。

Englishは英語とは違う

2022-02-26 09:33:41 | コラム
Englishは英語とは違うし日本語とも違う点にご注意を:

ロシアが始めてしまった事の深厚さと重大性を考えるのも面白くないので、何時も余り受けないのが残念な、英語ではなかったEnglishの話をしてみようと思うに至った。

私がここでEnglishとしたのは「我が国の学校教育で扱われているのは科学としての英語であり、Englishとは別の物だ」と考えているからだ。その違いはBaseball と野球の違いにも似ていると思うのだ。

私は戦後間もなくの13歳の頃から同年齢層の人たちよりもEnglishに慣れ親しんできたと思っていた。大学でも非常に不真面目が学生だったが、英文学科だった。但し、当時の上智大学の文学部英文学科とは小説家や文学青年を養成するような教え方はしていなかった。例えば、Shakespeareの勉強となると「この作家とは」を箇条書きにして分析して解明していくのであって、“To be or not to be. That is the question.”に酔いしれている暇など与えられなかった。今にして思えば「文化が違っていた」のだった。

基礎を固めておくこと:
その私が17年弱のEnglishとは無縁の会社員生活を終えて、本当に偶然と運命の悪戯で遠ざけていたEnglishの世界であるアメリカの紙パルプ林産物メーカーに転職してしまったのだった。しかも、それだけの年数離れていたEnglishでの、Mead Corp.の副社長でミード家の当主とのインタービューには殆ど何の苦労もなく終えられていたのだった。敢えて自慢話をすれば「子供の頃に正しく基礎を固めておけば、長い間の空白期間があってもその力は残っていた」ということ。古い言い方にすれば「三つ子の魂百まで」辺りが応用出来るだろうか。

だが、インタービューくらいは切り抜けられたとしても、現実にアメリカの大手メーカーの中に入って日常的にEnglishのみで意思表示をするというか、上司に口頭で報告し、報告書を書き、市況報告などを毎月のように本部に提出するとなると、Englishにすれば“Story is different.”だったのだ。私は企業社会で通用する言葉を知らなかっただと解った。

文法の厳守と綴り:
上智大学では自ら英語学の権威と言われた千葉勉先生に厳しく教え込まれた「文法を間違えるのは自らの無教養振りをさらけ出すこと。知識階級には受け入れられないので厳守せよ」というようなことは文学の世界だけだと思っていた。ところが、一流企業の世界にあっては文法の誤りもそうだが、綴りを誤記することなど絶対といて良いほど許されていないのだった。

いや、千葉先生よりもきつい世界だった。また、私は仲間内で語り合うような語法は心得ていたが、究極的にはCEOまで上がっていくかも知れない報告書などには絶対にあってはならないことだと知った。我が国の上場企業においても同様な厳格さがあると思うが、ここで問題になるのは日本語ではなく異国のEnglishの力量だから、話が違うのだ。この点は幸いにも日系人でワシントン大学のMBAのJ氏に親切丁寧且つ厳しく指導されて改良出来たのは幸運だった。

自分の意見を発表せよ:
では、何がどのように違うのかに触れていこう。先ずは「口頭でも報告書にしても伝聞は許されない」と言うこと。具体的には我が国の英語教育に出て来る「itを先行させてthatで受ける構文」であるとか“They said that ~.”や“I was told that ~.”のような第三者の意見を伝えること」は許されないのだ。私が迂闊にもこの表現を使った所、副社長に「自分は君から第三者の意見を伝え聞かされる為に5,000マイルを飛んできたのではない。この件については君の率直な意見を聞きたい」と叱責された。

何事についても個人の能力に依存し、個人の主体性を重んじる人たちであるから、仮令自分の意見が間違っているかも知れなくても、それを正面から主張するのがアメリカのビジネスの世界の習慣というか文化なのだ。であるから、学校教育の場に於いてもこのような彼らの文化を教えておく必要があると言いたいのだ。

妥協はあり得ない世界:
次は言葉だけの問題ではない事柄。それは「彼らの文化には妥協はないという事」である。即ち、彼らの交渉では「相手に自社の主張を完全に受け入れさせるか、事前に完璧な論旨を組み立ててからその場に臨み相手を屈服させるか納得させるかしかない」のである。勿論、相手側の主張も聞くが、その中間を採って決めるとかいう類いの妥協はないのだ。

折り合わなければ、私のアメリカの会社転出の切掛けを作って頂けた日系カナダ人のN氏が言われる“Don’t feel bad. Come and see us again”と言って握手して散会するのだ。彼の日本語では「気悪うせんとまた来いや」なのだ。この辺りは情緒的な日本人には中々出来ない芸当だとN氏は指摘していた。

曖昧な表現は通用しない:
その延長線上にあるのが、曖昧な言い方は通用しないと言うこと。ある時のことだった。こちらに来ていた上司から命じられた「面倒な時間と手間がかかる市場調査」に「そんなことをして何処まで効果があるのか」だが、やらない訳には行かないと思って“I will try to see what I can do about it.”と言った所「それはやる気がないと言ったのと同じだ」と叱られて“I will be sure to get the job done.”と言えと言われた。そして実行した。この両者の違いを良くお考え願いたい。和訳すれば解ることは「こんな面倒なことが簡単な単語ばかりで言えていること」なのだ。

簡単で易しい単語を使って:
最後は「Englishでは易しい単語だけで難しいことが表現出来るのだ」とのもう一つの例。それは、嘗ては我が社の製品は最大のcompetitor(それは同じアメリカのメーカーだった)の物よりも印刷適性(印刷が美しく上がること)が劣っていて、再三再四多くの得意先から改善の要求を突きつけられていた。遂には最大の取引先に期限付きで改善を迫られた。その場にいた営業担当の本社のマネージャーは、いとも簡単に“We will get there. Please don’t worry about our capability.”と言ってのけたのだった。

ここでは“We will get there.”で「やり遂げます」という意味になるのだ。この辺りに「getとmakeとhaveを上手く使えれば殆どのことが表現出来る」という話が出てくるのだ。それは確かだが、それで話が通じるのは前後の文脈にもよると思う。Englishでの表現の大原則は「簡単というか易しい単語のみを使って平易な文章を書くよう努める」なので、これなどはそれに当て嵌まっていると思う。即ち、「社内で社長にまで上がるかも知れない報告書でも、小難しい文語的な言葉を多用しない方が良い」ということなのだ。


2月25日 その2 アルコール消毒は辛いぜ

2022-02-25 16:41:09 | コラム
私はアルコールにかぶれる体質なので:

COVID-19が何処かの国から侵攻してきて以来、日本中の至る所で先ずは備え付けのアルコールの噴霧器(と言うのだろうか)で両手を消毒する儀礼が普及している。実は、この消毒は私にとっては拷問とまでは言わないが非常に辛い儀式なのだ。

その理由は、私はアルコールにかぶれる体質だからなのだ。そうだとは2015年だったかの入院の時に初めて解った。何回も行われた点滴の後に腕が痒くなってしまうのだった。その痒さが遂には耐えきれないほど辛くなって、看護師さんに訴えたのだった。そして、何らかの検査をされ、かぶれる体質と判明し、ベッドの上の壁に大きく「禁アルコール」と書いた上が貼り出された。更に、アルコールではない薬剤での消毒となり、カルテにも表示されるようになったそうだ。

看護師さんに「貴方はお酒に弱いのですか」と訊かれた。若かりし頃は業務上の接待等の場ではある程度は飲めていたが、40歳の半ばに達した頃にはアメリカ人たちは「弱い」と認めてくれて「何か飲むか」とも言わなくなっていた。60歳を過ぎてからの経験では、ビールをコップに半分も飲んでいない状態で失神したことがあった。要するに、体がアルコールを受け付けないのだった。

飲んではいけないとは知っていたが、消毒のアルコールでもかぶれるとは想像もしていなかった。そこに新型コロナウルスである。自分の体質を忘れて従順に至る所で「シューッ」とやっていた。気が付くと両手があれ放題で悲惨なことになってきた。そこでやっと気が付いた「禁アルコール」だったと。そして、暫くは無視していたが、そうとは行かない場合が多いので、何とか「やった振り」で凌いでいた。

この事態を何とかせねばと、掛かりつけのクリニックの先生に訴えてみた「どうすれば良いのでしょうか」と。先生は「アルコール消毒とはそもそも細菌を処理するのであり、ウイルスを退治するかどうかは疑問だ。だから、何とかやった振りで対応しなさい」と教えて下さった。また、「かぶれ」対策は処方箋で出る「ヒルドイド」を塗って対応すれば良いと言われた。そこでチューブ入りを2本出して頂いてきた。他には「ドレニゾンテープ」を貼っておくのも良いのだそうだった。

東京山手メデイカルセンターの玄関では、アルコール噴霧の所に立って監視しておられる女性に「かぶれますから通過させて」と願い出ると、アルコールではない薬剤を持ってきて消毒して貰えた。このような配慮を方々でして貰えれば、罪の意識がある「やった振り」をしないで済むと思うのだが。


新大久保 多国籍タウン

2022-02-25 09:17:41 | コラム
何とも違和感に満ちたNHKの浅薄な物の見方だった:

昨24日の夜7時からNHKのBSで、見出しのような番組が放映された。この街に34年も住んできた者としては、NHKが如何にこの界隈を観察し、どのように纏めるかに関心があったので、注意して見ていた。私は毎月のように発表している通りで、彼ら多国籍の外国人に食い物にされていると慨嘆しているのだ。34年間にどれほど汚され且つ衰退させられたかを振り返ってきていた。また、この街に来て下さった大学の先生方の「この街の異常さと劣化」に憤慨しておられた事も伝えてきた。

私にはNHKが45分間に言いたかった事は、「異国から我が国を頼ってやって来た人たちとは宥和しよう、丁寧に扱ってあげよう、困難な目に遭っていたら救いの手を差し伸べよう、というような美しい国際交流を目指しましょう」だったとしか読めなかった。違うだろうと叫んでいた。ある程度の時間をかけて取材していた気配はあったが、この街を短時間取材した所で、我々住人が見てきたような悪化振りは到底掘り当てられないと思った。

私はこれまでに何度も「彼らによるマスコミネタになるような刑事犯こそ起きていないが、彼らがここ大久保/百人町界隈に何ら貢献はしていない」と指摘してきた。我々日本人を相手にした商店や施設は日を追う毎に消滅していった。その点をNHKは嘗て90軒程あった日本人を対象とした店が今や20数件になったとさらりと流し、銀行の支店もまともな書店も文具店もなくなったことなどには一向に触れなかった。間違いである。

その代わりに、私には初耳だった「四ヶ国会議(だったか?)が設けられて、日本、韓国、ベトナム、ネパール人で何らかの事業を展開する者たちの交流と意見交換の場が出来ている」と、如何にも異邦人が集まって、美しい国際交流の場が出来て、商店街の発展を目指している」と言いたかったようだった。その会費も食い物にされたと私が見ている日本人の会長さんが集金に回っておられた。あれでは「彼らが居続けることを促進しましょう」というのと同じではないかと感じた。

私は後難を恐れずに言い続けてきたことは「自国に何事においても確固とした地盤というか基礎を築いてある者が、それを捨ててまで外国に機会を求めて移ってくるのか」という点だった。そんなはずがないのだ。私の目には「そのような棄民が勝手に何らかのヴィザを得て、自国で渡航費用等の負債を負ってでもやって来て、同国人を主とした客とする商店を経営している」としているとしか見えない。

現に、世界的水準で貧困に喘いでいるバングラデシュは、国策として外国に出て行くのを奨励しているとインド人から聞いた。そのバングラデシュ人がイスラム横丁の主体を為して、イスラム教徒向けに数多くのハラルフード店を開店して、都内や近郊から無数のイスラム教徒が買い物に来ているのが実態だ。四ヶ国会議ではベトナム人向けの新聞を発行している者が「バングラデシュ人も会議に参加させては」と提案して、歓迎されていた。この新聞社は大久保ではなく、百人町の片隅にある、念の為。

私が「美しいことだが、我が国の税金を財源としている制度で、彼らを手厚く保護するのは良いことかも知れないが・・・」と思わせてくれた件も流された。それは、一家4人で暮らしているネパール人の料理人が脳内出血で倒れ、(区内だろうが)病院で手厚治療されて、麻痺した右半身もリハビリで回復して歩行出来るまでになって退院した物語だった。

通訳を務めた先住のネパール人は「生活保護に」とお願いするのだが、社会福祉士に「このヴィザでは適用されず、回復して復職出来ない限り国外退去となる」と告げられるや、難民は保護されるべきだと唱えるのだ。このネパール人は我が国の規定により、治療代は国費となっているとも報じられた。私は彼ら異邦人がそういう制度があると承知でやって来ているとは思えないが、付け込まれていないとも思えなかった。恐らく、現在のように新宿区の34万人の人口の10%を外国人が占めるとは想定も無想もしていなかった頃の規定ではないのか。

私はここ大久保から百人町にかけてこれほど荒らされ劣化されて、外国送金の店舗が雨後の竹の子の如くに増えてしまった現状を伝えるのが、公共放送の役目ではないのかなと思っている。それは四ヶ国会議を設けて異邦人たちと宥和してやっていく事は麗しいとは思う。だが、物事には限度があるべきだ。しかも、NHKは大久保通りの山手線の内側が完全に最繁盛期以上の活況を呈して、物思わぬ老若女が溢れかえっているKoreatownには、まるで触れていなかったのは大間違いだと思う。私は単純に「この街では敵に塩を送っているだけ」と見ているのだから。

思わぬところで、不愉快な思いにさせられた一夜だった。実情を知らない人は良い街だと思ってしまうかも知れない。私の友人と知人でこの街に来られて「異常だ」という感想を漏らさなかった人は皆無だった。

念の為に申し上げておくと、新大久保というJRの駅はあるが、地名は大久保と百人町となっている。ではあっても「新大久保店」は当たり前のようにある。