新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月25日 その2 原子力規制委員会こそ業務を停止させよう:

2019-04-25 13:43:02 | コラム
規制委は原子力発電所を止めさせたいようだ:

この度、原子力規制委員会が「テロ対策施設を期限通りに完成しないと、原発の運転を認めないと決めた」と報道された。私もこの規制委の無茶苦茶な決定にはには呆れて物も言えなかった。テロ対策を営利事業である電力会社がやれなどと言うのは暴論や愚論の域を遙かに超えていると思う。テロリストが空から飛行機で突入する対策を採れと言っているようだ。そこまで出来る組織がもしあれば、それは自衛隊か駐留するアメリカの軍隊だ。彼らにでも委託する業務だろう。こういう規制こそ将に「禁止的」で「原発を止めろ」と言っているのに等しいのだ。

私は徹底した菅直人嫌いなので、この主張は偏見かも知れないが、我が国の原子力発電に関する規制や膨大なコストばかりかかり消費者にも負担を強いる太陽光発電などは、全て菅直人内閣の悪政の置き土産だと認識してている。自民と公明の政権下で偏向した規制委如き組織の言い分に何時まで従っていなければならないのか。私は安倍政権が可及的速やかに全面的に改革して貰いたいと願っている。

そもそも大地震と大津波が同時に発生して襲ってくるという予測無しに、第2電源を同一平面に置くという愚かな設計がされた原発での事故の処理を誤ったのが民主党政権だった。あのような事態が二度と発生しないとは断言できないとは思うが、その対策が終わったかと思えばテロを想定した対策を期限内に終えないと停止させるとは、最早脅迫に近い。かかる無茶苦茶を言う規制委員会は、我が国の電力事情と法外なコストを負担させられている産業界に対して全く配慮していないのだから、国に損害を与えるだけの存在ではないのか。。

とは思うが、先頃のスリランカにおける爆破テロの凄惨で悲惨さを見せられ、未だに生息しているISが犯行声明の如きものを出したことを考えれば、確かにテロ対策は必要加戸は思わせてくれる。だが、どうやってその襲撃を未然に防げば良いのか。規制委には模範解答の如き案があるのか。また、テロリストどもが原発だけを対象にするのだろうか。原発があるのは我が国だけではないし、スリランカでもまたもやソフトターゲットが狙われたではないか。規制委はもっと現実を注視し経済性を重視すべきではないのか。



我が国の高齢者による自動車運転の事故に思う

2019-04-25 08:56:25 | コラム
東京という都市の道路事情は特殊ではないのか:

先ずはカリフォルニア州に40年近くも住んでいる高齢者の部類に入るSM氏の話を紹介してみよう。彼は現在ではLAX空港から90分ほどかかる住宅地帯に住んでいる。ご存じの方も多いと思うが、アメリかでは住宅地帯と商業施設というかショッピングモールのようなものとはかなり離れているのである。勿論、アメリカには我が国のような公共交通機関は一般的に普及していない。彼が言うには「買い物に行く為には自分で車を出して出掛けていくしかないのだが、それが歳と共にかなりの負担になってくる」のだそうだ。車がなければ暮らせない国のことだ。

ましてや、国際線が発着するLAX空港まで運転していくのは身体的にも時間的にも大きな負担であるのだそうだ。そういう条件の下に在カリフォルニア州に永年暮らしてきた邦人というか日系人たちの間では、運転等の煩わしさに永住を諦めて日本に帰っていく人が出始めているそうだ。また、アメリカの高額の医療費に悩まされて治療費をも考慮する者もまた増えているという。私自身が車の運転をしないので確たることは言えないが、フリーウエイ網が縦横に張り巡らされたアメリカというかカリフォルニア州には恐ろしいほどの渋滞はあるが、我が国よりも運転は難しくないのではと思ったことが何度もあった。

特に在職中は主にシアトルから成田に戻って通常は箱崎のTCATからはタクシーで新宿の自宅に戻るようにしていた。その際に都内を走ると(アメリカの碁盤目の街中と比較して)余りの交通信号の多さに、そうとは先刻承知していても苛立たされたし、ウンザリさせられたものだった。特に江戸時代の名残で皇居を中心に主な道路が放射線状に出ているし、無数の狭い横道というか路地がある為にノロノロ運転となる上に、無数の路上駐車があるので一層腹立たしくなったものだった。そのような、そもそもこれほど車が増えることなど想定されていなかった大都市の道路にあれほどの数の車が走るのだから渋滞どころか大小の事故が発生するのも止むを得ないかと思ってきた。

東京の道路というか交通事情しか知らなかった私が、W社に移ってからは客先の地方にある工場を年中行事のように巡回するようになった。そして、お客様の担当者に案内されて地方では自ら運転することが仕事の面と生活の重要な部分を占めており、その為には大きな車は必要がないし、営業所には時には人数分の車が必要であり、一般家庭でも家族全員に1台も止むを得ないのだという勉強が出来た次第だった。ある工場などは明石駅から当時でも6,000円ほどのタクシー代をかける以外に急いで到着する手段がなかった。免許を取ったことがない私にはレンタカーは使えないのだ。

そういう交通と道路事情を抱えた我が国に、人口の25%程が高齢者という時代が予測されていたようにやって来たのだった。身体能力と判断能力と反射神経が衰えた人たちが増えることだって解っていたはずだ。事前にそれなりの対策は講じられていたようで、認知症等の有無を含めて色々の試験というか検査が実施されているようだが、それでも一定の年齢以上の者が起こす事故は「これでもか」と言わんばかりにマスコミは報道するが「ではこのような抜本的な対策があるが如何か」とは言わないし、言えるだけのものを持ち合わせてもいないようだ。

私は政府は「我が国の道路事情と人口問題と都会対地方の色々な意味での格差の拡大(≠過疎化?)」への配慮が不足していたのではないか」と思っている。しかも、自動車産業は我が国の産業界の根幹をなしているので、迂闊に規制策的なことを言い出しかねていたのではないかとすら疑っている。私は最早都内の交通事情しか解らないが、東京には明らかに車が多過ぎるし、明らかに危険な年齢の部類に入る高齢者も増えすぎたと危惧している。それだけに止まらず、何処の国の者かも解らない連中が白昼堂々と車で走り回っている。

私はかかる事態に処する対抗策や政策などを考える立場にもないし、交通論など解る訳もない。だが、もうこの辺りで余程しっかりとした性根が据わった対策を講じないことには、否応なく高齢化が進んでいき、若者が減少していく時代に適切に対処できなくなるのではないかと危惧している。別な見方をすれば、私の86際となってからの急速な「運動神経と言えば良いか」を中心とする老化現象の順調な進捗振りには驚くだけだ。その点からだけ考えても、先日の池袋での87歳の方が起こされた事故は「矢張り無理が祟った」と思うのだ。

安倍内閣にとっては急速で激しい世界情勢の変化への対応も重要な案件だろうが、高齢化が進む一方の国内で起きている自動車の運転問題にも十分なる対応して貰いたいものだと考えている。念の為に申し上げておくと、我が家では昭和12年(1937年)に歩行者だった父を貰い事故で失い、昭和39年(1964年)に同じく貰い事故で実弟が生死の境を彷徨わされ会社復帰に2年を要した。私は最も軽症だったとは言え、昭和60年(1985年)にシアトル近郊での貰い事故で、会社復帰に半年かかる大怪我をさせられた。3人とも免許を取ったことがなかった。