新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私は中国の野望を怖れる

2014-05-31 07:58:51 | コラム
石原君が危惧したことに思う:

私は石原君が分党の記者会見で指摘した「中国の属国云々」は決して与太話ではないと真剣に怖れている。最早、新宿区の人口の10%を安定的に超えている外国人登録者の約34,000人中で最大のシェアーを占めるのは中国人で、Koreatownを抱えた?韓国は二番手に滑り落ちている。毎回言っているように、大久保通りの新大久保駅から北では韓国語を話すのは少数派で、私には中国語系が多いと聞こえる。

このように増加する中国が新疆ウイグルやチベットで行ったように、意図的に漢民族をヴィザなしを好機としてで送り込んでいるのかなどと疑うと、近い将来何が起きるかと想像すると、目に見えない恐怖を感じる。あるいは考え過ぎかも知れない。中国の富裕層?が来て金を使ってくれることに期待をかけるような情けない経済になったのは大いに遺憾だ。

大体からして地名や駅名表示に日本語、ローマ字、ハングル、中国の簡易漢字で親切にやっている国は我が国くらいのもの。アメリカにでも行って見ろと言いいた。同胞が多いシアトルでも漢字表記などある訳がないだろう。あれではアジア系に付け込んで下さいと言っているのも同様ではないか。

既に中国等の資本が我が国の至る所で不動産、森林、水源等を買い込んでいるとの報道がある。池袋には中華街を作るといって拒否されたとの報道もあった。百人町大久保界隈で日本語学校が繁昌しているとは何度も指摘した。欧米に出て行っても通用しない日本語を学ぶ目的は何だ。私はここに勝手に定住して何かをしようとする気だと思っている。あるいは国に帰って抗日運動の志士になる気だという冗談のような説すらある

シンシアリーの「恥韓論」(扶桑社刊)には「韓国人にはヴィザを取ってから来させる方が良い」とまで指摘されている。心ある?韓国人に言われてどうする。しかし、現在の法律では外国人の不動産等の取得の規制も出来ず、なされるがままでは困ったこと。また不法滞在者を一掃しようにも出入国管理局にはそこまでの人手はないと聞いている。この面では憂国の士・石原君にもう一度奮起して貰わねばならぬかも知れない。だが、余りに高齢過ぎていて、その案件の優先度を高める時間が残っているのかと危惧する。

しかも、政治家か官僚か知らないが、労働力不足の解消のために20万人(年間か?)の外国人を導入せよとの意見があるとか。既に指摘したことで、こういう愚策を講じれば如何なる結果になるかは、ドイツを始めとする欧州の諸国での失敗例がいくらでもある。失敗か成功かあるいは勝手に押しかけられたのか、カリフォルニア州に行けば英語よりも韓国語とスペイン語の方が役に立つ状態である。それを目指そうというのか。

私は中国が企んでいることは、上述のような生やさしい程度のことではないと思っている方が正解かとすら考えている。いや、見方を変えれば、先進工業国ではない国の人々からすれば、我が国ほど外国人に優しく暖かく受け入れてくれる、インフラも整備され暮らしやすい国はないと認識されているだろう。極言すれば「甘い国だ」と思っているのだろうと疑っている。

為政者も官僚も財界人も現在よりもずっと深く外国人の文化と思考体系の中に踏み込んで「我が国との嫌らしいまでの違い」を認識して欲しいものだ。世界に「良い人たちだ。性善説信奉者だ」と思われて何の得もないだろう。教育界も何時までも日教組に悪影響されていてはならない。「愛国者よ、出でよ」、「性悪説の国々と対峙せよ」、「国を守れ」と叫びたくなる。

申し上げて置くと、私は嘗てはそれほどの愛国者精神の持ち主ではなかった。しかし、外国人の会社で22年も働いて文化の違いの谷間に彷徨っている間に、自然に考え方が愛国者的になっただけだ。アメリカにいればAだのMだのという新聞を読む機会もないし、東海岸に行かねばリベラルの地方紙、NYタイムスやWポストなど読むことはないし悪影響も受けないのだ。

マスコミよ、もう好い加減に「あの2紙の意見が全米で読まれている訳ではない」とキチンと報じたらどうだ。君らがやっていることは悪意ある誘導だ。

拉致被害者の調査再開に合意

2014-05-30 16:29:30 | コラム
首相に目算「茶番」承知で打開へ:

これは産経が一面に載せた見出し。私は産経がネットに三つの障壁などと打っていたと読んだ気がするが、何れにせよ結果が出て何人でも何十人でも帰ってくるまでは、北朝鮮の言うことなど信用しないで置く気である。福田内閣総辞職の後で調査開始を止めてしまった実績があるし、信用に値する相手ではないと思っていた方が無難だ。

安倍内閣がそういうことを百も承知で打って出られただろうと思っているし、間違ったらご免なさいだが、外務省の局長も北に制裁解除以外に何らかの見返りを与える許可というか方針で会談に臨んだのだろうくらいは考えている。毎度お馴染みとなったA新聞の記者のOBは「嘗て金丸信は1兆円コミットしてきたのだから、今回は幾らと言い出すやら。北は金が欲しいのだから今回は」との観測を述べていた。

安倍総理は小泉内閣で訪朝されたことでもあり、十二分に北の実態等を調査認識された上で産経が書いたような決意で臨んでおられるのだろう。だが、金正日から正恩に代替わりした以降の極端な金一族の権益に固執した乱暴な手を打ってくる現政権が、何処まで本気で拉致被害者を還す気があるのかは、結果が出るまでは解らないのではないか。

しかしながら、自分たちが違法と無法にも我が国から奪い取った方々が自国の何処にいるかを調査する組織を作るというのは如何にも茶番だろう。だが、大きな目的と目標がある限り手段を選んでいる場合ではないと、総理以下が決断されたのだろうと考えている。

President 2014 6.16号

2014-05-30 08:22:59 | コラム
読みどころがあり考えさせられた6.16号:

先ずは10頁の原田曜平氏が指摘していた、

<現代の若者は「さとり世代」と呼ばれています。消費をしない、上昇志向がない、恋愛に淡泊。そんな消極的な性格を、さとりをひらいた僧に喩えた表現です。ネット掲示板の「2ちゃんねる」が発祥で二〇一三年の流行語大賞にノミネートされました。>

を読んで、知らなかったと言うよりも、屡々聞かされていた現代の大学生の傾向に符合すると、今頃になって感心している時代遅れ振りだった。しかし、「ノミネート」等という私が忌み嫌うカタカナ語を使っているのが残念だった。

次は122頁の大前研一氏の「日本のカラクリ」だった。大見出しの「アメリカが弱体化、世界の勢力図が変わる」は好ましい読み物だと言うよりも、オバマ大統領を評価していない私には痛快且つ残念な内容だった。同時に情けないと言うか、危機感を感じざるを得なかった。後3年もあの大統領が居座っていれば、世界はどうなるのかという意味だが。

大前氏の論旨をここに引用するまでもあるまいが、アメリカの国際政治学者、ィアン・ブレマー氏が”世界には主導国が存在しない「Gゼロ」の時代に入ったと指摘する」”という件には、オバマ大統領の責任は重大であると痛感した。

話は変わるようだが、この度維新の会の分党を決めた石原慎太郎君がその記者会見で「このままに推移すれば我が国は中国の属国になりかねない」と言ったのには遺憾ながら同感だし、その背景の一角には上記の大前氏の論点が入ってくると思う。石原君らしい言い方だが、往時の迫力がなくなったのには土壌を禁じ得ない。因みに、彼は旧制中学から新制高校の同期である。

私は既に「中国は尖閣どころか、沖縄を狙ってくるだろうし、その先には・・・」という防衛学会のT教授のご意見を紹介したことがあった。石原君の言葉は穏やかすぎた。あれではマスコミが乗ってこないと思った。

一方、韓国は日本憎しの一点に凝り固まっているだけに止まらず、中国に擦り寄っているし、今回の北朝鮮の拉致被害者の調査再開を「北朝鮮には日米韓のトライアングルを崩すために我が国を引きずり出そうとする意図あり」とまで解説するテレビ局があった。

俗な言い方をすれば「国際情勢は急を告げている」とでもなるだろう。その時期にあって集団的自衛権の行使に否定的な政党があるのは如何なものかと思うのだが、それもアメリカがアメリカであり続ける場合のみの懸念で、あの大統領次第かと思うのだ。

President誌のお陰で昨夜からこんな事を考えていたので安心して眠れなかったのだ。だが、実態は異常な暑さのせいだったかも知れない。

海外における生存競争の激しさ

2014-05-29 07:56:39 | コラム
だから容易じゃないと言ったじゃないか:

27日夜の対キプロスのサッカーのゲームの結果は、テレビ局御用達の解説者どもが何を言おうと惨憺たる出来だった。中でも悲惨だったのが、散々マスコミに持ち上げられて鳴り物入れで(鳴り物を入れたのはマスコミだ)ACミランに移籍して何の成果も上がっていない本田圭佑の不出来だった。武田という芸人に成り上がった元日本代表は事前の合宿が厳しすぎて疲れていたと抜かした。笑わせるな。

これまでに私は何度も欧米諸国に進出するというか、その人自身の職業で海外に出て行くことがどれほど大変か、異文化の中に出て行って評価されるほどの実績を築くことが、精神的にも大きな負担になると指摘し続けて来た。マスコミは如何にも期待されて優遇されるかの如くに言うが、それは高額な年俸に対する期待度ないしは見合うだけの成績を残さねばどういうことになるかを知らないから言っていると考えている。あるいは承知で言っているのであれば、罪が深いが。

それどころではない。そこに待っているのは事前に想像した以上に苛烈な生存競争があるのだ。それが目に見えることもあれば良い方で、全く考えてもいなかった方向から襲ってくるのだ。その激しさは言葉が解る程度では凌ぎきれない場合が多々あると思っていて良いだろう。

悪い例を挙げてみれば、野球における今負傷で離脱している阪神の西岡と何で出ていられるのかが不明の低打率の福留、消えかかっているヤクルトに戻っているのか岩村等のMLBからの出戻りである。帰国してからの彼等に、出て行く前の輝きがあるか。ないじゃないか。あの世界での生存競争に潰されたか自滅したと私は見ている。

MLBは今やスペイン語系の名字の選手ばかりになってしまったと言うか、アメリカ人だけではない連中が圧倒的でだが、我々から見れば言わば「外人」のゲームの世界である。そこに我が国から進出すれば「外国人」が彼等の権益を侵しに来たと捉える者がいるかも知れないと、私は思っている。そこで無邪気に生存競争をするのが容易ではない。

さて、本田圭佑である。あのゲームを見る限り、彼とマスコミが賞賛したマンチェスター・ユナイテッドに迎えられたが監督が替わって補欠扱い以下にされた香川真司の出来は、情けないと言う前に気の毒にすら思わせられた。極言すれば「彼等は実質的に生存競争に敗れた」のである。それはあるいは監督の不公平な起用のためかも知れないが、使って貰えなければあのような出来と言うか仕上がりになってしまうのだ。

ここまではスポーツの世界の話しだが、かく言う私も20年以上も日本が勤務地であったとはいえ、アメリカ人の会社で如何にして生き残るかをイヤと言うほど経験してきた。経験したから言うのであって、上記の連中が苦しめられ懸命に生存しようとしてきただろうと、勝手に想像している。だが、結果が出ていないではないか。イタリアから来た海外経験がない監督さんは「ザックジャパン」などと戯れ言を言われているだけでは、その点が解るのだろうか。

ところで、その何とかジャパンである。私は何度も「本田中心のティームを作ってしまった以上、香川真司は活かしようがない」と、監督の方針を批判してきた。もっと解りやすく言えば「あの監督を評価していない」のである。その本田がイタリア人とアフリカ系中心のACミランに入って、極端に言えば腑抜け状態にされて帰ってきたのだ。

恐らくザケローニさんはそのくらいはお解りだろう。だが、最早事ここまでに至れば(W杯は来月に開催されるのだ)本田中心ではないティームに変更出来る時間的余裕はない。そこに未だに「サプライズ」という枕詞をつけられた大久保を入れようと誰を使おうと、杖とも柱とも頼む本田があの状態では極めて難しい局面ではないか。協会もそれくらいは解っているのではないか。

マスコミは未だに戦後間もなくの頃に「喜んで下さい。我が社もアメリカに輸出出来るようになりました」と言って中小企業の社長さんが誇らしげに語っていた「海外進出は素晴らしい」と喜び合っていた時代の感覚から残念ながら抜けられていないのだ。外国進出は勿論結構なことだ。

だが、結果がどうなるか、そこのでの競争とは如何なるものかくらいは明快に伝えるべきではないか。何度でも言うが、言葉が出来る程度では切り抜けられない世界だと言うべきだろう。Darvishは渡米後直ぐに「異種の競技をやっているのかと思った」と言ったではないか。しかし、ビジネスの世界を見よ。アメリカではHondaやSonyをアメリカの会社だと本気で信じている者が沢山いるほど成功しているではないか。

私は「文化の違い」論者だが、それ以外のものすらあるのだが、その点を明らかに書くことは問題発言になりかねないので、御身大事に一先ず避けておくことにする。

最後にザケローニさんに望むことは「短期間に本田と香川を海外の呪縛から解放すること」である。彼は日本に住んでいないようだから、その点を認識しているのかな。

W杯での希望を失わせてくれた昨夜のサッカー

2014-05-28 08:55:25 | コラム
監督の方針が不明だし、解説者は無意味なベンチャラに終始:

27日夜は勉強会が終わって帰宅すると、丁度内田が何とかキプロスのゴール前で一点を押し込んだ場面に出くわした。選手に気を遣うのかそう言いくるめれているのか、選手にベンチャラ一点張りの都波と城の解説では「良かった、良かった、上手かった」だけでどういう点がどう良かったのかと言うような技術的な点には触れない体の悪い応援団のようなことを言うだけ。それでは聞いている価値なしと消音にして観戦した。

私は何度も言ってきたことだが、あの監督には組織を作って集団を引っ張っていくだけの見識が乏しく、取っ替え引き替え色々と変わった者をJ
リーグから引き上げて使ってみることもあれば、ただ単に限定された人数の中に置いておくだけで、私にはどういうティームに仕上げておこうとい確固たるプランが感じられないのだ。

昨夜もあれだけ格下で、解りやすく言えば何をして日本を攻めようかというゲームプランがあるとは見えない相手が引いて守っているのに対して、どうして崩してやろうかという確固たるプランがあったようには見えず、本田がティーム全体でもっと長い距離を走ったという記録が途中で出たがホトンドが無駄走りで、自分で崩して香川なり柿崎を使いたいのか自分で行きたいのかが見えなかった。ショートコーナーを蹴るのは良いが、前線が上がりすぎていて余裕を持って本田君得意のクロスに合わないというチャンスの無駄遣いに終わった。

本田が自分の思う通りにやりたいと思っているのはそれなりに結構だが、その意図が香川や岡崎や長友と余り良く合っていないようで、、昨夜も例によって本田が嘗て反省した「シュートに持っていくまでの手数が多すぎた」状態で、一件見事のような「パスのためのパス交換」に終始し、ゴールが近くなったところで一向に決定的な形が出来なかったのは問題だろう。

しかも、何時まで経っても私が消極的と貶し続ける「見事な自陣に向かっての縦の展開とはなるバックワードパスを連発して、弱い相手に引いて守る陣形を整わせしまうのだ。そうなっても前にいるものが空いたスペースに走り込むとか、うるさいマークを引っ張って外に出て真ん中を空けるような動きをするとか言う積極性がなく、攻めあぐねては中盤から自陣のGKまで一気に蹴り返すという退屈極まりないサッカー。

こういう退屈な状態にも拘わらず、御用解説者(なのだろう)どもは選手たちの少しでも良いところを見い出しては懸命に褒めるのだから聞きづらいことこの上ない。絶好の得点機を逃がした奴の弁護までするのは何のためか。特に城だったかは一々各プレーヤーの選手の敬称をつけて呼んでいる。私は全く不要な気配りだと思う。苟も先輩で解説者がその連中の前でびびった解説をしてどうなる。

私は嘗ての広岡達朗氏のようにその場で容赦なく駄目なプレーを切って捨てる解説が好みだったが、彼は遂に何処の局も使わなくなった。サッカーでも建設的、ではなかったとして各プレーヤーの批判というか欠点を指摘して改善と反省を促すような解説が必要な時だと思っている。そういう視点で見れば、昨夜に限って言えば、酒井宏樹、柿谷、伊野波は三駄目選手で、ザケローニが血迷ったとしか思えない。大久保にしたところで、本田を中心にしてティームを作ってしまった以上、香川と同様に活かす余地がないのではと危惧する。

私はいっそ釜本が指摘した「南アの時のようの本田を前に浮かせておいてポイントゲッターに専念させ、香川を就寝にパス回しを組み立てる形のようが効率的だ」と思う。そこに遠藤が加われば「俺が俺が」の本田よりましだろう。香川だって何時までも本田如きの風下にいる訳には行くまいだろう。あんなゲームをやっていてW杯優勝などとはおかしくないか。解説も少し建設的になろうとは反省せよ。