新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

金子恵議員

2017-06-30 11:58:25 | コラム
あれは立派に公私混同ではないか:

私には公用車で出勤の途中で私用で保育園に子供を預けに行くのはどう考えても公私混同以外の何物でもないと思う。総務省だったかは何であの行為を庇い立てするのだろう。何処かで見たが、都内の保育園では自動車による送迎を認めていないとか。現実問題として、我が家の近所の大規模な私営の保育所には、ベンツもBMWもレクサスも来ているのだが。

6月30日 その2 アメリカの製紙産業の衰退が何を示すか

2017-06-30 09:08:50 | コラム
アメリカの紙パの業界再編成の凄まじさを考えると:

昨日「電子計算機の進歩と発展」の中でアメリカの製紙産業の衰退について触れましたので、ここにあらためてアメリカの製紙産業界の再編成振りを振り返ってみます。なお、これは16年6月14日に纏めてお知らせしたものを基にしております。ここで顕著なことは「洋紙メーカーは何処に行ったのかと言わざるを得ない気がする印刷(紙)媒体の衰退」でした。

これまではWeyerhaeuser(W社)のみの衰退振りをお知らせしていましたが、アメリカの紙パの業界再編成(Consolidation)の勢いと言うべきか、経営統合か合併か吸収で救い合う以外に道がないかのような状態を、やや専門的にはなりますが、ほんのご参考までに採り上げてみます。こと紙媒体となると、新聞とその用紙の衰退が最も顕著で、10年間近くに60%も減ったと聞きました。

最近の例では、大手のミードウエストヴェイコ(MeadとWestvacoの合併)とロックテンという中位の会社がスマーフィットストーン(ジェファソン・スマーフィットとストーンコンテイナーの合併)が統合して「ウエスト・ロック」になるという板紙パッケージングと段ボール原紙界の再編がありました。因みに、Meadは私が1972年8月に最初に転身したアメリカ印刷紙・パルプとパッケージングの名門会社で、コート紙生産の技術は我が国のメーカーにライセンスを下ろしていたほどでした。

しかし、2000年代初期には板紙包装容器の名門Westvacoと合併しMeadWestvacoになってから印刷洋紙事業を売却し、その言わば第2会社だったNewPageは既にChapter 11となって再生されていました。実は、W社は2005年まではアメリカ最大級の上質紙(コピー用紙のような模造紙)メーカーだったのでしたが、将来性に危険を感じたのか、分離独立させてこの分野から手を引いていました。

今となっては私にも何処か何処と合併していたのか解りません。14年度の売上高第1位が、W社とともに「脱洋紙」の先駆者だったInternational Paperで235億ドル($1=¥125ならば2兆9千億円です)、2位には上記の洋紙メーカーではないロックテンがいたようですが、合併もあって売上高不詳。3位が何と2005年に洋紙事業を分離独立させ段ボール事業までを売却していたW社で74億ドル、4位がキンバリー・クラーク(Kleenexで我が国も広く知られている)の66億ドル、5位が板紙包装のPCAで58億ドル、6位がドムター(W社の洋紙事業部を引き受けた会社)で55億ドル。

以下、ミードウエストヴェイコ、ソノコ(紙管や板紙)、グライフ、グラフィック・パッケージング、キャップストーン、クリヤーストーン(確か元は洋紙から板紙とティシュペーパーと手広かったポトラッチから分離)等が続きますが、印刷紙というか洋紙メーカー主体のメーカーはほぼ消滅。W社にしたところで、出発点の材木会社主体に変換したら、住宅産業が復調して好決算が出来たと聞きました。しかし、16年9月末で紙パルプ事業からの撤退を終えていました。

このアメリカの実態から見れば、我が国の紙パは幸いにして未だ業界再編成というか印刷洋紙メーカーの衰退の仕方が遅れている?と言える気がしてなりません。業界の経営者たちは既に意識はしておられるでしょうが「我が国でもICT化がアメリカ並みに進みAIが現在以上に普及していけば(いや、いくでしょうが)、何れはというか『明日は我が身』であると意識せねばなるまい」との危機意識がより一層必要になってくるのではないかと危惧します。私はこれまでに何度も何度も「アメリカで起きた現象は何れ我が国もやってくるのだと思え」と主張してきました。

私はICT化は未だ未だ進むでしょうし、人手不足が時を追って深刻になっている以上AIの導入も増えていくでしょうから、間もなく「AIの普及は人減らしになる。労働の機会を奪われる」などと言っていられる時代ではなくなると、危惧しております。印刷媒体の衰退に伴う紙の需要減少を憂いているどころではない時代が来るのでしょう。


米韓首脳会談への期待

2017-06-30 08:37:31 | コラム
興味深い初のトランプ大統領と文在寅大統領との会談:

私は「アメリカファースト」に一路邁進されているトランプ大統領が」何処まで親北に傾いている文在寅大統領を追い詰めるのか、または穏便な会談にするのかに興味も関心もある。文在寅大統領はトランプ大統領と同様に忠実に選挙公約を守るべく不可逆的合意に難色を示して見せたり、中国に圧力をかけられてTHAADの導入を渋って見せたし、DPRKとの合同テイームを平昌オリンピックに送り込もうなどと言い出している。

現在の世界情勢では、アメリカはDPRKの非核化というのか核根絶を指向している以上、中国にも陰に陽に圧力をかけているし、ロシアも万景峰号の受け入れを開始するなど、DPRKに歩み寄ろうと図る文在寅大統領と韓国の立場というか存在感は極めて希薄である。しかも、DPRKは米韓合同の軍事訓練を止めよという圧力までかけ始めている。韓国の閣僚の中には「この時期の会談を延期すべきだ」という意見もあるとかだ。

私は単純に考えて、お互いの思想信条が大きく異なる両首脳の会談には誰しもが考え得る落としどころなどないのではないかとすら考えている。これまでに数々の「我が道のみを行く」政策を打ち出して国の内外の波紋を巻き起こしてきたきたトランプ大統領はDPRKに対しては強硬姿勢を維持してきているので、この点だけを捉えても親DPRKの文大統領と意見が一致する訳はないと思う。だが、トランプ大統領が「勝手にしろ」と文大統領を突き放す理由もまたないと思う。在韓米軍の重要性は否定できないだろうから。

では、文在寅大統領は何を成し遂げようとして、この時期にアメリカまでトランプ大統領に会いに行くのだろうか。トランプ大統領にねじ込んでTHAADをお返ししようとでも言うのだろうか。DPRKの核とmissileを廃絶させるのではなく、一時でも押さえるように努力しましょうと提案する気なのだろうか。しかも、トランプ大統領は会談の場所をホワイトハウスのみとしたのは、安倍総理他の首脳扱いと比較した場合に、どう考えても冷たい仕打ちだ。文在寅大統領はその辺りの違いを如何に認識しているのだろうかも気になる。

29日夜のPrime Newsに出られた武藤元駐韓大使は「穏便な会談になるだろう」という意味の予測をされていた。私もその通りだろうとは思う。だが、その会談の主は何と言っても”unpredictable”の巨頭・トランプ大統領である以上、何が起こっても驚くには当たるまいと思っている。その「何が起きるか?」についても、正直なところ関心があるのだ。

6月29日 その2 我が国の市場の価値と力が評価されていた

2017-06-29 14:44:26 | コラム
嘗ては世界最大の製紙会社が日本市場を高く評価していた:

先日の「電子計算機の進歩と発展」の言わば続編である。世界最大の紙パルプ会社の地位を長年維持し続けているアメリカのInternational Paper(IP)は、我がWeyerhaeuserとGeorgia Pacific(GP)と共に、常にアメリカの三大メーカーの座を占めていた。これらの3社が常に1~3位を争っていたということだ。残念ながらGPは早い時点で紙パルプ事業から撤退し、我が社も昨年の9月で撤退が終わっていた。

そのIPが1990年代にその歴史ある日本支社と言うか、我が国の規制では法的に東京営業所となる事務所を縮小すると決定し(現地法人はIP Japanという会社になっていたが、営業所では商行為の当事者になることを許さないのが我が国の規制)その支社をIP Asiaの下部組織とすることとし、少人数の事務所にしてしまった。我々の認識では、東南アジア市場は将来性こそあれ、我が国と比べものにならない小規模な未開の地だった。私はIPの意図は簡単には理解できなかった。

ここで一寸解説をしておくと、IPは基本的にはアメリカの東海岸(ロッキー山脈の東側から大西洋まで)を主たる市場とする会社で、その主たる輸出市場は当然ながらヨーロッパだった。そして、日本市場にはそれなりの売り上げも歴史もあった日本進出の先駆者だった。だが、工場の立地条件からして日本には不向きで、西海岸を拠点とし太平洋沿岸の諸国を主たる市場とする我が社と比較すれば、売上高などは我が方の足下にも及ばなかった。何も偉そうに言う訳ではない。ごく当たり前のことだ。

そこで、私が知り得たIPが日本市場に規模を縮小しても拠点を残す理由は「日本市場ではコンピュータ関連の機器の進歩が早く、その上に海外から導入された新世代の機器を素早く使いこなすだけではなく日本式に進化させていく力が強いので、看過できない市場である。それだけに止まらず、ビジネス・フォーム(BF)と呼ぶ電算機関連の用紙の分野でも常に時代に先駆けた新製品を市場に送り込んでくる。故に、日本市場の動向を常に注意深く調査・研究しておく必要があり、その要員を残して置くことを決定した」となっていた。換言すれば、日本市場が持つ創造力というかR&Dの能力を高く評価していたのだった。

電算機関連の機器メーカーとしては、当時にはソニーであり、NECであり、東芝であり、富士通等だったかと記憶するし、現在の三井物産系の日本ユニシスや高千穂交易などが思い出される。情報用紙のメーカーは王子製紙(元の神崎製紙も入るだろう)、日本製紙、三菱製紙、富士写真フイルム(ノーカーボン紙)等々は目が離せないほど、常に時代を先取りした新製品を市場に送り込んでいた。

こういう歴史的な事実を思い出すにつけても、IPが我が国の市場に注目していたのは、決して謂われなきことではないのだ。更に言えば、1990年代末期ともなれば、既にアメリカの製紙業界の低迷が始まっていた頃である。いや、ICT化が著しく進み始め新聞用紙や印刷用紙の需要の減少が始まり、大手メーカーが対応策を打ち始めた頃だったかも知れないのだ。。

現にキャッシュレジスター用の感熱紙などは、アメリカ製品は我が国や欧州のメーカーのような高品質の薄手の紙が生産できずに、ドイツや中国からの輸入紙に頼ったどころか、何時の間にか輸入品に席巻された結果で、高率の関税でドイツ製品まで閉め出しまった。私は現在のアメリカ市場では何処の紙を使っているかなどは知らない。既に採り上げた回転寿司Hの席の番号を示す紙も感熱紙が使われていた。

このように、我が国では常に新規の需要分野での先進国なのだ。IPも既にアメリカ本土ではこういう紙を作る工場を残しておらず、GPも撤退し、我が社も木材会社に回帰してしまった現在では、この私の昔話は単なる回顧談になってしまうようで、今昔の感を免れない。今やAIの将棋ソフトの方が人よりも強い偉い時代となりつつある。日本市場は次に如何なる時代の変化が来るかを予言するのだろうか。