新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月31日 その3 本年最後の疑問

2023-12-31 14:32:36 | コラム
NHKは何を考えているのだろうと受け止めた:

今朝の5時にNHKのニュースにチャンネルを合わせた。最初に出てきたことが「坂田利夫さんが亡くなりました」だった。耳は疑わなかったが、NHKのニュースの優先度(英語にでもすればpriorityかな)の付け方に驚く前に疑問に感じた。NHKの感覚では吉本のコミーディアンが亡くなったことがトップニュースに位置づけられるとは知らなかった。精一杯の善意で解釈すれば「他にたいしたニューがなかった」のかも知れない。

このニュースにはもう一つ「アレッ」と受け止めたことがあった。それは、坂田利夫さんは82歳にして「老衰」で亡くなったと報じられたことだった。このところ「老衰」で亡くなったとの訃報が多い。私は「老衰」については何ら語るべき知識はないのだが「老いて亡くなる」というのだから、90歳超とか100歳に近い高齢者のことかとばかり思っていた。

人には「個人差」乃至は「個体差」があるものとは承知しているが、80歳代前半でも老衰があるのだと、改めて認識させられたNHKの早朝のニュースだった。取り急ぎ、坂田利夫さんのご冥福を祈って終わる。

12月31日 その2 2023年を振り返る

2023-12-31 11:26:11 | コラム
90歳を常に意識していた1年だった:

「人生とは自分で何歳まで生存していると予定して、自分の計画を立てられるものではないだろう」とは思っていた。だが、「人生僅か五十年」と言われていた時代に育ったので、90歳にまで到達できると予測した事はなかった。だが、実際にその90歳になってしまった2023年の1年には、常に90歳を意識していた。「もしかして90歳ともなれば、何かが変わるのではないか」と期待したこともあった。

90歳の日常:
実際には90歳として見えてきた景色には、何らそれまでと変わったことはなかった。相変わらず、朝は4時には起床して食事の支度をして、新聞を早読みして、6時半頃にはブログの更新に取りかかり、月水金にはバスでシルバーパスを利用して9時19分のバスに乗ってジムに向かうのだった。

ジムでは10~15分の準備体操を兼ねてストレッチ、インドアトラックでの100mを70~85秒でのウオーキング、20分間のマッサージ・チェアからジェットバス入浴という決まり切った課程を終え、11時37分のバスに乗って帰宅である。

情報源の減少:
だが、1年が終わろうとして気が付いた重要な変化があった。それは、友人や知人との接触が減少したためか、情報源を失っていたことだった。在職中から営業を担当する者として「情報の重要性」を過剰なまでに意識していたので、その蒐集(収集)と他社への提供、提供したことから返ってくる未知の情報がどれ程重要な任務であるとすら認識していた。常に豊富な情報を持っていられるように努力していた。

気が付けば、その情報源が今や長年の付き合いがある数人の有識者、例えば8年間もアメリカの有名私立大学のビジネススクールの教員を務めたYM氏や、仏文学者のTK博士、ある有名な多国籍企業の役員だった某氏、リタイアしてしまった商社マン、某大学の教授や教員等々に加えてアメリカでは元の同僚と某IT企業の管理職(ハーバードのMBA)である。懐かしき日本の会社時代の仲間たちは、何と私よりも若かったのに皆故人になってしまっていたのだ。

老化現象:
次に大きな変化として意識したことはと言えば、87歳に達したというYM氏も同じような感想を漏らしていたが「何か耐久消費財のような物は買わないようにしているし、非耐久消費財であろう衣類は今となっては買う必要(必然性?)がなくなったこと」なのである。身だしなみをキチンとしておくことは忘れてはいないが、今さら新たに何か目新しい物を買うのを躊躇うのだった。

次は一昨日辺りから悩まされている事。医学的には何ら問題がないと検査して頂いてあっても、体中の節々が痛んで立ち居振る舞いに困難が生じている状態。YM氏も同じようなことを言うが、何の言われもなく突然よろめくし、僅か1~2cmの障害物を乗り越えられずと言うか足が上がっておらずに躓くのである。愚かにも「こういう現象は一過性であり、何れは解消される」と思い込んでいたが、これぞ「筋肉の老化現象」だったようだ。
私的な悩みを言い出せばキリがないのでこれくらいにしておこう。

外側乃至は世間の変化:
外側というか世間にも変化があって、悩ましい材料も増えたので困る。90歳に見えた幾つか例を挙げてみれば「岸田総理は幾ら激励しても一向に財務省の代理人から脱却して民の竈から煙が上がるような、自分自身の政策を打ち出せずにいること」が最たるものだろう。

マスメディアも褒められた存在ではないようだ。自分たちで「岸田内閣頼りにならず報道」を続けて民心を誘導した上で世論調査をするのだから、内閣支持率が下がるのは当然だろう。

マスコミを批判:
彼らは困ったもので、朝日新聞に影響されたのか「政治資金収支報告書不記載」を裏金呼ばわりし続けるだらしなさで、全く頼りに出来ないのも不満材料。彼らは世界史をキチンと学習してこなかった連中の集団のようで、「2000年前に奪われた聖地を取り返そうとする考え方」を持ち続ける者たちが争っているにも拘わらず「イスラエルが非道で残虐、ハマスとパレスチナが可哀想報道」を垂れ流し続けているのにもウンザリなのだ。

91年目への希望:
困った事柄を言い出せば止まらなくなるが、2024年には世の中が良い方向というか、少しでも誰しもが暮らしやすくなるように、失った30年?状態から脱却抜け出せるようにして貰いたいのだ。更に「習近平さんの尖閣諸島の領有宣言」を取り消させて欲しいのだ。矢張り、ここでも岸田総理とその内閣の奮起一番を期待する以外にないのだ。


紀元2683年が終わろうとしている

2023-12-31 06:52:40 | コラム
矢張り覚えていたか「奉祝国民歌」:

90歳が終わろうとしている時になっても、あの歌を覚えていた。それは昭和15年(1940年)即ち紀元2600年に歌われていた「奉祝国民歌」の下記のような歌詞である。今年は紀元2683年だったのだ。

「金鵄輝く日本の はえある光身にうけて いまこそ祝えこのあし 紀元は二千六百年 ああ一億の胸はなる」

であるし、今でもチャンと歌えるのだ。もう計算が怪しくなってしまったが、その前の年に小学校に入学していて、その5年後の昭和20年8月に戦争が終わっていたのだった。

「それがどうした」と言われてしまいそうな話だが、先ほど、何故か突然「金鵄輝く日本(ニッポン)の」と口から出てきたので、改めて歌詞を確認してみたのである。あの戦前でも我が国の人口は1億人に達していたようだった。


12月29日のスポーツから

2023-12-30 08:44:01 | コラム
徒然なるままに:

昨29日は何が見たい訳でもなく、テレビのチャンネルを好い加減に変えていた。これをザッピング(zapping)というようだ。その中でスポーツの関連で気が付いた事を。

近藤健介:
フジテレビの「ワイドなショー」に登場していた。横浜高校出身で元はと言えば捕手だった人。この時間は東野幸治と今田耕司の司会(なのだろう)には嫌みがないので、チャンネルが合ったときには見る事もある程度。近藤健介のような人物が出てくるとは予想していなかった。

東野が「メジャーリーグに行く気はなかったか」と振ると「WBCで大谷翔平や吉田正尚や村上宗隆の打球とスゥイングのスピードを見て、その気が失せた」と語っていた。少し謙遜している気配は見えたが、偽らざる心境だろうと思って聞いた。近藤が例に挙げた村上宗隆は、今年のあの不出来には「大谷ショック」があったのではと疑っている。

近藤健介は横浜高校から出てきた打者の中では「数少ない成功例だ」と思って評価している。不成功の例には躊躇なく筒香嘉智を挙げたいが、他にもいるのではないのか。甲子園の優勝を目指して高校生を鍛えると、上の組織に上がって不成功というか成長できない例が多い問題点は、長年指摘し続けてきた。

近藤は例外だが、それにはソフトバンクに移籍した事が大きいと思う。何故ならば、日本ハムでは、彼以外に要警戒の打者がいないので厳しく当たられていたが、ソフトバンクでは彼の前後に柳田悠岐の他に優れたバッターがいるので、打てる条件が整ったからだと読んでいる。ではあっても、彼がホームラン王を取ったのは意外だった。

高校ラグビーの全国大会:
確か、何故かテレビ中継がなかったので、YouTubeで得点の場面だけに編集されたものを見ていた。この競技には地域差があるのだが、最も激しい差があると思わせられた試合があった。それは11本のトライを取って勝った高校があった事。相手校にも2本だったかのトライを許していた。この意味は、60分の試合の間に8本もトライがあったので、7分と一寸の間にトライがあった事になる。

これは、取られたティームがキックオフをする時間があるし、スクラムにボールを入れるとか、ラインアウトのスローやその他の時間を考えると、のべつ幕無しにトライがあった事になる。それは仕方がないとしても、私が以前から指摘し続けてきたラグビーのルールの無残さがあるのが気にかかる。

即ち、トライ(とゴール)を奪われた方がキックオフをするので、強い方にまたまた攻撃権が行ってしまい、得点の機会を与えてしまう事を指している。5人制だったかではこの矛盾は解消されているが、WRも日本の協会も、もうそろそろ変更を考えてもよいのではないだろうか。フットボールでは既にこの点は改革されているのだから。

高校男子のバスケットボール・ウインターカップ:
福岡の高校同士の決勝戦を見た。どういう組み合わせになっているのか知らなかったが、同じ県から2校が決勝戦に残っていたのは不思議だなと思ってしまった。解説者は「何故、九州ではレベルが高いのか」などと当たり障りがない事を言っていたのは、少しだけ気になった。優勝した福岡第一高校には今や日本代表の中心選手である河村勇輝を出したように優れていて、来年にはアメリカに行くという崎浜秀斗(PG)の大活躍で押し切った。

それにつけても感心した事は、現代の高校生たちの身体能力の高さと体格が優れている点だ。負けてしまった福岡大大濠高校の2年生エース渡辺玲音(だったか?)は既に2.06mという身長だ。しかも、試合中には彼が際立って背が高いように見えないのだから怖い。それでも、我が国のバスケットボール界では170cm代であるかのような富樫勇樹や河村勇輝のような身長のPGが代表ティームの中心選手である点が興味深い。

崎浜君は名前からして「秀斗」だから3ポイントシュートを思うが儘に決めたのかどうか知らないが、身長が恐らく河村勇輝よりも高いと見えた分だけ、スピード感が欠けていた。アメリカに行って何処まで素質を伸ばせるかだろうというか、これまでに見えてこなかった才能を引き出して貰えるかではないだろうか。何れにせよ、高校バスケットボールの水準は確実に上がっていると見た。

12月29日 その2 "hafu”って何の事だ

2023-12-29 15:12:33 | コラム
”fafu”とは「ハーフ』の意味だったとは:

本日は「俺はこんなに物を知らなかったのか」と嘆くと共に、恥じ入った事に出会った。それは、何時ものように帰りのバスの時間までに余裕があったので、ジムのサロンでThe New York Timesを見出しだけでもと読んでいた時の事。

そこには「日本でidentityに悩まされている“hafu‘を取り扱った記事に出会ったのだ。最初は「何の意味」と戸惑ったが、記事を少し読んで初めて「ハーフ」をこのような綴りにして、英語として通用させているようだと知ったのだった。知らなかった。

帰宅して、直ちにWikipediaで調べれば、”hafu”について詳細な解説まであり、そういう題名の映画があった事も紹介されている始末。「へー、そうだったのか」とだけしか言えなかった。

戦後間もなくから英語に慣れ親しみ、英語を良く知っているつもりだった。しかも、アメリカの大手製造業の会社で20年以上も仕事をしていたのにも拘わらず、hafuを聞いた事もなかったのには「何たる事か」と唯々驚くだけ。

生憎とジムには近用のメガネを持っていっていないので、字が小さい記事の内容まで読めなかったが、滅多に日本関連の記事を載せないNYTがこういう「ハーフ」の悩みを記事にしたのも印象的だったと言うか、「意外だな」と受け止めた。

「ハーフ」や「混血」という表現は、言うなれば蔑称ではないのかと、使うのを躊躇っていたのに、英語の世界では堂々と”hafu”としてNY Timesまでが使って記事にしていたのにも衝撃を受けたのだった。何時、何処で勉強をさせられるのか解らないものだと、改めて悟った次第。