新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月31日 その4 水原一平元通訳の問題が大谷に影響を与えたのか

2024-03-31 15:54:49 | コラム
大谷はかなり衝撃を受けているのではないのか:

先ほど、Dodgersのシーズン3戦目をNHKのBSが中継放映している所に、偶然にチャンネルが合ってしまった。冷静なる評論家である私の目には、大谷はこの問題に何らかの影響を受けているだけではなく、昨年とはかなり異なるスゥイングをしていて全く打球が上がっていかないと見た。影響の件は兎も角、打つ方では何時かは修正するだろうと考えている。

私が不吉な兆候と見たのはこれらの点ではなく、彼の表情から明るさが消えているし、明らかに悩みを抱えているのではないかという印象を受けたことだった。

既にYM氏が「アメリカの銀行ではかなりの頻度で口座の異動を印刷物にして送ってくるので、大谷がそれを見ていないとは考え難い」と言っていたことは取り上げてあった。私は「もしかして水原が握り潰していたのでは」などと想像していた。さらに、大谷があの記者向けの発表では、この辺りの最も微妙な点には触れていなかったので、かえって疑念を持たれてしまったのではないかとも危惧していた。

果たせるかな、カリフォルニア州在住のSM氏から現地の報道機関のこの点の報じ方というか扱いについて、下記のように知らせてきているので紹介しておこう。

>引用開始
「日本でも報道されていると思いますが当地でのコメントは全体的に大谷の行動/脇のあまさを疑問視する声が、特に大手メデイアからのものに見受けられますね、

大谷の口座からの送金方法が今回の焦点ですが、いずれ捜査で詳細が分かりますね、野次馬的には興味は尽きないですね、」
<引用終わる

大谷には立派な法律事務所の弁護士が付いているのだから、事前に充分に作戦を立てた上での発表だっただろうし、上記の点を疑問視されるだろう事は承知だったのだろうと勝手に読んでいる。だが、先ほど飛び飛びに見た大谷のバッテイングと表情の暗さが、何かを問わず語りしているのではないと希望的に考えている。当面の間は、成り行きを見守っていることしかないだろう。


枝村勉君とは懐かしい

2024-03-31 10:17:14 | コラム
NPBの新人が最初の2試合で連続してホームラン:

DeNAの新人・度会の快挙でマスコミというかテレビ局が盛り上がっていた。度会の快挙は3人目だそうで、過去に西武の石毛と大映の枝村勉君が成し遂げていたと報じられた。枝村勉君がそんな記録を立てていたとは知らなかったし、神奈川県下の中学から高校で同学年の彼には失礼してしまったと密かに反省。とは言うが、今時「枝村勉君は凄いバッターだった」などと言っても、覚えている方がどれ程おられるだろう。

ここからは回顧談である。昭和20年代前半の神奈川県の高校野球界の三大強打者と言えば我が校の根本功、神奈川商工の大沢啓二、鎌倉高校の枝村勉だった。兎に角、3人が打席に立つと、守備側の外野手たちが一斉に遠くの方に引っ込んでしまうのだった。我が校のグラウンドにはフェンスなどという立派な設備ある訳がないので、併設されていた陸上競技のトラックの中まで下がっていったものだった。3人はそれほど凄い強打者だったのだ。

大沢三兄弟で早くから有名だったかの故大沢親分や、甲子園で優勝して確かベスト9に選ばれた根本君も凄かったが、枝村君の強打と言うか長打力も恐れられていた。彼の鎌倉高校(建長寺の傘下にあり、現在は鎌倉学園高校で、県立の鎌倉高校とは違う)には小学校同期の中根君が同じ野球にいたので、枝村の凄さを尋ねてみれば「凄いけど、何分にも雑なバッテイングなのでね」と一言。枝村君は早稲田に進んだ後はプロの大映球団に入った。

だが、枝村君はプロで大きく花を咲かせた記憶がない。聞く所では早く引退して家業を継いだとかだった。根本君も大学には進まずに就職して、そこで野球を続けたと風の便りに聞いていた。大沢君は立教大学進んで名を上げて野球界でも大活躍して監督も務めたし、テレビ界でも大スターになったのは万人の知る所だろう。

だが、今朝程は思わぬところと言える関口宏が引退したサンデーモーニングに枝村勉の名前が出ていたのを発見して、懐かしさの余りに70年も前のことを思い出させて貰えたのだった。根本君には10年程前だっただろうか、サッカーの会で訪れた大船駅前でばったり出会ったのが最後だ。どうしているだろうか。誰か同期の消息通に問い合わせてみようかと思案中。


ドナルド・トランプ氏の考察:

2024-03-31 07:38:22 | コラム
実務の現場を知らないし知ろうとはしない人:

実は、今朝も他の事柄を取り上げようと昨夜から企画していたが、産経新聞に皇學館大学の村上政俊准教授が「もしトラ」、「ほぼトラ」、「ほんトラ」が示すように、我が国にはトランプ前大統領の再選を恐れる声が上がっていることに疑問を呈しておられたのを読んで気が変わって、トランプ前大統領の在任中に繰り広げてきた「トランプ批判」をあらためて展開しようと思うに至った。

お断りしておくと、私のようなことを言う専門家もジャーナリストも有識者もおられないことは十分承知している。これまでに何度も「アメリカの会社の一員として」と言って「アメリカは我が国とは違う」と主張してきた。この「一員」の意味は「ほぼアメリカ人として」ということと「アメリカ人の視点でものを言えば」なのである。私のような見方は殆ど出回っていない。故に、「おかしな事を言う奴だ」と受け止められても不思議ではないと自覚している。

私はアメリカの知識階級に属すると思っている元の上司、同僚、友人知己たちと同様にトランプ氏には批判的だったし、「無知は力なり」などと言って貶してもいた。私が確信を持って言えることは「アメリカの大手企業に20年以上も勤務して対日輸出を担当しただけではなく、我が国とアメリカの間に存在する抜き難い文化の違いを、身をもって経験してきたからこそ、トランプ前大統領の欠陥を指摘した」のである。

誤解されないように言っておきたいことは「私はトランプ前大統領が能力不足だ」と批判したのではなく、「彼は外国との貿易というか輸出入の実務/現場を経験したことがない為に実態を知らないこと」に加えて「アメリカ経済は基本的に内需依存であり輸出に重きを置いていない等々の実態をご存じでないにも拘わらず、我が国からの自動車の大量の輸出が怪しからんと指摘し、中国の輸出攻勢をも断罪し高率の関税をかける等の保護貿易体制に打って出られた」等の問題点(疑問点?)である。

トランプ氏の「アメリカファースト」や「MEGA」等の旗印の下に打ち出された政策が誤りであると言うのではない。打ち出された政策の基本にある事柄が誤解、誤認識、無知の産物であったことを指摘して非難したのである。アメリカという国とその国民を、他国の不当な(だと信じておられる)輸出攻勢から守ろうとすることは正しいとは思う。但し、その政策を産み出した認識が正しくないことに危険性を感じて指摘したのだ。

だから、何度も繰り返して指摘したことは「トランプ前大統領は全く何もご存じではなく、彼自身がこうだと思い込んでいる事柄に基づいて政策を打ち出しておられた」のか「就任の前後に充分に調査し勉強されて全てを理解し認識された上で」というか「何もかも承知の上」で「恰も何も知らないような振り」をして「アメリカに輸出攻勢をかけ、何も輸入しようとしない日本と中国は不当である」と言われているのかも知れないという事。

私は何れを取るかと言われれば「ご存じではなかった」という方を躊躇なく選択する。その根拠の一つは「日本が未だにアメリカ向けに何百万台の自動車を輸出し続けデトロイトを弱め、アメリカ産の車を輸入しようとしない」と非難され、関税率を引き上げるとか声高く唱えられた。こんな出鱈目が通用したのは言うなれば半世紀も前のことで、如何にラストベルトを保護しようとされたからと言って、大統領が言うべき台詞ではない。

この案件などは政治と経済が絡んでいるから良いのだが、最も遺憾だった事実がある。それは「中国からの輸入に高率の関税をかける策をとられた後で、公式の記者会見の場で「毎日多額の資金が財務当局の口座に入ってきている」と喜んで見せ、側近たちを慌てさせたのだった。側近たちは「違います。あれは我が国の輸入者が納付する関税です」と窘めたのだった。これと同様の無邪気な無知振りは最初の報道官だったスパイサー氏も見せていた。

私はこのような「困ったことだ。大統領ともあろうお方にこのような基本的な常識が欠落していては、何時かはとんでもない誤った政策を打たれてしまうのでは」との懸念を示したのだ。さらに、トランプ前大統領は有識者乃至は側近からのブリーフィングを歓迎されず、意欲的に勉強しようとするタイプの大統領ではなかったという報道もあった。「そうだろう」と理解できる話だった。

私が指摘してきた点は「全て過去というか歴史的な事実をトランプ氏が認識していなかったこと」である。それらを完全に把握していなくても何とかなるかも知れない。だが、現在のような変化と進歩の速度が異常に速く、容易に理解できないようなITC化やディジタル化や物理的/科学的な急速な進歩と発展を示す技術と製品が毎日のように出てくる「時代」に追いつけなければ、一国を統治するのは容易なる課題となってのしかかってくるだろう。

その「時代」にあって、今や知識階層を超えた数に達しているかのような「満足な初等教育も受けていない、英語も解らない人たち」の支持を確保する為に、「汚い言葉」や「彼等にも解りやすい言葉」で語りかける作戦もとって選挙に臨まれる大領候補に危不安を感じることは、必ずしも誤りではないと思う。だが、私は我が国で「どれ程の数の方々が、ドナルド・トランプ氏の実像を知った上で危機感を表明するのか」と本気で疑っている。

マスコミ情報に依存して、我が国とは文化だけではなく思考体系も何も異なり、言語が違うアメリカの政治を恣意的な分析や、偏った情報に基づいて批判などしない方が無難であると言いたいのだ。経験から断言するが「圧倒的大多数のアメリカ人たちは日本のことなどに重大な関心を持っていないのだ。彼等は自分たちの州内の事柄を案じているだけ」なのである。「アメリカファースト」と「MEGA」の何処に「外国」や「国際性」があるのか。

3月30日 その2 高校野球には言いたいことが多々ある

2024-03-30 14:25:47 | コラム
日本高野連と新聞社は敢然として「古くて良くない文化」の維持に努めている:

甲子園野球廃止論者としては、時間に余裕があり気が向けば、何故中継を続けるのか意図が不明なNHKで見ている。疑問に思うと同時に何故21世紀の今日でも墨守するのかと思っている、時代感覚の欠如としか見えない点を挙げていこう。

丸刈りの髪型:
時代錯誤の精神主義の表れであり、古き良き?時代の指導法だと思う。我が湘南高校が昭和24年(1949年)に優勝してしまった時の連中の殆どが長髪で、「湘南は髪を伸ばしている」と批判/非難されたものだった。同級と同期の野球部の者たちは「丸刈りにすべし」と承知していたとは思えない。今開催中の大会では青森山田他数校が長髪だった。最早高野連からお咎めはないのか。生徒たちの自由裁量に任せるべきだろう。

甲子園の砂を持って帰る:
止めて欲しいと思ってみている。私には余りにも感傷的であり感情的であるとしか思えない。その為としか思えない袋を用意してあるのには恐ろしささえ感じる。我ら蹴球部は第3回福岡国体の高校の部の決勝戦で広島師範附属高に敗れたが、グラウンドの土を持って帰るなどという発想はなかった。

あの光景を地べたに這いつくばって写真を撮っている無情なカメラマンが多数いるが、その写真を何処にも見たことがないのは何故かな。

一塁に頭から滑り込む:
恐らく「何としても勝とう/負けるまい」という敢闘精神の発露なのだろう。いや、野球界の伝統で「勝利への強い意志」と「何があろうと勝負/試合を捨てるような弱気は見せてはならない」という指導方針の表れだろう。「飽くまでも戦おうとする心構えと精神力」を否定するものではない。だが、科学的には「一塁ベースを走り抜ける方が滑り込むよりは早い」と立証されている。私が指導者であれば「合理主義を取る。改善して欲しい。

余談だが、「ヘッドスライディング」は我が国独特の造語で、アメリカでは“head first sliding”と呼ばれている。頭で滑り込むという技は、物理的(身体能力的)には不可能であろうし、危険ではないのか。

例えば1回の表(裏)ノーアウトランナー2塁で犠牲バント:
これも改善して欲しい戦法。「ティームの為に犠牲になる」という全体の為に自己を犠牲にすることを厭わないとの崇高な精神を磨くことを全面的に否定はしない。だが、非科学的な誹りは免れないと思う。ピッチャーの中には「一つのアウトを貰えることは有り難い」と言う者までいる。我が国の野球では戦法の基本が「甲子園でのトーナメント戦を勝ち抜くこと」にあるので、こういうサクリファイス戦法があり、プロのリーグ戦でも固執するのだ。

ベンチには監督しか入れさせず、コーチは認めない:
余りにも非近代的すぎる規制だ。筆者は「朝日と毎日の両新聞社が負担する経費の節約の為にベンチ入りの人数を制限していることと、現在のあらゆる球技ではコーチは分業制であり大人数になるのは当然という時代の変化を、高野連と新聞社が認識できていないことを悲しくも示している」と決めつけている。改善すべきである。監督さんは全知全能であるはずがないのだ。

毒にも薬にもならない事しか言えない解説者:
解説者(説明者という方が正確ではないか)たちは試合をしている監督以下選手たちを貶すとか、批判めいたことは一切言わず、ただひたすら褒めるのにはウンザリさせられる。この点は他の競技でも同様で「解説に呼ばれた過去の名選手たちは、一切批判めいたことを言おうとしないのは、迂闊に同じ世界にいる仲間を貶してしまえば、業界の居場所を失ってしまうのではと恐れているのでは」と、既に指摘してあった。

折角、往年の名選手が解説に来ているのだから、建設的な意見を言うことを封印する必要はないのではないのか。彼等が調子に乗って喋りすぎるのがうるさいこともあるし、ラグビーのDO君のように興奮して応援団の如くになる方がまだ増しかも知れない。NHKにも他局にも考え直して貰いたい事柄だ。

プロの野球界で言いたいことを言えた(言えるだけの格があった)のは、広岡達朗氏と故野村克也氏だけだったと思う。だが、広岡氏は最早何処にも登場されないし、野村氏は故人であるのが残念だ。