新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

個人消費は何故低迷するのか

2014-11-30 14:58:38 | コラム
高齢化社会が個人消費に与える影響:

先日、YM氏と語り合った際に「今や買いたい物がないし、金を使い切れずに残して(死んで?)は残念だ」と彼が言った。彼にも悩みがあったのだ。しかし、我が国の25%以上を占める高齢者が勢いよく消費しなければ、GDPの60%超である個人消費が伸びないのは当然かと思ったのだ。理屈では60%の25%は全体の15%だ。YM氏は国内外の旅行等で消費はしているが、それだけでは個人消費の増進に幾らも貢献はすまい。また、彼ほど余裕がある高齢者がどれほど沢山いるのかだ。

我が方も今月半ばに小田急の小田原経由でJRの熱海まで行って、何処まで行っても高齢者ばかりで些か驚かされたが、宿泊した旅館でも高齢者ばかり。私にはこういう慎ましやかな支出がGDPを成長させるまでには至らないのではと感じたが、如何なものだろう。実は、この旅館は一泊二食付きで¥7,800だったのだから。それでも、我が夫婦もささやかながらGDPには貢献したかと自負して帰京した。

私は今後とも増加し続ける高齢者が安心して消費活動に励むようになる政策が必要ではないかと思っている。現在のように財務省も厚労省も取りやすいところから取れという増税や後期高齢者医療費や介護保険などを取り続けるようであれば、年金を主たる収入源とする高齢者たちが安んじて消費する事態には至らないだろうと、本気で考えている。

確かに何処に行っても高齢者は多いが、大きな病院でも開業に医院にでも行ってみて貰いたい。老人ばかりだ。自分の経験から考えても高齢になれば、それに比例して病気が増えてくるものだ。そこに考慮することなく後期高齢者の医療費が嵩むからと言う理由で収奪することを考えている厚労省の官僚たちは、何時の日か自分も高齢化するとは考えていないのだろうか。3割負担ともなると、食うものも食わずに過ごすかと考えるだろう。

いや、スポーツクラブでも同じだろう。兎に角老人ばかりだ。彼等はそこを社交の場とでも心得ているのか、本気で身体を鍛えているのは余程の物好きで、多くの男女は社交場とでも心得ているようで、おしゃべりに専念しているようだ。でも、何処にも行くところがなく、多額な支出を避けたいのならば、ジムなどは極めて健全な場所だろう。

しかしながら、財務省の兎に角何が何でも増税という方針では、高齢者のささやかで健康的な楽しみすら奪いかねないのではないか。これでは個人消費が伸びない訳だ。彼等は高齢者が増えるだけだという人口構成を考えているからこそ、高齢者を標的にするのだろうかと疑っている。

当方は2006年1月に心筋梗塞に襲われて以来、数の数の予期せざる病気を患い医療費も急増した。また、YM氏が言ったように何か大きな出費の品物を今更買っても、墓場に持って行くしかないのでは買おうとも思わない。また、某商社主催のファミリーフェアーには行くが、ともに毎回食料品を買うだけで直ぐに脱出。スーツ等はこのフェアーも目玉の一つだが、今更着る必要がある場面などありはしないので共に見向きもしない。

かと言って「キャジュアル」(カジュアルではない、念のため)な洋品を買っても、遺産になるだけかも知れないと思えば、これも価格の高低に拘わらず無視だ。YM氏などはいくら預貯金があっても墓場まで持って行く訳にはいかないので、高齢者は如何にしてGDPを伸ばせるように使っていくかを十分に考えねばならないのではと言う。

ならば、経営者が奮起して給与所得者が潤うような策を講ずるべきではないのか。現実には遺憾ながらそんな立派な人は少ないのでは。私は長年の営業担当の皮膚感覚から捉えて、デフレも不況も続いていると信じている。故に、消費税率の10%への引き上げは支持しなかった。議員も官僚もこの付近に来て油を売っている沢山のタクシーを見れば、これだけでも「ヤバイ」と感じるだろうが、来る訳がないか。

当方も生活防衛の為に、先程もこの界隈で最も低価格で日清紡のトイレットペーパーを売っている薬局まで、片道15分も歩いて行ったところ「支店長の結婚式につき臨時休業」の貼り紙。とんだ30分もの散歩となってしまった。その帰り道には8人男女の中国人がキャリーバッグ(トローリー・ケースの誤り)をガラガラと引いてゾロゾロと。また彼等が増えるかと別な意味でウンザリ。

回りくどい話になってしまったが、高齢者の個人消費を促進する政策は矢張り必要ではないのか。それは後期高齢者健康保険の負担、年金への所得税課税、介護保険料の毎年のような増額が、我々の支出意欲を削いでいると考えて貰いたいという意味でもある。我々と言うのか彼等と呼ぶのか知らないが、東京オリンピックまで長らえて、観戦できるように身心と経済力を整えようとでも言う意欲を掻き立てないと、1億2,600万人の25%超はその気にならないよ。

永久不滅リサーチが解散の是非を問うと

2014-11-30 06:47:21 | コラム
アベノミクス解散の支持と不支持:

先程一寸覗いたこの調査では、解散反対が56.2%だったのに対して賛成は11.0%。「どちらでもない」は31.4%と賛成を遙かに超えていたことには矢張り驚かされた。私が何れに意見を表明したかをお尋ねか。ここに驚きと言う以上、明記するまでもあるまい。

マスコミと野党の反安倍内閣キャンペーンの効果はあらたか。反対派は本気で民主党内閣の再現でも願っているのか。この辺りに我が国の民意というか民度が見えるのが残念だ。

Native speaker論

2014-11-29 10:26:47 | コラム
何故Native speakerが良いと思うのか?:

先ずこの言葉の意味を探ってみた。Oxfordには”a person who speaks a language as their first language and has not learned it as a foreign language”とある。私は非常に明解だと思う。だからこそ、我が国では外国語の中でも最も神経を遣っている英語を教えて貰う為には”native speaker”が良いと思うのだろう。だが、私はこれは暴論だと思っている。

何故かと言えば、国語を考えてみよう。北から言えば東北弁があるし、関東地方に来ても茨城の方言もあれば、中部に行けば静岡県だけでも富士川を境にして東西で違ってくるし、名古屋弁もあるし、関西に行けば京都、大阪、神戸でも言葉は微妙以上に違うではないか。中国、四国、九州でも独特の表現もあれば訛もある。だから共通語(標準語、公用語)があるという理屈か。その何れを外国人に教えても良いとの理屈は成り立つまい。

これと同様に、同じ英語を母国語にする国でも「これが同じ英語か?」と思わせてくれるほど国毎に違う英語を話している。簡単な例を挙げれば、アメリカに行けば東海岸、南部、西海岸では英語に違いがあるし、人種によっても微妙に異なってくる。UKでも同じ現象がある。嘗て私が「日本では標準として西海岸の英語を」と言ったところ「英連邦をお忘れだ」との批評を頂戴した。冗談ではない、”Queen’s English”も”London cockney”もオーストラリアやニュージーランドの英語も承知の上で言ったのだが。

W社にはニュージーランド人もいれば、カナダ人もいたし、ウットリとさせられたほど美しいQueen’s Englishを話すオーストラリア人の奥方がいたマネージャーもいた。OxforのMBAを持つニュージーランド人の副社長もいた。だから、彼等の英語がどういうものかを承知していた。即ち、アメリカの英語と何処が違うかは解っていたという意味だ。

即ち、native speakerが適任と思ってしまえば、これほど多くの異なった英語を話す何処の国から連れて来ても良いということになるのだ。私が正調のアメリカ西海岸の英語が良いだろうと主張するのは、我が国の人にも発音しやすいと言えるし、人口の点から見てアメリカ語を話す人が世界で最も多いと経験からも考えたいたからだ。更に言えば、少なくとも重要な同盟国だから。

勿論、Queen’s Englishの美しさも上記のように十分に経験している。更に言えば、Elizabeth女王や故Diana妃のような美しさであるとか。美智子皇后の発音は非常に美しいのだ。

「そう言うならば、UK、就中Englandからnative speakerを招聘すれば良いではないか」という論が出そうだが、「UKで本当に格調高いQueen’s Englishのような英語を話せる人の比率がどれほど低いか承知で言っているのか」と問いたい。その少数派から我が国まで来て小学校の児童にまで教えようという篤志家がどれほどいるかを考えて貰いたい。その篤志家が外国人に母国語を教える資格、で悪ければ技能を持っているかも考えて欲しい。

この理屈はアメリカ人にも当てはまる。貴方は「これは南部訛で我が国で教えるのは適切ではない」と判定できるほどアメリカ語の違いをご承知かとも伺いたい。「クリントン元大統領には何と出来ないのかと言いたいほどの南部訛があったと聞き分けられる人が、どれほど我が国にいるか」を考えたことがおありか。「オバマ大統領の英語にはウンザリさせられるほど品格に欠けているかが解る」と指摘できる人がどれほどいるのだろうか。

オーストラリアの(現職だったかどうか記憶はないが)の首相は、解りやすいたとえを挙げれば、公式の国際的な席でも”Australia”を平然と「オーストライリア」や”today”を「トゥダイ」のように発音される訛を持っておられた。だからと言って、首相の英語には品位がないと言えるのか。だが、「こういう類いの訛がある英語を我が国で教えて貰っても良いのか」というのが私が指摘したい問題点だ。

他にもヒラリー・クリントンのように”R”を響かせる発音をするアメリカ人もいる。私はこの種の発音は推薦したくないが、これを真似ている同胞が多いということは、こういう教え方がされているかと疑いたくなる。この種の発音はUKに行けばなくなると言って誤りではない。ではUKの人を連れてくるかという論旨の飛躍も採りたくない。だから、比較的に”R”で舌を巻かないアメリカ西海岸の英語を推薦したのである。実は、これに近い正確な英語を話す同胞は案外に多いのだ。

私は”native speaker”を全面的に否定しているのではない。厳選せよと言うだけだ。そして、その選び方が問題であり、我が国に厳格な判定を下せる方が文科省なり、英語の先生方にどれほどおられるかが気懸かりなだけである。そして、どのような英語を採用するかについては、アメリカ西海岸も正調Queen's Englishの何れも良いと思っている。問題は「そういう正確で正調の英語を操る人を需要を満たすだけ招聘できるのか」である。

勿論、我が国にも「違いが解っている」人は沢山おられると承知している。だが、そういう方々が教職課程を取っておられて教員の資格をお持ちであるかないかだ。なければ、小学校や中学校で正規の教員に出来ないのではないのか。非正規雇用で教えさせるのかな。だが、その前に「何で小学校から英語やらせるの」という問題を提起したい。いや、この問題に撞着してしまう。

小学校3年から英語を教科化

2014-11-28 09:52:23 | コラム
悪い冗談だろう:

恐らく反発される方が多いだろうと思う案件だ。そういう方には「日本語が未だ満足に出来てィナ子供に英語を教えて何の為になるか、誰がどうやって海外で議論も出来るし大学で経済学でも教えられるまでの次元の英語を教えるのか」をお考え願いたい。

ある会合で元小学校の先生だった女性と一寸語り合う機会があった。先生は寧ろ嬉しそうに正式に教科となったことを語っておられた。そこで、年来の持論を手短に述べて、如何に愚かなことかを力説した。先生は一瞬戸惑いの表情を見せたが、「私に教えろと今言われたとしても出来ない」とは言った。要するに、どれほど愚かなことかは全く解っておられなかった。私にはそれは当たり前というか普通なことだと思えた。

強調して上げたことの一つが「これまでに中学から教え始めて大学まで教えてきた『科学としての英語』がどれほど「話せる」という点でも効果を挙げてきたか(読解力は別だと言える)。国際人なる空想上の存在を子供の頃から養成する意味が何処にあるのか。今まで効果が出なかった教え方を、小学校の3年までに降ろせば効果が出るのか。native speakerを使うと言うが、その質の良し悪し、高さ低さを判定できる能力がある人がどれほどいるのか」だった。目を白黒された。

私がこれまでに小学校からと言うか幼児に英語を教えることがどれほど無意味かを何度も強調し、且つ機会を得れば語ってきた。だが、悲しいかな効果を挙げるまでに至っていなかった。それはある出版社のデスクがいみじくも(認識不足で言われた?!)私が無名な存在であるかからかも知れない。今週の運週刊新潮に藤原正彦氏が「管見妄語」で指摘されたことは、何と私の持論と全く同じだ。「藤原氏は解っておられる」と偉そうに言おう。少なくとも同調者がおられたと意を強うした。(失礼)

何度でも言うが、仏文学のYK博士が指摘された「我が国の世界最低の水準にある外国教育の手法を、小学校に下げて効果上がる訳がない」のだ。私は私と同様な勉強法で効果があった例を2~3承知している。それでは「Nが少ない」という方が多い。だが、効果が挙がっていないNがどれほどあるのかと問い掛けたい。藤原氏も「英語を使う職業につく希望を持つ者だけが中学校から全力ではじめればよい」と言っておられる。その通りだ。

申し上げて置くが、私はそういう為の英語を勉強した訳ではないが、職業としてアメリカの会社に転身しただけである。そして22年余を経て今日の持論に立ち至ったのだ。その経験もない人が国際人を養成しようなどと言うな。藤原氏もアメリカ人に国際人と呼べる者など一割もいないと書いておられる。これもその通りで滅多に出会ったことがない。国際人になる為には英語が話せねばと言うのならば、アメリカには国際人だらけだということになりはしないか。

YM氏と懇談した

2014-11-28 07:32:28 | コラム
アメリカでのアベノミクスの評判他:

彼に会うのが何と9月12日以来のことだった。そして、昨日は当方がやや疲労気味で昼食を挟んで約1時間半で終わらせて貰ったのは残念だった。その中から多少興味がありそうな話題だけ採り上げて置こう。

26日の会合でアメリカではアベノミクスの評価が低いというか評判が悪いと言われた方が数名おられたので、先ず彼の意見を聞いてみた。彼は「そういうことではなく、第一と二の矢の効果は兎も角、第三の矢というかデフレ脱却と2%でも何でもインフレに本格的に向かっておらず、景気回復が未だしだという点を指して批判する声があるので、アベノミクスそのものへの批判とは受け止めていない」と答えた。

またアメリカの景気回復については「失業率が低下したという報道は実態を伝えていない。実態は非正規雇用者が増えた為に失業率の低下となって現れただけで、所謂フルタイムの採用が増えてきた訳ではない」と指摘した。さらに「金融関係では銀行が『借りて欲しい筋からは資金需要がなく、借りて欲しくないところからは融資の要望がある』ので貸し渋ってい姿勢から、住宅等の言わば大口の貸し出しを避けて自動車業界の不調を救う為に車のローンには応じる姿勢に変わっただけ」とも語った。

即ち、「住宅金融では大口ともなれば100万ドル単位にもなるが、車なら精々4~5万ドルから始まる小口に過ぎないのでリスクが少ないと判断したようだ。だが、その小口も積もれば山となる危険性も考えられるので、何時かは第二のサブプライムローンとなりはしないかと懸念を表明し揶揄する向きもある」のだそうである。

何ヶ月ぶりかで訪れた代官山だったが、言うなればfashionableなこの街に貸しビルも増えてきたそうで、昼時には多くの勤め人たちが人気が高いレストランに押しかけてくるので、かなり混雑するように変わってきつつあるとのことだった。事実、我々が入ったところでも、12時を過ぎれば満員の盛況で、代官山にも少し変化の兆しが見えたかと感じた。

日頃、新宿、特に衰退の一途を辿るKoreatownの近くに住んでいれば、代官山に行けば女性たちの老いも若きも皆きらびやかな服装をしているように見えて、やや気後れさせられそうだった。特に私の上司との間で言わば”slang”のように使っていた”white gaijin”が多いのにも目を奪われたし、違和感を覚えてしまう始末だった。

細かく言えば、ここ百人町・大久保界隈にはアジア系の人ばかりで、欧米人に出会うことは極めて希なことであるという意味だが。