新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月18日 その2 思い切り笑わせて貰えたスパムメールの失敗

2024-07-18 18:30:44 | コラム
笑わせて貰えたスパムメールの大失態:

思うに上手ではなく「下手の手から水が漏れた」のだろう。午後6時を過ぎてから、何気なくメールを開いたら「【重要なお知らせ】電気料金請求書には、まだ支払いが完了していない金額があります。」という一見してスパムメールと解る着信があった。

「また毎度お馴染みの奴が来たのか」と思って開けば、何と内容はヤマト運輸株式会社を装ってくるインチキメールの物だった。こんな面白い迷惑メールのチョンボを見たのは初めてだった。

恐らく、送り手の「上手ではない下手の手から水か漏れたのだろう」と受け止めて、腹が立つ前に思い切り笑わせて貰えた。発信人には「他人様を誑かそうと企むのならば、少しは注意して仕事にかかれ」と言ってやりたい。

アメリカのMajor League Baseballを語れば

2024-07-18 08:19:26 | コラム
初めてMLBの野球を見た時以来のことを:

あれは未だシアトル・マリナーズがキング・ドームというドーム球場を本拠地としていた頃だった。我が事業部が所有していた年間指定席に遠来のお客様をご案内して三塁側の内野席に向かった。何と言っても「大リーグの野球を見られるのだから」という感激と感動と期待感で興奮していた。1970年代の終わり頃だっただろう。

先ず印象的だったのは「選手たちがデカイ事」だった。内野などは林を見ているかのような錯覚にとらわれた程だった。当時は未だそれほどアフリカ系の選手は少なかったと記憶するが、マリナーズのアフリカ系のオールスターにも選ばれていた二塁手(リチャードソンと言ったかも知れない)の華麗な守備、特にダブルプレーの際の送球の美しさには圧倒された程華麗だった。

外野手ではセンターに入っていたケン・グリフィーJr.の「美しい」としか形容できなかったフライを捕る形などは「流石に大リーグ」とウットリさせられた。それ以外のことは何も覚えていなかったが、ただ一つ理解できたことは「マリナーズは弱いな」だけだった。その後に我が事業部の副社長がボックス席を確保したので、言わば特等席から野球鑑賞が出来るようになって、落ち着いて観戦できるようになった。

その頃はそれほどではなかったが、時が経つに連れて南アメリカの諸国からのアフリカ系のプレイヤーが続々と増えるようになってからは、私はMLBの野球の質が変わってしまったと認識している。それは、南アフリカからやってくる者たちは、アメリカの大卒の選手たちのようにプロになる時に「ベースボールとフットボールのどちらを選ぼうか」と考えるような、複数の競技を経験した訳ではなく野球だけで育って来たという単能機であるからだ。

即ち、アメリカでは三大スポーツであるフットボール、ベースボール、バスケットボールの選手たちは多くの指導者というかコーチたちから夫々のポジションに適したようなウエイトトレーニングの課題を与えられ、各人がそれに従って身体能力と体幹を鍛え上げた上で練習に臨むのである。しかも、我が国の体育会組織とは異なっていて、彼等はこれらの三つの競技のどれでもこなせるような訓練を受けているのだ。言わば「複合機だ」という事。

であるから、南アメリカ系の選手たちは、その優れた身体能力を充分に活かすような野球をしてみせる傾向があるのだ。具体的には「二塁手が二塁ベース寄りのゴロを捕球してから飛び上がりながら体を反対方向の一塁に向けて鮮やかな送球をする」というようなこと。私は「これは内野手としての上手さと言うよりも優れた身体能力の問題だ」と見ている。この辺りは「抜かれそうなゴロに飛びついて捕球し、素早く立ち上がって送球する」と同じだと見ている。

また、彼等は基本を充分に鍛え上げられてこなかったから、外野手の場合は大飛球に追いついて取ってみせる能力は高いが、本塁に送球する時などには強肩振りは見せるが、正確に捕手なり内野手に届く訳ではない場合が多くなってしまう。言い方を変えれば、野球という競技が恰も「身体能力ショー」のようになってしまった感が濃厚なのだ。だから、投手出身のイチローの送球が「レーザービーム」などと賞賛されてしまうと見ていた。

そうしている間に選手の構成が変わってきてNHKのBS等のMLBの試合の放映では、出てくる選手たちの出身国が表示されている時代になってしまったようだ。昨日(なのかな)の大谷翔平が「日本人初の柵越えホームラン」を打ったオールスター戦に出場した64名の選手中に、外国人が占める比率が46.9%だったとCopilotが教えてくれた。言うなれば半分だったのだ。

私が面白いなと思う傾向は「スペイン語系の国から来ている選手たちに通訳が付いている」という話を聞いた記憶はないが、日本から行った連中には未だに球団が負担するのか、通訳が付くという手厚い扱い方がされている。尤も、ヤクルトや読売で活躍しDeNAの監督まで務めたアレックス・ラミレス氏はベネズエラの出身だが、一寸だけ怪しい英語だけで押し通していた。何故、スペイン語の通訳を付けないのかと思っていた。

ここまで長々と述べてきたが、何処に話を持っていきたいのかと言えば「あの外国人ばかりの世界に身体能力、体幹の強さ、野球(でもフットボールでもバスケットボールの世界でも同じだろうが)の技術を持って参入し、言葉もろくに通じない者たちの中に入って生存を競い、ポジションを確保し、勝ち取った年俸に見合うだけの成績を残して、その世界に残るのは容易なことではないだろう」という事なのだ。

恐らく、そこには事前に予想できなかった異文化も存在するだろう。例えば、大谷翔平の弱かったとは言えLA Angelsに加わってからの体格の変化というか、凄いとしか言いようがない程能力が強化されて、2度もMVPを獲得するようになった背景には「我が国が未だ追いついていないトレーニングの手法が異文化と言って良い程違う(優れていると言えば語弊があるかも)実態」があるのではないのか。言葉の違いだって簡単に飛び越せる障害ではないだろう。

言いたい事は「そういう条件を全て上手く乗り越えて、あそこまでのプレィヤーになって見せた大谷翔平を形容するのに、何時まで経っても「2番DHで先発」などと言う感覚は理解できない。Dodgersが大谷とあの年俸で契約した目的は「スターティングラインナップ」に並べる為であっても、ベンチウオーマー用ではなかったはずだ。「先発」等という言い方は要らないと思うが。

それだけではない。自分自身が39歳で単身(当たり前か)アメリカ人だけで構成されている、予想も出来ていなかった異文化の組織に身を投じて、そこで阻害されずに何とかして皆に認められる存在になろうと努力した経験があるだけに、大谷翔平以下というか、多くのNPB出身の選手たちの苦労と努力の実態を伝えても良くはないか。経験から言えることは「あの世界では生存競争と言うよりも、如何にして単独で生き残るかという努力と工夫の世界だ」だと言う点なのだ。

だからと言うか、何と言うべきか、私は「大谷は勿論ナショナル・リーグでもMVPになることを狙っているかも知れないが、彼自身がWorld Seriesで優勝したいからDodgersに来た」と言ったように、ホームラン王だの、リーディング・ヒッターだの盗塁王だの等々は、その大目的達成の過程で生じることであって、それらだけを狙ってはいないと思う。

だから、打率がどうの、ホームランで誰それに追われているなという報道にさほど意味がないと思う。私は大谷にしろ、鈴木誠也にせよ、あのユニフォームの上からでも明らかに見える程体格が良くなった背景に、どれほど優れた近代的且つ合理的なトレーニングの手法があったのかなどが知りたいと思っている。

マスコミに向かって言いたくなることは「MLBに注目しているのは、単なる熱烈な大谷ファンだけではない」という事。表に出た現象だけの報道には満足できない。

トランプ前大統領が狙撃された

2024-07-17 07:27:36 | コラム
「矢張りそういう事が起きたのか」:

トランプ氏狙撃事件:
何の具体的というか理論的な根拠も無く「もしかすると、と言うか確率は極めて低いが、トランプ氏は暗殺の標的になることもありはしないか。何分にも知る限りでは、63年11月のケネディ大統領暗殺と、81年3月にレーガン大統領の未遂事件があったのだから、トランプ氏が標的にされることもあるのかも知れない」と、言わば「閃き」のようなことがあっただけの話だ。

その単なる「閃き」が現実のことになってしまったとは、勿論非常に驚かされたが衝撃的だとは感じておらず、「矢張りアメリカではそういう事になるのか」と受け止めていた。私が常に指摘してきたことで「彼等の思考体系が二進法になっているので、どのような重大な事柄の判断でも『やるか、やらないのか』しか選択肢がないので、20歳の若者が決行したのではないのか」と見ている。

だが、事はそのように片付ける訳にはいかない非常に重大な事案だと思っている。次期大統領を選出する選挙が来たる11月に待ち受けている時に、極めて有力な共和党の候補者であるトランプ氏を狙ったのであるから。そこで、何名かのアメリカの友人・知己にこの「暗殺未遂事件」についての見解と意見(views and opinionsなのだが)を訊いてみた。問題が微妙なようで、返信は今のところ一人だけだが、それを紹介してみよう。

>引用開始
「トランプは怯むことなく出馬するだろう。この暗殺未遂はかえってトランプに対する同情票を集めることになって有利に展開するだろう。また、バイデン側に年齢問題等の混乱が続けば、バイデンの目がなくなると見ている。そちらでも、あの犯人がAK-15ライフルを使ったと報道されただろうが、あのライフルは軍でも使われており、これまでに多くの狙撃事件で使われてきた。我が国では繰り返して銃の不正使用を制限しようと努力してきた。だが、残念ながら未だに成功していない。

話は変わるが、私はわが国の将来に不安を感じざるを得ないのだ。私は以前から「全人口のごく僅かな部分を占める連中だけが富裕になって行くだけで、大多数の者たちは低収入・インフレの重圧・居住の費用の高騰等に悩まされ続けているような状況にあるのだ」と指摘してきた。また、私が住んでいるワシントン州南端の街でも、既に増加する一途のホームレス問題に深刻に悩まされていて、状況は悪化する一方なのだ。
<引用終わる

アメリカというかワシントン州の変貌:
彼自身が言っているように話題は変わっている。だが、ワシントン州、それも中心の都市であるシアトルにおけるホームレス激増問題は、COVIDの流行が激しくなっていた頃に既に大問題視されていた。住環境、温暖な気候、教育環境、治安、食糧事情等々が非常に優れたシアトル市は、長い間「アメリカ中で最も住みたい街」に選ばれ続けていた。その長所にホームレスが乗じて破壊的に増え、景観を悪化させていることも不安材料だった。

今やシアトル市内だけで1万人もいるとかだし、ワシントン州全体では人口1万人中30人がホームレスだという統計もある程だとか。何故増えたかという大きな原因に、上記のアメリカ経済の悪化があるというのが彼の指摘であるようだ。

私がシアトルを訪れたのは2007年という17年も前のことになるが、その時でも既に人口が激増して以前と比較すれば各国からの移民が多くなり、往年の落ち着いた雰囲気のシアトルではなくなっていたが、今や状況は更に悪化した模様。その一因がインフレであり貧富の差の拡大にあるのかも知れない。このように変化したアメリカを誰がどのようにして立て直すのだろうか、「再び偉大にする」前に。
 

アメリカ物語

2024-07-16 07:38:50 | コラム
所変われば品変わる:

「えっ、これがhot dog」:
初めてシアトルのキング・ドーム(今は解体されてしまって存在しない)にMLBの野球を見に行った時のこと。Polish sausageのhot dog(この発音は断じて「ホットドッグ」ではなく「ハットダグ」である)が美味いと勧められて買いに行った。貰えたのは二つに割ったパンの中にポツンとソーセージが入っているだけの物。辛子もケチャップもタマネギもなかった。「何だ、これは?日本ではチャンと何もかも整えて売ってくれるのに」と訝った。

だが、ふと気が付くと、現地人たちは嬉しそうにその何も付いていない代物を抱えて、店の反対側に向かって行くのだった。そこに何があるのかと思えば、きざんだタマネギも辛子も何も全て台の上に用意されていた。彼等はそこで自分の好きなように味付けして持ち帰るのだった。

そこで、漸く気がついたのが「何事でも個人が主体のこの国では、お客の好みで味付けして下さいという方式なのだ」ということ。「なる程」とは思ったが、未だ不慣れな私は何とか味付けしたが、矢張り日本式の「全て調理済み方式」の方が便利ではないかと感じた次第。これも異文化のうちだろう。

両替機で手数料を取られた:
シアトルの空港で荷物を受け取ってから移動しようにも、その時は数も多く重すぎたので、レンタルのカートを借りようと思った。だが、そこでは25セントだったかの硬貨を入れないと取り出せなかった。「これは困った」と思ったが、幸いにも両替機が用意されていたので1ドル紙幣を入れてみた。だが、1ドル分の硬貨が出てこないのだった。また故障かと疑って機械を叩いてみたが無反応なので諦めて、カートを取り出してバス乗り場に向かった。

後で現地人に「あれは何だったのか」と訊けば「それは手数料を取られただけなのだ」と教えられた。「なる程。これもアメリカ式合理主義か」と納得した。

靴の売り場には片方だけ陳列:
為替レートの問題もあるが、靴(革製品)はアメリカで買う方が断然経済的であるし、品質も間違いないのだと先達にも教えられて、シアトル市内の靴の売り場が優れていると定評があるデパートのNorstromで買うようにしていた。そこで気が付いたことがあった。それは売り場では全ての靴が片方だけしか棚に置かれていないことだった。それでも、買う方にとっては充分に品質などが吟味できるので、特に不便だとは感じなかった。

だが、矢張り好奇心から上司に「何故?」と尋ねてみた。その理由は「shop lifting(=万引き)防止策なのだ」そうだった。即ち、一足並べて万引きされることがないようにということ。当方の理解は「矢張り、性悪説の国では人に対する見方が違うな」だった。

話は変わるが、アメリカの事情に詳しい方に「アメリカで靴を買う場合に注意すること」として教えられた相違点があった。それは「車社会で外を歩くことが滅多にない国だから、革には防水や撥水の処理がされていないので、日本に戻ってウッカリ雨中を歩くと、激しく傷んでしまうことになりやすいから十分に注意すること」だった。一方、日本でなめし加工された革製の靴はその心配は無いとのこと。「所変われ品変わる」だった。

契約期間は終わった:
出張してシアトルに入り、某商社を約束の時刻に訪れると、そこには事務所が無かった。慌てて管理事務所と思しきところに尋ねると「もうここを引き払って、こういうビルに移転した」と教えられた。そこは歩いて行ける場所だったので、何とか時刻に遅れずに辿り着いた。担当者に「何故、急に移転したのか」と尋ねて、「そういう習慣というか慣行の違いがあったのか」と驚かされた。

どういうことかと言えば、「商社は最初X年間の入居契約をして事務所を構えた。そして、契約年数が終わりに近くなった時に、家主から「契約期間が終了するので立ち退いて貰いたい。既に後のテナントと契約も出来ているので」と当然のように通告されたのだそうだ。商社側は「日本式ならば、その時点で再交渉しなくても契約は延長されるので、その慣行が通用すると考えていた」そうだった。

私には「商習慣の違い」なのか、あるいは「商社の手落ちか」は判断できなかったが、「契約」という事については、日本とアメリカでは考え方が違うようだとは認識できた。


続X4 America Inside

2024-07-15 08:23:47 | コラム
異文化には習うよりは慣れよ:

昨23年の7月まで続けてきたこの「America Inside」の続編が、有り難いことに未だ読んで頂けているようなので、この際「X4」をと考えて見た次第。恥ずかしながら、39歳になるまでアメリカには行ったことがなかったので、異文化の実態を殆ど心得ていなかった。だが、即戦力となるはずの経験者を採用したのだから、上司に当たる人たちは私がアメリカの事情に通じていると思っていたようだった。

実は、72年8月に初めてサンフランシスコ経由でアトランタに入って以来、何処に行って何に出会っても、全て「初体験」ばかりで戸惑い続けていた。だが、何とかそうであるとは気取られないように懸命に「知ったかぶり」を続けていた。そういう辛かった経験を思い出してみようという趣向である。

飲酒運転じゃないか:
最初にジョージア州アトランタに入って強烈な南部訛りの洗礼を受けてから、オハイオ州デイトンにあったMeadの本社に向かった。そこで、改めてパルプ部のP副社長とSマネージャーに再会して、コネテイカット州グリニッチにあるパルプの本部に、ニューヨーク経由で出かけた。夕食は市内の今でも覚えている“Pen and Pencil“という豪華だったのだろうレストランで取った。

副社長たちはジントニック(gin and tonic)やウオッカマテイーニ(vodka martini)等を楽しんでから、Sマネージャーの運転で隣の州であるコネテイカットに向かい、道中観光案内までして貰えた。だが、アメリカには全く慣れていなかった当方には「これって、飲酒運転じゃん」とハラハラしていた。だが、何事もなく本部の目の前のホテルに到着した。正直言って「怖かった」のだが。

話変わって1975年にウエアーハウザーに移ってシアトル駐在の商社の人たちに「アメリカにおける飲酒運転」について尋ねてみた。実は、私は運転免許を持っていないし、アメリカで運転する訳がないのだから、飽くまでも参考として教えを乞うた次第。「勿論というか原則禁止であるそうだが、余程危険な運転をしていると認められない限り捕まることはない。だが、もしも捕まった場合には非常に重い罰が待っている」という事だったと理解した。

これは上述のように1975年の話であり、その後取り締まりはかなり厳しくなり絶対にやらないことになったと認識している。何れにせよ、我が国におけるのと同様に飲酒運転をしてはならないのである。だが、あの国で我が国のように厳格に取り締まれば、通勤というか交通が成り立たなくなってしまうように感じている。

それと、忘れたならない事は「白人(と言って良いかも)の体内にはアルコールを消化する強力な酵素(?)が東洋人よりも遙かに多く存在するので、酔ってしまうことは滅多にない」点があるようだが、この記述には責任は持てないとお断りしておきたい。

ファーストネームで呼び合う世界:
この「異文化」とでも言いたい習慣があることは充分に弁えて入って行った世界だった。勿論、そのファーストネーム以外にもそれを短縮したと言っても良いと思うネックネームが使われていることも承知していた。即ち、我が国の習慣のように名字に「さん」や「君」を付けるとか、当方の好みではない表現の「後輩」に当たる下級生・目下・同期を「呼び捨て」にすることもまた無いのである。だが、高い地位にある人の中には「フェーストネームベイシス」を許さないこともあるので要注意なのだ。

故に、教えられたことはと言えば「初対面で名刺交換をした際には、その名刺にあるフルネームを音読して間違っていないことを確認して貰うことから入る」だった。次に「貴方様を何と呼べば良いかを尋ねると良い」のだそうだ。即ち「名字にMr.を付けるのか、ファーストネームで宜しいか」というところに入っていくのである。例えば、“How may I call you, Mr. Jobs or Steve?“のような具合に。

ここまで来れば「このようなニックネーム(例えばWilliamはBillになるようなこと)で結構」にまで話が進むと思う。いきなり、馴れ馴れしくファーストネームにしない方が無難であるという事を忘れないようにしたい。

このファーストネームの世界に慣れてきてから痛感したことがあった。それは「敬称を付ける習慣」の国から入ってみると「我が国で感じていたような上下関係の観念が希薄になっていく感があったこと」なのである。例を挙げてみれば「事業部の本部長に向かって“Hello, George. How are you doing, today?“のように声をかけるのは、慣れるまでは何となく怖かった」のだ。「無礼者」とぶっ飛ばされはしないかと。

私だけの感覚というか捉え方かも知れないが、社長までも含めて上司や同僚たちとファーストネームで呼びかけても良いという世界に慣れると、我が国では感じたことがない親近感と馴れ馴れしさが生じてくるのだった。言うなれば「気安く話しかけられる」ようになって、気持ちが非常に楽になるのだった。大袈裟に言えば「上司や仲間と一気に親しくなれる魔法の小槌でも貰えたような不思議な感覚」とでも言えば良いか。

ではあっても、Meadのオウナー兼海外関係担当副社長のNelsonにはついぞ「ネルソン」とは呼ばずにMr. Meadで過ごした。ウエアーハウザーのオウナーファミリー代表にして第8代目のCEO & PresidentのGeorge WeyerhaeuserはMr. Weyerhaeuserと呼ばれることを嫌い、Georgeと呼ばせていた。彼は「堅苦しい儀礼を好まないのだ」と聞かされていた。

だが、1978年に2日ほど止むを得ない事情があって、社長の日本国内の出張の通訳を務めた事があった。その際に「ジョージ。私が今回の出張のお供をする者です」と自己紹介した時には、この「ジョージ」と呼ぶことから入っていった時には緊張は極限に達して、震えていた。この時に実感したことはと言えば、「雲上人」であるジョージに対して何と言って良いか解らない親近感が湧いてきて、非常に気が楽になったのだった。

だからと言うべきか、レーガン大統領が中曽根首相との間で「ロン、ヤス」とファーストネームで呼び合ったことは、マスコミが言うように特別の親しさになってことを表しているのではなく、普通のアメリカの習慣だっただけのことだと思う。他にも、オバマ大統領は寿司屋の前で安倍総理にいきなり「シンゾー」と呼びかけたではないか。私は同盟国の首脳間であれば、最初からファーストネームで呼び合っても、それは特筆大書すべきことでもないのではと思うのだ。