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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

総裁選の投開票を10月4日にした訳

2025-09-11 07:12:24 | コラム
「なるほど。そういう企みだったのか」:

石破未だ首相は「戦後80年見解」を発出すべく文案の検討に入ったと報じられた。当方は自由民主党総裁を辞すると発表されたときに、この件は消滅したとばかり思い込んでいた。だが、忠臣・逢澤一郎は10月4日に投開票を延ばすという手を打って、石破未だ首相に発出の機会を整えたのだった。同時に「この先送りで石破氏は麻生太郎氏の総理在任期間を超えるのだ」という鋭い読みもある。「何と、まー」だ。

1945年(昭和20年)の終戦の年には中学1年生だった私は「戦後の苦しさを経て、我が国が目覚ましく復旧・復興していく様子」を充分に体験してきた。その我が国の経済の急速な成長発展の中で、その凄さとどれほど大変なことだったかを見詰めてきた。石破さんの年齢ではその辺りを体験している訳がない。どれほどの努力をして成長・発展させたか知らないだろう。まして、戦争など語れるはずもない。

私は21世紀の今日になって物語や小説や映画やテレビのドラマ等々で、さも経験したが詳細を承知しているかの如くに装っている連中には言い表しようがないほど嫌悪を感じる。「あの時代を知りもしないで、解ったようなことを言うとは不愉快千万」なのだ。石破さんは「我が国の経済人たちがアメリカを始めとする戦勝国であり、先進の経済大国に追いつき、追い越す努力の実態を、その頃には学生でご存じなかったのではないか。

石破さんが談話とやらにご執心と報じられて、この上述の不快感と嫌悪感を改めて抱かせられた。まさか、経験もしていない、知りもしないことを「反省」でもする気か。この期に及んでまで人心を逆なでするような挙に出るとは・・・だ。考え直してほしい。いや、止めるべきではないか。

9月10日 その2 カタカナ語排斥論者の怒り

2025-09-10 14:48:54 | コラム
「フルスペックの総裁選挙」とは何だ:

石破総裁兼総理が自由民主党の総裁だけを辞任すると記者会見で発表以来「フルスペックの総裁選挙」などという言葉が、何の疑義もなく流通している。いや、マスコミが嬉しそうに使い始めた。これは何時のことだったか、西田昌司参議院議員が使ってから、マスコミ用語として定着してしまったようだ。好ましくないのだ。

制度的に言えば、全国の党員・党友と所属国会議員が投票する正式な選挙を指すのだが、それを“full-spec”などとカタカナの造語で済ませてしまうのは、言語の怠慢であり、思考の放棄である。この「フルスペック」を英語にしてみれば” According to the Liberal Democratic Party's internal regulations, the party president is elected every three years. In a full-scale election, both LDP members of the National Diet and dues-paying party members across Japan cast votes.“のような長文になるのだ。

本来ならば、この英文を日本語で丁寧に説明すべき内容を、英語もどきの一語に押し込めてしまう。しかも、その言葉を最初に使った某議員のカタカナ語の濫用を非難すべきだったマスコミが面白がって使い、定着させてしまったのである。この有様は朝日新聞が「収支報告書不記載」を「裏金」と断じて、あっという間に普及させたのと同様だ。あまつさえ「裏金議員」とまで広めてしまった。

私は彼等が言葉を軽視するだけに止まらず、無定見に濫用する。彼等は国民をミーハーの集団だとでも看做しているのか。何年前だったか、某宣伝広告会社の一担当者が「あなた方を対象にCMは作っていない」と教えてくれたのを聞く、またとない機会があった。また、間接話法だが、あるテレビ局幹部が某大学教授に「先生のような方を対象にして番組を制作している訳ではない」と、あけすけに答えたという話も伺った。これらの告知は驚くには値しない。想像通りだから。

私が間違っているかもしれないが、マスコミは購読者も視聴者も見下しているかのようだ。彼等は本当のことを承知していても、そのまま報道していないと疑いたくさせるし、知性と教養のほどを高く見せたいのかカタカナ語を多用している。こんな姿勢では知性を育てるものではなく、知性を排除するものになりつつあるのではないか。

彼等には粗製濫造のカタカナ語を濫用すれば、将来我が国を背負って行くはずの若年層の国語力を低下させ、スマートフォンへの依存度を高めるだけの結果を招きはしないか。この姿勢はひいては思考力の劣化をも知らず知らずに推進しているのではないか。

我が国には日本語があるのにも拘わらず、何かと言えば「ハードルが高い」の「ガバナンスがどうの」とか「何とかハラ」というようなカタカナ語に依存する。正直に言って「愚かではないか」と思う。自由民主党も見放されかけていると見えるが、マスコミにも反省すべき点が多々ありはしないか「フルスペック」で。最後に一寸だけ英語の講釈を。「フル」に当たる英語は“full-fledged”もあると思うよ。

22日公示、10月4日投開票

2025-09-10 07:07:55 | コラム
自由民主党に向かって言う:

古くからの言い方に「愛想もこそも尽き果てる」というのがある。これだ。石破総理総裁は「政治的空白を生じさせてはならないから辞任しない」と何度もその決意を表明してきた。だが、実際に「辞める」と表明したのは自由民主党総裁だけで、総理大臣には居座ることだった。当方は「辞めること即ち内閣総辞職で、直ちに国会を開いて首班指名か」と間抜けな解釈をしていた。

あに図らんや、総理大臣に在任の儘で、幹事長以下党三役だったかもその儘で、会議の席に居座っている。そこに忠臣なのか善意なのか、党の為か、正体不明の逢澤一郎委員長なる古手が「前倒し希望者は記名式」という悪手を打って、党の分断の危機を演出しただけに飽き足らず「フルスペックの総裁選挙で10月4日投開票」という「空白を来月まで引き延ばす」という前者にも増した最悪の手を打ったのだった。

マスコミも何の批判もなく本来ならば「国会議員票と全国の党員・党友票を同等に扱う方式」と報じるべきなのに、大衆迎合の「フルスペックの総裁選挙」と、何の批判の姿勢をも示さずに嬉しそうに報じるだけ。いや、それだけに止まらず「誰が出るの、出ないの」とか「誰と誰が軸で選挙戦が」と、まるでNPBのペナント奪取争いのように矮小化した扱い。ウンザリさせられたとか何と言う程度の話ではない。

昨夜には、何処の局のBSだったか記憶もしていないが、漸く「参議院の敗戦から50日も経ってしまった後にフルスペックで、追加の24日で何とする」と言い出した。今更何が言いたいのか全く意図が不明だ。責めるべきは逢澤一郎の石破さんへの忠義立てか、誤った判断か、単なる遅延行為か等々を、批判すべきではなかったのか。私は逢澤一郎の判断の悪さを猛攻撃したい。

これほどの空白期間を設けて、いや設けさせてしまった石破茂氏の潔悪さと言うか、厚顔無恥とでも言いたくなる政治姿勢を、言葉を極めて非難したい。「貴方様は何処まで自由民主党を劣化させて、長年の多くの支持者たちの信頼を裏切れば気が済むのですか。ましてや、解散まで企図していたとは、見下げ果てた姿勢ですよ」と心の底から言いたい。

昨日は「乃公出でずんば蒼生を如何せん」という戦国時代の兵法家・政治家である呉起の名言を、嘗て国鉄の総裁に就任した石田禮助氏が引用したので知られたものまで引用して、五人衆だか何人だか不明だが「この自由民主党だけのコップの中の嵐にも劣るような内輪揉めで済む事態ではない「国難」の時期に、「仲間と相談する」とか「何が出来るかを考える」と言うばかりで「我こそは国と党を救ってみせるぞ」との気概を見せる者がいないのも嘆いて見せた。

敢えて、石破茂前?自由民主党総裁と全自由民主党党員に告げる「貴方たちは次の総裁を選べば事が足りるとでも認識しているようだ。だが、我が国は貴方たちだけの責任ではないが、総裁兼総理が『国難』と形容したトランプ関税以外にも数多くの国内外の問題を抱えていると承知か。その時に10月4日まで引っ張って国民が『流石、自民党』と評価するとでも認識しているのか。そうだったら大間違いだ。可及的速やかに総裁選方式を改めろ」と。

当方が幾ら大声でこう言ってやってみても、所詮は「ごまめの歯ぎしり」に終わって、石破さん以下は解らないだろうな。

乃公出でずんば蒼生を如何せん

2025-09-09 06:49:13 | コラム
自由民主党の総裁選挙に思う事:

本題に入る前に「乃公出でずんば~」の解説をしておかねば。これは「他の者に何ができるのか、自分が出てやらなければならない」という、これから世に出ようとする者の気負いと自信を表す言葉である。何処の何方だったか失念したが、自由民主党を評して「党が危機に瀕しているにも拘わらず、総裁選挙にこの気概を持って立つ者がいないではないか」と嘆いておられた故事?を引用したまで。

石破さんは繰り返して「政治空白を創り出したくない」と言われた。だが、自由民主党の選挙管理委員会は22日公示で10月4日(土)の選挙だとか。これでは野党でなくても「長期の政治空白」ではないかと言いたくなってしまう。それまでの間は、自由民主党の総裁を辞めるとは言ったが、総理大臣を辞めると言われなかった石破さんが職務を遂行されるのか。おかしくないか。

それは兎も角として、マスコミ報道では5人が出てくるそうだが、茂木敏充氏は「全てを捧げる」と言って名乗りを上げられた。「意図は壮なり」とは解るが、古色蒼然とした決意の表明と感じさせられた。残る4人の方々は「相談する」とか「何が出来るのか」などと言うだけで、旗幟を鮮明にしていない。もっと「気迫」を感じさせてほしいが。

私は在職中の39年間に国の内外で人事というか、組織の中で自薦・他薦で偉くなっていく人たちと、その過程を見てきた。そして「人事とは不可解であり、予測や希望的観測などは当たらないものだ」という例を数多く見てきた。より解りやすく言えば「社内であの人物だけは上に来て欲しくないと思うと、その反対になり」だし「外から見てあの人なら次期役員」と予想して当たった例は極めて希だという事。

さらに換言すれば「内面」と「外面」の間には大いなる乖離があるという事。それは「下か横から見ていて、たいした器量もない者が上層部に取り入る才能があって昇進する事」がある反面「外部から見て敏腕で取引先からの評判が良い人物が、内向きの管理能力低い」という評価をされて、同期の連中に置いて行かれるという例も何度か見せられたのだった。

当方にとっては、この度のマスコミ辞令というのか有力とされた5人の実力者たちは、東京一区から出た人はいないし、日頃その謦咳に接したことなど皆無である。信ずべきかどうかも不明なマスコミ報道に頼る以外に、評価しようがないのだ。しかも、その良く解らないお方に「多事多難の時代の我が国の命運を託す」選挙なのである。それを壊れかけた「コップ」に任せるのだから、危なくて仕方がないと思っている。

五人衆の中には「この人物だけは???」と勝手に評価している方もおられるし「一度やらせてみたらどうなるか」という興味がある人もいる。「能力ありと言われながら、兎角の負の噂がある人」もいるとか。何れにせよ、我々一般人の手が届かないところで、500何十人かが寄り集まって決めてしまうのだ。それが最上の方法なのだろうか。

そこで、冒頭の「乃公出でずんば蒼生を如何せん」に戻って希望を述べておこう。それは「八方に気を遣うお利口さんはもう不要だ」という事。「誰が何と言おうと、私に任せろ。私が分裂の噂さえあった我が党を一致団結させて、この混沌たる荒波の世界を乗り切るように牽引していって見せるぞ」という気迫と気力と意欲と自信を見せて出馬して貰いたいという事。

2025年9月7日(日)は

2025-09-08 07:20:33 | コラム
多事な一日だった:

昨日は私の目から見れば「多事」(=eventfulとでも言いたい)な日だった。その辺りを時間の経過に従って取り上げていこう。

野球という競技の面白さと恐ろしさ:
Dodgersの山本由伸があと一人で「ノーヒットノーラン」を完遂し損なった。午前中にブログの構想が纏まらぬ儘にPCの前にいた時の事。二男から「9回の裏も山本由伸が投げるだろうが、ノーヒットノーランが懸かっている」と、知らせてきた。急いで仕上げてテレビの前に。

山本は緊張の表情だったが、順調にtwo out(「ツーアウト」とは言いたくないので)を取った。私の得意とする「閃き」では、どうしても完成しないと出てくるのだが「何とか完遂させてやりたいな」という思いで見ていたのだった。「駄目かな」と半信半疑で、最後にOriolesのトップバッターが登場するのを見ていた。

確か所謂4seam(=速球)だったと覚えているが「真ん中やや低目」に入った。左打者が思いきり振った。上がった角度を見て「不味いなー」と思ったが、外野手が追いかけているので取る気かと思った。だが、何処かに当たって跳ね返ってきた。ホームランだった。「あと一人」でやり損なった例がいくつかあったと思うが、昨日の山本の場合は、残酷な事がある野球という競技の難しさを見せてくれたのだった。

そこまでの山本は球速も出ていたし、運命の流れの難しさで手元が狂ったのか、狙ったところに行かなかったのかと見た。未だ行けるかなとは思えた。だが、ロバーツ監督が現れて、山本は素直に去って行った。実は、ここで「Oriolesの逆転があるのでは」と閃いたのだった。二男のことが終わってからの意見は「山本を変えない方が良かった」だった。

そこまでで、4連敗中だったかのDodgersは「運」にも「ツキ」にも見放されたようで、サヨナラ負け。野球というmomentumの競技では、一旦「勢い」というか「弾み」を失った場合には、取り戻しが効かなくなると言う典型的な例になってしまった。8回3分の2まで良く投げていた山本君には気の毒だったが、立派だった。彼は未だ若いし先がある。またやれば良い。

石破茂総理総裁の辞意表明:
午後になって何時頃だったか、何気なく見たYahoo Newsに「石破総理が辞意を表明の意向」と出た。何とはなく「唐突」の感はあったが、来たるべきものが来ただけという印象。暫くしてから「記者会見が6時から」と追加された。何故か「ホッと」した感があった。石破さんについては「毀誉褒貶相半ばする」と形容するのは当たらない気もする。だが、それなりにやりたいことをやり遂げたかに見える。

極力冷めた目で見れば「石破茂という方は『政治資金規正法に基づく収支報告書不記載(「裏金」は朝日新聞による造語で、意味が違うのである)』で自由民主党の規律を乱した党内の反対派の旧安倍派の処分(粛清?)を、徹底的に実行した総理総裁だった。党内の基盤が脆弱と言われる石破氏はこの処分の結果で益々足元が揺らぎ、何をやっても評価されず、世論調査でも支持率は低下の一途を辿った。

そこに、天から降ったか地から湧いたか「トランプ大統領のtariff攻勢」という、石破首相が言うところの「国難」がやってきたのだった。しかも、事もあろうにトランプ大統領とその忠誠心の塊の閣僚たちは「税率引き下げの交渉を許す」という高飛車な姿勢で、さらに攻勢をかけてきた。

あの陣営が相手では、どれほど有能な方が交渉しても簡単に「埒が明く」性質ではないのは明らか。赤沢亮正大臣があれほど回数を重ねて交渉に赴かざるを得なかったのも止むを得まい。その長期にわたった交渉が決着し、文書にまで仕上げたところが、石破さんにとっては退任を表明する大きな動機になったのではなかろうか。80兆円もの理不尽な投資を飲まされたという見方もあるが、何分にも相手はトランプ政権だったのだ。結果を評価して良いのではないかな。

だが、財務省の伝声管の如きだという厳しい批判もあった森山幹事長という存在も、個人的に評価すればマイナスの面が勝っていたと思う。上手く纏めるとか、野党とのパイプがあるとか言う程度の党人派の政治家が牽引できる時代ではなかったのだ。石破さんは頼るべき人材の選択を誤ったのだと断言したい。岸田さんが「検討する」だったが、森山さんは「財源がない」以外に台詞を知らなかった。

タイガースのセントラルリーグ制覇:
昨夜は何となく「六甲おろし」という古関裕而のメロデイーを聞こうかと、甲子園球場を一周するパレードまで見ていた。就任の1年目で優勝した藤川球児監督も評価したいが、個人的にはジャイアンツを17ゲームも引き離してくれたので気分爽快だった。私は何をさて措いても、タイガースの投手陣の働きを賞賛したい。数少ない(?)先発投手陣を救援の投手たちの獅子奮迅の活躍で優勝に持っていったのだった。

私は近年のプロ野球も、Jリーグのサッカーもあの「贔屓の引き倒し的」な応援の在り方を大いに疑問に感じている。昨夜のように広すぎる甲子園の客席をタイガースファンが埋め尽くし、一斉に歌いまくり踊りまくるのは一種の「文化」なのだろうが、私の好みではない。あの応援は恐らく東京六大学野球で始まったのだと推理する「応援団」の動きから派生した動きだろうとみている。

NPBの野球は「自分たちの好むどころか、既にそういう次元を遙かに超えた『我らがティーム』を、声をからし、応援歌を歌いまくる集団のための競技」になってしまっている。Baseballという競技の技術や戦術を鑑賞して楽しむ為に見に来るのではなく、応援することを楽しみにしているとしか見えない。もしかすると「日頃の憂さ晴らし」か、当世風に間違って言う「ストレス(本当はフラストレーションだが)の発散」なのかもしれない。

もう見に行ける機会はなくなってしまったが、MLBやフットボールのNFLを観戦に行けば聞こえてくる、アメリカの目の肥えたファンたちの、説者も遠く及ばないような適切且つ冷静なプレー毎の批評が懐かしくなる。何かにつけてお祭り騒ぎをする傾向があるアメリカ人たちでも、我が国よりも静かに観戦しているのは、矢張り「文化の違い」と割り切るのだろうか、それとも「応援団」という文化を讃えるべきか。