新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

出版不況を実感

2016-02-29 14:58:51 | コラム
芳林堂書店が自己破産申請:

2~3週間前だったかの木曜日に、高田馬場駅前のビルの3~4階にある芳林堂書店(本店は池袋だとか)の高田馬場店に入ったところ、週刊誌の棚に何もなく「輸送の都合上入荷が遅れている」という意味不明な張り紙があった。さして気にも止めずに出てきたのだが、先週末に何気なく見たYahoo Newsに芳林堂書店が自己破産し債務約20億円とあったので、あの張り紙の意味が漸く理解出来た次第。長引く出版不況は2015年が最悪だったと何処かで読んだ記憶があるが、その現実をこういう形で見せられたのは初めてで、かなり強烈な印象があった。

週末は高田馬場方面には出向かないので、本日高田馬場駅前のジムに出かけた後で、その書店が入っているビルのエスカレータを上がって如何なる状況にあるかを視察に行った。すると、3階の入り口に掲示板が出ていて大要「お客様が既に承知のような状態にありますが、今後ともお客様のご要望に応えられるよう努力して営業を継続しますので宜しく」と記されていた。店内には何時も通りのお客がいたし、ごく普通に営業していた。だが、週刊誌と雑誌の棚は隙間だらけだった。

なるほど、取次店は今月の下旬には状況を見抜いて出荷を止めていたのかと、出版業界の難しさを改めて認識させられた。私は店内に漂う何となく暗い雰囲気を感じていたし、1時間に一本しかないバスの時間が迫っていたことでもあり、そのままそそくさと立ち去ったのだった。月末に芳しくない話題だったが、もしも芳林堂が営業を停止してしまうと、新大久保から高田馬場界隈までには本格的な書店は駅の近くの早稲田通りの一軒のみになってしまうところだった。

2月28日 その2 It was along day!!

2016-02-28 16:27:01 | コラム
2月27日(土)は長い一日だった:

通常通りに朝4時に目が覚め、先ず6チャンネルのニュースを30分間見てから5時過ぎに起床。先ず自分一人の為だけになった朝食の準備で、トースターにパンを1枚入れ、浄水器のBritaに水を入れ、ランチョンマットだかの上に皿とスプーンを乗せ、ジャムと蜂蜜を揃え、マグカップにNestleのdecafのインスタントコーヒーを入れて完了。それからPC部屋に電気を付けて起動させ、Emailが来ているかどうかを確かめた後に、ブログのアクセス数を調べて終わり。

そこで、リビングダイニングルームに戻って新聞を読み始める。ここまでで5時45分頃になっている。それからおもむろにヤカンに水を入れて沸かしにかかり、トースターのタイマーを2分半にセットする。これでお湯が適温に沸く方がトーストが焼き上がるのよりも早いのだ。食べ終えて諸々の薬を飲み終えても未だ6時半にもなっていない。それからは「親が死んでも食休み」で休憩。

7時過ぎでから思い直して頂門の一針の投稿用とブログ更新用の原稿に着手した。概ね45分以内には仕上がるので投稿とブログの更新まで完了しても未だ8時にもなっていなかった。それから新聞の読み残しを片づけてから食器類を洗ったがこれが、この作業が家内が入院した後に加わった日課である。

見るともなくテレビを見て暫く時の経つのを待って、10時少し前に小田急線の代々木上原駅前の吉田クリニックにプラセンタ・エキスの注射を受けに山手線と小田急を乗り継いで向かった。家内の速やかな回復の為にも当方が体調を万全な状態に維持せねばなるまいと思っているだけではなく、自分自身の為に毎週土曜日には欠かさず通っている。私は循環器系統の為にもこの注射は大いに役立っていると信じている。帰路では近所のコンビニで昼食用にとサンドイッチを購入したが、それでも未だ11時半にもなっていなかった。

また一休みの後に、2時過ぎに家内の経過を見に徒歩で5分もかからない東京山手メデイカルセンターに向かう。持参するのは前日の新聞と食事用に金属のフォーク。もう既に点滴が外れて食事が出ているが、未だ箸よりもフォークの方が使いやすいからと頼まれていた。部屋に到着してみると、何と名前入りの歩行器が準備されていて、看護師さんの介添えでベッドから降りて手洗いまで行って良いとの許可が出たとのこと。順調に回復しつつあるようで一安心。

当方は風邪を引いている訳ではないが、万全をして常にマスクをかけて見舞いに行くのだが、「ただでさえ大きな声で話さないものがマスクをかけていては益々聞こえにくい」と苦情を言われた。そこまで回復してきたのならば良いことではないかと思い、近所迷惑にならない程度の大きな声を出して語り、30分ほどいて退散。この病室からは北側になる我がアパートが手に取るように見えるほど近いのだ。

帰宅後に丁度間に合った我が国の「サンウルブズ」なるやや寄せ集め的な感があるテイームが、この度参加した世界の最高水準を行くラグビーのスーパーリーグでの初戦、南アのライオンズとの一戦(録画だったらしいが)を見た。確かに我が国のラグビーは昨年のW杯で見せたようにかなり強く且つ上手くなっていると認める。だが、そのスーパーリーグで優勝経験もあると聞かされたライオンズにはトライを一本取れただけで26対13と点差通りの実力差を見せつけられた敗戦だった。この試合はW杯よりも両軍が大きく広くパスを展開した攻防を展開したので、ラグビーとしては楽しく見ていられた。

夕食には恐らく80有余年の人生初のことだと思うが、先日ファミリーフェアーで購入してきた焼き肉風に味付けされた牛肉に家内の指示通りに白菜の葉を何枚か適当な大きさに切って加え、少量のサラダオイルも使っておそるおそる炒めるというかのか加熱するというべきか知らぬが、兎に角料理をしてみた。油が跳ねるのに辟易となって蓋を探してかぶせ、数分後に無事に終了した。あれほど沢山入れたと思った白菜は余り見当たらず肉ばかりになってはいたが、何とか食べられるようになっていたので、目出度し目出度しだった。デザートにはヨーグルトに蜂蜜をかけて楽しんだ。

夜になってからは一日の大活躍と馴れぬ料理の真似事でそれなりに疲労困憊したようで、9時からのテレ朝の警察もののドラマを寝室で横になって見ていたところ、肝腎の犯人が分かる辺りになる前に眠ってしまう有様だった。そうそう、テレビを見る前にチャンと家内の言いつけを守って家計簿の如きものに記帳をしておいたのだった。

この生活をこれから先に3週間以上続けられるのだろうか。29日(月)週明けに予定通りにジムにも行き出すし、3月1日には国際医療研究センター病院での循環器科の定期検診があってその後に調剤薬局にも回るので、確実に半日以上が費やされるのだから大変だ。尤も、その為のプラセンタ・エキスの注射があるのだ。でも、結構長い一日だった。最後に英語の講釈をすれば、矢張り”It was a long day.”なのだ。


ドナルド・トランプ氏に思う

2016-02-28 08:25:44 | コラム
看過してならないことは彼はIvy LeagueのMBAである点:

西海岸のワシントン州に本社を置く会社に長年お世話になったので仕事上ではニューヨークとは余り縁がなく、22年有余もアメリカの会社の2社の社員であったにも拘わらず、NYには2度しか訪れたことがなかった。かのトランプタワーにもそこが何たるかも意識せずに入ってしまっただけのことだったから、ドナルド・トランプなる方についての知識も極めて乏しかった。

そこに今回のトランプ騒ぎが持ち上がった。そこで取り敢えずWikipediaで調べてみた。意外だったのは22年間に私の周囲には、言うなれば掃いて捨てるほどいたMBAやPh.D.等から受けた紳士的で知性的な印象とはかなり異なるトランプさんは、何とIvy Leagueの一校であるペンシルベニア大学の出身でしかもそのビジネススクールであるかのWharton SchoolのMBAであったと判明したのだった。それは少なくともアメリカを支配する階級の一員であり、相当以上に知性的であってもおかしくない人物だということになる。それがあのマスコミが採り上げて騒ぐ暴言を連発する得意な不動産王の学歴だった。

言うまでもないことだが、Ivy Leagueであろうとなかろうと、アメリカの大学院で修士号を獲得する為には勉強も大変だが、高いdebateの能力が必要なのである。

私は彼のスローガンのように思える”Let’s make America great again.”は面白いと思って聞いている。先ずは「アメリカを再び偉大な国にしようではないか」がオバマ大統領の優柔不断な姿勢によって、嘗てのアメリカの地位が明らかに低下してしまったことをずばりと指摘しているようで、オバマに不満を覚えている本来は民主党支持の労働者層や少数派にも受けてしまったことを示していると見ている。

また「再度偉大な国にしよう」という主張は解りやすいが、そのコインの裏側にある事は「アメリカは偉大ではなくなった」との悲しい事実をトランプ氏な声高に全米に向かって唱えているのである。私はアメリカ人が本当にアメリカの地盤が沈下してしまい、プーチンや習近平に侮られていることを認識してしまったのであれば、どのようにして再度アメリカを偉大にするのかの政策を一向に明かさないトランプ支持に走ったとしても、さほど不思議ではないような気もする。但し、一握りのアメリカの富を支配する人たちや知性派のアメリカ人たちがトランプ氏をどれほど評価しているかは全く別の問題であろう。

私はトランプ氏の暴言と批判されるメキシコ人排斥論や、イスラム教徒締め出し論に何分かの理はあると思っている。それはオバマ大統領が選ばれてしまった頃に知性派で体制派の一人であるある大手メーカーのVPだった人物は、オバマ大統領論とは無縁にも聞こえる調子で「アメリカ建国時にはイスラム教徒など一人もいなかったし、我々は今でも彼らは不要である」と唱えた例もあったからだ。

私はトランプ氏の横紙破り的な発言を聞く度に嘗て我が旧制中学の同期生・石原慎太郎君の粗暴とも批判されたが、大衆受けしたと思っている多くの奔放な発言を思い出すのだ。あの発言で彼は剛胆で自由奔放な強気の性格だと広く世間に受け止められていたのではないかと思っている。だが、彼と小学校から同期だった者たちと私が往年の彼から受けた印象は、繊細で気が小さい穏やかな青白き勉強家であり、国会議員となってからの彼の在り方は想像出来ないのである。

ここにも私の持論である「全てのコインには両面がある」が適用出来ると思っている。トランプ氏と石原君の発言にはある程度共通するものがあって、それは気弱で繊細な性格を自覚する彼らがそれを弱点として認識し、極力その点を外部に悟らせまい見せまいとしてあの強気一点張りの言わば大言壮語となって現れているのではないかと考えている。トランプ氏の場合は語るべき具体的な政策が纏め切れていない点を覆い隠すべくあの発言で補っていると考えると少し解りやすい気がするのだ。

だが、Wharton SchoolでMBAは簡単に取れる学位ではない。もしかして彼が見えないところで懸命に政治を勉強したりしているのかも知れない。もしかして、その弱点を意識して十分にスタッフ(従業員ではない、参謀のことだが)を傘下に数多く集めていたりして。私は小説家だった石原君の情報収集能力を見るに付け、余程確かなスタッフを集めていたのではないかと疑っていた。

ドナルド・トランプ氏が大統領に?

2016-02-27 09:12:36 | コラム
ドナルド・トランプ氏が本当にアメリカの大統領になるのか?

「頂門の一針」第3942号にAndy Chang氏が

「オバマがアメリカをダメにしたのは誰でも知っているが、アメリカの沈没は次の大統領が国をもっと悪化させると思われるからである。共和党主流はトランプの暴走を抑えられずパニックに陥っている。」

と指摘しておられた。確かに大方の予測に反して現在のところまでは「暴走」は続いている。

23日に開催された21世紀パラダイム研究会の例会では知性高き会員の皆様は「最終的にはアメリカ人の知性が彼の独走を許さないだろう」との結論を導き出した。誰しもそう考えたいものだろうと思う。そこで、先月に私がアメリカの3人の友人知己に今回の大統領選挙について尋ねた際の彼らの意見を採録してみよう。彼らは明らかに知性派であると思う。

(1)W社を引退した言わば知日派のエンジニアーの意見:

もしも、トランプ氏が大統領になってしまえば、国際的に見ても”disaster”(「ジーニアス英和」には災害、天災、大惨事、酷いこと、めちゃくちゃ等の訳語があるのだ)となるだろうと思っている。

(2)ハーバードのMBAで現職のビジネスマンの見方:

私にはトランプ氏は情緒不安定であり、あのようなエゴ丸出しで安定感に乏しいのでは、世界のリーダーとなるには相応しくないとしか思えない。しかしながら、我が国には彼の斬新さと愉快さを支持するグループがいるのは確かだ。だが、それだけで大統領になれるものかどうかは大いに疑問であると思う。

(3)ビジネスの世界引退後に大学院大学の教授を経験したMBAの意見:

ドナルド・トランプ氏は道化役者だし、バーニー・サンダース氏は我が国にとっては左傾し過ぎだとみる。伝道師的で保守的なテッド・クルス氏も同じようなものではないか。

何れもトランプ氏については否定的であるとみていると解釈出来るのではないか。

それでは、私はどのように見ているかだ。私はバラク・オバマ氏が初めて大統領に選ばれた際に、昔の上司や友人知己に意見を求めたものだった。その時には共和党支持者が多かったせいもあって肯定的な意見は少なかった。中でもウイスコンシン大学の修士である退役陸軍中佐の見解が最も印象的だったので、これまでに何度も紹介した。それをここにも敢えて引用してみよう。

「オバマ氏は政治・経済・軍事・外交等どれをとっても経験がない素人である。また上院議員を一期務めたとは言うが、その4年間の半分は選挙キャンペーンに費やしたので現実的には議会の経験も乏しいのだ。だが、選んでしまった以上今更如何ともしがたいのが現実だ」という手厳しいものだった。しかも現実には彼が懸念したことは現実となって悲しいほど現れたではないか。そこはAndy Chang氏も指摘された通りだ。

そこで、私が思うことは、トランプ氏にこの退役陸軍中佐の見方がほぼ当てはまるような気がしてならないことだ。オバマ大統領は民主党の大統領としてクリントン元大統領の路線を引き継いだのか、決して我が国に対して好意的とも思えない政策が多かった。その点ではトランプ氏は所謂暴言的な言動の中で我が国と中国にやられっぱなしにはしたくないとまで述べていた。

それが万一の場合にどれだけ現実的になるかは別として、「政治的には全ての面で素人と敢えて言いたい不動産業者が大統領に就任したらどうなるか」を考えておかねばならないのかも知れないと思うのだ。矢張り、21世紀パラダイム研究会の会員諸賢の一致した見解のように「アメリカ人の知性に依存するしかないのか」となりそうだ。だが、今やアメリカという国は知性派ではないと思われていた少数派が間もなく多数派になるだろうとの問題を抱えている国だということを忘れてはならないのだ。現に富裕ではない層にトランプ氏支持者が多いと報じられている。

サッカーの背番号10の不思議

2016-02-26 13:43:04 | コラム
背番号10が何故栄光なのだろう:

この度女子サッカーの日本代表の20人が発表され、栄光の背番号”#10”を澤穂希から大儀見優季が受け継ぐことになったと報じられた。本田圭佑がロシアリーグからACミランに移籍した際にも、#10を要求したことも大きな話題となって採り上げられた。兎に角、マスコミ報道では10番が一つのテイームであれ一国の代表であれ、最高の選手が担う栄光の背番号と規定されているようだ。

昭和20年(1945年)に旧制中学に入って蹴球部に喜び勇んで入部し、当時は当たり前のことだが“WMフォーメーション”の蹴球を習い覚えた私にとっては、10番は単にFW5人の中の左のインナー(LI)を意味するだけのもので、何ら特別な意味などなかった。今やその“WMフォーメーション”などと言っても「あのことか」と解ってくれる若者が一人でもいるだろうかという時代になってしまって、30番台などと言う番号を付けている者がいることすら珍しくない時代になってしまった。

念のために敢えて解説しておけば、その昔はGKの前にフルバック(FB)が2名いて、その前にハーフバック(HB)が3人で主に守りを担当し、最前線にフォワード(FW)が5人というフォーメーションだった。そして、GKを1番として、次は右側のFBが2番という順序でその番号を付けたユニフォームを着用していたものだった。従ってFWの右側からウイングが7番、次のWの引っ込んだところにいる右のインナーが8番だった。その順で行けば左のインナー(LI)が10番となるだけのことだった。

その当時はFWの真ん中にいるセンターフォワード(CF)に強力なポイントゲッターを置いていたもので、何処でも9番に優れた得点能力がある往年の釜本邦茂のような者を配置していた。即ち、少なくとも私の認識では「9番こそが栄光の番号ではないのか?」となっているのだ。しかも現代のサッカーではフォーメーションが複雑化しているので、往年のように番号を見ればポジションが解るような時代ではなくなってしまった。

しかも、私はアメリカの会社に転身しただけではない理由で、長い間サッカーから遠ざかっていた為に、如何なる経過で「10番こそが」という時代が到来したかを全く知らないし、勉強もしていなかったので、そう知らされた時には些か当惑したものだった。故に、本田圭佑如きが何故に格上のセリエAなるものに転じて、10番の拘泥するのかが本当は良く理解出来なかった。解りやすく言えば、彼は遺憾ながらそれほどの選手ではないと認識しているという意味だ。

栄光という意味合いからすれば澤穂希が最高の選手であるという認識は間違っていないと思う。だが、今回の大儀見が継承者という選択にはやや違和感があった。と言うのは、サッカーそのものの技量からすれば、宮間あやが世界的に見ても十分に10番に値するかと考えていたからだ。だが、宮間が現在の8番に執着しているのであればそれはそれで結構だろうと思う。

「ではお前は何番だったのか」と尋ねられれば、高校3年次には8番を付けていた。それ即ち、右のインナー(RI)のポジションを示しているだけで、9番(CF)か10番(LI)よりも劣る選手だったという意味ではないと冷静なる評論家の名誉の為にも、念のために申し上げておく次第だ。