新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月26日 その2 ここで携帯電話の使用禁止

2019-04-26 14:21:41 | コラム
続「英語はこうやって学ぼう」:

私の持論は「英語には『答えは一つ』という考え方は通用しない。人によって(と時と場合によって)考え方が違うのだから」である。「ここで携帯電話の使用禁止」と言いたければ、先日採り上げたい表現以外にも未だ色々とあると思う。そこで、思いつくままに例を挙げてみよう。

“You are not allowed to use mobile phone, here.”でも良いだろうし、

“Use of cellphone is strictly prohibited here.”でも通じると思うし、

“We don’t permit anyone to use smartphone, here.”でも理解して貰えると思うし、

“Please don’t use your mobile phone in this room.”でも意味を為すだろう。


これら以外にも未だ幾らでも言い方があると思うので、考えて見た頂きたい。要するに「自分が何を言いたいのか」を瞬時に日本語ででも思いつかないとか、理解できていないようでは英語で言える訳がないし、またそういうことを日本語で考えているようでは、未だ未だだということでもあるのだと言いたい。この辺りを私は「頭の中のギアを如何にして速やかに日本語から英語に切り替えられるように日頃から訓練しておくべし」と言ってきた。そして、そのように個人指導した某商社の若手にもそのように強制して、結果としてチャンとものにした実績がある。

話は少し変わるかも知れないが、こういう風に国語で考えねばならないし、そういう国語の能力が求められる外国語の学習を、小学生から教えて成果が挙がる訳がないと指摘したいのだ。即ち、日本語での思考力が固まっていない時期に教えて、英語の思考体系が滑らか且つ速やかに児童の頭の中に入ってはいくか、受け入れられるかという問題だと思う。その時期に「一般的な日本人が英語の勉強にどういうことで苦しみ、悩んでいるかが解らないnative speakerなどに教えさせて如何なる効果が挙がるかを考えて見よ」ということ。

それでも解って貰えない方には「貴方が外国人に日本語を教える立場立たされたとして『動詞の五段活用』などを完全に理解させられますか」と問いかけてみたい。自慢じゃないが、この私は外国人に「日本語の文法の講釈」など一言でもできるかと思うほど自信がない。だが、逆にアメリカ人に「お前は学者だから、解っているだろう」と英文法の解説を頼まれたことがあった。
私以外にも英文法に精通された方は多いのではないか。


閃きが当たった無残な勝負の結末

2019-04-26 08:29:38 | コラム
勝ち運に見放されたDeNA:

昨25日夜は余りに気前よく負け続けるDeNAが、到底戦力が整っているとは評価できない阪神に何回負け続けるのかを見たいだけで観戦していた。試合とは関係ない話だが、東京オリンピックの野球の会場となる横浜スタジアムが、右翼側に3,500人収用の観客席を増築していたと初めて知った。私はそんなことよりも内野席と外野席を柵で仕切っているような心の狭い設計こそ改善されるべきだと思うのだ。言いたくはないが、アメリかではそんな小汚いスタジアムは滅多ないぜ。

所で野球の試合である。TBSのBSでの中継が始まって直ぐに「DeNAには勝ち目はないな」と閃いた。私の目にはあのテイーム全体の暗さがかなり顕著で、こんな感じを与えるようでは8連敗だなと閃いたのだった。後はその閃きが当たるかどうかだけの興味で観戦していた。確かにDeNAの今永も阪神の岩田も好投していた。だが、私は1回の表に今永が「こんな打者に打たれる方が悪い」と評価している打率だって2割5分程度の大山にホームランを打たれて2点も失ったところで「勝負は終わった」と思っていた。残された興味はDeNAがどれほど反撃できるかだけだった。

結果的にはホームランでしか点が入らなかった試合だったが、阪神が2ランと3ランだったのに対してDeNAは全て走者なしでしか打てなかった辺りにこのテイームの現在の低迷振りがイヤと言うほど現れていたと見た。負ける時というのはそんなもので、私はDeNAが1点のリードで逃げ切ろうとして9回表の守備に山崎康晃を出してくるのだろうが、それが上手く行けば良いのだがとすら思っていた。解説の大魔神こと佐々木主浩は阪神の打者が山崎が投じるトウシームなる釣り球をピクリともせずに見送る状態を見て言外に危機を訴えていると思った。

そこからが勝負の恐ろしさと勝ち運に見放されたテイームの弱みが一気に現れたのだった。バント処理の失敗があって阪神に絶好のチャンスが巡ってきてしまった。「なるほど、勝負とはこういうものだったか。山崎というかDeNAというべきか、ここを逃げ切れる力は残っていないのではないか」と思わせられた。しかも、TBSは続く「報道1930」の為に中継を間もなく打ち切ると宣告した。ところが、残酷にも勝ち運に見放されたテイームは中継が修了するまでに左打者の近本に左翼席にホームランを打ち込まれてしまったのだった。万事休すだった。

将に私が常に引用する野村克也の名言「負けに不思議なし、勝ちに不思議あり」を絵に描いたような結果に終わったと思わせてくれた。、中継は試合終了まで行かなかったが、私には後刻結末をNHKのニュース等で確認する必要などないだろうとまで思わせてくれた無残な勝負の結末だった。DeNAの敗因はこの勝ち運に見放されただけではなく、私に目には肩が十分に回っておらず手打ちのようなスウイングをする筒香(佐々木主浩は「あれほど力まなくても左を狙えばホームランになるのに」と言っていた)の不振と、宮崎の崩れ方では連敗も仕方がないかと見えていた。

だが、張本勲を始めとして多くの解説者が「未だ30試合にも達していない時点で強いの弱いのと論じても意味がない。リーグ戦は先が長いのだ」と言うのを聞いても明らかなように、DeNAの大不振も言わば一過性であると言えると思っている。だが、昨夜のような負け方をするのでは、これも古くからある言い慣わし「運不運も腕のうち」であり、勝負には「ツキを腕で消ししまう」ようなことは常に起きるもの。ラミレス監督は「如何にして運とツキを取り戻すか」の工夫をするべきかも知れない。