新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

良いお年をお迎えください。

2017-12-31 08:59:27 | コラム
年末のご挨拶を申し上げます

本年の相も変わらぬ言いたい放題にお付き合い頂きまして、誠に恐縮でしたと同時に皆様のご忍耐力に感謝申し上げます。思い起こせば、W社在職中にW社アジア兼ジャパンの社長だったウイリアム・F・フランクリン氏に「君は何でそう negative なのか」と尋ねられたことがありました。「何を言うか」と思った私は

「良く勉強し広く情報を集め、世の中の裏表を知り、知識が広まれば広まるほど、肯定すべきは肯定するが、否定されるべき裏面にも目が行くのである。その否定されるべき問題点を口に出すか書き物にして来ただけだ。決して単純に negative だけではなく、褒めるべき表面に浮かんだ事象を心得ている。依って褒めるべき時は褒めてきた」

と言い返した記憶があります。これからも多くの人の目が届かない「コインの裏側」注目して、その辺りを論じることにも努力していきたいと思っておりますので、宜しくお付き合いのほどをお願い申し上げます。勿論、英語論にも注力していきます。

なお、余談ですがフランクリン氏は在日アメリカ商工会議所・会頭を連続2期4年務めて日米間の関係強化に貢献したとして在日アメリカ人の大物として叙勲していました。彼は日本とアメリカ間の貿易が不振、特に日本のアメリカから輸入が一向に伸びないことの理由として、

「日本では日本人の会社間の取引はその歴史と仲間意識に裏付けられて非常に強固に結びついている。その絆を外国からやって来た者たちが短期間に切り崩して、主力の供給者のなることは容易ではないのだ」

という点を挙げていました。20数年対日輸出に従事してきた者としては「かなり良いところをついている見方だ」と思って聞きました。以前にも指摘しましたが、1990年代初期にはW社はアメリカの会社別の対日輸出の金額ではボーイング社に次いで第2位の座にありましたからこそ、フランクリン氏はここまで言えたのだと思います。

末筆ながら、皆様のご発展とご健勝を祈念して終わります。


高校サッカー観戦記

2017-12-31 08:57:17 | コラム
余り感心できないサッカーだった:

30日は「今年は何処も何とない日があったか」とあらためて家内に常に指摘されたほど、不調に悩まされた日が多い年だった。30日も例外たり得ず、朝から積もり積っていただろう自律神経失調症の疲労の蓄積が暴発したのか、朝からボンヤリと静養に努めていた。体の節々が痛むのだったが、思い悩んだ末に昼食後に痛み止めを服用して小康状態になった。

そこで見る気になってチャンネルを合わせたのが、高校サッカー選手権だった。以前から「今の高校のサッカー部に残っている者たちはJリーグの下部組織である「ユース」には入れないというか、将来有望と見做されていない者たちだけだ」と何処かで聞かされていた。現実には昨日の試合は遺憾ながら「なるほど、そうか」と思わせてくれた次元の低さだった。

これ以外には今月中だったかに全国大学選手権の決勝戦である流通経済大学対法政大学の試合も見ていた。この試合も「一体これが大学の決勝戦か」と疑いたくなるような乱暴な質のサッカーをやっていて、解りやすく言えば失望させられた記憶もある。それ以外には天皇杯に出て善戦していた筑波大がかなり質の高いサッカーをやっていたので、その筑波を退けて決勝戦に出てきた両校はさぞかしという期待があった。

昨日の東京代表の関東一高も勝ち上がった佐賀県の佐賀東高も、私の目には古き良き時代のWMフォーメーション時代のようにバックス(当時はFB、即ち「フルバック」と言ったが)がクリヤーするのではなく、唯々力任せに相手陣内まで蹴り込んでいく甚だ精密さを欠いたサッカーをやっていたのには驚かされた。このクリヤーではほとんど相手側にボールを献上する形になっていた。そういう蹴り合いの場面が多過ぎた。

要するに「前方に向かって力一杯蹴り出して、運が良ければ前線にいる味方の誰かへのパスになって攻撃が開始できる」というような雑な蹴り合いが多く、組織的にこういう形で攻め上がろうというような意図が一向に見えないキック力の勝負のような様相だった。テレビのニュースでは偶々佐賀東の綺麗な得点の場面が流されたが、あのような形は例外的だった。全体的には極論を言えば「見るべきものがなかった」サッカーだった。

そこで、私があらためて感じたことは、中継したテレビ局も大会主催者も宣伝広報活動には懸命なのは解るが、次の次辺りを担う若者を育成する為には高校サッカー選手権は最早無用の長物と化したのではないかと危惧しながら見ていた。現実に、先頃Jリーグのユースの大会も見たが、昨日の高校のサッカーとは明らかに一線を画していた上手さと強さがあった。

協会もこういう現実をご存じでないとは思えないので、時代の選手の育成法を考え直すか、私の数十年来の主張である「高校の全国大会の廃止」を、もうそろそろ本気で考えても遅くはない気がする。目下開催されている高校ラグビーでも100点試合が出ているではないか。蛇足だが、アメリカでは州単位の大会があっても全州大会なんてないと聞いている。


12月30日 その3 SM氏からのアメリカ便り

2017-12-30 17:16:06 | コラム
どこ吹く風の大統領:

カリフォルニア州のSM氏から、暫く振りに短くても大変興味深いアメリカ便りが来たので敢えて紹介しよう。

>引用開始
何処かの大統領のように如何なる逆風も悪評も何処吹く風で、結果は超株高に好景気で、今や再選の気配すら見えてきました。外野席で見ていても面白い状況です。
<引用終わる

という具合だ。外野席どころか何千マイルも離れた日本にいる私にも依然として unpredictable である姿勢を維持して Twitter などでは言いたい放題にしか見えないトランプ様ではあるが、あの好景気を招き入れたのでは(誰が?)再選をお考えになっても不思議ではない気がする今日この頃である


12月30日 その2 29日はジャズ・ボーカルを聴いて楽しんだ

2017-12-30 10:05:04 | コラム
エラ・フィッツジェラルドとセアラ・ボーン:

昨日は前夜とは異なって、意図的にこの2名のアメリカのジャズ界のボーカルでの大立て者のCDを探し出して、2枚とも最後まで2時間をかけて聴き抜いて、暫く振りにジャズのボーカルを堪能した。

私はボーカルではビリー・ハラデイー(Billy Holidayだが、ホリデーではない、念の為)を差し置いて、エラが最高の歌手だと評価している。このエラは1953年にJATPで我が国にやって来た時に貧しいアルバイト学生だった私は、何とか貯めた資金で今はなき日劇の3階席から遙か彼方のステージで歌っていたエラを聴く機会があった。

昨夜のCDは1958年のエラの誕生日の記念コンサートで歌ったもので「エラ・イン・ローム」(Ella in Rome)と題されていた。これは彼女の特徴である乗りに乗ってアドリブでこねくり回して歌うかと思えば、譜面通りに素直に(ストレートにと言うようだが)歌ってその卓越した上手さで聞き惚れさせるという、言わば両面作戦で60分間ウットリとさせてくれた。

私は寝そべってこういう素晴らしいCDを聞いていれば、それがジャズだろうとクラシカルだろうと、自然に色々な発想出てきて思いを巡らせられる貴重な時間となるのが楽しいのである。エラの場合には時には聞き惚れて無心になって、何にも思い浮かばないようにしまうことすらある。

2枚目は Sarah Vaughan(私は「サラ・ヴォーン」ではなく「セアラ・ヴォーン」だと思っている)のCDで、これは往年は静かな寂れた街だった百人町の大久保通りの雑貨屋のような店で¥300で買ったコンピレーションものである。彼女の傑作と言える歌が14曲も入っている。

私はセアラはエラほどではないまでも立派な歌手だと評価してきた。だが、昨夜のように初めてエラの後に聴いてみれば、格と言うべきか上手さには違いがあるかと感じた。また、このコンピレーションものでは彼女はほとんどの曲を崩すことなく譜面通りに歌っているので、エラとの違いが際立っていたと聞いた。だが、だからと言ってセアラが格下だとまでは言っていない。60分近くを十分に堪能させて貰えた。

結果的にはエラの時よりも色々なことを思い浮かべる余裕があって、昔の追憶や彼女の歌にあった私が好んだ街の一つだったサンフランシスコを思い出していたりした。さて、今夜は何を聴こうかと思案中である。