未だにこれほど動ける体力が残っていた:
本12日は早朝9時からの国立国際医療研究センター病院泌尿器科で前立腺の経過観察の診断を伺うべく新大久保駅前発8時33分のバスで出発した。それほど早く入っていても、呼ばれたのは2番目で9時5分過ぎ。PSAの数値は高かったが前回と変わっておらず処置はせずに、7月に再度診て頂くことになって処方箋を頂いて終わり。会計を済ませてから再び病院前からバスで新大久保駅前に戻って直ぐ近くの調剤薬局に処方箋を預けて掛かりつけのクリニックに向かった。
その理由は何時まで経っても収まらない腰痛(だと思うのだが)と関節痛を訴える為。S医師は以前から「老化現象の一種である以上処置はしない」と言われてきたが、今回も痛みを緩和する効果がある静脈注射をして頂くことになった。私は注射の効果もさることながら、精神的に効果があることを期待しているのだが、31年間も私を診て下さっている先生も同じ事をお考えかと勝手に推察している。クリニックを出たのがほぼ11時55分だったが、そこから徒歩約5分ほどの高田馬場駅前のジムに向かった。足は痛いが、注射が効いてくると確信していた。
11時6分過ぎには着替えてジムに上がって、ストレッチと10分弱とマッサージチェアで体をほぐしてから入浴。十分に温まった頃合いを見計らって湯冷めせぬように椅子に座って休憩。そして、高田馬場駅前発12時37分のバスで帰宅。もう昼飯の時刻だと思って外出中の家内と落ち合って近所のホテルの食堂で日替わりランチを楽しんだ。それから、午前中に処方箋を預けてきた調剤薬局まで徒歩約5分。ここでは係の薬剤師さんに色々と教えて貰えるので、勉強になるのが有り難い。
帰宅すればほぼ2時だったが、善くぞ6箇所も回れたものだとやや驚いたほど、精神的にも体力的にも保った半日だった。そこでふと考えたことは、「もしかすると、実際には自分で危険だと思っているほど体力は衰えていないかも知れない」ということと「矢張り、S医師がして下さる注射の効果が覿面だったのだと思うべきか」なのである。未だに体力が残っているのだったならば、次に戦うべき相手は「顎関節症」なのだが、これは難物だと思う。昭和大学歯科病院顎関節症治療科の次の診察は4月20日だ。一所懸命顎の運動をやらねばなるまい。
本12日は早朝9時からの国立国際医療研究センター病院泌尿器科で前立腺の経過観察の診断を伺うべく新大久保駅前発8時33分のバスで出発した。それほど早く入っていても、呼ばれたのは2番目で9時5分過ぎ。PSAの数値は高かったが前回と変わっておらず処置はせずに、7月に再度診て頂くことになって処方箋を頂いて終わり。会計を済ませてから再び病院前からバスで新大久保駅前に戻って直ぐ近くの調剤薬局に処方箋を預けて掛かりつけのクリニックに向かった。
その理由は何時まで経っても収まらない腰痛(だと思うのだが)と関節痛を訴える為。S医師は以前から「老化現象の一種である以上処置はしない」と言われてきたが、今回も痛みを緩和する効果がある静脈注射をして頂くことになった。私は注射の効果もさることながら、精神的に効果があることを期待しているのだが、31年間も私を診て下さっている先生も同じ事をお考えかと勝手に推察している。クリニックを出たのがほぼ11時55分だったが、そこから徒歩約5分ほどの高田馬場駅前のジムに向かった。足は痛いが、注射が効いてくると確信していた。
11時6分過ぎには着替えてジムに上がって、ストレッチと10分弱とマッサージチェアで体をほぐしてから入浴。十分に温まった頃合いを見計らって湯冷めせぬように椅子に座って休憩。そして、高田馬場駅前発12時37分のバスで帰宅。もう昼飯の時刻だと思って外出中の家内と落ち合って近所のホテルの食堂で日替わりランチを楽しんだ。それから、午前中に処方箋を預けてきた調剤薬局まで徒歩約5分。ここでは係の薬剤師さんに色々と教えて貰えるので、勉強になるのが有り難い。
帰宅すればほぼ2時だったが、善くぞ6箇所も回れたものだとやや驚いたほど、精神的にも体力的にも保った半日だった。そこでふと考えたことは、「もしかすると、実際には自分で危険だと思っているほど体力は衰えていないかも知れない」ということと「矢張り、S医師がして下さる注射の効果が覿面だったのだと思うべきか」なのである。未だに体力が残っているのだったならば、次に戦うべき相手は「顎関節症」なのだが、これは難物だと思う。昭和大学歯科病院顎関節症治療科の次の診察は4月20日だ。一所懸命顎の運動をやらねばなるまい。