宮崎県西臼杵郡高千穂町の北東方向の山間部にある天岩戸神社の奧にある山間地は、棚田・段々畑の山里でした。
高千穂町の観光地である高千穂峡の北側にある市街地から北東方向の山あいを進むと天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)に出ます。
天岩戸神社の西本宮は、大日●尊(おおひるめのみこと、パソコンの漢字水準では表示できません)という天照大神の別名の神を祀(まつ)っています。
ご神体は、西本宮の背後を流れる岩戸川の対岸の断崖中腹にある「天岩戸」と呼ばれる岩窟(跡)です。この岩窟は日本神話に登場する天岩屋であると伝えられています。
西本宮の横に立つ神楽殿です。
この西本宮から岩戸川を上流方向に約500メートル進むと、天安河原(あまのやすかわら)に出ます。その途中の岩戸川の清流です。
天安河原の奧の洞窟には八百萬神が祀(まつ)られています。
天岩戸神社から、さらに北東方向に山あいを進むと、道路がかなり改善されていますが、部分的には道幅が狭いくねくね道です。
川沿いに上流に向かうと、川沿いの両岸は棚田・段々畑の風景が続きます。平らな土地がないようです。
この高千穂町の山間部は、かなり昔からの集落がどこまでも続きます。ご先祖様が長年にわたって棚田・段々畑で生活を続けてきた風景です。
棚田百選に選ばれるような段数はありませんが、山奥まで集落と棚田・段々畑が点在します。
棚田・段々畑に山側から湧き水などを供給する水道パイプが所々で、道の上部をわたっています。
この山あいに住む方々が、関東平野や濃尾平野の平らな土地をご覧になったら、人生観が変わるような気がします。
山あいには、所々に杉林(スギばやし)がありますが、あまり手入れを受けていない感じの杉林もあるように感じました。その杉林の近くに咲く一本桜のサクラの木です。満開です。
その杉林の手前に、何カ所かにミツマタが植えられていました。
和紙の原料であるミツマタを植えたようですが、もう放置されている様子でした。
本当は、杉林とミツマタ林の間を、アオジのような野鳥が行き来していて、気になりました。
高千穂町の市街地以外の周囲の山あいは、道路の両側には平らな土地がなく、棚田・段々畑の風景が続く山里です。
昭和時代以前は、自給自足が基本の歴史ある山村だったのではないかと想像しています。
高千穂町の観光地である高千穂峡の北側にある市街地から北東方向の山あいを進むと天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)に出ます。
天岩戸神社の西本宮は、大日●尊(おおひるめのみこと、パソコンの漢字水準では表示できません)という天照大神の別名の神を祀(まつ)っています。
ご神体は、西本宮の背後を流れる岩戸川の対岸の断崖中腹にある「天岩戸」と呼ばれる岩窟(跡)です。この岩窟は日本神話に登場する天岩屋であると伝えられています。
西本宮の横に立つ神楽殿です。
この西本宮から岩戸川を上流方向に約500メートル進むと、天安河原(あまのやすかわら)に出ます。その途中の岩戸川の清流です。
天安河原の奧の洞窟には八百萬神が祀(まつ)られています。
天岩戸神社から、さらに北東方向に山あいを進むと、道路がかなり改善されていますが、部分的には道幅が狭いくねくね道です。
川沿いに上流に向かうと、川沿いの両岸は棚田・段々畑の風景が続きます。平らな土地がないようです。
この高千穂町の山間部は、かなり昔からの集落がどこまでも続きます。ご先祖様が長年にわたって棚田・段々畑で生活を続けてきた風景です。
棚田百選に選ばれるような段数はありませんが、山奥まで集落と棚田・段々畑が点在します。
棚田・段々畑に山側から湧き水などを供給する水道パイプが所々で、道の上部をわたっています。
この山あいに住む方々が、関東平野や濃尾平野の平らな土地をご覧になったら、人生観が変わるような気がします。
山あいには、所々に杉林(スギばやし)がありますが、あまり手入れを受けていない感じの杉林もあるように感じました。その杉林の近くに咲く一本桜のサクラの木です。満開です。
その杉林の手前に、何カ所かにミツマタが植えられていました。
和紙の原料であるミツマタを植えたようですが、もう放置されている様子でした。
本当は、杉林とミツマタ林の間を、アオジのような野鳥が行き来していて、気になりました。
高千穂町の市街地以外の周囲の山あいは、道路の両側には平らな土地がなく、棚田・段々畑の風景が続く山里です。
昭和時代以前は、自給自足が基本の歴史ある山村だったのではないかと想像しています。
山里を切り開いて、棚田などを築き、維持してきた歴史を感じます。
小規模農業で、自給自足の生活によって、お互いに助け合う集落を築いてきました。
飲み水がある山間部であれば、生活できる集落だったようです。
阿蘇山の周辺は、大部分が山間地ですね。
山里では、蕎麦が栽培され、美味しい蕎麦をいただくことができます。
確かに、関東平野や濃尾平野のように、遠くに山が見えるところは、日本では少ないですね。
四国各地を旅すると、山間部が多く、棚田と段々畑が多いです。
大阪から博多までの新幹線はトンネル通過が多いです。
こうした山里を故郷として守り続けてきたことがよく分かる内容でした。
面白かったです。
食生活なども変わり、自給自足の生活が消えて、限界集落化が進んでいます。
これからは少子高齢化によって、山村などでの生活を保つことができるのかが大きな課題です。
交通手段が発達した現在とは、感覚がまったく異なります。
北海道新幹線で、東京と函館が4時間ちょっとという現代を、昔の方は理解できないでしょう。
東京と大阪を3時間を切って、移動できることは昭和の初めでは考えられないことでした。