気ままに

大船での気ままな生活日誌

遊行寺 小栗判官と照手姫

2014-09-27 10:28:26 | Weblog

先日、藤沢湘南台のホールで、白石征作・演出の遊行かぶき”小栗判官と照手姫”を観てきた。そのとき、この物語と縁が深く、また小栗判官と照手姫のお墓のある遊行寺に近い内に出掛けようと思っていた。思いのほか、早く実行することが出来た。

藤沢駅を降りて、遊行通りを抜け、ぶつかる大通り(467号線)を左に10分も歩けば、遊行寺に到着する。その間、道の両側の東電トランスボックスに藤沢に関連する浮世絵が写真ラッピングされているので、ただの車道を歩くのとは違って、楽しい。それらの中に、小栗判官と照手姫の物語のものをいくつかみつけた。プロローグに(笑)、まず、その浮世絵から。

照手姫


小栗判官

これは、弁天小僧菊之助です。江の島も藤沢市なのでネ。

あっという間に、時宗の開祖、一遍上人(遊行上人)が迎えてくれる。初代以降三代までは踊り念仏で諸国を廻り、寺をもっていないが、第4代の遊行上人がここに道場を建てられ、それが遊行寺となった。現在、時宗の総本山である。小栗と照手姫に係るのは十四代(大空上人)である。

本堂にお参りしてから、宝物館で特別展”遊行寺とおぐり”が開催していることに気付き、これはラッキーと迷いなく入る。たった一人の観客!花子とアンの弥生美術館とはえらい違いで贅沢できた(笑)。

ここでは、遊行かぶき等の説経節おぐりではなく、”小栗略縁起”を基にした内容が紹介されている。”史実”である。室町時代、足利持氏に謀反の疑いをかけられた常陸の国の小栗判官と家臣10人が、一族の住む三河に落ちのびる途中、藤沢宿近くの豪族、横山大膳邸に身を寄せる。しかし、大膳は彼らから金品を奪おうと、人喰い馬、鬼鹿毛(おにかげ)をしかけるが、乗りこなされる。次には毒入り酒を飲まされようとするが、事前に妓女、照手姫から聞いていて拒むが強要され、毒殺され、上野ヶ原(藤沢市)に投げ捨てられる。しかし、判官は閻魔大王の慈悲と夢告に現れた大空上人により蘇生。土車に乗せられて、熊野の湯の峰温泉へ送られる。つぼ湯で湯治し、復活した判官は、謀反の疑いを晴らしたあと、横山を成敗し、照手姫と再会。その後、仲良く暮らす。子息が遊行寺の池の畔に、父と十勇士の墓を建てる。照手姫は尼になり菩提供養した

展示品としては、一遍上人の生涯を描いた絵巻”一遍聖絵”(国宝)や軸装の小栗判官の図、大空上人像。江戸時代に書かれた、小栗の一代記ものの書物や草双紙など多数、そして、はじめに紹介したものを含む、浮世絵が二十枚ほど。照手姫の姿見古鏡や持仏聖観音も。めずらしいものでは、人喰い馬、鬼鹿毛の鐙と轡も。そうそう、京都の六波羅蜜寺で観た、空也上人とそっくりな像が。てっきり復元かと思ったが、京都のは若いとき、これは晩年の空也上人だそうだ。たしか、ふけた顔をされていた。平安時代中期の僧で踊念仏の祖とされる方だ。

 

これは、六波羅蜜寺の空也上人。

そして、本堂の脇を通り、長生院へ。境内の小栗判官と照手姫のお墓がある。

小栗判官と十勇士のお墓

照手姫のお墓

照手姫が建立した厄除け地蔵

なんと、小栗判官に調教された人喰い馬、鬼鹿毛のお墓まで。

”照手姫”という名の花桃が、”遊行かぶき”により記念植樹されていた。この品種は、大船フラワーセンターでもみている。

遊行寺の境内には大きな舞台が建てられていた。藤沢市民まつり。念仏踊りがあるのだろうか。みてみたい。本来は、この踊りは、女性でも足を上げたり、胸をはだけたりと、激しい踊りだったらしい。復活を願いたい(汗)。

まつりが今日から始まるらしい。

さあ、今日は、これから、お祭りだ!

 

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