気ままに

大船での気ままな生活日誌

蕪村の老いらくの恋

2010-11-10 21:38:16 | Weblog

ぼくは、遊んでいるばかりではなくて、たまには勉強もしている(汗)。昨日の午後から、今日一日中、ずっと勉強をしていた。昨日は鏑木清方記念館で、”鏑木清方と七弦会”というテーマで草薙奈津子先生の講演を聞いて、今日は午前中、鎌倉女子大で、大輪靖宏先生の”蕪村俳句の試み”を、午後は、鎌倉市と女子大共催の、安室知先生の”もっと見つめてみよう、鎌倉再発見/相模湾岸のくらしと民俗”を、それぞれ内容に、全く脈絡はないが(汗)、2時間ほどづつ聴講した。それぞれとても、面白かった。

清方関係は別途、記事にするつもりだが、ミーハー的なことだけをまず報告しておきます。明治時代初期に、龍池会という美術団体ができて、明治20年に”日本美術協会”と改称され、それが現在も存続している。その協会が、1989年から、絵画、建築、演劇等の分野で顕著な業績を上げた人を全世界から選び、”高松宮殿下記念世界文化賞”として表彰している。今年、女優として初めて”演劇・映像部門”で受賞されたのが、先日、来日されたソフィア・ローレンさんなのです。授賞式に出られた奈津子先生は、彼女の首飾りがすごくきれいだったと女性らしい感想を述べていました(笑)。

蕪村の講義も、まず、ミーハー的なところから。蕪村、64歳のとき、祇園の妓女、小糸と老いらくの恋が始まり、68歳で別れたことを知りました。江戸時代のことだから、今の年齢でいえば、十歳くらい上積みしていいかもしれない。まだまだ間に合うぞ(爆)。

蕪村は、明治時代に入って、子規によって認められることになるが、当時、蕪村の句集がどこにも見当たらず、懸賞金をつけて、古本屋さんからやっと見つけ出したらしい。子規が目指す、写生句のお師匠をみつけたいうことだろう。

子規の芭蕉嫌いは有名だが、芭蕉は”奥のほそみち”の金沢で、”あかあかと日はつれなくも秋の風”の名句を詠んでいるが、子規は、”日はつれなくも”は感情移入でいけない、ここは”日は山の端に”にしなくてはいけないと”校閲したそうだ。みな大笑いした。ぼくは、素人だけど、芭蕉の方が断然いいな。

また、蕪村は50歳ぐらいから俳句を始めて2800句ぐらいつくり、多くは写生句だが、結構、そうでない句もつくっていることを知った。たとえば、虚構性の句もある。奥さんがまだ生きているのに、”身にしむや亡妻の櫛を閨(ねや)に踏む”とか、源氏物語や平家物語を題材にした句などもみられる。フィクションの句もあるのだ。

まだ、このシリーズは始まったばかりで、蕪村がどんなふうに歩んで行ったのか知るのが楽しみだ。また、画家でもあった蕪村の俳画等の展覧会でもあれば、是非、観にいこう。

でも、老いらくの恋だけは慎もう。綾小路きみまろ先生に、先日言われているので。”中高年のみなさま、ご安心ください、もう恋に落ちることはありません、溝に落ちるだけです”

 

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