六本木のサントリー美術館で開催されている”若冲と蕪村展”がそろそろ終了するという。ぼくは、この展覧会を、開幕翌日の3月19日に観ている。今頃、感想文を書き始めている。そんなのがいくつもあって、机の上はちらしがいっぱいだ。早く、片付けて、決済箱に入れて!、と、ちらし君が叫んでいるようだ(笑)。
あの若冲と蕪村が同ない年で、それも、京都の烏丸四条の交差点のはす向かいに住んでいたとは!加えて、円山応挙までご近所だったとは!それだけ知っただけでも、ミーハーなぼくには大収穫な展覧会だった(爆)。そうそう、二人が生まれた正徳6年(1716年)は、何と光琳が亡くなった年だそうだ。今年は光琳三百年忌記念。そして、若冲・蕪村は生誕三百年記念なのだ。
修行時代の二人の出発点が面白い。若冲は、京都の錦市場の青物問屋の長男として生まれ、家業を継ぐが、40歳に隠居して、狩野派の絵を学びながら、相国寺の収蔵品を摸写もして腕をみがく。一方、蕪村は大阪、毛馬(けま)村の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て、俳諧を学ぶ。27才で師匠の死をきっかけに、十数年、地方を徘徊し(笑)、40歳頃に京都に移り、俳諧だけではなく、絵画にも力を入れ始めた。
若冲の作品はこれまで、随分、みたし、彼の修行場所、京都の相国寺(承天閣美術館)にも二度、行っている。言ってみれば馴染みの絵師。一方、蕪村は江戸時代では、芭蕉に次ぐ、あまりに著名な俳人だし、絵画は余技でやっているという感じしかもっていなかった。天は二物を与えずみたいな。
今回、若冲との二人展でたくさんの蕪村作品をみて、その中には国宝や重要文化財がいくつか含まれていて、画家としてもすごい人なんだと再認識した。山水図屏風も良かったし、鳶・鴉図、維摩・龍・虎図も。約90年ぶりに存在が確認された”蜀桟道(しょくさんどう)図”、奥の細道画巻も、俳画も楽しくみることができた。
そして、若冲は雪中雄鶏図、月夜白梅図、維摩・龍・虎図、柳に雄鶏図、竹に雄鶏図、猿猴摘桃図、果蔬涅槃図(大根がお釈迦様)五百羅漢図、そして、これも最近所在が明らかになった、象と鯨図屏風の迫力。
そんなに近くに住んでいて、交流があったという証拠はないらしい。でも、あいさつくらいはしただろうし、意外と居酒屋でいっぱいとか(笑)。お二人が融合したような絵もあり、ふと、そんなことを想った。
楽しい展覧会だった。これから蕪村の絵もよーく観るぞゾオ。
展示構成
第1章 京都ルネッサンス
第2章 出発:40歳まで
第3章 画風の確立:40代から50代にかけて
第4章 新たな表現への挑戦
第5章 中国・朝鮮絵画からの影響
第6章 若冲・蕪村クロスロード:交差する交友関係
第7章 翁の時代
若冲

蕪村


