何がありがたいかって
真剣に鞭打ち続けるその脇をこそぐり
思わず笑ってしまい力が抜け
握る鞭を見下ろす崖の遥か下へ落としてしまったと顔を見合わせた時の君の虹色の瞳に
がちがちに力の入った打ち続ける自分が写っていること
何がありがたいかって
真剣に鞭打ち続けるその脇をこそぐり
思わず笑ってしまい力が抜け
握る鞭を見下ろす崖の遥か下へ落としてしまったと顔を見合わせた時の君の虹色の瞳に
がちがちに力の入った打ち続ける自分が写っていること
友人のお母さんが台湾から訪ねてきていて、
台湾の「ベジタリアン料理」をご馳走になった。
きのこ類に、切り干し大根に、ごま油に、豆腐に。
幸せ。
知り合いがデビルスクラブ(たらの芽もどきハリブキの茎と根を乾燥させたもの。こちらの「ジンセン」とも呼ばれる)から作ったお茶を飲みながら。
70代のお母さんは、敬虔な仏教徒。
家事をしている以外は、だいたいマントラやお経を唱え、座禅をしたりお祈りしたりと一日を過ごす。
皿を戸棚にいれるのでも、洗うのでも、丁寧に一つ一つね、と友人に。
マインドフルだなあと思う。
子供同士や、私と友人が仲の良い様子を見ながら、前世ではハッピーエンドの繋がりだったのね。
次男の耳にピアスを開けたようなくぼみがあると見せると、前世は女の子だったのねと。
すらすらとあらゆることが、前世の話に繋がっていく。
私自身は前世とか死後とかいうことについてほとんど関心がないのだけれど、
お母さんのあまりにも自然な様子に、
今のこの人生が、連なる流れのほんの一部、そんな感覚になった午後。
日常にその世界観を体現する人の言葉は、心にすっと入る。
壁を前にしたら、最も効果的なのは「躍動感のある喜び」を思い出すこと。
心配、不安、恐れなどが確かに渦巻くわけだけれど、
それらに気づきつつ、抗う必要もなく、慈しみを向け。
「躍動感のある喜び」というのは、軸の中心にあるものなので、
呼吸に落ち着くことで、自ずと湧き上がってくる。
壁を越えた後に待っているものとか、
これまで越える度にどれほど力がついてきたかとか、
また一回り大きくなる機会がやってきたとか、
それらの言葉で、「躍動感のある喜び」を強めていくのもいい。
ただ中心には、意味から解き放たれた、「躍動感のある喜び」という感覚のみがある。