ダーリン三浦の愛の花園

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明日のためにその223-セーン・マオ(タイの60年代女性アイドル)

2016年03月12日 | ワールドミュージック
恐るべし1960年代のタイのアイドル歌手。

以前このブログに投稿したように、最近「タイ・ポップス」に食指が伸びている。
そして、先日遂にタイのCDを購入した。
色々あるタイのポップスCDの中で、一番危険度のある「60年代アイドル復刻盤」を購入した。
歌手の名前は「セーン・マオ」性別は女性。彼女についての詳細は判らない。しかし、販売店のCD紹介レビューとジャケットが決めてとなって、CD購入に至った。
以下、このCDを聴いた私なりのレビューを綴る。

一曲目は、タイの民族音楽でも聴いているような、ドメスティックなポップス。
二曲目は、ブルース。どう聴いてもブルースとはグルーヴが違うのだが、間奏でブロウするサキソホンの熱いうねりが「ブルースなんだ」と主張している。
三曲目は、60年代のゴーゴーサウンド。これもちょっとグルーヴが違うのだが、そこが面白い。
以下、全十八曲あり、上記のようなサウンドを含め、60年代のガレージ風、ドドンパ風、日本の「おてもやん」風とヴァラエティに富んでいる。
中でも、ロイ・オービソン風の曲があるのだが、これはイントロの部分だけ、ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」と言う曲をそのまま使っている。明らかにイントロ部分は盗作なのだ。
しかし、メロディが出てきて驚く。そのイントロからは想像できないメロディなのだ。
これには思わず「参った」と心の中で呟いた。
歌手としての力量はある方で、様々な曲調を張りのある声で聴かせる。
しかし、高音が強すぎて、その声は耳から脳に抜け、慣れないと不快感を持つかもしれない。
CDの後半は、タイでその当時流行っていたであろう、日本で言う「歌謡曲」タイプの楽曲が続く。
これが良い。当時のタイ歌謡の雰囲気を味わえる楽曲ばかりだ。その楽曲のアンサンブルには、タイで使われている民族楽器も多数参加しているとおぼしい。
全十八曲、時間にして約五十分の長丁場を私は聴きとおした。かなりストレンジな世界であったが、とにかく聴きとうせたのだ。
私の体に、妙な脱力感と満足感が同居した。
しかし、私の集めてきたアジアンポップスのアルバムの中では「白眉」に限りなく近い物であった。
おそらく、今流行のポップスやロックを愛聴している方には、絶対にお勧めできない。
多分CD全般も聴きとおせないだろう。
それほど「ディープ」で「ストレンジ」な世界なのだ。
益々、タイのポップスに興味がわいてきた。
全くなんと、アジアのポピュラー音楽は楽しく、私を喜ばしてくれるのだろうか。
私のCDコレクションに、また「お宝」が加わった。そう思いほくそ笑む私をもう一人の私が愛でている気がした。



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