石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

(ニュース解説)OPEC総会で加盟国拡大を非公式協議(第2回)

2006-06-23 | OPECの動向

(前回までの内容)第1回:ベネズエラがアンゴラなど3カ国のOPEC加盟を提案

 第2回:生産量のシェア以上に急落したOPECの輸出シェア

 ベネズエラがOPECの拡大を考えるのは、OPECが国際社会の中で(政治的な意味を含めて)強い立場を取り戻すべきである、と考えているからであろう。かつてはアジア・アフリカや中南米の第三世界が一定の発言力を持ち、そのような中でOPECも世界、特に欧米先進国の経済に対して強い影響力を持っていた。しかし今や米国一強時代であり、ロシアや中国など旧社会主義諸国が米国と対等に渡り合える力はなく、まして第三世界は米国の顔色をうかがう有様である。

 チャベス・ベネズエラ大統領は、米国に対抗できるのはそのアキレス腱である石油を握るOPECだけであり米国に一泡吹かせるためにはOPECを拡大して市場支配力を高めることである、と考えているようだ。果たしてアンゴラ、スーダンなどの新興石油輸出国をOPECに引き込めば、彼の思惑通りになるのだろうか。それを解く鍵はOPECの栄光の時代と現在における世界の石油生産及び輸出それぞれに占めるシェアにある。

 まず石油生産について見ると、OPECのシェアが最も高かったのは1973年(即ち第一次オイルショック)の55%であった(注1)。この時の世界の生産量は5,520万B/Dであり、OPECのそれは3,060万B/Dであった。その後、OPECの生産シェアは急激に低下して1985年には3割を切ったが、その後再度回復し、2004年のシェアは42%である(同年の生産量は全世界7,060万B/D、OPEC2,960万B/D)。1973年と2004年を比較してわかるとおりOPECの生産量は殆ど変わっていない。OPECのシェアが55%から42%に低下したのは世界全体の生産量が増えたこと、即ち非OPEC産油国の生産量が増え、或いは新たな産油国が出現したためである。

 次に石油輸出のシェアを見よう。世界の石油輸出に占めるOPECのシェアが最も高かったのは1974年(第一次オイルショックの翌年)の87%であり、OPECが圧倒的なシェアを誇っていたことがわかる。その後このシェアはほぼ一貫して低下し2004年のそれは51%である。数量に置き換えると、1974年の輸出量は世界全体が3,110万B/D、OPECは2,720万B/Dであり、2004年のそれは各々4,270万B/D、2,160万B/Dである。1974年から2004年までの30年間に世界の石油輸出量は1.4倍に増大した一方、OPECの輸出量は4分の3に減少しているのである。

  30年前と現在のOPECの生産量は殆ど変わっていないにもかかわらず、同じ期間中に輸出量は大きく後退している。これはOPEC各国で石油の国内消費が増大し輸出余力が無くなっていることを示している。その端的な例がインドネシアである。1977年に130万B/Dの原油を輸出していたインドネシアは、2004年にはわずか40万B/Dの輸出に留まっている。しかし実はこの輸出量自体にはからくりがある。BP(British Petroleum)の統計によれば、2004年のインドネシアの原油生産量113万B/Dに対し、同国の石油製品消費量は115万B/Dに達している。つまりインドネシアは原油輸出を続けているものの、ガソリンなどの石油製品の消費量が原油生産量を上回っている、即ち同国は既に石油輸入国に転落しているのである。このことは石油省高官も認めており、昨年初めにはインドネシアのOPEC脱退説が出たほどなのである(注2)。

  次回は石油を武器に使おうとするOPEC急進派(少数派)とそれに反対する穏健派(多数派)の対立について解説を試みる。

 (今後の予定)

第3回:石油を武器にしたくないOPEC穏健派

第4回:OPECの産消対話のパートナーはEU

注1 文章中の数値はいずれも’OPEC Annual Statistical Bulletin 2004’による。

注2 拙稿「石油の純輸入国になったインドネシア―くすぶるOPEC脱退説」(石油文化2006-2号)参照。


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