石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

EI世界エネルギー統計(旧BP統計)2024年版解説シリーズ(2)石油2

2024-07-11 | EIエネルギー統計

I.石油(続き)

2.世界の消費量

(全世界の石油消費量が初めて1億B/Dを突破!)

(1) 2023年の国別消費量 (表http://bpdatabase.maeda1.jp/3-T01a.pdf参照)

 2023年の世界の石油消費量は1億22万B/Dであり、史上初めて1億B/Dを突破した。国別で石油消費量が最も多いのは米国の1,898万B/Dであり、世界全体の19%を占めている。これに次ぐのが中国の1,658万B/D、シェア17%である。消費量が1千万B/Dを超えるのはこの2カ国だけであり、3位インド(545万B/D)と比べると米国は3.5倍、中国は3倍の消費量を誇っている。米国と中国は石油の爆食国であると言えよう。

 

 世界4位はサウジアラビア(405万B/D)、5位ロシア(364万B/D)、6位日本(337万B/D)である。7位から10位までの各国の順位と消費量は以下のとおりである。

 

 7位韓国(280万B/D)、8位ブラジル(257万B/D)、9位カナダ(235万B/D)、10位メキシコ(196万B/D)。

 

(1970年の消費量5千万B/D弱が半世紀後の2023年には1億B/D超える!)

(2) 1970~2023年の消費量の推移(図http://bpdatabase.maeda1.jp/3-G02a.pdf参照)

1970年の全世界の石油消費量は4,570万B/Dであったが、2年後の1972年に5千万B/D台に、そして1977年には6千万B/D台を超える急増ぶりであった。その後1980年代は横ばい状態であったが、1990年以降再び増加に勢いがつき、1995年に7千万B/D、2004年に8千万B/D、2014年に9千万B/Dを突破、ほぼ10年毎に1千万B/D増加した。2020年はコロナ禍の影響で消費が急減したが、2023年は1億B/Dを突破している。

 

(日本を追い抜き格差広げるインド!)

(3) 米国、中国、日本、インド4カ国の過去10年間の消費量推移

(図http://bpdatabase.maeda1.jp/3-G03a.pdf参照)

 2023年の石油消費量が世界1位から3位までの米国、中国、インド及び世界6位の日本の4カ国について2014年から2023年まで10年間の石油消費量の推移を追う。

 

 2014年の米国の消費量は1,811万B/Dであり、中国1,102万B/D、日本438万B/D及びインド387万B/Dであった。米国は2019年に1,942万B/Dのピークに達したが、2020年はコロナ禍のため1,718万B/D強に急減した。2023年の消費量は1,898万B/Dであり、ほぼコロナ禍前の水準まで回復している。

 

 これに対し中国の消費量は2014年以降昨年まで一本調子で増加している。即ち、2014年は1,102万B/Dであったが、2017年には1,300万B/Dを突破、さらに2019年には1,432万B/Dとなり、コロナ禍の間も横ばいを維持し、2023年の消費量は過去最大の1,658万B/Dに達した。10年前には米国と中国の消費量の差は700万B/Dであったが、10年後には240万B/Dまで格差が縮小している。

 

 日本の消費量は過去10年間ほぼ一貫して減少しており、2014年には米国、中国に次いで世界3位であったが、2015年にはインドに追い抜かれ世界4位に転落した。その後さらにサウジアラビア及びロシアにも追い抜かれ、昨年の消費量は世界6位の337万B/Dであった。

 

 日本とは逆にインドはコロナ禍の2020年21年を除き消費量は増え続けている。2014年の同国の石油消費量は386万B/Dであったが、2023年には1.4倍の545万B/Dに達している。日本の場合は2023年は2014年の0.8倍であり、10年間で2割減少しており、インドと対照的である。

 

(続く)

 

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     前田 高行     〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601

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見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(179)

2024-07-11 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 

第7章:「アラブの春」―はかない夢のひと時(12

 

179 短かった春の宴(4/5)

しかしリベラル運動の理論家はムバラク政権時代は西欧に亡命し、そこでの自由で安全な生活に慣れ切っていた。彼らは頭でっかちのインテリであり、エジプト国内で圧政に苦しむ一般市民とは意識のずれが大きく団結した組織をつくれなかった。SNSの威力を過信した学生たちもまた大規模なデモ動員こそ可能だったものの結局国民全体を動かす力にはなりえなかった。学生たちは組織力と実行力のあるムスリム同胞団が主導権を握るのを見て、「革命を乗っ取られた」と嘆いた。チュニジア青年の焼身自殺をSNSで広め「アラブの春」の運動をリードしてきた若者たちであったが、欧米では当たり前の民主主義という「智」のイデオロギーがイスラーム社会には根付いていなかったのが原因であろう。中東アラブは今も部族(血)とイスラーム(心)が支配する世界である。

 

エジプト史上初めてと言われた公正な選挙で圧倒的支持を得たムスリム同胞団の自由公正党であったが、ムルシ大統領の時代はわずか1年余りしか続かなかった。政治経験の殆どないムルシは経済運営で失政を重ね、さらに同胞団の身内を重用する縁故政治で国民の心はムスリム同胞団からすっかり離反した。再び若者のデモが続発し騒然となった。大衆はわずか一年前に自らが選んだ大統領を引きずり下ろし、あろうことか軍政への回帰を選択したのである。軍最高司令官のシーシはクーデタを敢行、ムルシを解任した。ここにエジプトは強権的な軍政に復帰、エジプトの「アラブの春」は2年で終わった。国民はシーシを熱烈に歓迎し、欧米民主主義国家を含めた国際社会もアラブの盟主エジプトの政治と経済が安定することを歓迎したのである。

 

(続く)

 

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

 

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