Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(459)

2023-05-26 00:10:00 | コラム
ぶらいあんでぱる「ま」→「ま」いどく

長いタイトルの作品でも、ファンであればあるほど略すことをしません。

K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』や、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を略していう本読み居ないでしょ?

それと同じで、
映画ファンはハキハキと『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(85)というし、


『博士の異常な愛情』(64)で通じるのに、あえて副題のような「または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」までを、はっきりというイキモノなんですよ。

んん?
オメーはポール・トーマス・アンダーソンをPTA、クエンティン・タランティーノをQTというじゃないかって?

だからそれは人名であって、作品名とはちがいますから!

ちょっと苦しいか、、、まぁいいや(^^;)


話を戻して。
そのことを前提としていえば・・・

『マイドク』(86)は、「ありかた」そのものがおかしい。反則。

ニュージーランド産のホラー映画で、原題は『Death Warmed Up』(=死んだように顔色が悪く見える)なのに・・・

いかにして「マイ」ケルは「ドク」ター・ハウエルと改造人間軍団に頭蓋骨病院で戦いを挑んだか

という長ったらしい副題を編み出したのち、

それを略した『マイドク』にしている。


この頭おかしい感覚は、時代が生んだものといえそう。
80年代とは、そういう感覚が許された時代。

現代であればこんな邦題つけないし、そもそも未公開になりそうなC級のホラーなわけで。

『ガバリン』(86)や


『デッドリー・スポーン』(83)が、


ミニシアターでなくレイトショーでもなく、全国公開され「そこそこ」儲けてしまう幸福な?時代。


催眠操作?によって両親を殺してしまった主人公マイケルが、主犯のマッド・サイエンティストに戦いを挑むという、やっぱりどうかしている物語。

ニュージーランドといえば、『ピアノ・レッスン』(93)のジェーン・カンピオンと『ブレインデッド』(92)『ロード・オブ・ザ・リング』(2001~2003)のピーター・ジャクソン。
彼ら彼女らの映画もハリウッド産と「ちょっとだけ」肌触りがちがうけれど、ふたりが頭角を現す前のニュージーランド映画もそーとー狂っていたといえるでしょう^^





あすのしりとりは・・・
まいど「く」→「く」りーぷ。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(460)』
コメント
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