Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(127)

2015-05-19 05:51:07 | コラム
映画に登場する「本」について、もう少し。

タイトルがそのものずばり、、、だったのは仏産の『読書する女』(88)。

ミュウ=ミュウ演じる主人公は、友人に声を褒められたことから「他者に本を読んできかせる」という商売を始めるも、当然のようにそれだけで済むはずもなく…という物語だった。

ケイト・ウィンスレットのハダカに強烈なリアリティを感じる佳作『愛を読むひと』(2008…トップ画像)は、情事のあとに若い男がヒロインに本を朗読していくという愛の物語。

『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(88)のオットー(ケビン・クライン)は、ニーチェの『善悪の彼岸』をサスペンス小説だと思って読んでいる「バカ」である。

『メジャーリーグ』(89)のジェイク(トム・ベレンジャー)は、彼女から読め読めといわれ続けているのに、どうしても『白鯨』を最後まで読むことが出来ない。

『セブン』(95)の刑事ミルズ(ブラッド・ピット)は、犯人逮捕のために、縁のなかったミルトンの『失楽園』やマルキ・ド・サドを読む羽目になる。

ミルズ「―マルキ、ド、シャデー」
サマセット「サド、だよ」
ミルズ「…」

『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)の主人公アムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)は聖書を川に投げ捨て、
『パルプ・フィクション』(94)のジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)の口癖は、「聖書を読むか?」だった。


※『セブン』には、こんなシーンもあった。

サマセット「君たち。私には理解が出来ない。ここは知の倉庫なのに、君たちは一晩中ポーカーなんて…」

ここで『G線上のアリア』を流すデヴィッド・フィンチャーのセンスが素晴らしい。





さて。
自分が「生まれて初めて夢中になった本」の話。

小学校3年のとき、父親に買ってもらった「怪盗ルパン全集」のひとつ、『奇巌城』である。




ウチの父親は基本「放任主義」であったが、本だけは常に「読め読め!」というひとで、部屋は書庫といっていいほど本でいっぱいだった。
しかしそのコレクションは純文学ばかりで、さすがに小学校低学年では読むのがきつい。
「けれども、なにか読んでみたい」という意思を示した自分のために、父親は「本の町・神田」に行ったとき、「ルパン全集」をいくつか買ってきてくれたのである。

・・・と、素敵な親子関係を恥ずかしげもなく記してみたが、
きちんと最後まで読めたのは、そりゃあもちろん著者モーリス・ルブランのストーリーテリングの巧さもあったのだろうが、
クラスメイトの石川陽子ちゃんに恋していた自分、彼女が大の本好きでねぇ、彼女に気に入られ? たくて、彼女と話したくて、彼女との共通点がほしくて、頑張って頑張って読んだわけですよ。


結局、そういうことだと思うんだ。

そういうこと―って、どういうこと?

って、聞き返すのは野暮でしょうよ。

きのう、なにかに夢中になるには「きっかけ」が必要だと書いたが、つまりは恋をすることですよ。

恋をすれば、それまで興味のなかった分野のことについても知ろうとするわけだもの、、、ねぇ。


だから。
逆説的な意味で使うが、若人よ、書を捨てよ町へ出よう!! とだけいっておこう。


おわり。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『♪ あれから10年も ♪』

コメント (2)
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