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【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

高潔な人間愛 ~ 「安宅家の人々」

2012-01-30 16:22:56 | 心の宝石箱

【次々と開花する 「金の成る木の花」】


壁暖炉の火は音立てて燃えていた。
―― この森の中に厳しい霜柱が立ち、
肌に沁みる風のはげしい冬の日々だった。
その頃雅子は、
義兄のピアノの稽古を手伝った後、
その暖炉の前で、毛糸編物をしていた。
(中略)
雅子のたゆまず動かす編棒の手許に注ぐ
伏目の睫毛まつげが美しくっていた。

「それ、譲二の?」 宗一が問う。
「あら、お義兄様のよ、
クリスマスには間に合わせますわね」
雅子は編物から目を離して
義兄を微笑んで見た ――
             【吉屋信子著 「安宅家の人々」】


   




   今日も太陽と共に朝を迎えました。
  気温もほぼ昨日と同じくらい。
  庭の如露の凍結もありません。そんな中・・。

   およそ、1ヶ月になりますね。
  金の成る木の白い小さな花が見頃を迎えています。

   今年は例年になく花芽を沢山付けたのですが、
  その花芽が一斉に開く・・というのはないようですね。

   勝手気儘に1輪ずつ開いては閉じ・・を繰り返しています。
  言ってみれば、完璧なる自己主張の花かも知れません。

   そしてこの花を見る度、いつも思うのですが、
  この肉厚の葉に、およそ不釣り合いな見るからに可憐な花、
  ちょっと意外です。

   もし試験で隣に繊細な葉があって、「どちらでしょう?」
  ~なんてありましたら、絶対に間違えてしまうでしょう。


   前置きが長くなりました。
  昨日の続きとさせて頂きます。 

   吉屋信子著 「安宅家の人々」。
  昭和26年(1951) の作品です。

   読み始めて暫くしてフジテレビ系列、
  お昼のテレビドラマで見た事を
  思い出したものです。

   尤も舞台は養豚場がホテルに、
  時代も現代に変更されていましたが。

   放映は随分昔のように思って
  いましたが、4年前だったのですね。

   テレビでは雅子役が小田茜、
  国子役が遠藤久美子だったようです。

   尤も小田茜を観月ありさと間違えたり、
  国子役は名前さえ知りません。
  記憶のいい加減な事と言いましたら・・。

   当然の事ながら、
  ここではテレビドラマからは離れさせて頂きます。

   ドラマという性格上、仕方ないのかも知れませんが、
  タイトルのように “高潔な人間愛” を
  描いているようにはとても思えませんでしたし。












【吉屋信子著 「安宅家の人々」】


   




   ところで最近、とみに注目するのが小節の冒頭部分です。
  ここだけ読みますと、淡々と書かれた描写は、
  大好きな松本清張を連想。

   さしずめ推理小説なら、どんな事件が
  待っているのかと、わくわくする処でしょう。

   そうそう、その物語とは・・。
  近江商人である安宅宗右衛門が一代で築いた莫大な財産は、
  宗右衛門の死後、長男宗一と腹違いの次男譲二に譲られます。

   ただ、長男宗一は早くに亡くなった母親の美貌を受け継ぎ、
  眉目秀麗ながら生来の精神薄弱。

   安宅家に長年、仕えていた執事の娘国子と結婚し
  (させられ?)、その国子は広大な養豚場を経営して
  必死に働き、宗一を支えます。

   一方、次男の譲二は大学出ですが、
  放蕩(ほうとう)息子。

   事業をするも、ことごとく失敗。
  この譲二には若く美しい妻、雅子が。

   とうとう最後の砦(とりで)、
  軽井沢の別荘も手放す事になり、養豚場の離れ(役宅)
  に移り住む事から始まる、様々な心の葛藤と人間模様。

   もし、ここで次男の嫁雅子が悪い女性であるなら、
  骨肉の争いとなるのですが、姿形ならず、
  心まで美しい雅子は、宗一の良き理解者でもあり、
  又、国子とも信頼関係を結び、支えます。

   宗一にテニスを教え、ピアノも親切に丁寧に教える雅子。
  いつしか宗一は優しく美しい雅子に淡い恋心を・・。

   雅子にとっても精神薄弱でありながら、
  それ故に神の如く無垢な心を持つ、
  宗一との心の触れ合いは、唯一の安らぎとなるのです。

   それにしても複数の家族が一つの場所で生活する難しさ。
  当然の事ながら、色々と問題が起こるものですね。

   予期せぬ事も。
  結局、譲二の裏切りなどで、
  譲二夫婦はここから出て行く事になるのですが・・。

   ともあれ、この小説は現代にも十分通用します。
  「赤毛のアン」 にも言える事ですが、
  小節の素晴らしい処ですね。

   精神薄弱をそのまま、その他の障害や認知症にも
  置き換える事が出来ますから。
  幸福を求める権利は、誰にもあるのですものね。