

「あたしは殉教者について読むのは 好きでありません。 必ず 自分が下らぬ人間に思われて 恥ずかしくなるからです ―― 寒い朝、寝床から起き出すのが嫌いな事や、 歯医者に行くのを尻込みするのが 自分でも恥ずかしくなります」 【「アンの幸福」 最初の1年11.】 |

こちらは今日も、すっきりしない天気になっています。ただ暖かい!
起床時の居間の気温は、何と15度も。
3月中旬頃にも思える今日は24節季の一つ、「大寒」 なのですね。
寒さはこれからが本番。
その証拠に来週には最高気温が4度という 「真冬日」 が待っています。
インフルエンザも流行って来ていると言いますし、
気を引き締めてかからねばなりませんね。

さて昨日は書きそびれてしまった、三浦綾子著 「嵐吹く時も(上下)」。
前回の三島由紀夫で手間取った私にしては異例のスピード。
と言っても以前に比べれば、これでも遅いのですが・・。
ただ前後して読んだせいか、つい三島由紀夫の文体と比べている私がいます。
この本には思わずハッとするような美辞麗句で飾る風景描写はありません。
尤も三島由紀夫の場合は、それが強過ぎる? きらいがありますけれど。
(それは私が感じるだけでしょうが)何分にも集中砲火のようにそれを浴びたものですから、
それ以来、ちょっとしたカルチャーショックです。
そんな風ですから 【前回】 でも触れましたが、
平易な文章と淡々とした語り口、登場人物の精神性の高さが光ります。
何より落ち着いて読めるのですよね。
しかしながら上記の引用文ではありませんが、
“自分が下らない人間に思えて恥ずかしく” なるのには閉口しますが・・。
そうそう、この物語は彼女の父方の祖父母がモデルなのだそうですね。
ここでもクローズアップされるのは、「人間の罪と救い」です。
彼女の永遠のテーマのようなものですものね。
それは、ふじ乃の息子、新太郎の言葉を借りれば次のように記されています。
1年前に読んだ 【天北原野】 の貴乃と孝介の言葉をも彷彿させますね。

「俺ね、商売が商売だから、男と女の事は、色々見たよ。 人間って、弱いもんだよなあ。 誤ちを犯さずには、生きていけないもんだよな。 これは、北上さんの口癖だけどさ。 あの人、いつも言っているよ、 人間って誤ちを犯さなきゃ生きて行けないんだなあって」 【三浦綾子著「嵐吹く時も(下)」】 |

三浦綾子は、これまでも様々な女性像を描いて来ましたね。
ここでもそれは、いかんなく発揮されています。
明治から大正時代を生きる、芯の強い、その主な登場人物は・・。
天性の美貌と感受性が豊かで、奔放なふじ乃。
母親の美貌を受け継ぎながら、それ故に堅実な娘の志津代。
そして、ふじ乃とは対照的な女性として描かれているのが、
夫亡き後、旅館 「山形屋」 を経営しながら3人の息子を育てているキワ。
そしてもう1人、志津代の幼友達の八重も。
このような美しい女性たちと関わる、
それぞれ魅力的な男性たちとの波乱万丈な一生。
中でも志津代の年の離れた弟、新太郎が心に残ります。
最後にどんでん返しがあるのですが、母親ふじ乃の苦悩も然る事ながら、
彼自身だって、どれだけ幼い心を痛めた事でしょう。
この新太郎の事は私自身、ちょっと批判的に見ていましたから。
読み終えた今だからこそ、真実が分かります。
それにしてもこちらは、哀し過ぎますね。亡くなったのは新太郎です。

