【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

ロンバーディの神秘

2009-01-19 16:30:56 | 心の宝石箱


 


   雨上がりの今朝は、随分暖かい朝となりました。
  昨日よりは、3 度ばかり気温の高い朝。

   それに少々、霧に包まれた・・幻想的な朝となりました。
  そう言えば、昨夜は暖房を消していた時間も、ありましたっけ・・。


【いつも一緒! 『赤毛のアン』の本】

   ところで今日は、再び 『赤毛のアン』 に登場して来る、
  「ロンバーディ」 の木の事を記そうと思います。

   尤も、今ではそれは、「ロンバーディ・ポプラ」 と判明しているようです。
  森の研究者でいらっしゃる、【工房Miya さん】 が、
  原書と照らし合わせて述べられています。

   村岡花子女史のお孫さんにより、改訂されたそうですね。
  それはさておき・・私はどうしても女史の心情に? 行き着いてしまうのです。

   思いを巡らせば、彼女が初めて1巻の 『赤毛のアン』 (全10巻)を、
  翻訳したのは、1954年(昭和29年)。

   彼女の最後の作品となった、『エミリーの求めるもの』 (全3巻)は、
  1968年(昭和43年)。(彼女はこの原稿を新潮社に届けたその月にお亡くなりになられたとか)

   この間に、約14年の歳月があります。
  【先日の記事】、第7巻 『炉辺荘のアン』 では、
  「ロンバーディ・ポプラ」、「ロンバーディ杉」、あるいは、「ロンバーディ」 と、
  3通りの記述がある事は、既にお知らせした通りです。

   ところが、彼女の最後の作品となった、『エミリーの求めるもの』 では、
  面白い事に、全て 「ロンバーディ杉」 となっているのです。

   “・・・その後ろには丈の高い樅と ロンバーディーの杉 が、
  薄い薔薇色と消えて行く黄色の夕映えの空に向かって伸びていた。”

                                    【「エミリーの求めるもの」 第14章2.】

   “・・・小道の末の方の、ロンバーディー杉 は、
  大きな金の蝋燭のようだった。・・・”
                 【「同」 第18章】

   “― 月光に向かう黒い ロンバーディー杉 の妖精のような美しさ ―”
                                              【「同」 第26章2.】

   これは何を意味するのでしょう・・。しかも早い時期に出版の本の方には、
  「ロンバーディー・ポプラ」 としてあるのが多いにも関わらずに・・です。

   彼女の本の特徴でもあるのですが、彼女自身の手で 「あとがき」 がされています。
  それには随分、校正がなされた事が窺えます。

   どう考えても、彼女がこの矛盾に気付かない筈はないと思うのです。
  何か、この 「ロンバーディー」 には、特別の拘りがあったのでしょうか・・?
  彼女の気持ちを一度、お聞きしてみたかった気がします。

   それにしても、彼女の 「あとがき」。
  “東京大森にて”と、記されてあるそれに、どれだけ温かみを感じた事でしょう。
  又ある時は、“東京大森の夫亡き淋しい家で” と、記されていた時もありました。

   そうそう、彼女は 「正しく美しい日本語」 の表現を目指していらしたのだそうですね。
  道理で、文章を読む度に心地良い気持ちになったものです。

   いみじくも、彼女がアンの本で記していらしたように・・。
  “すみれの言葉のように” 、“まるで音楽のように”、その文章は心に響いたものです。