【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

真っ直ぐの国の木~ロンバルディ

2009-01-11 15:55:15 | 心の宝石箱


   




こちらは昨日の真珠色の空から一転して、このような日の出を迎えました。
気温は少々、低かったものの、日の出独特の力強い太陽の光と、
肌に心地良い、冷気を感じたものです。

そう言えば、昨夜のお月様の美しかったこと!
冬の月は、あくまでも透明で、他の季節にはない凛としたものを感じます。
それでいて優しい・・。

そして今日は、満月ですね。今日は、どんな顔を見せてくれるのでしょう。
そうそう、日中の日溜まりのぽかぽか・・も戻って来ました。






 


   




“樹木は多くの人間どもと違って、知れば知るほど良くなる。
最初に、どんなに好きであっても、だんだんと、なお好きになる。
そして長い長い年月、四季の変化を通してその美しさを知った時に、
最も深く愛するのである。・・・・・”
         
                  【「エミリーはのぼる」 第19章】

   


「私は前から樹木の崇拝者です。」                  【「アンの幸福」 最初の1年】

   



このように、アンの本には樹木の事が沢山出て来ます。崇拝者です。
そして、その中で度々登場する木と言いますと、「ロンバルディ」 でしょう。

私は、これまで・・この 「ロンバルディの木」 については、“真っ直ぐの高い木” という、
認識こそありましたが、「木」 自体には、それほど関心を持たず、読み進んでいました。

でも、それが 「ロンバルディポプラ」 なのか、「ロンバルディ杉」 なのか・・。
意識して読むと、又違った面白さがありますね。

一つには、真っ直ぐの高い木と言う事から、
最初から杉のイメージを持っていた事は、否めません。

そして、アンの本で 「ロンバルディ杉」 という記述を見るにつけ、
いつの間にか・・思い込んでしまったのですね。
でも、改めて読んで行きますと・・。

ある時は、「ロンバルディポプラ」 であり、又ある時は 「ロンバルディ杉」。
ただ、単に「ロンバルディ」 とだけ、記されている時もあります。
これまで目にしていながら、ス~ッと見過ごしていた部分。

私は、村岡花子女史の格調高い文体は勿論の事、考察にも絶対の信頼を寄せています。
単なる翻訳違いというのでも、出版時期によって異なるというのでも、なさそうです。
(尤も現代では、植物学上からも判明しているのでしょうね)

例えば、「炉辺荘のアン」 を例に取りますと・・。
女史は、1巻から順番に翻訳していますから、この本は7巻目。(前10巻) 
相当、後になります。それでも、ザッと目についた所でも、それぞれ違った言い方をしています。

   



“月光を浴びた ロンバルディポプラ の若木ほど、
ほっそりとして妖精じみたものは、またとないと思った。”

                  【「炉辺荘のアン」 第16章】
   



“またひと夏終わった。ロンバルディ杉 の年月を超越した、
光に照らされて。”
                      
             【「炉辺荘のアン」 第29章】
   



ロンバルディ の葉は月光を受けて、銀のように光っている。”
                【「炉辺荘のアン」 第43章】

   



その他、「アンシリーズ」 の後に翻訳された、
「エミリーシリーズ」(平成版) でも、杉だったり、ポプラだったり・・。

ようするに、日本人的には、杉のようにもポプラにも見えるのでしょうか・・?
ただ、「ロンバルディ」 とだけ記しておけば済むものを、
敢えてこのように書かれた事に、私は、ある意味を感じてならないのです。
彼女ほどの方ですから。(考え過ぎかも知れませんが)

となれば、彼女にすら断定出来ないような木・・と、私は捉えます。
その方が、「想像の余地」 があって、余程楽しいですもの。