世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

名古屋と名古屋人の気質

2009-03-10 00:01:26 | 社会
 名古屋と東海3県の紹介サイト「TOPPY.NET」は名古屋について非常に詳しく紹介している[1]。TOPPY.NETは個人が作ったページであるが、各地の歴史や文献をきちんと調べた上、現地を訪れ名物や見所を紹介しているので記事は質が高い。個人のレベルでここまでの質・量のページを作り上げるのは難しいだろう。このページを見れば名古屋の名所や名物、名古屋人の気質、経済事情、慣習、文化がわかるだろう。名古屋を知りたい人は一見の価値があるページである。

 TOPPY.NETは興味深い記事がいくつもあるが、私が興味深かった記事の一つに「はっきり言って根に持ちます[2]」という題の記事がある。この記事は名古屋人の「恩も恨みもいつまでも忘れない。」という気質を事例を元に紹介する内容である。

 恩の例としては「1995(H7)年に関西を襲い、約6500人の方々が亡くなった阪神大震災により各地で大きな被害が発生した時、名古屋市の驚くべき対応が新聞に載りました。名古屋市は、かつて1959(S34)年に伊勢湾台風により5098人の死者・行方不明者を出しているのですが、そのときに関西の各市町村が義援金を送ってきたかどうかによって、この地震に際して関西の各市町村に義援金を送るかどうかを決めたというのです。約40年前のことでありながらです。一度受けた恩は絶対に忘れないのです。[2]」

 恨みの例としては「トヨタ自動車には倒産の危機が起こります。終戦の4年後、1949(S24)年の年末、販売不振と売掛金の回収遅延から、2億円の決済資金の手当てがつかなければ、あわや倒産という事態に陥ります。この状況を何とかしなければならない、日銀は各銀行に斡旋し、 1億8820万円の協調融資が実現しました。主に東海銀行と帝国銀行(その後のさくら銀行)がその融資を行いました。このとき、日銀は20数行の銀行に融資を依頼したのですが、頑なに最後まで融資に応じなかったのが、住友銀行だったのです。また、融資だけでなくトヨタ自動車は取引業者に対しても年末支払いの猶予などで協力を求め、多くの取引先がその申し出に応じたのですが、川崎製鉄だけは協力を拒んだのです。(中略)トヨタ自動車は、住友銀行・川崎製鉄と一切の縁を切り、その後全くの絶縁状態が続いてきました。」

 この記事を読んだとき名古屋はあまり良い気質ではないと思ってしまった。まず、阪神大震災の被災地への義援金出資先を伊勢湾台風の時に自分たちに義援金をもらった地域だけにしようと考えていたのが私には否定的にうつってしまった。

 かつて自分たちに義援金を出してくれた地域の被災に義援金を送るのは「恩に報いる。」という積極的な意味を持つように見えるが、逆に言えば「恩を受けなければ助けない。」という否定的な意味にもうつる。

 確かに、義援金は厚意で送るもので完全に任意だし、たとえ義援金を出さなかったとしても文句はいえない。完全に任意というのはそういうことだ。厚意を拒否したからといって何か不利益があるなら任意ではない。

 しかし、人情的にこうした態度は否定的にも映ってしまうのだ。もっとも、義援金は[2]によると「名古屋市民などの反発により被災した全ての自治体に義援金を送ることになるのですが。[2]」とのこと。「恩を受けたら報いるけど、恩がなければ助けない。」という考えは批判されて改めたようだ。それには大いに賛成するし、名古屋人は冷たくないと認識を改めた。

 トヨタ自動車が1949年に経営危機だった時に救援を拒み続けた住友銀行・川崎製鉄と長年絶縁状態だったことは名古屋人の根の深さというものを感じさせる。これも上述の「恩を受けたら報いるけど、恩がなければ助けない。」という考えを想起させ否定的な印象を持った。もっともこれは名古屋人の気質ではなくトヨタ自動車だけの気質なのかもしれない。

 ただ、先にも書いたが救済は厚意で行うもので完全な任意だし、厚意で救済してくれなかったとしても文句はいえないと思う。しかし、人情で助けてくれなかった相手に対して否定的な感情を持つことも否定できないし悪いとはいえない。

 はっきりとしているのは、トヨタ自動車は住友銀行・川崎製鉄が過去救済してくれなかったことを長年恨みに思っていたということだ。それは仕方ないし、当事者同士で解決してもらうしかない。
 
 名古屋の経済の大黒柱はトヨタ自動車だから名古屋がかなりトヨタ自動車の影響を受けていることは否定できないが、先にあげたように「恩を受けたら報いるけど、恩がなければ助けない。」という考えを批判し改めた名古屋人の気質を見ても、名古屋人は不合理なことを改めず長年続けていくような気質ではない。

 [2]の最後ではタモリ氏が名古屋人に悪く思われていて関係修復が難しいというような事が書かれていた。名古屋市には多くの人がいるから、タモリ氏のかつての名古屋嘲笑ネタ[3]を快く思わずずっと恨みに思っている人もいるだろう。しかし、多くの名古屋人はそんな30年前の出来事をいつまでも引きずっていないだろう。むしろタモリ氏がネタにして日本中に広めた「えびふりゃあ」を好機としてエビフライを売り出し名物に変えた。それは名古屋人の良い気質だと思う。

 名古屋と名古屋人は独特な風習で外部の地域には排他的だと思われているところがあるが、そうした気質があるところは否めないものの、決して不合理さを長く続けるような気質ではなく、悪いところはきちんと改善し合理的によい方向へ進もうとする進歩性をもった地域である。

参考
[1]TOPPY.NET
[2]"はっきり言って根にもちます" TOPPY.NET 2004.4.24
[3]1980年頃タモリ氏は「東京と大阪に挟まれ独特のコンプレックスがある、田舎なのに都会ぶる、人間がずうずうしい、エビフライをごちそうだと思っている、名古屋弁は響きが汚い」といった名古屋嘲笑ネタで笑いをとっていたことがあるが、これが名古屋人に批判された経緯がある。タモリ氏がエビフライを名古屋弁的に「えびふりゃあ」と呼ぶところがどこか名古屋を嘲笑されているようで名古屋人は反感を持ち、名古屋人には当時エビフライが否定的なイメージになったようである。