私は先週号の雑誌AERAの、現代の宗教と政治の関係についての特集を買って読みました。
私は実は活動はほとんどしていませんが、創価学会の会員です。
ただ宗教として信じているというより、主に池田大作さんがおっしゃる、日蓮による仏教思想を基にした、人や社会を救済して、より良く変えていく思想やあり方を学ばせてもらっています。
このAERAの記事では、創価学会が支持母体である公明党が、自民党と会派を組み早18年くらいたつ様です。
本来の創価学会の教えは、人間革命とは自らのエゴイズムを克服して利他へ命や宿命を転換をしていくことで、ひいては自分や社会や世界までも変えていく趣旨だと思います。
昔の公明党は確かに中道左派の様なあり方で、本当に庶民や民衆の味方として、社会から見捨てられた様な方達に、暖かい手を差し伸べていたと思います。
しかし今の公明党についてのAERAの記事を読むと、すでに公明党は自民党政権での暴走のブレーキ役どころか、自ら率先して政策の決定に関わり、平和に関する自民党案の憲法改正にも否定はしないだろう姿勢らしいです。
かつての理想を追うどころか、「スマート」な即物的な現実主義者に成り下がっている姿を書かれていました。
私は創価学会の人達に、なかなか働けないもっとも苦しい時に、家族の様に友人として本当に親身に暖かく応援してもらってきました。
私は創価学会にある種恩を深く感じていて、今の公明党や創価学会の、理想を追う、民衆の救済などの宗教の教義を忘れた様に、組織保身や勝利願望で突き進む姿に、深い憂いを感じます。
池田大作さんがおっしゃる、
「自分中心の生き方から、他者に貢献する生き方への転換。これこそが(人間革命)だ。」
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換も成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。」
「不幸に泣く人々を励まし、救いゆく行為は、まことに地味な労作業であるが、人間として最も尊い聖業である。」
「国家主義というのは、一種の宗教だ。誤まれる宗教である。国のために人間がいるのではない。人間のために、人間が国をつくったのだ。これを逆さまにした”転倒の宗教”が国家信仰である。」
私は宗教論争する意味ではなく、今の安倍政権が日本会議(母体は宗教団体の生長の家)と連携した愛国主義や全体主義的なあり方は、「国家主義の宗教」でないかと、危機感を強く持ちます。
私は宗教団体とは、草創期は理念を純粋に追っていても、だんだん理念から組織の保身や利益に流れていくことは、歴史を見れば大体そうだと思います。
そこでヨーロッパの中世に、キリスト教が教会やローマ法王が権力を握り、活動の方針などを決めていましたが、それが本来の貧者や悩める人達の救済から、免罪符を発行してお金集めに活動が移行していました。
そこで青年の牧師であったルターは、「本来の聖書に書かれているあり方にかえれ。」と言って運動を起こし、現在のプロテスタントを作りました。
今の創価学会員の人達は、疑問を鬱屈させておくより、あるべき変革を求める活動をするべきだと思います。
私は創価学会が分かれることを特には望みませんが、池田大作さんはもうご高齢で指示は出していないかもしれませんが、特に公明党の幹部や自民党との調整者の、本来の理念を忘れたしたたかな保身ぶりには、厳しい批判をしたいです。
私は恩ある学会の行く末を心配して、あえて苦言を書かせて頂きました。
昼前のご意見には後でお返事します。
書き込み頂きありがとうございます。
社会企業エコフェアネットワーク
http://eco-fair.net
私も公明党が与党の連立のしがらみから、自民党の腐敗、堕落に対して追求が甘いと思います。ただ私は公明党は彼らなりに憲法改正などで自民党案を、止めたりわりと必要なあり方に修正している面はあるかと思います。ただ私も公明党は民衆の救済や平和を理念にしている党ですから、本当にそれを追うなら、自民党との連立はやめて、かつてみたいに野党と組む方が本来は自然な姿かと思います。私も創価学会や会員は原点に戻り、鎌倉幕府を命がけで諫めた日蓮の姿に学び、自民党の腐敗と真剣に戦うべきだと思います。