私は織田信長はプラスマイナスありますが、彼の業績から学ぶべきことは多いと思います。
彼は
兵農分離
(のちに秀吉が引き継ぐ武士と農民の識別を始めて行い、浪人や流れ者などを集めて、専門兵隊を作ったのは彼です。)
楽市楽座
(商業のしがらみをなくし、税を軽くして、合理的で自由な商いを可能にして産業を発展させました。)
新しい西洋文明の技術、文化の活用、
(鉄砲のいち早い利用や、三段部隊に分ける工夫、知的好奇心からキリスト教や西洋の文化の独自に吸収と積極的な活用)
室町幕府や延暦寺などの古い権威を徹底的に叩いてつぶしました、
(制度疲労した勢力とは、妥協するより、力で戦いねじふせました。)
などが特徴かと思います。
戦国時代は農業技術が進歩して、生産が伸びていた昭和30年代の日本の様なイケイケの時代でしたが、信長はその変化をいち早くつかみ、上記の制度で強固な軍備と豊富な経済で、戦国の時代を征しかかったということだと思います。
作家の堺屋太一は
「信長は現代に置き換えれば、年長者から大うつけ者と呼ばれていた、暴走族あがりの二代目社長の信長が、一流大学でたキャリア組の古参の幹部をしりぞけ、暴走族時代の仲間と「俺たちがやる!」とITの事業を始め、それが意外にうまくいき、大きな会社を作ってしまった様なものだ。」
と書いていました。
信長はつまるところ、すごく合理主義的な思考の持ち主だったと思います。
また彼は勇猛果敢なイメージが強いですが、かなり忍耐強い(もちろんそれは合理主義に裏打ちされた計算からした忍耐ですが)人で、自分に歯むかった者も、活かせるなら我慢して活用する、勝てる戦いしかしない、勝てるまでは長期戦も辞さない、人でもありました。
また彼は師匠という人がほとんどいなく、自分の頭で考える人で、精神的権威をけ嫌いして、徹して理性的に判断した人だと思います。
もちろん彼が、時の大きな権威で力もあった延暦寺を焼き討ちしたことには是非もあるでしょうが、彼は延暦寺焼き討ちをする時に、こう言いました。
「もしおれをこの焼き討ちで焦熱地獄に落とすというのなら、閻魔の庁で大王の前に連れて行かれても、おれは彼を説破する自信がある。」
とまで言い切ったといいます。
松下幸之助は
この信長の覚悟や
「日々新た」という鉄砲を開明的に使う、時代の変化をつかむ姿勢には、
現代人も大いに学ぶ点があると本に書いています。
もちろん彼の残虐なところは明智光秀の謀反を起こす原因でしょうし、肯定しずらいです。
また彼の覇王の論理は、今の21世紀の地球環境時代や、民主主義や、資本主義の時代にはあまり相応しくなく、問題も多いでしょう。
しかし、私は彼の
生の人生の体験からも学び、
実相や現実を、ちゃんと見抜く視点を持ち、
自分の頭で合理的に考えて、
問題の多い既得権益との対決も辞せず、
果敢に挑戦していく姿勢、
などには大いに学ぶものがあると思います。
これからの時代の英雄は信長型よりガンジー型かもしれませんが、信長が残した足跡からも、今後の自分の人生のヒントを考えてみたいものです。
織田信長
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