セッカチばあさんひとりごと

あれもこれもやりたい事ばかり、ノロマになったの棚に上げてぼやくばかり。スマートに片付けたいなー。

つくつくぼうし

2018-08-22 20:15:08 | Weblog

        

先週つくつくぼうしの鳴き声を聞き、猛暑だ、異常気象だと嘆いていたけれど、ああ夏の終りが近づいたと嬉しく思い、又実際に30度に届かぬ日があってホッとしました。が,そうは問屋が下ろすはずなく、今日はお暑い一日でした。ブログにはやはり写真が欲しいと、久しぶり公園に行きましたが、残念ながらつくつくぼうしは鳴いていませんでした。花は百日紅が2本、春とは違い木々の緑が繁っていました。よく見たらナナカマドの実が(右下)一杯ついて、そういえば赤くなったら撮りましょうと書きながらサボってました。初めて見る実?プレートを見たら「こぶし」でした。

今朝ふとテレビの前を通ったら、食べられる雑草を摘みに行くシーンでした。一気に昔に連れ戻されて、懐かしいというよりあの時代を思い出しました。女学校のお料理の時間は、「未利用資源の活用」。皆で色々考えて草は勿論野菜の捨てられる部分や、蛋白源にとさなぎなど使って。「さなぎのロールキャベツ」、「さなぎの粉末入りビスケット」、「ジャガイモに葉も裏ごしにして入れたグリーンスープ」などの献立を思い出しました。芋や南瓜の葉茎、タンポポ、つくし、はこべ、オオバコは固くて、あかざ?その他もう名前も忘れてしまいましたが。嫁菜ご飯は懐かしい。ヨモギ、わらび、ぜんまい、のびるなどは今も使われてますよね。その頃のことが身に染みついているせいか、食べ物を捨てることが中々出来ません。特にお米粒は外食は兎も角、家では工夫して食べきるようにしています。

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続8月の雑感

2018-08-19 20:36:40 | Weblog

        

1年前に書いた記事の感想を、とのメールで16日終戦時の思い出を書きました。今日は記事に関連したことを書きたいと思います。

昨年ゾルゲ事件のことを書きました。トランプ大統領が中国のスパイ行為を非難してますね。私は武器を使った戦争とは別に、いつの時代もスパイがあらゆるところに入り込んで、活躍をしているのではないか、こちらの方が目につかないだけに恐ろしいのではないかと思うのです。17日毎日新聞にゾルゲ事件の記事が出ていて、これは「太平洋戦争前夜に発覚した国際スパイ事件を、司法省などが報道規制した文書が見つかった」ということで、私が言いたいこととは少し違いますが、偶然とは言えゾルゲ事件が話題になったこと不思議な縁を感じます。

昨年からモリカケで前に進まない日本と、あらゆる分野ですごい速さで世界制覇に突き進んでいる中国を見ていると、民主主義と独裁について考えさせられていました。8月17日の日経新聞に、「勢い増す独裁制、解決策を見つけられない政治に不満、ポピュリズム台頭は民主主義が壁に直面している表れ。ここ数年で最も深刻な危機に陥っている」と米フリーダムハウスの表が載っていました。私が気になっていることは世界的なことなのですね。民主主義よ頑張れ!

考えてみれば、目もすぐ疲れる、ニュースも本も新聞も少々、大した知識もない癖に何となく肌で感じたことを話てみたく生意気なこと書きました。

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8月の雑感

2018-08-16 13:53:33 | Weblog

今年は早かった梅雨明けから猛暑続きです。気温も連日高温の表示で、エッ41度!マー39度どんな暑さかしら、など驚いているうちに、最近は数字に麻痺してフーン又かとなり、もう少しの辛抱でしょうね。台風も12号は今までと全く異なるルートで多大な被害をもたらし、その後も次々と矢継ぎ早に発生して。やはり異常気象なのでしょうか。秋が待たれますね。

8月4日古澤巌さんのコンサート行って来ました。昨年10月から1718年製ストラディバリウス「サン・ロレンツォ」をお借りして演奏されていたそうですが、今回が最後の公演だったそうです。金益研二さんのピアノで、余り大きくない白寿ホールでのクラシック演奏は、本当に心にひびく演奏でした、この楽器のすばらしい音色の余韻を胸に帰宅したことでした。

「1年前に書いた記事の感想を書いてみませんか?」とメールが来ました。ブログに政治的なことは書かない主義ですが、と断ってモリカケ騒動のモヤモヤを書きました。今もこれで良いのだろうか、と言う思いはあります。さて昨日は終戦記念日、私は女学校の2年生、台湾の疎開先で詔勅を聞きました。私達疎開学生は保存食糧を作る手伝いをしていました。その後父親の集結地近くに行き,10月頃学校が再開されていると聞いてその女学校に転入しました。国語と歴史の代わりに北京語を、先ず中華民国国歌と号令を習い、朝礼は北京語で、国歌と国旗掲揚をし、中華民国万歳、三民主義万歳、もう1つは忘れましたが、右手拳を高く挙げさせられました。12月になり引揚船が出ると聞いて転校の手続きをしましたが、引揚は3月でした。卒業した小学校、入学した女学校の友人達とは戦後ず~と付き合いがあり、台湾のこととなるとついのめり込みます。今台湾人の黄文雄先生のメルマガを愛読しています。黄先生は、終始日本のメディアや中国・韓国の反日は「日本悪玉論」を唱えるが、日本は悪くなかったと言われます。そして「台湾人は日本時代に多くのことを学びました。インフラ整備など物質面でも多くを日本から与えられましたが、それ以外に衛生観念、公共精神、報恩の精神、武士道精神など精神面での教えも非常に多くありました。」と書いておられます。台湾の方々の親日感情はこういうことを教育の中で伝えておられるからだと思います。日本が台湾を統治したのはたった50年です。台湾の方は現在の日本人は「日本精神がない」と言われるそうですが、つくづく教育の大切さを感じます。戦前の日本を悪いと決めつけ、日本人としての誇りをなくす教育が70余年続いていたと思うと悲しくなります。しかし終戦直後の物言えぬ時代を思うと、随分変わってきたのを感じますが。

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