セッカチばあさんひとりごと

あれもこれもやりたい事ばかり、ノロマになったの棚に上げてぼやくばかり。スマートに片付けたいなー。

梅と河津桜鑑賞ウォーキングの後日談

2019-03-11 17:28:31 | Weblog

    

6日のウオーキングは曇り空で、折角の河津桜をお日様の下でもう一度撮りたいと9日増尾城址公園に行って来ました。この前は呑気に後ろからついていったので、自信ないまま適当に標識を見て登ったら、城跡の図と標識はあったのですが、人っ子1人いないのです。あの桜はと思っても、大きな木ばかり、やっと人に会い桜に巡り合いました。標高20Mの台地が全部城址で、整備された公園は桜やバーベキューなどできる人工的な部分と、山の感じが残っているところでした。そう、城址は広いのです。

先日の牧士の話、どうして武士の格式を持ち、苗字帯刀を許される程偉いのか不思議に思って調べてみました。幕府直轄の放牧場は4つ、下総小金牧、佐倉牧、安房の嶺岡牧、駿河愛鷹牧。この地区が下総小金牧で、現在の柏市、松戸市、鎌ケ谷市、白井市、船橋市に及ぶ地域です。軍馬育成のため設置した放牧場で、武士にとって馬はなくてはならぬもの、それを管理した現地役人、地元庄屋名主等が牧士と呼ばれ重用されたのでしょう。これだけ広い地域、放し飼いとて、牧の内外に野馬土手(野馬除土手、勢子土手、囲土手等)が作られました。現在沢山あった野馬土手も開発でどんどん削られているそうです。是非見に行きたいと思います。

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梅と河津桜鑑賞ウォーキング

2019-03-08 16:50:23 | Weblog

    

広報を見ての参加です。新柏駅集合、途中若木の河津桜や、ミモザ、名残のカラスウリなど眺めながら薮崎邸へ。江戸時代この地方は幕府の軍馬育成放牧場で、牧の管理者は牧士と呼ばれ苗字帯刀等武士の格式を持ち、長屋門を構えている庄屋、名主も牧士(士分)として取り立てられていた由。近い所で3か所もの長屋門が見られるのは珍しいとのこと。薮崎邸は、邸内に「彌惣治文庫」があり、大町桂月の掛け軸や著書その他が展示され、今回特別(通常は見られないとか)見せていただきました。次に地主不在の長屋門、木村邸はご家族がお住まいで、外からの拝見でした。3か所とも立派に保存されていてさすがと感じました。

    

増尾城址総合公園は河津桜がきれいでした。河津桜は寒緋桜と早咲きの大島桜の自然交配種で、河津町に原木があることから、昭和49年に河津桜と命名された由、2月下旬から花を咲かせ、ほぼ1か月間にわたり楽しむことができるそうです。公園で休憩の後「きつね山(幸谷城遺跡)」に行きました。この場所は土地所有者のご好意により「柏ふる里つくり隊」が管理しているとのこと。「高島野十郎(画家)終焉の地」の立て札や「狐乃嫁入橋」などあり、自然の木が一杯ある中を抜け、途中梅林など見ながらゴールの増尾駅に。全行程約5キロを楽しく歩いてきました。

 

 

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最近読んだ本

2019-03-04 19:22:19 | Weblog

        

この本面白かったと聞いて、早速読みました。とても分かり易く私達もですが、帯にあるように中高生にも読んで欲しいと思いました。外交官になる方は、学生時代からエリートコースを歩いてきた方と漠然と思っていましたが、「はじめに」を読んでびっくり!このままではいけないと考えた時からの努力は大変なことだったでしょう。取っつきにくいと思っていた外交官のイメージが何か身近に感じられて、もっとお話聞きたいな!と思わせられる島根玲子さん、素晴らしい方ですね。これからも益々のご活躍を!応援しま~す。

一つだけ言いたい!と思いながら書かなかったこと、でも矢張り書くことにします。それは慰安婦問題です。何年も前から例の「像」が世界中にに建てられる話を聞く度に悲しく思っておりました。事実でないことをやっと朝日新聞が認めました。しかしここまで大きくなる前に外務省がどうして動いてくれなかったのか。せめてこの本で取り上げて欲しかったと思ったのです。

 

 

 

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