「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「雪柳に涙、そして明日のために」

2011-04-11 00:45:18 | 和歌

 3・11以来、パソコンに噛り付いて夥しい数のメールを交換し、食事のテーブルでは虚庵夫人の言葉にも気はそぞろ、テレビの放映を食い入るように見続ける毎日であった。

 思えば虚庵居士の人生は、精魂を込めて原子力発電所の設計・建設と、安定な運転のためにすべてを捧げてきた。我が国のエネルギー需要を支え、国民の皆様の高度な文化生活を支える国産エネルギーは、原子力発電以外に無いからだ。

 再生可能エネルギーはクリーンで、尽きることない無限の資源であるが、エネルギー密度は極めて希薄で、変動が激しいことから、残念ながら基幹エネルギーにはなり得ない。ドイツのように風力・太陽光の発電電力を高額で買い取る制度(FIT)は、風力や太陽光発電の設備促進には魅力的な制度であるが、つまるところは買い取りの代金は国民の負担となって、高額なツケが永続的に付きまとう。
ドルトムンド大学など国を挙げて研究した結果、続けてはならない制度だと結論付けている。我が国でも、FIT制度を盲目的に取り入れようとの動きもあるが、冷静な判断が求められるところだ。

 巨大な津波にのまれた悲惨な映像が放映されたこの一か月、あろうことか被災地には冷たい雪がしきりに降り続いた。
被災した皆さんは、きのみ着のまま逃れて、防寒着や手袋すらも身に着けていないのだ。身を震わせ、手足を凍えさせている現実が、我がことのように身に沁みた。

 気付けば「うつろ庵」の雪柳が、いつの間にか小枝に雪を湛えているかの様に咲いた。 例年であれば、春の到来を喜ぶところだが、ことしはテレビで見た被災地の雪景色と重なって、涙を誘う雪柳だ。

 福島第一原子力発電所は、激震にも耐えて直ちにスクラムして核反応を停止した。直ちに炉心の冷却システムが起動して、順調な停止運転が続けられたが、間もなく襲った14~15メートルにも及ぶ巨大津波は、発電所の手足を無残にももぎ取って、すべての冷却手段を奪った。その結果は、メディアの報じるところだが、虚庵居士も原子力関係者も歯ぎしりの毎日だ。

 現場の最前線で奮闘している皆さんが、お怪我をなさらぬよう、過大な被ばくを受けぬよう念じている。そしてまた、お気の毒にも退避して居られる人々には、思わず頭が下がる思いだ。虚庵居士は福島発電所の設計・建設には携わらなかったが、原子力人として心からのお詫びと、お見舞いを申し上げたい。

 誰一人予想することも出来なかった巨大な自然災害の結果とはいえ、我が国最大の危機をもたらした原子力災害の責任を、改めて噛みしめる この頃だ。五重の壁で防護し、深層防護の原子力安全思想、入念な品質保証と弛まざる運転・保守訓練など、どれをとってみても繰り返し繰り返して確認を怠らなかった。多分、人類が築いてきた最高レベルの技術であったと思われるが、それでも未だ足りないところを、自然は明確に指摘した。

 人類の歴史を見れば、何万・何十万の尊い命を奪われた過去の犠牲を礎にして、より高度な文明を我々は築いてきた。今回の福島事故では、一般市民の皆様の命に係わる災害は防止できるであろうと予測しているが、自然の明確な指摘を受けて、更に高いレベルの科学技術を次の世代に引き継ぐのが、我々の使命であろう。識者の皆さんの胸には、既にその解のイメージが描かれている。それぞれが描いた解を重ね合わせて、真の解を明示し、国民の皆様の意見を求め、納得し安心して頂くことこそが、我々の課題だ。

 願わくば、皆様の率直なご意見をお聞かせ願いたい。但し心して頂きたいのは、虚庵居士を説き伏せ、ねじ伏せても何の役にも立たぬことを肝に銘じて頂きたい。
万人に通じる言葉で、礼を失せぬ範囲でごく率直に、双方向の真摯な対話を積み重ねたいものだ。

 


              気が付けば家に籠れる日々なるか

              待ちにけらしも雪柳の花は


              さえだ垂れて白雪置くや雪柳に

              被災地おもほゆ涙ながらに


              原発の事故に避難のひとびとを

              思えば済まなく頭下がりぬ


              人知超える自然の指摘の訓えこそ

              次に引き継ぐ源なるかも


              解き明かす安全の手だてに納得と

              安心求めて対話を重ねむ