プレートテクトニクスの拒絶と受容―戦後日本の地球科学史 価格:¥ 3,990(税込) 発売日:2008-06 |
偶然目について手に取った本。
理学部地学科に学び、新聞の科学記者、科学雑誌編集者を経て、定年前に退職、東大の科学史の院に入った著者の博士論文なのだけれど、これがまたぼくにとってはツボにはまった内容だった。
太平洋戦争が終わると、日本では占領軍の「上からの民主化」と呼応するように、民主的な社会の実現を求めるさまざまな運動が起きた。地質学会にも「地学の団体研究」と「学会の民主化」を掲げて地学団体研究会(地団研)が誕生した。
冒頭でいきなり示されるこのフレーズが、「なにか」を予感される。
地団研と呼ばれる、そもそもは、地質学の民主化をめざした団体が、「学会+運動体」の性質をともに帯び、プレートテクトニクス理論が国際的には常識となった後も、10年近く受容を拒み続けた経緯がつぶさいに追跡される。
背景には、認識論的な違い(イデオロギー)があったり、「有力会員の言うとこには反対できない雰囲気・体質」があったという。これって、何かに似てませんか?
かつて紹介した「滝山コミューン1974」にも通じるものがある。
http://blog.goo.ne.jp/kwbthrt/d/20070618
また、教育の民主化を目指したPTAに通じるものもある。
http://blog.goo.ne.jp/kwbthrt/d/20081010
とはいえ、それにもまして、科学ってなんぞや、と日々思うような人には大きなインパクトを持っているだろう。
パラダイムシフトの物語、研究伝統のチェンジの物語として、それほど派手ではないけれど(たとえばルイセンコ
論争に比べたら小粒、なのだ)、それゆえにより本質的な何かをみせてくれるケーススタディ、ともいえる。
1970年代から80年代に至っても、新聞や雑誌でプレートテクトニクスの特集をすると、地団研系の研究者からさかんな抗議が来たという、著者が体験したエピソードも実に興味深い。
ジャーナリストの世界で当たり前になっていることが、専門の研究者が許容しないというねじれがなぜ生まれたのか。
その不思議をとくために調べ始めたのが、この博士論文のきっかけだという。そういう「始まり方」というのはとても好ましく感じた。
結果,著者が「地団研」を非難するでもなく、擁護するでもなく、なるたけフラットに、民主主義の理想に燃えた団体が、いかに「運動」と「科学」を両立させるのに苦労し、ある意味、失敗していったのかを明かにした筆さばきにも感心した(と書くと偉そうだけど)。
なお、ちらりとしか出て来ないのだけれど、プレートテクトニクスの初期の支持者の一人、竹内均氏って、偉大だったのだなあとも再確認。後年の科学解説者、ニュートン編集長としてのイメージが強いだけに、バリバリの若手だったころの業績に触れた部分で妙に感じるものがあった。